タウンアーチの先へ0014

2010年09月30日
 旧佐久間町のタウンアーチといえば、中部(飯田線中部天竜駅の対岸)のこのアーチはいつの間にか撤去されていた。

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(2007.10.05撮影)

 国道473号沿いの商店街と、川寄りの裏通りに数基あったもの。初めて見たときからすでに骨組みだけでしたが、デザインはけっこう凝っています。

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 天竜川の流れに踊る鮎!うーむ、よくできている。誰が造ったのか。町内で火の見櫓を手掛けていた浦川鉄工所なら、HINOMIデザインの実績からこういものも造りそう。
 しかし、中央部のマークがなんなのかよくわからない。合併前の旧佐久間村章か、はたまた中部の商工会のものか…。万が一、知っている人がいたら教えてください。
(まさ)
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タウンアーチの先へ0013

2010年09月29日
 記録的な猛暑の記憶も次第に薄れ、久しぶりに穏やかな日差しと心地よい風が戻ってきた今日このごろ(某誌に書いた原稿そのまんまの出だし)ですが、夏に旧佐久間町へ行ったとき(→●□)に書き漏らしたネタ。
 久しぶりに飯田線の浦川駅に立ち寄ったら、駅前にあった歓迎アーチが、爽やかな水色基調に改装されていているのを目撃。

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 女性取材記者&カメラマンNさん(今回は墓参り)↑

 以前はこのようなアーチでした。

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(2004.07.30撮影)

 確かにひとむかし前のデザイン。特に「瀬音やさしく包む街」の書体がいい感じで古びてきていた。ポイントは一番上に旧佐久間町の町章が付いていることでしょうか。撮影時は浜松市編入合併の一年前です。

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 キャッチコピーは、表の「瀬音やさしく包む街」も裏の「ゆっくりしてけね」も、旧アーチと同じ。こういう細かいフレーズが伝承されていくのは(伝承?)、なんとなくいいことのような気がします。
 記録を見ると、僕が初めて浦川の町を歩いたのは平成3年3月26日だから、もう20年も前だ。何も変わってないように見えて微妙に変化があるもので、このアーチもそうだし、建物やカンバンも消えてしまったものがチラホラ。細かい話ですが、上下の写真をよく見比べてみると電話ボックスが変わったりしています。
 そんな中、どうしたわけか駅舎が健在なのは嬉しい限り。最近は来るたびに「もうないんじゃないか!?」と思うのだが、変わらない姿でちゃんとそこにいてくれる。
 例よって、これも早く文化財に…。
(まさ)

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(2010.10.11追記)
 実家で古いアルバムを漁っていたら、ひと世代前の浦川駅前アーチを撮影した写真が出てきました。この頃はまだ店もけっこうあり、浦川が町民の買い物地として機能していたことを物語っています。キャチコピーの「鮎の浦川」は同じ。

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(1993.04.17撮影)
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カンバンの手帖ブログ版0146

2010年09月28日
 最近あまり動いてないのでお蔵出しネタ。もう6年も前に撮ったものですが、知立市牛田の旧東海道あたりの小屋に掲げてある、岡崎のイヨダ家具のカンバン。ジャジャーンって感じ。

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(2004.10.26撮影)

 カンバンデザイナーはマンガ家志望だったにちがいない。
 最近、旧東海道をまったく通っていないのでまだあるかどうかはわかりません。
(まさ)
西三河雑 | Comments(0) | Trackback(0)

MOYAMOYA SEIMEI&DOME

2010年09月27日
 春夏秋冬叢書の季刊誌「そう」28号に、岡崎市街の2つの晴明神社が紹介されいます。マンガや映画の影響もあって最近人気らしく、本町商店街では町おこしにも活用(?)しているらしい。安倍晴明にも陰陽師にも興味を持ったことがないので、存在を知りながら参ったことはありませんが。
 で、その記事とはまったく関係ないのだけど、先日、出版社 I さん、カメラマンKさんと名古屋をウロウロした際、千種区に晴明神社があるってんで行ってみました。場所は千種区清明山。出来町通り(基幹バスの走っている通り。何かを間違えた交通インフラの見本)の清明山交差点を折れると、見えてきました晴明神社。

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 県営住宅の脇という、にんともかんともなロケーション。平成に入ってから整備したそうな。

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 かなりの人気スポットらしくて、左には案内やら紹介された記事やらがどばーっと貼ってあります。中央に見えるのは無料のおみくじ。金払わないおみくじに説得力があるんだろうか。そして右は絵馬かと思いきや、絵馬型に切り抜いた紙に恋愛祈願や入試祈願と書いてある。う~ん…。

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 側面に回ると、拝殿の向こうに名古屋ドームがどーん。なんかこう、モヤモヤっとした光景ではあります。

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 屋根だけクローズアップしてみるともっとモヤモヤ感が。
(まさ)
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THE 高分子

2010年09月25日
 9/10に発売された春夏秋冬叢書の季刊誌「そう」28号連動ネタ。岡崎のネタばかり続きますが…。
 巻頭特集の「明治維新」で、嫁は官営愛知紡績所の記事を書いています。明治政府が殖産興業政策の一環として、大平に造った紡績工場で、明治14年から19年まで操業していました。
 写真担当は豊橋のカメラマンS君なのですが、わたくし「跡」だの「旧」だのには目がないので、必要はなかったんだけど嫁の探索に同行した次第。
 そんなわけで国道1号大平町東交差点からチョイと旧東海道に入りまして、やって来ました官営愛知紡績所跡。

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 跡地に建っているのは旧日本高分子岡崎工場。こっちも既に「旧」が付いております。今年の3月に移転したとのこと。
 明治初期の工場の遺構なんてなにかあるのだろうか、と思っていたが、産業遺産関係の本によると、水路が残っているという。

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 これか!?

