初夏の親子

2010年06月29日
 昨日書いた水谷酒造へ向かう途中、七宝町にある七宝みその蔵元、佐藤醸造も「確認」してみました。♪シッポウシッポウみーそみーそ、ママの味七宝みそ。お~いし~ぃぃぃ、のCMソングが一世を風靡した味噌です。CMは知っていても岐阜と三河にしか住んだことのない僕にとっては馴染みがまったくなく、現物を見たのも、先日書いた多治見の酒屋さんが(→●□)初めて。

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 場所は、旧七宝町役場近くの旧佐屋街道からチョイ北へ入ったところ。へえ~、こんなところに。見学も購入もしていないので、とりあえず書くことはありませんが…。
 それはさておき、蔵の前に用水路があって、亀が何匹もいました。中には親亀の背中に小亀が乗っかった、マンガのようなヤツも。

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 おお、こんなの初めて見た。いいことあるかな?見てからはや十日。今のところ別にない。
 う~ん、どうでもいい。
(まさ)

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●□ お 知 ら せ □●
酒とも味噌ともまったく関係ありませんが、アイツアーズのブログを更新しました→●□
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尾張雑 | Comments(0) | Trackback(0)

愛知の現役酒蔵完全確認達成

2010年06月28日
 少し前、津島・海部方面をウロウロしまして、2004年頃から続けている「愛知県に現存する全ての酒蔵の確認」を達成しました。
 なんて書くと偉業を成し遂げたように思えますが、実はそれほど自慢できるものでもなく、「訪問」といわず「確認」とするところがミソ。本来なら、全蔵の取材もしくは蔵で購入するというのがベストなのだが、小売をしていない蔵元もけっこうあって、そういうところでは外観を見ておくぐらいしかないのです。…というのはタテマエ。酒の弱いわれわれ夫婦の飲むペースは極めて遅く、行く度にいちいち買っていたら冷蔵庫にどんどん溜まって大変なことになるので、とりあえず見るだけは見て素通り、というところもけっこうあったりします。
 それでもまあ、結婚当初に比べると随分と飲めるようになり、最近は蔵元に行ったらなるべく何かしら買うようにしています。

 最後に訪れたのは、愛西市鷹場(旧佐織町)にある水谷酒造(→●□)。こちらの銘柄「千瓢(せんぴょう)」は、愛知県内でも屈指のマイナー地酒です。
 津島-祖父江-起(尾西)を結ぶ県道129号を津島方面から北上、領内川を渡る手前で左に折れ(案内板などはありません)、集落内の細い道を300mほど入っていくと、例によってHINOMIが!

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 いや、今回は火の見櫓はどうでもいい。この火の見櫓からさらに200mほど進み、やって来ました水谷酒造。

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 って、表札もなにもない。街灯に添えられた小さなカンバンと、狭い駐車場に積まれたプラケースが、かろうじてここが酒蔵であることを示すのみ。

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 旧家らしい門をくぐって中に入り、「ごめんくださ~い!」と声をかけるも、誰も出てこない。まだやっているのか?まさか…!?蔵元の廃業はいまだハイペースなので、不安がよぎります。一度外に出て、たまたま外を歩いていた小学生に聞いてみました。
 「ここって、酒屋さんだよね?」「ハイそうです」「まだやってるの?」「え?さあ~…」われながら、そんなことを小学生に聞いてどうする。
 もう一回中に入り、大声で「ごめんくださ~い!」と二度ほど叫んだら、ようやく奥からお婆さんが出てこられました。やれやれ。
 しかし母屋の玄関に置かれた冷蔵ケース(なぜか三ツ矢サイダーのロゴ入り)はからっぽ。小売りしていないのかと思ったが、蔵のほうに貯蔵庫があるようで、無事、720mlを購入。

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 これが、ほとんど「幻」と言ってもいい水谷酒造醸「千瓢」の純米酒。売っているのを見たことがないんですが、とお婆さんに言うと、津島あたりの数軒にしか出していないとのこと。ちなみに味は、なかなかクセがあって、上級者向き?
 話のついでに、いつもは取材がらみでないと求めたりしないんだけど、一升瓶のラベルをもらいました。

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 シブい…。
 とりあえず回るだけは回ったんで、今後は未飲の酒を飲み、できれば全部取材する…のが理想なのだが、酒の弱い僕にとっては遠い道だ。
(まさ)

愛知の酒蔵の全貌はこちら。ウチのHPより、酒カンバンの手帖●□
とりあえず愛知県のメドがついたので岐阜県編に移行したいところですが、すでに「琺瑯看板探検隊が行く」という素晴らしい先達サイトがあるので、どう展開したもんか思案中…。
尾張雑 | Comments(4) | Trackback(0)

カンバンの手帖ブログ版0139

2010年06月27日
 雨の中、知多半島をウロウロした金曜日、武豊町富貴で発見した微妙な要求のカンバン。

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 スーパーって誘致すれば出店するものでもないと思うが…。しかも役場に頼んでどうする。そもそも、富貴から2キロ以内にピアゴがあるじゃないか。

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 ここんところ、当ブログに色があんまりないのでオマケ。武豊にある知多四国22番大日寺のアジサイです。そういえば梅雨時の知多四国を撮ったことがないなと思って少し回ってみたのだが、意外とアジサイが目立つ寺ってないもんです。
(まさ)

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執筆・撮影・地図ディレクションを担当した「2010年版地図ガイド 知多四国巡礼」(歴遊舎/1500円)。知多四国八十八ヶ所めぐりに好適の一冊。ぜひ書店や札所寺院でお求めください。
知多雑 | Comments(0) | Trackback(0)

2010年上半期の落語会覚え書

2010年06月26日
 柳家小三治、落語協会会長就任記念!半年たっているのでもう忘れかけているのもありますが…。落語の内容は忘れてしまい「面白かった」か「イマイチだった」かしか覚えていない、というのもけっこうあります。まあそれでよいのではないかと。

2/14 初笑い長久手寄席/長久手長文化の家森のホール(まさまり)

 会当日の記事にも少し書きましたが(→●□)、80歳の扇橋師匠が凄かった。

3/2 三代目桂春蝶襲名披露公演/愛知県勤労会館(まさまり)

 一度見てみたかった「口上」というヤツを、初めて見ることができた。口上を伸べた志の輔いわく「私、春蝶さんとお会いしたことがなく、後輩にどういう落語家なのか聞いてきたんですが…」。面識なくても口上に並んじゃうものなの!?
 印象に残ったのは桂春團治。シブい、シブすぎる!そして当の春蝶、二世落語家ってどないやねん、と思ってんけど、口調のキレはエエし笑えるし、えらいウケよった(無理やり大阪弁)。華があるなあ~。

3/5 柳家喬太郎独演会Vol.3/今池ガスホール(まさまり+友人2)

