タウンアーチの先へ0020

2010年10月31日
 先日、久々に碧南市新川の旧大浜街道を通りがかったら、タウンアーチが撤去されてて愕然。山神町2・3・5・6丁目の境界あたりです(碧南は「×丁目」表示が細かくてうっとおしい。使い方を間違えたんじゃないのか)。

101031-5.jpg

 以前この付近にはこのようなアーチがありました。

101031-1.jpg (2005.02.04撮影。以下同じ)

 スカイブルーも鮮やかな「新川本町通」のアーチです。
 新川は南北2本のメインストリートに沿ってダラダラと長く伸びた町で、シブめではあるんだけれど掴みどころがない印象があります。そんな町でいい目印になっていたのがこのアーチだったのに、もったいないことを…。
 新川は異様にアーチの多い町でこれ以外にも地区の各地に点在していたんですが、みな撤去されてしまった模様。

101031-2.jpg

 大浜街道の東に並行する新道沿い「上銀座商店街」のアーチ。山神町5丁目・新川町2丁目(新川小学校のすぐ西)にあった。

101031-3.jpg

 衣浦温泉街入口の山神町2・6丁目にあった「新川本町」のアーチ。協賛企業は新川にある白醤油や業務用ソースの醸造元「日東醸造」。昔はこれに、衣浦温泉の旅館名が書かれていた覚えがあります。

101031-4.jpg

 アーチではないが、商店街名の入った大型街灯も撤去。浅間町1・2丁目あたり。
 あと、デジカメに移行してからは撮影していないけど、かつては北新川にもアーチがありました。
 このような悲しむべき(僕だけ)状況の中、なぜか山神町1・2丁目の七福醸造前にある下の写真のアーチだけは撤去されずに生き残っていた。

101031-6.jpg
 
 う~ん、これだけなぜ?車が少ない裏通りなので邪魔じゃないということか。
 新川旧市街はこんなんだし、大浜旧市街も道路拡幅やカネニ跡のバロー進出などで殺風景になったし、碧南はどうも最近「サッパリ化」が著しい。まあ仕方ないですけどね。
(まさ)
スポンサーサイト
西三河雑 | Comments(0) | Trackback(0)

花婿イン・ザ・ミラー

2010年10月30日
 なぜかわからないがここ数日、爆風スランプの「らくだ」が頭の中でエンドレスリピートしている。♪瘤瘤瘤、一瘤、瘤瘤瘤、二瘤ってなもんで、中学・高校の頃の初期~中期の爆風(江川ほーじんがいた時代)は、硬軟織り交ぜた楽曲が本当によかった。Runnerあたりから変な方に行った印象があります。
 そんなことはどうでもよくて、先日、とある取材で羽島の八剣神社へ(これもどうでもいい話だけど)。南北に長い市街の北端に鎮座しておりまする。

101030-1.jpg

 こちらの社務所が、社格のわりにけっこう広い。その昔は神前式のあと、披露宴会場として使われたとか。結婚式場が少なかった昭和40年ごろまでは、社務所とか公民館とかでの挙式が多かったといいます。
 で、その社務所の片隅に、レアな一品を八剣いや発見。

101030-2.jpg

 業者のロゴ入り姿見だ!
 下の方に花嫁衣裳専門店の「○ト」の名が見えます。竹鼻が本店で、江吉良、起に支店があったようですが、さすがにもうないでしょう。

101030-3.jpg

 真ん中あたりにはスーツ姿の花婿のイラストが!花婿というか、衣裳屋の営業にしか見えないぞ。それより花嫁のイラストはないのだろうか?姿見に写るのは花嫁なので、イラストは不要ということなのか。
 これもどうでもいい話ですが、ウチは三河一宮の砥鹿神社で式を挙げて、衣裳屋は豊川の「まきやす」でした。
(まさ)
岐阜中部・西濃雑 | Comments(2) | Trackback(0)

カンバンの手帖ブログ版0154

2010年10月27日
 なぜか続く堀田界隈の話題。
 堀田本町、柳ヶ枝、下坂の「堀田三筋」(勝手に命名)を歩いたついでに、名鉄堀田駅構内も徘徊してみました。平たい駅ビルの上にURのアパートが乗っかった駅です。ここは、通過する列車内から見ているだけで味わい深い高架駅。木造ボロ駅舎がほぼ完全に駆逐された名鉄本線にあって、もはや昔ながらの味わいを楽しめる駅というと、ここと、同じく高架駅の東枇杷島ぐらいではないか(あとはなぜか生き残ってる西枇杷島か)。