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 これもか!?って、難易度高すぎるわ!シブいとかどうとかいうようなものじゃない。
 地味だけど、これらは行けば割と見つけやすい。ほかに何かないかと水路周りをウロチョロしていたら、こんな境界票を発見しました。

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 刻まれているのは「日清紡」の文字。つまりここは、高分子の工場ができる前は日清紡の土地だったらしい。
 りぶらで郷土資料を漁って調べたところ、この土地は下のような変遷を辿った模様です。

明治14~19 官営愛知紡績所
明治19~? 元西大平藩士篠田直方に払い下げられ、私営の紡績工場が営まれる
(途中の経緯は不詳。「その後、所有者が目まぐるしく入れ替わる」と男川学区の郷土史に記載あり)
昭和20年~? 空地
?~昭和34頃 日清紡大平工場
昭和34~平成22 日本高分子(管)岡崎工場

 岡崎市史によると、日本高分子(管)は昭和33年12月、日清紡の直系関連会社として創立。紡績用プラスチックボビンを製造開発…ってなんじゃそりゃ。
 さらに記述を探してみたところ、日本高分子(管)は世界で始めて紡績用の樹脂管(プラスチックボビン)を開発。岡崎に拠点を置いていた日清紡が技術協力して工業化。元日清紡美合工場長を社長に、製品の開発研究を進めてきた東京容器社長を常務に日本高分子(管)を設立…という会社だそうで、単に書き写してきただけだから全然頭に入っておりません。結局なんだよ、プラスチックボビンって。そもそも高分子ってナニ?
 ところで高分子といえば、むかし稲武町役場から国道257を北へ少し行ったところに高分子の工場と名鉄バスの「高分子前」というバス停がありました。稲武の高分子と岡崎の高分子は関係があったんだろうか?そしていつの間になくなったのか?知ってる人がいたら教えてください(知ったところで何の役にも立たないけど)。

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 そんなこんなで何の話かさっぱりわからなくなったので、最後に国道1号大平橋を旧東海道から眺めた写真を載せてオシマイにいたします。
(まさ)
西三河雑 | Comments(3) | Trackback(0)

THE 赤提灯

2010年09月23日
 明大寺に東岡崎駅といえば、駅西の名鉄築堤下に超絶のシブい飲み屋街があります(した)。

100923-1.jpg (2007.09.03撮影。下も)

 その名も明大寺横丁。春夏秋冬叢書の季刊誌「そう」17号(キーワードは赤)で、嫁が「赤提灯」のタイトルで記事を書き、その下見のため夫婦で飲みに行ったことがあります。嫁の原稿によると、終戦後に市電通りに屋台飲み屋街が発生し、昭和37年に名鉄岡崎市内線が廃止されたのを機に、現在地に集団移転したとのこと。興味のある方はバックナンバーを買ってください。

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 真上を駆け抜ける名鉄電車の音を聞きながら、ビールと焼きうどんを食らったのだった。まさに昭和。その後取材に赴いた嫁は、ここで流しのアコーディオン弾きに遭遇したそうで、シブすぎるにもほどがある。
 ただ我々は居酒屋で酒を飲むという習慣がないもんで、その時行ったきり再訪しておらず、今はどうなっているるんだろうか。
 岡ビル→こも→明大寺横丁をめぐると「東岡崎最強昭和ツアー」になりますね。
(まさ)
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カンバンの手帖ブログ版0145

2010年09月22日
 昨日の記事のコメント欄、東岡崎駅の「岡ビル」でにわかに盛り上がりましたが、その岡ビル内のカンバンをいくつか。2・3階には3年ほど上がっておらず、これらが今もあるかどうかわかりませんが。

100922-2.jpg (2006.05.21撮影)

 Oh!ビックなプレゼント!ここにも「行きも、帰りも・・・」のキャッチコピーが。しかしリボンの部分、素材が何かわからないけどなかなかの職人技では?

100922-1.jpg (2006.05.21撮影)

 Oh!バッグスバニー!著作権フリー?昭和の地方都市にそんな概念はない!
 バッグスバニーといえば中高生のころ、バッグスバニーをイメージキャラクターにしていた「FM STATION」という雑誌を毎号欠かさず買ってて、読者投稿欄の常連でしたわ。思えばそれがライター稼業のルーツ。あれから遠くへ来たもんだ…。

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(2007.09.27撮影)

 3年前はこれだけテナントが入ってましたが、コメントいただいたA112さんのサイト(コメント欄にリンクあり)を見ると、3店消えたみたいですね。
 なお「味処 長譽」とあるのは、昭和40年代にオープンした丸石醸造(→●□)のアンテナショップだそうです。りぶらの郷土書籍コーナーに置いてある、丸石醸造が当時発行していた岡崎ハイソ層向けタウン誌に書いてありました。
 近いうちに再訪して「こも」でメシ食ってみたいと思います。
(まさ)
西三河雑 | Comments(1) | Trackback(0)