 去年の10月に扶桑で見てから、これでなんと6回目の喬太郎。今までは共演ばかりだったのだが、今回は初めての独演会。大変けっこうでした。

3/19 柳家三三ひとり会Voi.7/今池ガスホール(まさ)

 ローソンでチケット取ったらなんと最後列。しかも隣に座った中年夫婦、笑いのハードルが異様に低い方たち。そこで爆笑!?というところでガンガン笑う。それが気になってまったく集中できなかった…。実に残念。

3/28 市馬落語集/大須演芸場(まさ)

 前から一度見たかった柳亭市馬を、これまた一度行きたかった大須演芸場で見る。前半・後半とあって、最初は前半だけ見て帰るつもりだったのだが、あまりによかったのでつい後半も見てしまう。

4/15 立川志らくシネマ落語の会/シネマスコーレ(まさまり)

 翌日のブログに嫁が書いたとおり(→●□)。映画についてはまあ、その、ノーコメントですが、シネマ落語は最高。やはりわれわれ夫婦の中では、今、志らくが一番です。今、東京では志らく監督・主演の演劇落語をやっているそうだが、見に行けないのが残念。

5/4 三遊亭鳳楽独演会/設楽町・関谷酒造(まさまり)

 ちょうど一年前、川辺町の白扇酒造の会でお話させていただいた際、「毎年、関谷→白扇と回っているので来年もぜひ」と言われ、のこのこと行ってきました。白扇酒造では会議室みたいなところでの落語でしたが、こちらは本当に酒蔵の中に高座が設えられ、出囃子が鳴ると貯蔵タンクの間から鳳楽師匠が登場するという、実にシュールな風景。マクラでいきなり「近頃なにかとお騒がせしておりまして…」と、円生襲名問題に触れたのにはちょっとびっくり。噺は勘定板、猫の災難、寝床と三席たっぷり。
 しかし円生問題、どうなるんでしょうか。

5/13 立川志の輔独演会/アートピアホール(まさ+妹)

 僕たちの落語の師匠である先輩ライターさんよりチケットを譲り受けるも、嫁は仕事で行けず、なぜか妹と行ってくる。一門の後輩である三四楼が「名古屋出身だから連れてきた」ということで登場。二つ目になったばかり。浮世床を演り、終演後に「名古屋のみなさんコイツをヨロシク」と志の輔が紹介したのだが…。おお、なんか不安な佇まいだ。別の意味でこれから目が離せない。

6/5 柳家小三治独演会/長久手長文化の家森のホール(まさまり)

 一年ぶりの小三治です。前回は調子があまりよくなさそうだったので心配していたら、この日は声も通ってまさしく絶好調!マクラで糖尿病の話を30分!すごい人だ。しかし何が一番すごいかって、会場全体を包み込むユルユルの雰囲気がすごい。
 談志は言うに及ばす談春でも志らくでも喬太郎でも三三でも、出だしはけっこう会場全体に緊張感が走るもの。ところが小三治は、本や雑誌や映像などからイメージされる厳しい性格とは裏腹に、客席にまったく緊張を強いない。リラックスして聴ける。これぞ名人たるゆえん…でしょうか。

6/10 大須演芸場六月上席(まさ)

 なんと快楽亭ブラックが大須に10日間出演!3日くらいは行きたかったがさすがにそうもいかず、最終日だけ。普通の日の大須は初体験なのだが、いったいなんなんだココは!?2~3割ほどの入りの客を前に、驚くべき芸人が次々と登場。違う星に連れてこられたような錯覚を覚えます。まさに背徳の空間。「平日の昼間からオレはいったい何をやってんだ」てなもんで。
 ブラックは落語を少~しやっただけで、二回の高座ともエロ漫談に終始。エッ!?て感じだったけど、ブラックだからいいんです。8月にまた来るらしい。もっと頻繁に出てください。
(まさ)
音楽・舞台・落語 | Comments(2) | Trackback(0)

カンバンの手帖ブログ版0138

2010年06月25日
 高浜市のはずれに位置する清水町で発見。長谷川町子の影響力はすごい、と思わせるイラスト。

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 最近は、知らない町をフラフラ歩いてて不意にあいさつされると、不審者に対する牽制か!?と思ってしまいます。 
(まさ)
西三河雑 | Comments(0) | Trackback(0)

タウンサインの研究0029

2010年06月24日
 まだ続く東濃の話題。
 地域キャラクターといえば、多治見の後に行った恵那市の笠置地区に、こんなのがいた。

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 なつかしのミカン星人(byウゴウゴルーガ)、じゃなくて、この地区特産の柚子をモチーフにした「ゆずもちゃん」だ!
 地域キャラクターといえば普通は自治体が制定するものですが、これは恵那市北部の一地区によるもの。平成の大合併で吸収された地区ならまだわかるけど、笠置が恵那市になったのは昭和の大合併のことです。
 この日の取材先である恵那市観光協会笠置支部の支部長さんに話を聞くと、ここ2~3年、笠置支部独自の活動が急速に活発化し、積極的な売り出しを図っているんだそうな。目玉は、笠置山中にある巨石群。1年前、山と渓谷社の「ROCK&SNOW」という雑誌で紹介され、巨石登り(ボルダリングというらしい)の第一人者である小山田大という方が「未開拓の凄いエリアがある」と絶賛したところ、訪れる岩クライマーが劇増。一躍その世界で脚光を浴びたとのこと。
 春先に嫁が参加したトレイルランニング(→●□)にも驚かされたが、岩登りの名所というのも驚いた。まだまだ知らない分野があるもんだ。勉強になります(時間なかったので行ってないけど)。
 そうしたなんやかんやの流れの中、昨年、勢いに乗ってこのキャラを作成したそうです。

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 これはもらったステッカー。家族いるのか!上のほうには「嫌いな食べ物 みかん」って、仲間だろ!

 恵那市は平成の大合併で、岩村や山岡など恵那郡南部の個性的な町村を取り込みました。昭和の大合併でくっついた笠置のようなところは、その余波でますます埋もれていきそうなもんだが、旧市時代は大した活動をしていなかった観光協会笠置支部も、新市に加わった人たちと交流することで刺激を受け、「いっちょやったるか!」てな感じで始動したらしい。アゲアゲの東濃気質がここにもあったか!
 地域の活性化活動は、小学校区や昭和の大合併前の自治体など、より小さい単位で行うべきだと僕は思っているので、笠置のような動きには共感を覚えます。
(まさ)
中濃・東濃雑 | Comments(0) | Trackback(0)

タウンサインの研究0028

2010年06月23日
 「千代泉」のカンバンを掲げた酒屋さんがある多治見市街には、このようなタウンフラッグがはためいております。

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 左は酒屋さんのある「小路町」。エンブレムの中に描かれた花がなんなのかと思ったら、どうやら市の花であるキキョウらしい。
 右は小路町の一本西の通り、渋いアーケードの「銀座商店街」。こちらはキキョウをモチーフにした多治見市章を、ちょいとアレンジしたもの。
 フツーで、特に差し挟むコメントはないです。まあ、落ち着いたデザインでいいんじゃないでしょうか。
 でも、最近の多治見といえばこれですね。フツーじゃないキャラ、鰻+河童=うながっぱ。