101027-1.jpg

 そんなわけで堀田駅の高架下に突入。名鉄パレの脇に掲げられた「名鉄堀田名店街」の電光カンバンに誘われて奥へと入ってゆくと…

101027-2.jpg

 なんと、電球がチカチカ明滅する古びた誘導カンバンが!
 キャバレー花園あたりだと妖艶な雰囲気を醸すのに一役買っていますが、薄暗い堀田駅の高架下だと、なんともいえない場末感に。

101027-3.jpg

 でもってこれが「名鉄堀田名店街」。実にシブい。昔の豊橋駅前地下街がこんな感じだったなあ。

101027-4.jpg

 さらにこのようなテイクアウト店まで。シブすぎる。「カレーショップ」のカンバンの下はイートインスペース。次に来たときは食べたいものです。って、堀田なんぞに次いつ来るんだ。
 しかし堀田界隈はレベルが高い。手垢が付いてなくて実にいい感じです。名古屋で次にブームが来る町は堀田に違いない(そんなわけないか)。
(まさ)
名古屋雑 | Comments(2) | Trackback(0)

カンバンの手帖ブログ版0153

2010年10月26日
 堀田本町、柳ヶ枝ときてもう一本北の通り、下坂町も、タウンアーチはないもののそこそこ商店が残ってて、かつては賑わっていたであろうと想像させます。

101026-1.jpg

 なかなか地味度が高すぎるんですけどね。
 右に見える、いかにも古い薬局のファザードらしい建物は、現役の薬局。この店の前に、これまた年代物のカンバンが現役で使われてて驚いた。

101026-2.jpg

 これまたシブい木製のタテカンだ!
 たまたま薬局のご主人(おじいさん)が店先にいたので、いつから使っているのか聞いてみたところ「ハテ?」だって。昭和30年代だとは思いますが…。
 手描きの文字も味わい深いですが、これを書かれたのもご主人とのこと。素晴らしいバランス、そして美しいグラデーション。店内にも「作品」がいっぱい貼ってあって、素晴らしかった。この方を昭和のPOP王と呼びたい。

101026-3.jpg

 編集者、カメラマン、ライター(わたくし)がよってたかってインタビュー中(ていうかただの立ち話)。G-SAN話は盛り上がるっすねぇ~。
(まさ)
名古屋雑 | Comments(2) | Trackback(0)

タウンアーチの先へ0019

2010年10月25日
 さらについでにもう二つ名古屋から、名鉄堀田駅近くのタウンアーチを。最初に見つけたのは3年前で、おととい取材で歴遊舎 I さん、カメラマンKさんと堀田界隈を徘徊してたとき、再撮しました。

101025-1.jpg

 まずは堀田本町のアーチ。空港線を挟んで堀田駅の反対側から東へと伸びる道筋です。昭和5年までこの道筋を名鉄(当時は愛知電気鉄道)が走っており、商店街として発展したのは堀田駅が設置された昭和3年以降…かな?詳しく調べていないので確かなことはわかりませんが。手持ちの大正11年発行の地図を見ると、当時の一帯は田畑だったもよう。
 商店街名は「堀田本町」ですが、現行町名は「惣作町」です。角川の地名辞典によると、惣作町の名は昭和20年から使われているので、呼び名としては堀田本町のほうが早かったのかもしれません。詳しく調べていないのでよくわかりませんが。

101025-2.jpg

 アーチもいいが、商店街の入口に構える「シューカドー」のビルも味わい深い。シューカドーは洋菓子屋と喫茶店の二店が並んでて(ただし洋菓子屋のほうはやってるかどうかわからない状態だった)、おそらく昭和初期に多かった、洋菓子店に喫茶部を併設したタイプの店の生き残りかと思われます。取材したわけじゃないのでわからないけど。

101025-3.jpg

 こちらは「堀田本町」の一本北の「柳ヶ枝」通り。一見地味ですが、ボチボチ商店が残っており、それなりに渋い町です。この通りに同型のアーチは4基。文字まわりの五角形や折れ本のような立体造形など、シンプルながら制作者の技(?)も感じられる好印象のアーチです。
 角川の地名辞典には「昭和37年柳ヶ枝町商店街振興組合設立、商店街として発展した」とあり、古び具合やデザインから昭和40年代前半に設置されたと見るが、どうか。いや、詳しく調べてないんですけどね。
 今回は推測ばかりでスンマセン。そのうちちゃんと調べます。
(まさ)
名古屋雑 | Comments(0) | Trackback(0)