明大寺の展望スポット

2010年09月21日
 昨日に続いて春夏秋冬叢書「そう」28号連動ネタ。
 毎回担当している地名探訪のコーナー、本文は昨日書いたとおり天竜区船明を取り上げ、大きく扱えなかったネタをチョロっとだけ披露する「脚注」欄では、岡崎市明大寺町についてほんの63文字で紹介しました。

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明大寺【みょうだいじ】/岡崎市中心部の一角を占め、名鉄東岡崎駅や六所神社などが所在。古くは妙大寺、妙台寺とも書き、当地にあった寺の名前が由来とされる。
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 明大寺町を名乗りながら明大寺という寺は今はない。どこが寺の跡地かもよくわからない。なんか釈然としない町です。
 こういう例で思い出すのは、岩手県の旧浄法寺町(いつの間にか二戸市に合併)。自治体名にしながら肝心の浄法寺が存在しないということで昔から気になってて、学生の頃、花輪線荒屋新町駅から浄法寺町を経て東北本線二戸駅に至るJRバスに乗りに行ったことがあったなあ。乗っただけで、降りなかったんだけど(本数が少なかったので)。
 当時は「東北ワイド周遊券」というフリー切符が売ってて、エリア内ならJRだけでなくJRバスにも乗り放題だったので、葛巻とか軽米とか陸中山形とか、JRバスが通じている岩手北部のマイナーな町をまとめて巡ったのだった。北東北も長いこと御無沙汰だし、久しぶりに行きたいなあ。
 って、そんな話はどうでもよくて明大寺に戻りますが(明大寺の話もどうでもいいけど)、6月半ば、脚注に使う小さい写真を撮るために明大寺へ行きまして、東岡崎駅南口のタワーパーキングに車を入れたとき、最上階まで登ってみました。最近、イオンやアピタやマーサ21とか、ショッピングモールの駐車場最上階からの眺めがけっこういいことに気付き、あちこちでちょくちょく登っているのです(警備員に不審者扱いされかねないかビクビクしながら)。
 最上階からの眺めはこんな感じ。まず東方面。
 
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 おお、絶景…というほどのものではないですが、シブい眺め。まあ、西三河の市街地景観はおおむねどこも地味ですね。
 
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 そして北側も、うーむ、なかなかシブい。真下は東岡崎駅。地上にいると南口のエントランスは別に気にも止まらない風情だけど、上から見るとけっこう凝ったデザインだったのね。

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 そんでもって岡ビル百貨店(東岡崎駅ビル)のシブさときたら!「行きも帰りも」というカンバンのキャッチコピーがまた憎い。行きも帰りも寄ってられんわい。
 岐阜駅、豊橋駅、尾張一宮駅、蒲郡駅南口といったひとむかし前のタイプの駅ビルが東海地方から消え去って久しい今、東岡崎駅は最後の砦です。文化財に指定して、保存だ保存!
(まさ)
西三河雑 | Comments(3) | Trackback(0)

フナのギラギラ0003

2010年09月20日
 毎号制作に参加している春夏秋冬叢書の季刊誌「そう」28号が発売中です。今号のキーワードは「明」。わたくし(まさ)はいつもどおり地名&小学校、嫁(まり)は明治維新特集の「官営愛知紡績所」と、発明家の「三河のエジソン」こと加藤源重さんを取材しております。興味のある方は書店で。三遠南信以外でも、ちくさ正文館本支店、名古屋タカシマヤ三省堂、カルコス各店などで販売しているようです。

 で、今回取り上げた地名は、天竜区にある珍地名「船明(ふなぎら)」。船明ダム、国道152号沿いの二本杉(下の写真)、建設途中で放棄された国鉄佐久間線の路盤跡、光明電鉄予定線の廃トンネル…などなど、なんとも地味な名所が揃った集落です。いや、雰囲気のいいところですけどね…。

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 ところで今回、船明の対岸に「日明(ひあり)」という集落があったことを初めて知りました。
 道路地図には載ってるし、県道標識にも書いてあるので存在は知っていたのだが、どこか山の上の方に1、2軒あるんだろうと勝手に思ってた。そしたら、昭和52年の船明ダムの建設で天竜川の流路が変わったので全戸移転した、という話を地元の爺さんが教えてくれたのです。うーむ不覚。

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 堰堤の真下の砂地が日明集落のあった場所。家が並んでいた山の斜面を削って流路にしたようです。そして、削った土砂で左岸を埋め立て「船明ダム運動公園」が建設されました。ダム湖に沈むのも嫌だが、こういう形で集落が消えるのもむなしい。
 昭和47年から52年までの「広報てんりゅう」に工事の進捗状況がときおり掲載されていますが、風景が劇的に変貌する様には唖然とさせられます。

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 ダムの右岸に「日明の里」の記念碑も発見。今まで何度も通っているのに一度も気付かなかった。裏にはこんな碑文が。

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「日明の里」の由来

日明部落十七戸八十五名は昭和四十七年二月全員離村を決議して新生の道を選んだ。
元より公共の切なる要請に依るとは云へ星霜七百年連綿護り来りし伝統を今にして断つは情に於て洵に忍び難い。
誰か故郷を慕はざる者あらんや乃ち住民相謀り愛郷の赤心をこの青き巌に罩めて茲に記念の碑を建立した。
今日より後はこの地を「日明の里」と呼び永く吾等が由縁の象徴とする。