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 タウンフラッグには用いられてませんが、小路町と「本町オリベストリート」が交わるところにある多治見市PRセンターに取材に行ったら、まあキャラクターグッズの多いことに驚いた。愛知と岐阜でここまでガンガン商品化している地元キャラはほとんどないでしょう。他には大観光地の犬山と名古屋ぐらい。
 デザインが、某市や某町に比べて洗練されているなあと思ったら、アンパンマンのやなせたかしがデザインしたとのことでした。
 オリベストリートもそうだけど、多治見は町のPRがたいへん積極的で、なおかつ実に上手い。やはりこれも、県西部にはないアゲアゲの「東濃気質」によるものと言っていいんではないでしょうか。

 ところで、本町オリベストリートを通ったら、3月にはあったこのカンバンが消えていた。

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 超貴重品なのでミュージアムかどこかに保存した、というならいいんだけど、もしマニアやバイヤーが持って行ったのだったら、たとえ地主の許可を取っていても許せねえ!
 こういうものは掲示された土地に残らないと意味ないのに。
(まさ)
中濃・東濃雑 | Comments(0) | Trackback(0)

カンバンの手帖ブログ版0137

2010年06月22日
 引き続き東濃のネタ。
 瑞浪に先立って多治見に行き、取材の合間に前から気になっていた市街地の古い酒屋さんへ。軒に味わい深い額型カンバンが掲げてあるのは知っていたのだが、銘柄がなんなのかじっくり観察しに行ったのです。そしたらとんでもない珍品で驚いた。

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 右はどんぶり生産で有名な土岐市駄知の「千古の岩」。旧東濃鉄道駄知駅跡のそばにある現役の蔵元です。真ん中は灘の「金盃」。ここまではいい。注目は左の「千代泉」!これは碧南市大浜の真ん中に、平成の初め頃まであった「磯貝酒造場」という酒蔵が作っていた銘柄です(→blog●□/hp●□)。これは超貴重!
 地元でももはや「千代泉」のカンバンはほとんど見かけないのに、なんでまた遠く離れた多治見なんぞに?店に入って奥さんに聞くと、いわくを教えてくれました。
 こちらの創業は昭和10年で、創業者の出身地は武豊。もともと地元では大きい酒屋さんからののれん分けで、独立にあたって親店や他店との差異化を図るべく、出身地である知多や隣接する碧南の商品を多く仕入れたらしい。で、特に昵懇にしていたのが磯貝酒造場。その関係でこのカンバンを作ったんじゃないか…という話。

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       ↑みねたから      ↑みねたから

 扱っている商品を見せてもらっていたら、さらに驚愕。なんと、碧南の味淋「峯寶(みねたから)」があるではないか!
 これを作っている小笠原味淋醸造は、棚尾のチョイと奥まったところにある小さい蔵元です。碧南の味淋というと、言わずと知れたココノエみりんや、「三州三河みりん」の商標で売っている角谷文治郎商店、あと工場は西尾に移転したが創業地は棚尾の「相生みりん」が、大きいスーパーでもよく見かける御三家的存在。いっぽう「峯寶」は、西三河の大きいスーパーでは見かけたことがありません。独立系のスーパーや八百屋・酒屋ならあるのかもしれないが、地元ではあまり小さい店に行かないので…。
 創業当時から取り扱っている品のひとつだといい、店の奥さんも「この味淋はいいよ」とオススメ。右に見えるオーソドックスなラベルもカッコいいし、即購入。
 こちらは調味料系のラインナップがかなりシブくて、キッコウトミの醤油(半田)、シッポウのサシミたまり(♪七宝七宝み~そみ~そ、のCMソングが有名な旧七宝町の蔵元)、太陽ソース(須ヶ口)、マルキらっきょう甘酢(岡崎)、ヤマコノ味噌(八百津)などなど、中京圏のローカルメーカーがずらり。昔は、半田のマンサンみそ(現在は醸造業から撤退→オーナー家本宅が半田市観光協会の事務所に)も扱っていたそうな。

 今となってはこの品揃えは凄いといえるけど、昔の小さい店はどこもこのような地元色あふれるラインナップだが普通だったはず。
 こういう店のほうが楽しいね~。
 あ、もし「千代泉」を飲んだことがある、ラベルを持っているという人がいたら御一報ください。
(まさ)

ひっそり更新中、ウチのHPより
酒カンバンの手帖→●□
醸造系カンバンの手帖→●□
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カンバンの手帖ブログ版0136

2010年06月21日
 昨日と同じく瑞浪市内は中央道瑞浪IC入口にて。いつまでこんなもん掲げとるんじゃ。

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 新首都は東京から東濃へ――。岐阜県民には馴染みの深いこの妄言、議員と行政トップと土建屋をのぞく一般県民で、誰か本気にしていた人がいるんだろうか。
 以前、明智で見かけたものは古いカンバンだったが(→●□)、これは比較的新しい感じ。まさかまだ、生きている話なのか!?
 東濃の人は県西部の人間と違ってなんでも「一丸となって盛り上げよう!」的なアゲアゲ気質なので、そう簡単に揚げた旗は降ろさないのかもしれない。
(まさ)
中濃・東濃雑 | Comments(0) | Trackback(0)

MTC

2010年06月20日
 少し前に瑞浪へ行ったとき、JR瑞浪駅の近くで珍銘板を発見。

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 おお、これは昭和26年から29年までしか存在しなかった「瑞浪土岐町」時代の銘板ではないか。この橋は「駅西橋」といい、瑞浪駅西の暗渠に架かる2メートルほどのもの。架橋は昭和26年3月。wikiによると町の発足は4月1日とのことで、若干のフライングですが。
 瑞浪土岐町は土岐川を挟んで向かい合う瑞浪町と土岐町が合併してできた自治体です。すごいテキトー感あふれる町名ですが、数年後には広域合併して現在の「瑞浪市」が誕生しており、単にそれまでの“つなぎ”の名前でしょう。
 どうでもいいけど、こういう合成地名を見ると、鹿児島の「いちき串木野市」という鬱陶しい市名が思い浮かびます。なんとかならなかったのかね…。

 ちなみに、背後に見える踏切の名称は「三河街道踏切」。こんなところで三河の名前に出くわすとは思わなかったが、考えてみると旧小原村が近いのだな。
(まさ)
中濃・東濃雑 | Comments(0) | Trackback(0)

三ヶ日地底人

2010年06月19日
 鍾乳洞といえば5年前、三ヶ日の鍾乳洞を取材してえらい目に遭ったことがあります。
 その鍾乳洞は愛知県境に近い平山地区にある「平山祥月洞」。06年3月発刊の「そう」10号の取材でした。この号のテーマが「空」で、空洞すなわち鍾乳洞ってことで。このときは、嫁が文、僕が写真の担当。
 平山祥月洞は平成4年に三遠洞窟研究会が“発見”し、平成17年当時もまだ“発掘”を続けていたという、レアな鍾乳洞です。三遠洞窟研究会とは、要はケイビングのサークル。研究会と名乗るだけあり、鍾乳洞のそばのプレハブ小屋で、発掘した化石や珍石の展示もしています。

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(2005.12.11撮影)

 これが平山祥月洞の入口。ヘルメットとカッパで完全武装した女性取材記者(中央)と研究会メンバーが、妖しく口を空ける穴ぐらへ、いざ入洞!