タウンアーチの先へ0018

2010年10月24日
 大須のついでにもうひとつ、名古屋市街中心部で見つけた日本街路灯製造㈱製のタウンアーチ。東陽通のものです。

101024-1.jpg

 繁華街とは思えないこの地味な通りは、若宮大通の一本北、地下鉄矢場町駅三番出口あたりから東へ伸びる通りです。現行では栄5丁目。昔は「東陽町」でしたが、昭和44年の町名整理で消滅しました。
 栄の外れという中途半端な立地なので、この通りから繁華街の機能が失われたのは仕方ないとはいえ、なんでこの一基だけ撤去されずに残っているのか、謎だ。どうせなので忘れ去られたままずっと残っていけばいいと思います。

101024-2.jpg

101024-3.jpg

 オマケ。栄周辺で見られるタウンアーチ。
 上は長者町通りの「長者町繊維街」。いつ見てもこの巨大明朝は迫力あります。下は呉服町通りの「プリンセス大通り」(丸善・ナディアパークの通り)。いつ見てもなんでプリンセスなのか疑問。皇太子妃の行啓でもあったのか?
(まさ)
名古屋雑 | Comments(2) | Trackback(0)

タウンアーチの先へ0017

2010年10月20日
 大須の大道町人祭を見物した際、仁王門通りと垂直に交わる「文長通」にてこのようなアーチを撮影。

101019-1.jpg

 仁王門通りの近くの駐車場が大道芸会場になっておりそこだけは人が集まっているものの、賑わう大須のアーケード街とは一転、閑散としています。立派なアーチがあるのに、無料配布の大須マップにはストリート名の記載ナシ。

101019-2.jpg

 なんだかよくわからないこのスペーシーなデザイン、どこかで見たことあると思ったら、撤去された養老町高田の「中心商店街」のアーチと瓜二つなのでした(→●□)。

091210-3.jpg ←クリックで拡大します

 火の見櫓は製造業者ごとにプロトタイプがあることが判明していますが(→●□)、タウンアーチも同様だとは。柱を見たら、業者と製造年を記した銘板も取り付けられていました。

101019-3.jpg

 作ったのは名古屋の日本街路灯製造株式会社。街灯を観察しているとたまに見かける会社名です。これは取材してみたい!
(まさ)
名古屋雑 | Comments(0) | Trackback(0)

大浜松大航空祭

2010年10月18日
 でもって昨日は、友人О君親娘と航空自衛隊浜松基地で開催された「エア・フェスタ浜松2010」に行ってきました。自衛隊の航空祭なんて、中学生の時に各務原へ友達と見に行って以来。

101018-1.jpg

 飛行機よりも、だだっ広い浜松基地を埋めつくすものすごい数の観客に、もう唖然。すべての浜松市民がここに集まっているのではないかというような。

101018-2.jpg

 ブルーインパルスが凄かった。なんというかもう、凄いとしかいいようがない。

101018-3.jpg

 あと、観客が多すぎて見づらかったけど、中部航空音楽隊の演奏もよかった。。
 実は2月に春夏秋冬叢書「そう」27号の取材で、基地内での練習とアクトホールでの定期演奏会を見に行っているのだが、自衛隊に音楽しかやらない隊員がいることにも驚いたし、あまりの演奏レベルの高さにも驚いた。最近の隊員は多くが音大出身だとか
 演奏会では当然ながら制服だけど、基地内での練習のときは幹部以外は皆、一目で自衛隊員とわかる訓練服で、なかなか音楽とは結びつかない服装にも驚いたものです。
(まさ)
遠州雑 | Comments(2) | Trackback(0)

大名古屋大山車大駱駝艦

2010年10月17日
 大イベントが市街地各所で行われていた土日の大名古屋。昨日はまず午前に、歴遊舎 I さんと共に「名古屋開府400年祭 大山車まつり」へ。市内の山車13台が若宮八幡社から本町通りを名古屋城まで練り歩くという、大企画です。

101017-1.jpg

 八幡社を出て若宮大通を行く山車。さすが大名古屋。他の山車まつりではなかなかこういう光景は見られません。

101017-2.jpg

 本町通りを名古屋城へと向かう山車。どこを切っても潤いが欠落している栄も、山車が動いているだけで救いがある気がします。
 若宮八幡社の近くで昼飯を食ったあと、大須へ移動して「大須大道町人祭」へ。今年で33回目だというのに見に行くのは初めて。いろいろパフォーマンスを見た中で、大駱駝艦の金粉ショーには心底ぶったまげた。

101017-4.jpg

 いやもう唖然…。
(まさ)
名古屋雑 | Comments(6) | Trackback(0)