昭和五十一年夏日 旧日明部落住民一同

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 いやほんと、高度成長期に主役だった世代ってのはロクなことをしませんね。
 こういう悲しい事例を近くでいくらでも見てきているはずなのに、まだ設楽ダムを引きずっている政治と行政の愚かさったらない。
(まさ)

◎フナのギラギラシリーズ
0001→●□
0002→●□
遠州雑 | Comments(2) | Trackback(0)

秋の四谷千枚田

2010年09月19日
 昨日、久々に四谷千枚田(旧鳳来町)へ行った。稲刈りシーズンの四谷千枚田は3、4年前に連谷小学校の取材に行って以来。

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 ここはいつ来てもいいです。

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 田んぼ一枚の幅とほぼ同じくらい横にやたらと長いハザがまた好もしい。
 僕の地元の揖斐では、僕が物心ついてからハザ掛けをする田んぼと言うのを見た記憶がなく、どこに行ってもハザが気になってしょうがないのです。
 しかし今回は四谷の千枚田が目的地ではない。千枚田の一番上から背後にそびえる鞍掛山に登り、さらに岩古谷山まで尾根を縦走する東海自然歩道を歩きにきたのでした。四谷からゴールの設楽町和市まで8時間近くかかり、腿はパンパン、膝はガクガク。今日は全身筋肉痛で仕事にならず…。
(まさ)
東三河雑 | Comments(2) | Trackback(0)

のぎやん0005

2010年09月16日
 その、開府300年記念の常夜燈が建てられている名駅5丁目の神明社では、こんな石像にも遭遇。

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 社名標柱の横に、なんと乃木将軍像が!今まで三河でしか見たことがなく、尾張では初めて。各地で見ているのと同じ立ち姿です。
 なお、岡崎の石材業者が二宮金次郎に次いで普及させた、というのが僕の説。

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 建立年は不明ですが、台座の背面には「昭和50年12月修復」の文字が刻まれていました。それまでどうなっていたのか?そして「還らざる社頭の雄姿を偲びて」とはいったいどういう意味か?
(まさ)

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◎のぎやんシリーズ 
0001豊田市林添町→●□
0002豊田市(旧旭町)杉本→●□
0003東栄町中設楽→●□
0004蒲郡市三谷→●□

●□ お 知 ら せ □●
またまたアイツアーズのブログを更新しました→●□
名古屋雑 | Comments(5) | Trackback(0)

100年前の今日

2010年09月15日
 今朝、訳あって名駅5丁目の錦橋あたりを徘徊。その際、名古屋名駅五郵便局裏の神明社に参拝したところ、こんな常夜燈を発見しました。

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 なんと100年前のまさに今日、名古屋開府300年を記念して建立されたもの。旧藩士も存命していたであろう100年前は、開府の周年イベントは今以上の盛り上がりだったのだろうなあ。
(まさ)
名古屋雑 | Comments(4) | Trackback(0)

カンバンの手帖ブログ版0144

2010年09月14日
 つい先日、三重スリーアローズのことを書いたとたんに(→●□)「ジャパンフューチャーベースボールリーグ消滅、三重は四国九州アイランドリーグへ移籍」のニュースが出てしまいましたね。しかし大阪ビリケーンズというチーム、関西独立リーグから離脱→賭博で選手を8人も解雇→チーム運営から撤退と、いったいなんのために設立されたのかよくわからん。そして三重が加入する四国九州アイランドリーグ、名称はいったいどうなるんだ。ちょっと目が離せないぞ。

 それはさておき、今年は例年より名古屋に出る機会が多くなっております。だけど、行くといっても辺地ばかりで、あいちトリエンナーレは今だ何も見物しておりません。
 そんな名古屋の辺地のひとつ、本星崎で見つけたレアなブリキカンバン。

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 なんとマージャン牌の専門メーカーのカンバン。この会社まだあるのだろうか。「市電桜本町四丁目電停」の文字も効いてます。
 しかしなぜ、發と八萬なのか?名古屋だから?
(まさ)

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●□ お 知 ら せ □●
今日もアイツアーズのブログを更新しました→●□
名古屋雑 | Comments(3) | Trackback(0)

くるくる伊勢木綿

2010年09月13日
 津球場で野球観戦をする前、嫁が「伊勢木綿の反物を買いに行きたい」というので、津市北部の一身田にある「臼井織布」という製造元へ行ってきました。一身田は激シブの寺内町で、半年ほど前に行ったばかり(→●□)。木綿を作っているところまであるなんて、これはもう激シブの2乗ですね。
 そんなわけで江戸橋から狭苦しい旧伊勢街道をのろのろ進みまして、やってきました一身田。

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 おお、なんて味わい深い町なんだ。と思ったら、この格子戸と土蔵の建物が目指す臼井職布だった。この時点ですでに驚嘆するばかりです。
 臼井織布は江戸時代中期の創業。当初は紺屋で、明治時代に織物業をはじめ、現在では唯一の伊勢木綿を織る会社だそうな。織機は豊田佐吉から直接購入したというから凄い。

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店内で物色する女性取材記者(ただの買い物客)

 中に入ってまた驚いた。内部も町屋造りそのまんま。母屋が事務所兼店になっており、畳敷きの2部屋にまたがって反物が山積みされていました。この状況にもはや卒倒寸前。色とりどりの反物がロール状になって山積みされている様は、美しいというほか言葉がありません。