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 穴をのぞくと、なんじゃこりゃー!炭鉱か!気楽な見物ではなく、完全に探検だ。この中にカメラと三脚持って下りなきゃならないって、どうゆう事?
 だいたいわたくし、閉所恐怖症なのです。穴に入る前から超ダーク。帰りてぇ~。

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 川口浩探検隊の隊員のごとく不安げな表情を浮かべる女性取材記者。

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 まあそれでも、洞窟の中は確かに凄い。自然の神秘に感動させられました。
 一番美しいという「黄金ドーム」まで、入口から約15分。写真もじゅうぶん撮れたし、さ、もう、帰りましょ。と思ったのだが、先導してくれた方が「面白いののはこれからですよ!さあ、行きましょう!」。カンベンしてください。
 この先は、匍匐前進しなきゃ通れない狭いところを進み、ロープを伝って8メートルも竪穴を下り、地底の中に突如現れる池を拝み、全身が泥とコウモリの糞でベタベタ。ここにいる意味がわかりません。
 池のほとりにちょっとした空間があり、ここで一息。一息というか、息ができないような妄想に襲われる。さ、もうじゅうぶんでしょ、マジ帰りましょ。と思ったら先導人「この先は“S字竪穴”と“奥の細道”という開拓中のルートなんですよ。さあ、行きましょう!」。冗談顔だけにしてくれよ!
 一瞬ギョッとしながらも女性取材記者は記者魂を見せ、先導人に続いてS字竪穴へと吸い込まれてゆきます。どんじりは僕。狭いところに入るのもイヤだが、こんなところに一人取り残されるのはもっとイヤだ。仕方なく、穴の中へ身体を滑り込ませたのだが…狭すぎで入れない!
 「待ってくれ~」という叫びもむなしく、二人はどんどん入ってゆきます。奥のほうから女性取材記者「どうー?来れそうー?」。僕「ムリ~!もう帰ろうよー!ねぇお願いー!帰ってきて!マジでマジで!」。
 女性取材記者の声も次第に小さくなり、やがて完全に聞こえなくなりました。狭い空間にひとりポツーン。シーンとしすぎてて耳がおかしくなってくる。コウモリも飛んでくる。寒けも襲ってくる。そしてパニック!
 気がつくとブツブツ言いながら身体を震わせていました。
 「もうダメ!もうイヤ!もう帰る!帰るからね!帰るよ!帰る帰る!チキショー!二人とも絶対出てこられないよ。遭難だよどうすんだよ。でも僕は出る出る出る!出る!ひ~ん」。
 もう恐怖で完全にぶっ壊れています。
 身体はもとより、ザックに入れたカメラがあちこちにぶつかるのも構わず、ひたすら出口へ。難所の8メートルの竪穴をどうやって登ったのか、ぜんぜん記憶にありません。そうして、どれだけの時間をかけたのかわからないけどなんとか脱出。おお、神よ!
 あー、書いてて恐怖がよみがえってきた…。

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 二人が戻ってきたのはそれから1時間もたってから。なにやってんすか…。
 取材当時の話では、観光地化も視野に入れていたとのことでしたが、そりゃムリでしょう。本格的すぎるわ。
 本格的な穴が好きな人は、研究会にお問い合わせください。
(まさ)
遠州雑 | Comments(0) | Trackback(0)

かくも小さき穴ぐら

2010年06月18日
 船明(ふなぎら)に行ったついでに、同じ旧天竜市内の小堀谷(こほりや)という小集落にも行ってみました。2005年夏に出た「そう」7号に書くため訪れて以来、5年ぶり。見落としの半鐘台でもないかと思って(やっぱりなかった)。
 この集落、地図によっては載ってない場合があります。地名のある独立した一集落なのですが、正式な住所は「浜松市天竜区青谷」となり、小堀谷の名は住所表記されないからです。
 西鹿島と東栄町を結ぶ県道9号沿いに青谷の本集落があり、その中ほどの青谷橋から分かれる細い林道に入り、ウネウネと2キロ弱…って、説明が面倒くさい。あまりにわかりづらい場所なので、初めてグーグルマップを貼り付けてみました。


大きな地図で見る

 擂り鉢場に開けた山の中に忽然と5~6軒ばかりの家が現れるここは、周囲から隔絶された「隠れ里」的なおもむきのところ。こういう雰囲気は遠州北部に特有のもので、同じ山間部でも岐阜県ではほとんど見られません。
 なお、地名からなんとなく「小堀遠州がらみか?」と思ってしまうけど、特に関係はありません。山を隔てた浜北区に「堀谷」という同じような隠れ里的集落があり(→●□)、そこの枝郷ではないかと推察されます。つまり意味は「ミニ堀谷」
 このマイナー集落のみどころは、集落入口の岩場にあるマイナー鍾乳洞。

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 おお、怪しげな裂け目が。以下、案内板の全文。

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「小堀谷鍾乳洞の伝説」
 阿多古青谷村別里小堀谷は、戸数10戸ばかりで、大きな鍾乳洞がある。深さは約20歩ばかり、広さは約7~8坪。岩上を望み見れば神像のような形をした岩がある。
 ある時、土地の農夫が草刈に行き、洞窟に入って神像に向い「霊あらば、吾が面の瘤を快し給え」と祈り去る。その後農夫は霊夢終わりて、快癒の思いをなす。明朝、面の瘤は崩れて平快すと。
 これを聞いて近人は洞窟に参り、願い事を祈る。翌月頃には遠所にも聞こえ、一日の参詣者は1000人にも及んだ。
(文化7年の内山真龍日記より)
 尚この鍾乳洞は、昭和54年7月23日試掘の結果、奈良時代末期の遺跡であることが判明した。

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 古くはここで「ギャートルズ」のような生活が営まれ、のちには「こぶとりスポット」の様相を呈したと、なかなかのいわく付き。

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 ここは入洞無料のセルフ施設で、電気も自分で付けて入ります。

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 洞内は意外と神秘的。ショボイかと思いきや、小さい鍾乳石も見られます。何より涼しいのがいい。

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 しかし、中を堪能する間もなく、十数メートル歩いたらもう出口に辿り着いてしまった。出口の階段を登ってゆくと、外には荒地の中に踏み分け道が続いており、やがて家が見えてきた。