カンバンの手帖ブログ版0152

2010年10月15日
 先週は東三河ウィークの様相を呈しておりましたが、今週は完全に地元ウィークでした。
 で、先週のネタなんですが、豊川市内の小学校へ取材に行ったあと、かなり久しぶりに豊川稲荷に参拝して門前町を歩いてみました。豊川稲荷門前町というと、「なつかし青春商店街」と銘打ってホーローカンバンをどかどか貼りまくってることで、一部マニアの間では知られていると思います。

101015-1.jpg

 まあ、その、町が盛り上がってるならいいんですけど、なんというか、その、僕は貼りすぎなんじゃないかな~、と思うんですがね。こんなことに水を差すのもなんですが、少なくとも景観的にワビサビめいたものはない。

101015-2.jpg

 豊川はカンバン界の重鎮、サミゾチカラさんの在住地ということで、こういうアイテムを使った町おこし活動に意味は見出せます。が、たとえばここに見える「幸娘」(東浦町・野村酒造→●□●□)とか「賜冠」(旧旭町・中垣酒造→●□)は、蔵元の営業範囲からいって豊川に掲げられたことはなかったはず。
 そこまでの考証を商店街関係者に求めるのは酷ですが、どうも腑に落ちないのです。じゃあ何を飾れば納得するのかと言われるとこれといった見識もございませんで、豊川の皆さんどうもすいません。
 ところで上の写真で、キンチョーやらボンカレーのカンバンが貼ってある巨大ボードの後ろに、こんなカンバンが隠れていました。

101015-3.jpg

 光線!?いったいどこの温泉だ!こういうカンバンの来歴こそ知りたいぞ。
 あと、なつかし青春商店街ということでオマケ。商店街の書店にまだ貼ってあった。

101015-4.jpg

 拙著「火の見櫓暮情」のチラシや、嫁がメインで作った「東三河今昔写真集」の抜き刷り。個人的に懐かしい~。売っていただいてありがとうございます。
(まさ)
東三河雑 | Comments(0) | Trackback(0)

さらば三河線連絡線

2010年10月14日
 知立の話題を連発。
 先日、久しぶりに市内の東栄という住宅地を通ったら…といってもどこかわからないと思いますが(いつもか)市役所の北の名鉄本線沿いの界隈です。旧東海道と南陽通りを結ぶ道が横断してて…といってもますますわからない。まあいいや、とにかく東栄を通ったら、名鉄本線と三河線を結ぶ連絡線の一部が潰されて驚いた。

101014-1.jpg

 以前はこうなっていました。撮影地は、本線踏切と三河線踏切の間にある連絡線踏切跡(ココストアのそば)です。

101014-2.jpg
(2006.05.25撮影)

 これは三河線三河知立駅から分岐して名鉄本線に合流する線路の跡。要は、三河線碧南方面から名鉄本線東岡崎方面への直通列車を走らせるための路線です。ややこしくて書くのが面倒くさい知立駅&三河知立駅の変遷と、よくわからないこの連絡線の活用実態は、各自調べてくださいませ。
 少し前に届けられた知立市広報のオマケ「まちづくりだより」No.55によると、廃線跡は「都市計画道路本郷知立線」として、そのうち道がぶち抜かれるらしい。

101014-3.jpg

 なお、連絡線跡の東岡崎方は今のところ無事です。道路建設の予定もないみたい。しかし、上の写真に写っている保線車輌、いつから放置されてて、そしてどこへ行っちゃったんでしょうね。
(まさ)

◎さらば知立の昭和遺産シリーズ
さらば麗人街→●□
さらばいとう温泉→●□
さらば第一劇場→●□
さらば知立庵→●□
さらば日出屋酒店→●□
西三河雑 | Comments(0) | Trackback(0)

知立フォトグラフィックス

2010年10月13日
 朝、知立市歴史民俗資料館で開催されている「写真でたどる知立」を見に行ってきました。古写真展です。

101013-2.jpg

 実はこの展覧会の図録などに、協力者名としてわたくしの名前を記載していただいております。といっても写真を提供したわけではなく、2006年に「西三河今昔写真集」(樹林舎)を制作したときに知り合った写真所有者を2人ほど紹介しただけで、まったく大したことはしてないんですが。それでも市に納税以外で初めて貢献したというわけで、知立市民としての自覚が初めて芽生えた次第です(オオゲサ)。
 知立市民にとって興味深い古写真が多数展示されているのですが、今回注目の一品は(僕にとってのみ)、知立にあった竹内酒造場の写真とその代表銘柄「御室桜」のラベル。御室桜については、ウチのHP(→●□)と知立祭りのときの記事(→●□)を御参照ください。ラベルも併せて展示した担当者の方の発想が素晴らしい。
 蔵元の写真以外にも、町並みを捉えた写真に御室桜のカンバンが写りこんでいるのも何点かあったりして、地元の酒として根付いていたことを教えてくれます。