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 奥に工場があるのでよかったら見てってよ、とオバチャンがいうので、反物選びに余念がない嫁をほおっておいて工場へ。その筋では有名な老舗であり、三重の「街かど博物館」(見学を受けいれている中小企業や個人コレクター宅を三重県が認定する制度)でもあるので、こういう見物本位の客にも慣れていらっしゃるようです。

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 黒光りする年代ものの織機がずらり!おみそれしました…。
 なお、嫁は購入した反物で、着物を自力で作るそうです。先の浴衣に次いで2作目の挑戦です(→●□●□)。前回の浴衣作りを見ていたら、果たして完成がいつになるのかまったくわからないのだが…。まあなんだ、温かく、無言で見守る所存です。
(まさ)

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●□ お 知 ら せ □●
アイツアーズのブログを更新しました→●□
三重雑 | Comments(0) | Trackback(0)

闘犬VS三ツ矢、津の決戦

2010年09月11日
 昨晩、嫁の友人で切り絵作家のSさんに誘われて、津球場へ三重スリーアローズ対高知ファイティングドッグスの「独立リーグ交流戦」を見に行ってきました。
 日本の独立リーグは、四国アイランドリーグが発足した当時から気になっていました。しかしリーグのない地域に住んでいるので、盛り上がってるのかどうか、どこが強くて誰が有望選手なのか、まったく情報が入ってきません。東海地方ではせいぜい、三重が大阪と2チームでジャパンフューチャーベースボールリーグを立ち上げたというニュースを耳にした程度。しかし、2チームでリーグってどうゆう事?逆に謎が深まるっちゅうねん。

 そんなわけで、独立リーグの実態はいかなるものか興味津津で、やってきました津球場。ちなみに正式には「津球場公園内野球場」というそうで、いかにもひとむかし前の行政が名付けそうなややこしい名称です。

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 1000円という実に手頃な入場料を払ってスタンドにあがると、おお、平日のナイターというのに意外と人が入っている。回を重ねるごとに増えていって、最終的には300人くらいか?さすがに人がいるのはバックネットまわりと一塁側内野席だけだが、津の人口やチームの知名度を考えるとまあまあの入りなのではないか。
 三重側では、内野席に数十人の応援団が陣取り太鼓鳴らして声援を送っています。
 かたや高知サイドは、チームスタッフや選手の関係者もいるのだが、ひとりで声を嗄らして熱狂的な応援を続けるおじさん(高知の名物男とのこと)の独り舞台状態。そりゃさすがに高知から三重くんだりまで平日に応援に来られる人は少なかろう。

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 あとは、三重県民なので心情的に三重を応援しているけど、まったり野球見物しにきたという感じの人たちが大半で、のどかなムードが漂っております。実にいい空気だ。親子連れもけっこう多く、高知のおじさんが声を張り上げているところに子供たちが駆け寄り、「三重ガンバレ~」と邪魔したりなんかして、三重の未来に希望を抱かせてくれます。
 なお、われわれが座ったのは高知側。そもそも今回はSさんの「ファイティングドッグスの応援に行こう!」という誘い文句に乗って来たのです。彼女はうちらと同じく愛知県民なのだが、頻繁に個展を開いている四国でファイティングドッグスに出会い、高知で何回か試合を見に行っているという。こちらも三重には何の義理もないので(仕事の発注元でもあれば別だが)、グッズを買って高知を応援してました。
 ところで上の写真の中に、なにやら妙なキャラがいます。

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 何かと思えば、今日は津のキャラクター大集合アトラクションの日だったのでした。
 おお、一番向こうは津競艇のツッキーではないか。岐南町のイベント(→●□)で見た「津に来て戦隊ツヨインジャー」(名前についてはノーコメント!)もいるぞ。
 ていうか、津だけでこんなにもゆるキャラはいすぎだろう!どんな町なんだ。
 なお、これは試合の途中でゆるキャラによる綱引きが行われたシーン。着ぐるみで綱は持ちにくかろうに…。
 左端の強面はファイティングドッグスのマスコット「ドッキー」。このあとスタンドに上がってきたので、試合そっちのけで我々も記念撮影してました。

100911-6.jpg ←僕も何を調子に乗っているのか(恥ずかしいので小さめ)

 そんなこんなで試合はサクサク進み、得点展開だけみるとなかなかの好ゲーム。まあ、両チームとも拙攻・拙守がちょくちょくあったんだけど…。
 8回表までわがファイティングドッグスが3-2で勝っていたのだが、8回裏に逆転されてしまった。決勝点はなんとスクイズ。プロ野球ではなかなかお目にかかれないプレーに唖然。そして最終回の反撃はかなわず、結局スリーアローズが4-3で勝利。高知が三重に初めて黒星を喫するという歴史的な試合(?)になってしまった。う~ん。

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 試合後、ヒーローインタビューで盛り上がる三重ベンチと応援団。いい光景ですね。試合後は、選手たちが球場の外に出て、お客さんのお見送り&交流をしていました。
 2チームだけでリーグを運営しているのがどうにも腑に落ちないけど、三重県民はもっと応援してあげてほしいものです。
 そして三重県民でない我々は、来年はファイティングドッグスを応援しに高知への遠征を決意。やはりアウェーでなくてホームでの盛り上がりを見てみたい。
(まさ)
三重雑 | Comments(0) | Trackback(0)