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 し、しぶい…。
 この夏オススメのひんやりスポット、鍾乳洞マニアや遠州が好きで好きでしょうがないヒマな人は、ぜひお出かけください。
(まさ)
遠州雑 | Comments(0) | Trackback(0)

フナのギラギラ0002

2010年06月17日
 土曜日、昨年9月以来ひさびさに船明へ行ったら(しかし何をしに何度もそんなマイナー集落に行くのか)、「遠州随一の美しさ」と思っていた火の見櫓(→●□)が消えていてショック。たまたまそこにいた爺さんに聞くと、去年の年末に撤去されたそうな。

100617-4.jpg (2007.12.02撮影)

 以前はこのような、実に美しい立ち姿のHINOMIがあったんですが、跡地は下のような有様に。

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 「半鐘記念」て、なんじゃそりゃー!
 台座に埋め込まれていた石板を下部にあしらい、四つの半鐘を吊り下げてあります。って、なぜ4つも?と思って爺さんに聞くと、ここのHINOMIのほか、昔は船明地内に3つの「半鐘台」があったとのこと。場所は、船明の高台に位置する長養寺の近く、旧国道沿いにある梅松屋の前、船明ダムの南にある榑山・坂上集落。梅松屋は現役の商店で、店の前の国道を嵩上げした際に、半鐘台の棒杭だか梯子だかが引き抜かれ、消滅したとのこと。ちなみに梅松屋の外壁には、半田市街にあった田中酒造の「清正」の銘柄がドカンと貼ってあります(→●□)。
 HINOMIが消えたのは悲しいが、間近で半鐘を観察できるようにはなりました。4つとも刻印がしっかり残っているので、以下に書き出してみます。

船明(火の見櫓) 大正14年12月 寄附人 和田新平
梅松屋付近 大正5年5月吉日 光明村消防組第二部
榑山・坂上 昭和11年12月 光明村消防組第二部
長養寺付近 昭和24年11月 光明村消防団第二分団

 おお、4つのうち3つが戦前製。このうち、唯一の戦後製である長養寺付近の半鐘には、こんな刻印までありました。

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 おお、豊川の鋳物工場、中尾工業株式会社製とは。これは中世から続いていた三河最大の鋳物師の家系で、東三河では半鐘や梵鐘に刻印されているのを確認しています。豊川市金屋町のカーマ(名鉄稲荷口駅北西)がその工場跡地。こっちのほうまで納品していたとは。
 船明のほか、二俣車道(→●□)と渡ヶ島(→●□)も撤去されているのを確認し、HINOMI天国の旧天竜市もそろそろヤバイのかも。HINOMISTの皆さんはお早めに。

 ところで、ここの裏手に「大池」という溜め池があるのだが、こちらも久しぶりに眺めてみたら、えらいことになってた。

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 おお、水面を埋め尽くすスイレン!
 以前、取材で行った「掛川花鳥園」で見たスイレンは美しかったのだが、これだけ量があるとさすがに気色わりい~。スイレンは程々がいいです。
(まさ)

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2008年2月刊行の拙著「火の見櫓暮情」(春夏秋冬叢書/3150円)
自分のHPより「三河遠州火の見櫓集成」→●□
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カンバンの手帖ブログ版0135

2010年06月16日
 昨日に引き続き「そう」27号連動ネタ。
 音が頭に付く地名はきわめて少なく、三河遠州では先の音羽のほか、同じ字で読みが異なる蒲郡市形原町の音羽(おっぱ)ぐらいしかありません。形原の音羽は、県道の交差点名にもなっていたり名鉄バスに音羽橋という停留所があるので、割と知られているのではないでしょうか(そんなわけない)。

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 名鉄形原駅からゆるい下り坂を下った、海辺あたりの小字です。
 この界隈、いささか地味な形原の中では、なかなか雰囲気のよいところ。町工場があったり、

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造船所があったり、

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カモメがいたり、

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こんなカンバンがあったり、

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って、なぜ投石に限定する?
(まさ)

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●□ お 知 ら せ □●
アイツアーズ(産業観光)のブログを更新しました。こちらも「そう」27号連動ネタです→●□
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長沢の参道めぐり

2010年06月15日
 毎号制作に参加している春夏秋冬叢書の季刊誌「そう」27号が発売中です。今号のキーワードは「音」。わたくしは毎号おなじみの地名&小学校に、「編音景」のタイトルで幡豆にある製鋼所の記事を、嫁は「梵音(=読経)」と航空自衛隊浜松基地・中部航空音楽隊の記事を担当しております。

 今回取り上げた地名ネタは、三河遠州の「音地名」といえばこれしかない!旧音羽町。

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(宮路山林道から望む音羽の真ん中。手前は音羽中学校、左は赤坂台団地、奥は萩地区)

 実はこの「音羽」、地名としても日本語としても、正確な意味がわからないのです。自治体としての音羽町は、昭和30年に赤坂・長沢・萩の3町村が合併した際、町域を流れる音羽川から町名を採用しています。じゃあ、川の名前はいったいどういう意味?というと、どこを調べても出てきません。
 本稿ではその謎に、シロウト考えで迫っています。興味のある方は買って読んでください。

 音羽の意味はわからないのだけれど、名称の発生地はどうやら長沢(岡崎市と接する旧町西部の地区)らしい。そこで今回は、長沢を重点的に撮影しました。
 いつもは国道1号でサーッと通過することが多い長沢には、雰囲気のよいマイナーな寺社が点在していることに、今回初めて気が付かされた次第です。

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 まずは、向谷集落にある栄善寺、の参道。文永9年(1272)創建の浄土宗寺院で、現在は無住。弘法大師作の大日如来が安置されているそうな。
 寺自体は小さくて地味なのだが、自然石を積み上げた参道の味わい深さにはヤラレた。案内板によると「平安様式」の石段という。石段に時代様式があるのか?