101013-1.jpg ←クリックで拡大します

 御室桜はさておき、昔からの知立市民にとっては懐かしさで胸がいっぱいになるであろう(そうか?)この展覧会、知立市民のみならず碧海郡民はこぞって観覧すべし!11/16までやってます。入館無料です。
(まさ)
西三河雑 | Comments(0) | Trackback(0)

タウンアーチの先へ0016

2010年10月12日
 広小路のアーケードが出てきたついでに、現存する豊橋のタウンアーチをまとめておきます。昔は大手通や花園にもあったのだけど、今はこれだけ。

101012-1.jpg

 スタンダードでシンプルな松葉街のアーチ。松葉町2丁目の西と東にあります。何の工夫もない一品。コメントのしようがございません。

101012-2.jpg

 広小路と松葉町を結ぶ細い路地「松葉小路」のアーチ。松葉小路は水商売ストリートで、北と南の入口に同型のアーチあり。これも特に感想ナシ。

101012-3.jpg (いずれも2008.03撮影)

 そして、ときわアーケードとトヨバシの大通りに挟まれた「ミリオン通り」。この写真の左、いまコインパーキングになっているところに確か映画館があって、その館名に由来する名前だと思う(違うかも)。昔のミリオンカード(東海銀行系のクレジットカード)の書体をパクったくさいぞ。
 この映画館には大学時代に一度だけ行ったことがあります。先輩からタダ券をもらって、ランドセルみたいな飛行装置を背負って空を飛ぶ人が主人公の、「ロケッティア」というくだらない映画を見たのだった。筋もなにも覚えてなくて、ただただ「しょーもねー!」という記憶だけが残っている。
 話が広がらないので、これでオシマイにします。
(まさ)

-----------------------------------
(2012.06.23追記)
 最後の「ミリオン通り」で触れた映画館については記憶違いで、この脇のコインパーキングの場所にはあったのは銀行(たぶん東海)。「ロケッティア」を観た「ピカデリー/豊橋松竹」は、もうちょい北の道路反対側にあったようです。なので「ミリオン」の書体は、本当にミリオンカード由来かもしれません(違うかも)。
東三河雑 | Comments(0) | Trackback(0)

恋のアーケード0010

2010年10月11日
 精文館のことを書いたハナから、精文館向かいの広小路アーケードが雨と鳩の糞の重みで崩壊というニュースが飛び込んできました(10/9の夕方)。さすがトヨハシ、やってくれます。
 その広小路アーケードとは、広小路両側の約600メートルにわたる歩道のアーケード(ただし北側は部分的にない)。下を歩いているときは特に老朽化しているとは感じなかったけど、豊橋駅方の入口はこんな具合に、ボロい。

101011-1.jpg
(2006.12.25撮影)

 もうずいぶん前からほったらかしの感じが漂ってて、この色落ちや文字の一部脱落がシブいなどと言ってる場合ではない。

101011-2.jpg

 こちらは今のところ無事な北側の入り口。しかし、落下してケガ人が出たとあっては商店街もほっとくわけにはいくまい。これももうすぐ見納めかね。ちなみに豊橋市街には、同じような歩道アーケードが魚町、新本町にもあります。

101011-3.jpg(2008.03.07撮影)

 オマケ。広小路と垂直に交わる道路全面覆型の「ときわアーケード」。味わい深い電光カンバンは、豊橋っ子なら誰でも知ってるスマートボール屋さん。

 あと、昨日実家に帰って古いアルバムを漁っていたら、少し前に書いた佐久間町浦川駅前のアーチの、20年前の写真が出てきたので追記しておきました(→●□)。浦川に興味があるという奇特な方はご覧下さい。
(まさ)
東三河雑 | Comments(0) | Trackback(0)

天を突く橋脚

2010年10月10日
 先週はめずらしく週3回も豊橋に行った。なんか楽しいぞ。
 火曜日、広小路の精文館本店にも3か月ぶりくらいに寄ってみたら、全館リニューアルしてて驚いた。テナントとして入っていた旧ヤマト楽器→いまじん(CD屋)のスペースにも本が置かれているし。
 大学入学以来およそ20年も通ってて、これまで特に何も変わらなかったのに、この激変ぶりはどうだ。でもまだなんとなく、豊橋チックな野暮ったさをほのかに残してるようで(ビル自体が古いからね)、好もしいぜ。
 いっぽう、ココラフロントに入ってた精文館は撤退してて、これはまあ驚かないというか、妥当ですかね。なんとなく義理でテナントとして入ったぽかったし。あ、真相は知りませんよ。
 どうでもいいけどわたくし、日本じゅうの書店で精文館本店が一番好きです。豊橋にことのほか執着するのは、精文館、市電、豊橋競輪の3つがあるからと言ってもいい。その点岐阜は、書店があんまりの状態だからなあ…。地元資本で目ぼしい書店ではカルコスがあるけど、本好きの心を刺激するという点では精文館本店に及ばない(ただ、文具レベルは高くて好き)。