アウトオブ絶景本0010

2010年09月10日
 最近出掛けてなくてネタがありませんので、拙著「鉄道でゆく東海絶景の旅」(風媒社/1575円/詳細→●□)のボツネタをしつこくお蔵出し。
 ちょうど一年前、旧岩村町(現恵那市)の外れに位置する富田という集落へ行きました。ここのキャッチフレーズは「農村景観日本一の地」。ええーっ、言い切っちゃう!?そりゃ確かに恵那郡一帯の農村風景はどこを取っても美しいけど。おそらく岐阜県以外ではあまり知られていないと思いますが(いや県内でも忘れられているだろう)、ずいぶん昔に耳にしたこのフレーズがずっと気にかかっていました。
 展望台もあるというし、日本一というなら取り上げなければならんだろう、ということで、稲穂が実る時期を狙ってやって来ました富田集落。道路沿いには、国土地理院の土地利用図みたいな細かい案内地図が。

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 あまりPRしているという話は聞こえてこないけど、新しそうなカンバンだし、地元では頑張っている気配も窺えます。
 明知鉄道飯羽間駅から2キロチョイ、国道363号沿いの村外れの高台にある展望台へ登ってみると…

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 おおー、絶景…というにはチトきついが、なかなか美しくシブい眺めではないですか。さすが日本一の農村景観!って、いかにハードルの低い僕もそこまでは言い切れないぞ。
 展望台にあったカンバンには、このような解説が。

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ここの眼下に広がる田園は、総面積150Ha位あり、岩村町の約半分を見ることができます。「農村景観日本一」の称号は、昭和63年に全国の環境問題を研究して見えます、京都大学・木村教授から頂き、マスコミが一斉に報道し、一躍脚光を浴びたものです。
-------------------

 誰なんだ、環境問題を研究する京大の木村教授って。だいたい何しにここへ?突っ込んで調べるべきところですが、結果的にボツにしたので深追いはしませんでした。そのうちヒマができたら調べてみます。
 個人的には富田の農村風景は、公平に見てもいい線行ってるとは思いますが、「日本一」なんて名乗ると揶揄されるのは目に見えているし、木村教授もリップサービスが過ぎるというか。当時の行政関係者もつい乗せられてしまったというところでしょう。

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 まあでも、美しい景観であることには変わりない。農村景観が眺望のメインという展望台もそんなにないので、あとは展望台の手前に植林された杉を切り倒して、もう少しワイドな眺めを楽しめるようにしてほしいところです。しかし、展望台を作ったあとほかりっぱなしという行政が多いのは、なんとかならんのか。→●□とか、→●□とか。

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 集落の中に入り込むと、茅葺き屋根の家も。う~ん、しっぶ~い!
 大恵那市には、中野方の棚田とか山岡の寒天乾燥場とか串原の高地集落とか特異な農村景観が多いので、富田に限らずまとめて売り出すような方策を行政は何か考えてもいいんじゃないだろうか。

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 これはオマケ。国道363号沿いに国鉄バス恵那線の遺物がまだ残っていて驚いた。
(まさ)
中濃・東濃雑 | Comments(4) | Trackback(0)

バジルの花

2010年09月08日
 いま嫁がベランダでバジルを育ています。いつまでも弱くならない太陽の陽射しを浴びてぐんぐん成長しており、ちょっと前まで花盛りでした。

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 小さな白い花が茎に沿って下から上へ鈴なり。夏のワンピース少女のように可憐です。
 この間、嫁が葉をむしってバジルソースをこしらえ、パスタにかけたら美味でありました。
(まさ)
そのほか | Comments(0) | Trackback(0)

アウトオブ絶景本0009

2010年09月07日
 昨日に引き続き、拙著「鉄道でゆく東海絶景の旅」(風媒社/1575円/詳細→●□)のボツネタより、飯田市のポイントからもう一発。
 飯田市街は河岸段丘の崖の上に広がっており、その崖の東端に飯田市美術博物館というのがあります。飯田駅から約1.3km。菱田春草のコレクションが目玉だそうです。

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 この建物の右に雛壇のような屋外階段があり、南向きのテラスに通じています。ここからの眺めがなかなかいい。ただ、テラスへ誘導する案内板などがなく、勝手に登っていいのかどうかよくわからない。かといって立入禁止とも書かれていないので、見つからなければまあいいでしょう。

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 飯田の町並み…というか、鼎の町並みを眼下に一望。川を挟んで丘が連なる、いわゆる「田切地形」というヤツですね、遥か南には県境地帯の山並み。左の木が邪魔ですが、場所をずらすと松尾や下久堅方面もよく見えます。
 南側もいいけど、西側、つまり飯田市街側の眺めもなかなか。

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 目の前にドカンと追手町小学校が!昭和4年に建築された、文化財級の名校舎。6年前に「そう」2号(春夏秋冬叢書)の取材で中を撮影させてもらったことがあります。愛知・岐阜・静岡にこんなすごい現役学校建築はもはやなく、残しているだけでもさすが教育県といったところでしょうか。

 それにくらべると、美術博物館の建物はなあ…。有名な建築家がデザインしたらしいけど、南アルプスをイメージしたと思われる屋根のトンガリ群がガチャガチャしててうっとおしく、白とシルバーの外壁は天気のいい日だとやたらまぶしいうえに暑苦しいっちゅうねん。だいたい本物の美しい山並みが目の前に見えるというのに、それをデザインに取り入れてどうする。
 飯田にはどうにも場違いな感じが拭えませんが、まあ、低層であまり目立たないのが救いです。
(まさ)
伊那谷雑 | Comments(0) | Trackback(0)