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 続いて八王子集落にある八王子神社、の参道。苔むした自然石の石段が木立の中に吸い込まれてゆくようで、これまたなかなかのおもむき。音羽蒲郡IC入口の「えびせんべいとちくわの共和国」(いつも疑問に思うんだが、なぜ共和制?)のすぐ南にあるので、えびせんを試食したついでに参拝するのもいいかもしれません。しなくてもいいかもしれません。

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 そして最後は関屋集落にある立信寺、の参道。国道1号北側の高台にあるので、車で走っていると気付きません。
 名鉄の線路を跨いで寺に行くのだが、この橋のシブさといったらもう。標識では「小特」は通れるようになっているけど、小特でも走る人はいないでしょう。誰か挑戦してみては?(と無責任に推奨)
 あと、本誌に使われたメインの写真は、東名の北側にある児子社(ちごしゃ)の参道。長沢のみどころは、とにかく神社仏閣、の参道なのです。
(まさ)
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蛍で売り出していない町

2010年06月14日
 土曜日、蛍を見るためだけに実家の揖斐川町に帰りました。例年は家のまわりにも普通に飛んでいるのだが、一昨年の土砂災害が尾を引いてか去年、今年と見られず、川向こうの集落まで見に行きました。

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 ↑蛍の生態を観察する女性取材記者と母(ただの見物客)

 わが地元は、宣伝も保護活動も特にやっていません。見に来るのも地元民だけ。まあ、蛍に関しては、町は何もしなくていいと思います。

 このあと母のたっての希望で、ヒメボタルが見られるという赤坂の金生山へ。すると偶然、山頂のこくぞうさん(明星輪寺)で蛍鑑賞会が催されており、山門前で二胡の演奏や講演など観察前のイベントを聴くことができました。

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 仁王に睨まれながら演奏するの図。
 肝心のヒメボタルは、ピークが深夜1~2時。嫁と母は11時半くらいまで粘って数匹を見ることができ、僕は眠くて、たまらず車の中で寝てました。
(まさ)
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職人技 on the 屋根0018

2010年06月13日
 遊廓といえば先日、大須の旭廓の後身にあたる中村遊廓の跡地へ、出版社 I さん&カメラマンKさんとともに行ってきました。売春防止法成立まで存続していた遊廓で、中村区の日吉町・寿町・大門町・羽衣町・賑町に往時の区画がそのまま残っています。

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 まともにウロウロしたのは今回が初めてですが(名古屋競輪のあと名古屋駅まで歩いて帰ったとき、少しかすめたことがある程度)、ここはかなり凄い。当時の建物がけっこう残ってるし、住宅地の真ん中に平然と風俗店が並んでたりするし。いくつかの風俗店が、ファザードは普通に風俗店なのに、裏に回ると昔の置屋の木造建築そのまんまなのも驚いた。中はどうなってるんだ!知りたい!今度、別の取(以下略)。
 元遊廓の2軒はデイサービスになってたりして、カメラマンKさんが上手いこと言いました。「若い時分にお世話になって、年食ってからもお世話になってる人もいるでしょうねえ~」。
 地元住人と少し喋ったらとても気さくな感じで、名古屋にもこういう下町情緒が色濃く残るところがあるんだなと、改めて感心しました。もと妓楼の一軒では中も覗かせてくれたし(風俗店ではありません)。

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 タイトルに則して、もと妓楼の鬼瓦を一枚。この手のブツの残存率も高い!
(まさ)
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西三の弘法

2010年06月10日
 弘法大師といえば、今年に入ってから西三河と豊川・蒲郡にまたがる霊場、三河新四国も回っています。いったい何をやっているのかという感じだが、直伝も三河新四国も、通りがかりに寺があったら寄る、という程度の熱です。
 愛知札所めぐりという素晴らしいサイトによると、三河新四国の開創は寛永2年(1625)とチョー古い。一時期途絶え、昭和39年に再興されたそうです。特徴は、一か寺で二つの札所を受け持っている例が、半分くらいあること。つまり、範囲は広いが手間は半分。事情は調べてませんが、無住になった寺が多かったか、小さな御堂をルーツとする札所が多かったか、そんなところでしょう。

 三河も回ってみようと思い立ったのは、知多四国のように「弘法道」(→●□●□)が存在したかどうか、証拠となる道標がどこかにないか調べたかったからです。こちらの方は、10ちょっと回って早くも感触がつかめました。三河新四国の弘法道は、たぶん、ない。

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(碧南市大浜、三河新四国79・80番清浄院/明治37年)

 そのかわり、こちらでも「碧海郡新四国」なんてマイナー霊場の存在を証明する標柱が出てきてしまった。う~ん、もう知らん。どうせ「額田郡新四国」や「幡豆郡新四国」も出てくるんだろう。
 さて、これまで地元・西三河の寺というと、知立の遍照院(→●□●□)をはじめ岡崎の大樹寺、滝山寺、足助の香積寺、吉良の小山田観音、幡豆のカボチャ寺など、メジャーどころしか行ったことがなかったのですが、三河新四国を回るおかげで、地味だけどナイスな寺に出会え、地元再発見!てな感じです。

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 そのひとつ、碧南市天王町の87・88番札所法城寺。碧南中央駅南西の古い集落の中にあり、小さいながらもあふれんばかりの緑に包まれた、実に心地のよい寺です。
 こちらでは、こんな石造物を発見しました。

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 明治44年に、名古屋の旭廓にあった「長寿楼」の林長十郎と妻らくが寄進した、天水桶です。天水桶とは、屋根を流れて雨樋を伝ってきた雨水を溜めておくもので、寺の本堂や神社の拝殿前の両脇によくあるヤツ。そして旭廓とは、明治初年から大正時代まで大須にあった遊廓のことです。
 実は、旭廓の妓楼経営者が寄進した石造物は、知多四国の寺や弘法道でけっこう頻繁に見かけます。そういう商売を営んでいたことへの罪滅ぼしか、あるいは娼妓の健康や幸福を願ったのか、こうして仏にすがっていたらしい。
 お庫裏さんに聞くと、法城寺は明治時代初期に尼寺として開創されたそうで(現在は男性住職)、女性の信仰も厚かったのでしょう。当時の時代状況がおぼろげに見えてくるようです。

 そういう話も大いに興をそそられますが、今のところ僕が解明したいのは、巡拝者の辿った道筋。今ふと思いついたが、「女性のみの弘法道」ってのもあったのではないか?
 知多四国で女性の信仰が篤い寺といえば、共和の円通寺、荒尾の清水寺、阿久比の洞雲院、内海の大宝寺。これらを回ったあと、半田か亀崎から船で西三河に渡り、法城寺へ…。おお、ルートができた!(できません)

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 なお、天水桶の後ろに見える壷みたいなヤツは、例によって近代名古屋の代表的奇人・伊藤萬蔵の寄進物(→●□●□)。この人もあっちこっちで何をやっているんだか…。
(まさ)

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執筆・撮影・地図ディレクションを担当した「2010年版地図ガイド 知多四国巡礼」(歴遊舎/1500円)。知多四国八十八ヶ所めぐりに好適の一冊。ぜひ書店や札所寺院でお求めください。
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第三の弘法

2010年06月08日
 弘法大師といえば、今年に入ってから知多半島のもう一つの霊場、直伝弘法を回っています。知多四国の公式本に関わった人間が直伝さんを回ってていいのかと思わなくもないが、研究のためだからご勘弁ください。

100608-5.jpg (東海市養父町 直伝85番玉林寺)
 
 直伝弘法は大正14年(1925)、当時の四国八十八か所霊場の会長だった75番善通寺貫主から「四国直伝証」を拝受して発足。基本的には知多四国とダブらないように札所が置かれています(ただし3寺院だけかぶってる)。
 大正時代は、全国各地に××八十八ヶ所や△△三十三観音が誕生し、いわば霊場ブームの時代。直伝さんはその流れの中で成立した霊場で、その中で最大規模のひとつです。文化6年(1809)に開創した知多四国のフォロワーとはいえ、すでに日本有数の霊場が確固たる地位を築いていた地に、もうひとつ霊場ができてしまうというのが知多半島の奥深いところ。

 そんな直伝さんをなぜ回ってみようと思い立ったかといえば、ひとえに知多四国の巡拝路“弘法道”(→●□●□)の調査を完璧にしたいからです。
 徒歩時代の知多四国の巡拝者は、正規の札所寺院でなくても、弘法さんを祀る寺や御堂に立ち寄ってゆく慣習があったといいます。実際、知多四国と無関係の寺院の門柱に「ウチへ寄ってって」と誘導する文言が刻まれている例もあります(これもそのひとつ→●□)。
 となると、今までノーマークだった直伝さんの札所寺院に、もしかすると“弘法道”に関連するような未発掘の道標があるかもしれない!