 それはさておき、金曜日は小学校の取材で豊川へ。普通なら国道1号を利用するところですが、東名集中工事の影響で大渋滞という情報だったので、裏ルートを利用しました。安城で国1を外れて日名橋→大平→茅原沢を経て旧額田町を横断、宮崎から県道334号に入り、杣坂峠を越えて豊川入りするという、マニアックなルートです。狭い道が苦にならない人以外は、決してマネしないように。
 で、これまた久しぶりに杣坂峠を越えてみたところ、豊川市側の山の中で第二東名の工事が進んでて驚いた。

101010-1.jpg

 場所は豊川市の千両町(ちぎりちょう)。こんなところを通っていたとは。しかも橋脚がものすごく高い。
 第二東名のルート上では豊川市街にもっとも近くなりますが、インターができるわけではないので、この県道334号がこれ以上改修されることはないでしょう。
(まさ)

◎第二東名シリーズ
2007.10.09 浜松市北区黒田(旧引佐町)→●□
2009.03.06 浜松市北区黒田(旧引佐町)→●□
2010.05.02 新城市茶臼山→●□
東三河雑 | Comments(2) | Trackback(0)

カンバンの手帖ブログ版0151

2010年10月09日
 話は戻りまして伊自良の掛バス停近くで見つけたスゴいカンバン。

101009-1.jpg
                                     首相が邪魔↑

 絵とキャッチコピーが、す鯉!「喜こべる(原文ママ)」のかぁ。かすれて読みにくいが、店名はおそらく「香魚苑」。香魚って鮎の意味では…。
(まさ)
岐阜中部・西濃雑 | Comments(0) | Trackback(0)

カンバンの手帖ブログ版0150

2010年10月07日
 街灯のカンバンと言えば、常滑市苅屋の国道247号旧道沿いの街灯に、こういうカンバンが取り付けられています。

101007-2.jpg (2008.12.19撮影)

 苅屋街路灯組合て!街灯だけの組合なんてあるんですねえ。
 よく見ると傘もけっこう味わい深い。

101007-1.jpg

 ちなみにこれが苅屋の町並み。シブいの基準からは微妙にずれてるかな?常滑的な風情ではあります。
(まさ)
知多雑 | Comments(2) | Trackback(0)

カンバンの手帖ブログ版0149

2010年10月06日
 その伊自良には県道沿いに点々と古びた街灯が立っております。特にどうと言うことのない地味なものですが、最近古本屋でまとめ買いした「へうげもの」の影響で、鉤の手状に曲がった支柱や円盤状の傘にわびを感じてしまう。まあ、明らかにわびの間違った解釈なわけだが。

101006-1_20101006221719.jpg

 形もさることながら、中ほどに取り付けられたカンバンがシブい。

101006-2_20101006222107.jpg

 「掛のりば」て!普通、ここには商店の名前が入るところだが、バス停名を書いてしまったのは意味がなくてすごい。しかも手書きでなあ…。
 たぶん、あまり店のない伊自良ゆえ、商工会がスポンサーを見つけられなかったのでしょう。だけど、ないならないでこんなもん取り付けなければ、金の節約になると思うのだが。それとも岐阜バスが金を出したのか。

101006-3_20101006222502.jpg

 ちなみに、肝心の「掛のりば」そのものは100メートルほど南に移転し、かつての待合所だけが撤去されないまま取り残されております。この切妻トタン屋根にトタン壁も味わい深すぎる。
(まさ)
岐阜中部・西濃雑 | Comments(2) | Trackback(0)

伊自良のヒガンバナ群生地

2010年10月05日
 昨日、岐阜市内で打ち合わせが終わった後、時間が空いたのでフラっと伊自良へ。
 今は山県市の一部となった旧伊自良村は、いかにも県中西部の典型的な農村地帯といった趣。なんというか、農村の中の農村、KING OF NO-SON。低い山に囲まれた水田地帯の鄙びた味わいは、岐阜県では旧谷汲村と双璧だと思っています(例によってたとえがわかりづらいが)。
 だいたい、地名がいいじゃないですか。イラ~って。つい太文字にしてしまいましたが、興趣に富んだ濁音地名が美濃には多くて、それらはたいて土地の雰囲気がよろしい。タニミ~、とか、イビガワ~、とか、ムゲガワ~、とか。
 そんなわけでずいぶん久しぶりにイラ~(しつこい)に行ったら、奥のほうに位置する平井集落あたりで彼岸花が咲き誇っていました。