アウトオブ絶景本0008

2010年09月06日
 拙著「鉄道でゆく東海絶景の旅」(風媒社/1575円/詳細→●□)のプロモーションシリーズばかりで恐縮です。なんせ最近、あまり動いてないもんで…。
 本書の飯田線の章では、飯田市内だと、超メジャーな天竜峡しか載せてませんが、実はもう2か所、取り上げようかどうしようか悩んでボツにしたポイントがあります。そのひとつ、駄科駅。ちょうど一年前に行きました。去年はここまで残暑は厳しくなかったような気がします。


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 秘境区間でも田園区間でも市街地でもなく「郊外の住宅地」という、飯田線にしてはなんとも中途半端な地域にある、地味度の高い無人駅です。15年ばかり前に来たときは木造駅舎だったのですが、ネットで拾った情報によれば、JR東海お得意の「ボロ駅舎撤去新築攻勢」にさらされるまでもなく火事で焼けてしまったという、哀れな経歴を持っています。
 この地味な駄科駅から400メートルほど東へ行くと、南原橋という天竜川に架かる橋があり、ここからの眺めが上流、下流ともなかなか。

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 南原橋から上流を望む。奥に見えるのは風越山の麓に広がる飯田市街。

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 下流を見ると一転、一直線の深い峡谷に。橋を挟んでこれだけ風景が異なるのも珍しい。
 この渓谷は「鵞流峡(がりゅうきょう)」といい、弁天から時又まで運航されている「天竜舟下り」(天龍峡の「ライン下り」とは別の会社が経営する観光川下り船)の目玉となっています。5年ほど前に取材半分遊び半分で乗ったことがありますが、前半で川幅の広いゆったりした流れ、後半は急流と、趣向が異なっていてなかなか面白かった。
 しかし鵞流峡とはみょうちきりんな名前(鵞はガチョウのガ)。いろいろ調べたのですが、由来も命名時期も定かではありません。源流の諏訪湖を別名「鵞湖(がこ)」というので、そこからの連想でしょうが、戦前の観光案内には「新龍峡」と書かれています。おそらく戦後、舟下り会社の関係者が、新龍峡じゃあまりに野暮ったいんで風雅な名前をひねりだした、と推察しますが…。

 南原橋を渡って河岸段丘の坂を登ると国道256号(点線国道としてマニアには有名→●□)、さらに山の方へ進んだ下久堅知久平の高台に、もうひとつ眺望ポイントがあります。

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 おぉ~、伊那谷をドーンと見渡すなかなかの眺望。バス停脇に立つ道路標識もなかなかいい味出している。駄科駅から1.8km。
 だけどまあ、鵞流峡も含めて、絶景というには難易度高いかなあ。伊那谷マニア向けってことで…。
(まさ)
伊那谷雑 | Comments(2) | Trackback(0)

アウトオブ絶景本0007

2010年09月05日
 このあいだ直木賞を受賞した中島京子の小説「均ちゃんの失踪」を読んでいたら、舞台のひとつとして浜松が出てきたので驚いた。

「だーい好き、浜松祭り。ここの砂丘に人がいーっぱいに集まって、空中、きれいな凧がびゅんびゅん上がっちゃって、最高!すーっごく楽しい!」

 なんて、観光コンベンションビューローや青年会議所の連中が泣いて喜びそうなセリフが出てくるので、郷土愛の強い浜松市民の皆様は必読です。谷島屋書店の店員さんはすぐにPOPをつくるべし。遠州のフリークのわたくしとしては、凧揚げはいいけど夜の山車の(以下自粛)。
 この小説にアクトタワーに昇るくだりがあって、遠州の美しい風景が「いいことなかったなあ、この街」というセリフとともに、ちょこっとだけ描写されています。知ってる風景が小説に出てくると感情移入もしやすくて、上のセリフもなんだかよりリアルに沁みてくる。別にいいことがなかったわけではないが。

 で、話を強引に拙著「鉄道でゆく東海絶景の旅」(風媒社/1575円/詳細→●□)へ持ってくわけですが、うちでもアクトも載せております。静岡県で一番高いビルなので、ここからの眺望は文句なしに絶景でしょう。
 アクトの展望回廊は真北と真南を向いており、 使った写真は「北側には街があり、その奥には美しい山並みが連なる」と中島京子が描写した北側の風景。では南側はというと、こんな風景。

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 このダラーっとした感じ!もうちょい東に振って天竜川河口方面はこんな風景。

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 ダラーっとしてます。しかし一日中このように逆光状態で、僕みたいに技術のない人が南側の写真を撮るのはつらい。
 アクトシティは僕が大学5年生だった平成6年にオープンしており、ビル内の郵便局は開業初日に行ったりしています(そんなことをやってるから留年する)。建設工事の頃、静岡市出身の友人が「アクトは遠州の“やらまいか精神”の象徴だ。“やめまいか精神”の駿河人にはこんなものは建てられない。また浜松に水をあけられた」などと言っていたことが思い出されます。
 どうでもいいけど、去年の頭ぐらいから浜松へ行く機会が急激に減り、徐々に浜松と縁遠くなってきた感があります。たまーに行っても、なにかよそよそしさを感じなくもない。友達以上恋人未満だった女の子と離れていくような。
(まさ)