 まあ、要はつまり、マニアックな石造物を求めてという、実に研究者魂あふれる動機なのであります(いったい何者?)。

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 ここからが本題。
 少し前、常滑市の榎戸にある直伝70番龍雲寺に行ってみました。知多半島で唯一の黄檗宗(おうばくしゅう)寺院です。宇治にある黄檗宗本山の萬福寺へは4年ほど前、嫁の取材に同行したことがあり、中国語読みのお経が大変印象深いお寺でした。
 こちらでは、弘法大師像が参道脇の別堂に安置されています。

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 中を覗くと、いや拝むと、大師像が二体。複数の大師像を安置している寺は珍しくなく、それどころか千体弘法ってのもあるくらいなんで、最初は特に何も疑問に思いませんでした。
 しかし、納経所で御朱印をいただきながらお庫裏さんと話が盛りあがったところで、衝撃の発言が。

「2体あったでしょ?ひとつは直伝さん、もうひとつは本四国写しの弘法さんで…」

ちょっと待った、本四国写しって何それ?
 僕の食いつきが異常にいいことに驚いたお庫裏さん、詳しいのが奥にいるからと、住職を引っ張り出してきました。住職いわくこれは知多四国、直伝弘法と並存していた、知多半島全域の霊場とのこと。2つあるだけでも凄いのに、なんと知多半島には「第三の弘法霊場」が存在したのだった!

「いや~、私もいろいろ調べたんだが資料が全然なくてね…」

 ということでちっとも詳しくなくて開創年すら不詳だったものの、昭和54年に阿久比の人が調査したリストをコピーしていただきました。
 そのリストによると、1番が南知多町の岩屋寺奥之院から始まって、2番が河和の全忠寺、3番が乙川の法蔵寺…という具合に道筋など無視して半島のあっちこっちに飛びまくり、86番の大高の明忠院のあと、87番が八事の高照寺、そして打ち止め88番が八事興正寺。
 知多四国では、88か寺すべて回ったら、四国八十八ヶ所にに対する高野山に見たて八事興正寺へ「お礼参り」をするというのが定番とされてきたのですが、この「本四国写し」とやらは、最初から八事興正寺を札所に組み込んでいるという点で画期的です。いや、画期的かどうかはわからんが。
 「本四国写し」は、多くの直伝さんの札所とかぶっており、知多四国の札所も5か寺が参加しています。また、これにだけ加わっている大寺院もあり、3つの霊場を回れば知多半島の主だった寺院がすべて押さえられるという按配。う~ん、凄いというか、そこまで八十八ヶ所めぐりで盛り上がる知多半島って、いったいなんなんだ。

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 帰りにもう一度拝んでゆくと、「本四国写し三十四番」(左)と、「直伝弘法七十番」(右)と記された木札が添えてありました。当然ながら顔つきも違ってて、本四国写しのほうがやや柔和な感じ。
 
 のちに、本作りで世話になった先生や知多四国の住職に聞くと、当然ながら「本四国写し」の存在は知っておられました。ただ、やはり資料をほとんど見かけたことがなく、霊場に活動実態もないことから、誰もそんなに調査研究していない模様。
 いつも世話になっているご住職には「知られざる霊場なんてもっともっとあるし、手を出すと収拾がつかなくなるから、あんまり深く追求しないほうがいいよ」とのアドバイスをいただいた。まあ、確かに、調べ尽くしたところで何か重大なことが明らかになるとも思えません。けど、一度知ってしまったものをそのまま放り投げてしまうのは、マニアとしてのプライドが許さないのである。

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(東浦町緒川の直伝13番東光寺で発見した「東浦二十一大師13番札所」の標柱/明治37年)

 しかしさらに調査を進めると、各地の寺や参道で「東浦二十一大師」とか「知多西浦二十一弘法」とか「高野山御分身弘法大師御母公奉安霊場」とか、わけのわからない標柱や道標がどんどん出てきてしまった。そんなわけで、研究は早くも混迷状態に陥っております。う~ん。
(まさ)

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執筆・撮影・地図ディレクションを担当した「2010年版地図ガイド 知多四国巡礼」(歴遊舎/1500円)。知多四国八十八ヶ所めぐりに好適の一冊。ぜひ書店や札所寺院でお求めください。
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くっきり弘法

2010年06月07日
 先日、岡崎市北部の細川町へ行ったとき、足助街道の旧道沿いに小さな御堂を発見した。

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 中を拝むと、弘法大師の石像が。

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 石仏って、こうやって描いちゃってもいいんですね…。
 そういえば今たいへんな宮崎県えびの市に1、0年ほど前3ヶ月間取材で通っていたことがあるのだが、あちらでは「田の神さあ(タノカンサア)」と呼ばれる石仏が田畑や路傍で無数に見られ、そのほとんどが鮮やかにカラーリングされていてたまげたことがあります。
 この御堂の中にはなぜか知多市の「めがね弘法」こと71番大智院(→●□□/●□)の御札が貼ってあった。こんど大智院に行って、その理由を解明してきます(そんなスゴイ謎でもなかろうが…)。 

 ちなみに何しに細川に行ったかというと、なぜか撮り忘れていた火の見櫓を撮りに行ったのでした。

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 これで岡崎のHINOMIは見尽くした。もうHINOMIで思い残すことはない…ことはないので、まだ無限ループのHINOMI旅は続くのだろう。ダラダラと。
(まさ)

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2008年2月刊行の拙著「火の見櫓暮情」(春夏秋冬叢書/3150円)
自分のHPより「三河遠州火の見櫓集成」→●□

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執筆・撮影・地図ディレクションを担当した「2010年版地図ガイド 知多四国巡礼」(歴遊舎/1500円)
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THE ドーム

2010年06月06日
 本日は、実家の父親の退職祝いということで、ミッドランド41Fで中華→ナゴヤドームで中日VS西武戦の観戦。なんとわたくし、ナゴヤドームで野球を見るのは初めて。5年ぐらい前にドームで開催された「伊能忠敬展」には行ったことがあるのだが…。