101005-1_20101005204209.jpg
少し前にまた「ぎっくり背中」をやり、ストレッチしながら歩く女性取材記者(ただのリハビリ)

 雨上がりの空気と光が心地よいので、さらに歩いて対岸の掛集落まで足を伸ばしてみたところ、農免道路沿いの土手にものすごい光景が。

101005-2_20101005204541.jpg

 1キロ以上も延々と続くヒガンバナロード。イタリ~のあじさいロードに対抗したか!?道を歩いていたバアさんに聞くと、老人会の皆さんが春に球根を頑張って植えたそうです。
 しかし上の写真、前に春夏秋冬叢書の季刊誌「そう」でカメラマンYさんが連載してた「名車で行く歴史街道」みたいだ。

101005-3_20101005205141.jpg

 このあたりでは小規模ながら蕎麦畑もあって、紅白の共演もまたよろしい風情で。

101005-4.jpg

 上のヒガンバナ群生や蕎麦畑の風景は、ちょっと特殊といえば特殊でしょうか。伊自良というと一般的には、このような田んぼのイメージです。
(まさ)

◎彼岸花シリーズ
2007.10.10 浜松市浜北区堀谷→●□
2008.10.01 半田市矢勝川→●□
2008.10.02 浜松市北区平松→●□
2008.10.03 新城市市川→●□
2008.10.04 知立市上重原→●□
岐阜中部・西濃雑 | Comments(0) | Trackback(0)

碧中ランチ

2010年10月04日
 最近あまりに日記らしくないので、たまには日記らしく…。
 昨日、って今日じゃないのか。昨日の昼は嫁がお好み焼きを食べたいというので、車を30分ばかり走らせて、美味いとウワサの「アサヒヤ」という店へ。碧南中央駅の近くにあります。

101004-4.jpg
お好み焼きをいただく女性取材記者(ただの昼メシ客)

 こいつは評判どおり実に美味かった。嫁いわく「生地と具が一体化している」。出し方もかわいいじゃありませんか。次回はソバメシを食べに来たいなあ。
 食事のBGMは隣に座ったバアさん三人組の超典型的な嫁姑ばなし。
「アタシが大事に育てとった花を、ウチの嫁が隣に伸びて迷惑だって、切ってまったんだわ。もうアタシゃ泣けてのん。わかるら~?」
「わかるわかる~」
 ここのデザートメニューにも惹かれたのだが、久々にヘキチュー(碧南中央)まで来たので、すぐ近くにある「大浜製あん」へ。あんこ屋さんです。

101004-2.jpg

 ここの「アイス入りぜんざい」は素晴らしい。なんと言ってもアイスの底にどっかり盛られたあんこが絶妙の甘さ。クソ暑かった夏の盛りに来たかったが、涼しくなっても美味い。
 碧南はけっこういい店が多いです。

101004-3.jpg

 オマケ。碧南中央駅を発車する三河線普通列車。
(まさ)
西三河雑 | Comments(0) | Trackback(0)

カンバンの手帖ブログ版0148

2010年10月03日
 ここ一週間、佐久間町ネタのお蔵出しの様相を呈しております。いい加減アレなんで、最後にドバっと大放出!

101003-1.jpg 101003-2_20101003145822.jpg
(2007.08.31撮影。以下同じ)

 田舎に行くとたまに「ここんなところにホテルが!?」と驚愕するような民宿に出くわすことがありますが、これは中部にある「中天ホテル」の行灯カンバン。三遠で最もシブい旅館名だ。
 中天とはつまり、中部天竜のことですね。昔から疑問なのだがこの「中部天竜」という駅名、三信鉄道はいったいどういうつもりで名付けたのか。だいたい集落は「なかっぺ(なかべ)」じゃん。大言壮語的というか。

101003-4.jpg

 こちらは佐久間駅前に立っている、カンバンというか観光客歓迎塔。駅併設の図書館で「広報さくま」のバックナンバーを調べたところ、佐久間ダムの竣工(昭和31年)直後からあったもよう。当時は北遠最大の観光スポットとして続々と観光客が押し寄せたといい、この塔の傍らに観光案内所があり、その前でバス待ちの客がずらっと並んでいるという、今ではとても想像がつかない写真が当時の広報に載ってます。