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鉄道でゆく東海絶景の旅
著者 内藤昌康
定価 1575円
発行 風媒社

100316-1.jpg ←クリックで拡大します
2010年版地図ガイド 知多四国巡礼
監修 知多四国霊場会(内藤は執筆・撮影・地図ディレクションを担当)
定価 1500円
発行 歴遊舎
遠州雑 | Comments(2) | Trackback(0)

山積みイエローボックス

2010年09月04日
 三重のネタが2回続いたので、絶景とは関係ないけどもう一発、三重。
 6月下旬にとある取材で伊勢に行きまして、早く着いちゃったので未訪だった玉城町中心部の田丸に行ってみました。田丸城というマイナー城跡があり、初瀬街道と熊野街道というマイナーな街道が交わる、なかなかシブ度の高い町です。

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 う~ん、しっぶ~い!というかなんというか(最近シブいのハードルが下がっている気がする)。
 奥に見えるこんもりした緑が田丸城址で、この道は「大手通り」になります。
 左の電柱に見える「ミヱマン醤油」は、トラックの停まっているところが本社。愛知・岐阜ではぜんぜん見かけない銘柄ですが、隣接する小売店をのぞくと、伊勢うどん用のつゆをはじめなかなかバラエティに富んだ商品が置いてあり、地元では定番のようです。
 この蔵元の隅に、一升瓶用のプラケースが山積みされていた。

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 醸造元マニアのわたくし、銘柄が書かれたこのプラケースが大好きで、見つけるたびに物色&撮影をしてしまいます(→●□●□)。この中にもマニア垂涎のレアものが混在していました。

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 おお、北方(岐阜・本巣郡)にあった柴田酒造の「老松」。下の「小町」は各務原にある現役の小町酒造。

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 おお、大浜(碧南)にあった「ミマスしょうゆ」。
 このほかにも、現役で七宝醤油(佐藤醸造)、キッコーナ醤油(名古屋)、イヅマン(武豊)、初緑&孝池水(飛騨金山・高木酒造)、イチビキ、サンビシ、三重の蔵元などなど。涎が垂れます。
 しかし醸造元マニアには見逃せないこれだけの豪華ラインナップ(豪華?)、どういう経緯でここに集まってきたのだろうか。って、こういう不信感を煽るような質問はなかなかしにくい。
(まさ)
三重雑 | Comments(0) | Trackback(0)

アウトオブ絶景本0006

2010年09月01日
 昨日に引き続き、拙著「鉄道でゆく東海絶景の旅」(風媒社/1575円/詳細→●□)のプロモーションシリーズで、三重県のボツネタ。
 紀伊長島駅から熊野市駅にかけてのいわゆる「東紀州地方」は、延々とリアス式海岸が続いてて、どこを切っても風光明媚。交通の便が悪いので行くのは面倒だけど、大好きなエリアです。本書でもこの区間は、三野瀬、波田須、熊野市(鬼ヶ城)と、3か所も取り上げております。
 入れようかどうしようか最後まで悩んで結局ボツにしたのが、尾鷲駅の次の大曽根浦駅付近にある「大曽根浦公園」。造成してからあんまり手入れをしていないような風情の公園で、観光スポットでもなんでもありません。

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 最寄りの大曽根浦駅は、紀勢本線のなかでもかなり地味度がかなり高い駅。じゃあ紀勢本線に地味でない駅があるのか、と言われると返す言葉もないんだけど、なんというか、ただでさえ小さい尾鷲の町のいちばん端っこというようなロケーションが、パッとしない感に拍車をかけているんですね。
 ただ3年前に、駅から徒歩10分ちょっとのところに「熊野古道センター」という立派な施設ができたので、この駅を利用する観光客は増えているかも(いないかも)。そういえば一年前に行ったときは、紀勢本線全通50周年記念の企画展をやってて、マニアックな展示物が並んでてなかなか面白かった。
 大曽根浦公園へは、熊野古道センターとは逆方向に国道を歩いて同じく10分ちょっと。

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 大曽根浦公園からは、紀伊山地と尾鷲湾に挟まれた狭い土地に広がる尾鷲の町が一望できます。尾鷲火力発電所の巨大煙突がいいアクセントになってて、妙に辺境感を醸し出しているのがミソ。
 山と海によって周囲と隔絶されたこの雰囲気、島根県の浜田とよく似ています。考えてみると、尾鷲も浜田も風待ち港として栄えたという共通点を持っている。まあ、尾鷲と浜田を比較してもあまり意味はないですが。

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 北を向くと、真下には養殖筏(マダイか?)がゆらゆら浮かび、その脇を時おり漁船が疾走してゆきます、遠くに見えるのは紀北町(旧海山町)引本の集落。
 ここに立つと尾鷲の経済がどうやって成り立ってきたのか一目でわかるという、小学校の社会の授業にピッタリの場所なんですが、ガイドを書くには文字量が多く、エッセイにするには文字量が少ないという、イマイチ中途半端なところが仇となってボツ。天気もイマイチだったし。
(まさ)

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鉄道でゆく東海絶景の旅
著者 内藤昌康
定価 1575円
発行 風媒社

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2010年版地図ガイド 知多四国巡礼
監修 知多四国霊場会(内藤は執筆・撮影・地図ディレクションを担当)
定価 1500円
発行 歴遊舎
三重雑 | Comments(1) | Trackback(0)
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