101003-5.jpg

 そしてこれは佐久間駅前付近の国道473号沿いに立っている、カンバンというか「お願い表示板」。国鉄(JR)バス佐久間線の遺物で、幅員が狭いのでドライバーに協力を呼びかけているもの。同様の表示板は全国どこででも見られました。
 北遠からJRバスが撤退したのは平成14年。廃止直前に、国鉄時代からのJRバスマニアである大学の先輩ムラカミ社長と、中部天竜駅-佐久間高校前の学輸系統に乗りに行ったっけなあ。学輸なんでもちろん平日運転、我々もヒマだね。
 考えてみると、その頃まではけっこう三遠のバスに乗っていたものだったが、これを境にほとんど乗ることがなくなってしまった。おっとそういえば、ETカード(遠鉄のプリペイドカード)もまだ5千円分くらい手元に残っている。販売はもうとっくに終了したと聞いたが、まだ使えるのかな?乗りに行かねば!(どこへ?)
(まさ)
遠州雑 | Comments(0) | Trackback(0)

カンバンの手帖ブログ版0147

2010年10月02日
 佐久間町西渡といえば、僕がカンバンをチェックするきっかけとなった超絶品カンバンがあります。

101002-1.jpg (2007.08.31撮影)

 「達摩屋」の手描きのダルマカンバンだ!2階軒下の雨戸をしまう部分に描かれたもので、圧倒的なインパクトにもう目が釘付け。
 カンバン趣味というと一般的にはホーローカンバンかVOW系で、僕もどちらも好きですが、出発点はこのような味わいをどうにも説明できないものなのでありました。田舎にも絵やデザインを得意とする(?)人材がいて、田舎で発揮する機会が少ないおのれの表現欲をこういところでドバーンと発露したもの系…とでもいうか。
 ちなみにこのカンバンの作者、飽き足らずもう一枚描いています。

101002-2.jpg

 いやーすごい。下書きせずに一気にいったって感じ。

101002-3.jpg

 初めて西渡を歩いたのが平成4年の秋で、その時は確かまだ営業してたはず。衣料品店か荒物屋かだった覚えがありますが、定かではありません。
 そもそも当時はカンバンよりも田舎の商店建築のほうに興味があり、三遠でかなりの枚数を撮ったものです(今も撮ってるけど)。その5割以上はもうやっていないでしょう。

 どうでもいいですが、この何年か後に「三河・遠州の商店」というオールモノクロコピー写真集を作り、某K出版社の面接のときに見せたら、それが決め手になって採用が決まったということがありました。さすがにそんなもん書籍化されるわけないのだが(書籍化してもらおうと思って持っていったわけではないけど)、大学時代の友人に同好の士がいて、いつか「三河遠州の90年代シリーズ」と銘打って「三河遠州の公民館」とか「三河遠州のバス停」とか作ろうなんて言ってたものだった。夢があったねえ…。
 あ、それが「火の見櫓暮情」に帰結したのか。
(まさ)
遠州雑 | Comments(0) | Trackback(0)

タウンアーチの先へ0015

2010年10月01日
 旧佐久間町のタウンアーチと言えば、天竜川と水窪川の合流点にある西渡(にしど)地区に、こういうアーチが4、5基あります。

101001-1.jpg (2007.08.31撮影。以下同じ)

 もうここまでシンプルになるとなにがなんだかよくわからん。
 祭りのときに提灯かなにかが吊り下げられているのを見かけたこともありますが、たかが年に一度の提灯のためにわざわざ造ったのかどうか不明。真相を知っている佐久間の方がいたらぜひ教えてください(このブログを佐久間の人が読んでるとも思えないが)。

101001-3.jpg

 西渡が町並み景観の分野で注目されることは滅多にありませんが、ここは国道152号の上を通る旧道沿いになかなかシブい町並が続いており、初めて訪れた90年代初頭から好きな町でした。廃商店も含めて商店建築がこの規模の集落にしてはけっこう多い。やや上流に久根鉱山があったころにはずいぶん栄えたそうな。
 
101001-2.jpg

 そんでもって町の入口には旧国鉄バス西渡駅舎がしぶとく生き残っております(7月に来たときも確認)。むかし掲げられていた国鉄チックな木製駅名標はさすがに消えたけど、遠鉄に路線が移管されてから「西渡駅」の文字を取り付け、外壁まで改装して残すとは思わなかった。
 例によって文化財には…まあいいです。
(まさ)

-----------------------------------
(2011.06.28追記)
このアーチに祭りの提灯がぶら下がっている写真を、自分のファイルから発見しました。提灯に書かれている文字は「ふ組」。集落名の「舟戸」の頭文字と思われます。

110627-7.jpg (2008.09.12撮影)
遠州雑 | Comments(5) | Trackback(0)
 | HOME |