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                           ↑西武の旗を振る妹の手

 別にどっちのファンでもないんだけど、三塁側だったのでなんとなく西武を応援してみました。旗好きなので買ってみたら、最近の応援旗は柄の部分に滑り止めみたいなのが巻いてあるんですね。握りやすくて振りやすい。
 昨年から使われている西武のロゴデザインは、シブくて好きです。それまで2年ほど使われていたメタリックなゴシック調や、さらに以前のレオ+筆記体の時代のロゴは嫌いだったのだが、現行デザインになってから西武が気になる存在になってきました。
 それに比べると中日はなあ…。中日の歴代のデザインは昔からどうも好きになれません。子供の頃から周囲は中日ファンばかりだったなのに僕がそうならなかったのは、デザインのせいもあります(あと、ひねくれた子だったから)。デザイン都市(笑)の球団なのになぜデザインワークがイマイチなのか、と。今のユニフォームは昔よりはいいけど、頭文字が帽子と同じCDマークなのが気に入らない。どう読みゃいいんだよ。応援グッズも見てきたけど、なぜ何もかも子供っぽい?
 デザインだけでいうと、僕がいちばん好きな球団は、歴代の広島と日本ハム。特に後楽園時代の日ハムの帽子は、単に社章を丸囲みしただけ!カッコよくはないけど好きなのです。特に高橋直樹がかぶっていた姿が印象的。パリーグの帽子なんて東海地方にほとんど出回っていなかった30年前、友達のいことがなぜか日ハム球団公認の子供用帽子を持ってて、衝撃を受けたことが思い出されます。
 なんの話だ。
(まさ)
名古屋雑 | Comments(0) | Trackback(0)

麦の大地0004

2010年06月05日
 滋賀県の大津びわこ競輪場で開催中の第61回高松宮記念杯(GⅠ)は、いよいよ明日が決勝戦です。今開催の売上げ如何ではびわこ競輪も終焉かも…という話が出ている中、決勝に勝ち上がったのはなんともまあ食指が動かないメンバー構成。永井-加藤-ヤマコウの岐阜ラインができてれば、こっちも勝負しようと思っていたのに…。三河期待の星、深谷知広(豊橋市桜丘高校卒・S2・96期)は負け戦ながら逃げ切って2勝目。競輪業界はもはや彼に託すしかないので、明日もがんばって欲しいものです。といいつつ、明日はナゴヤドームで野球観戦なんで、競輪は見られないのですが…。

 それはさておき、碧海台地は今まさしく麦秋を迎えております。

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 今朝、なぜか4時過ぎに目が覚めてしまい、上重原町内を早朝から徘徊していたら、一面黄金色でたまげた。この季節の碧海は本当に美しい。
 気分よく家に帰り、んじゃ仕事でもするかとPCに向かうも、やっぱり眠くなって布団に逆戻り。次に目覚めたら9時でした。ふが~ん。

 あと、知立がらみで速報。名鉄知立駅の本線ホーム売店(豊橋方面)が6/11限りで閉店されるようです(名古屋方面は月末)。高架化工事がらみでしょうね。ふが~ん。

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 最終日には行って、名鉄バージョンラベルのワンカップでも買ってくるか。 
(まさ)
西三河雑 | Comments(2) | Trackback(0)

カンバンの手帖ブログ版0134

2010年06月04日
 その白川村平瀬温泉の南あたり、国道156号沿いにある酒屋の倉庫に掲げられているカンバン。喪黒福造のようにドーン!ってな感じで現れる。

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 イグアノドーン!ってな感じで(何を言ってるんだ)。
 89年に平瀬の奥地の大白川というところで恐竜の足跡化石が見つかったことに由来する絵なんでしょうが、ほとんどのドライバーは、唐突すぎてなんのことだかわからんだろう。しかし凄い舌だ。

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 ちなみにこの倉庫には、大垣・三輪酒造の「白川郷(にごり酒)」と、高山・平瀬酒造の「久寿玉」の巨大カンバンも。久寿玉の巨大カンバンは飛騨のあちこちで見かけますが、間近で見るとこいつもドーン!って感じ。倉庫の壁面の2分の1もある酒カンバンって、どんだけでかくするんだ。
(まさ)
飛騨雑 | Comments(0) | Trackback(0)

たぶん流行らないであろうローカル食0003

2010年06月03日
 2年半前に使ったタイトルを復活させてみました。地元の人に怒られそうですが、味がイマイチということではなく、単にマイナー度が高いという意味ですんで、念のため。
 一週間前、白川村の平瀬温泉に取材に行き、どうした流れか公民館で催された地元の人の懇親会に参加してしまった。

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 出された料理は、参加者がめいめいに持ち寄ったものなのだが、これがメチャクチャ美味かった。
 メニューは白川郷のローカルフードのオンパレード!今日取ってきた山菜の天ぷら、イワナの塩焼き、フキやワラビなどの煮物各種、漬け物各種、手製のおはぎ、そしてなぜか浜名湖産カキのフライとマリネ(たまたま買ってきた人がいたそうな)。なんせ昼間の取材スケジュールが超タイトで、ほとんど昼飯を食べる暇がなかったんもで、遠慮もなくガツガツ食べまくってしまった。平瀬のみなさんどうもすいません。

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 面白かったのがフキの煮たやつ。それだけならウチの地元の揖斐川町でも普通に食べるが、白川村流はなぜかニシンを一緒に煮るんだそうな。村人いわく「これがまた合うんだわ」。そう、確かに美味いんだが、なんでまたニシンを?

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 食べ切れなかったのでおはぎは図々しくもお持ち帰り。添えられたかぶらの漬け物は一年漬け込んだ「ヒネヅケ」と呼ばれるもの。食べてみたら、こいつが酸っぱいのなんの。
 高山あたりで土産として売っている赤かぶ漬けは、けっこう甘めで万人が食べやすくしているのだが、こちらは自分ち用に漬けられたものなので、他地域の人の舌に合うかどうかは当然ながらまったく考慮されていません。いやー、白川村の人の舌って、強い酸味に順応してるんだな、と。
 これらの郷土料理は、売り出しとかそんなに考えてないようなので(たぶん)、味わってみたい人は平瀬温泉にぜひお泊りください。

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 こういう雰囲気のところ。荻町もいいが、平瀬温泉もなかなかシブい。
(まさ)
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タウンサインの研究0027

2010年06月02日
 もう一発、豊田市のネタ。市街地から南へ2キロほどのところに位置する金谷町(名鉄三河線上挙母駅付近)の、街灯にあしらわれたタウンサイン。

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 金谷は挙母城の前身である金谷城があった地なので、いちおう「城下町」ではあるんだろうが、なかなかピンとこないタウンサインではあります。
 でも、さすがに城下町人の誇りが高い(?)のか、自動車を持ってこないのは高ポイント。トヨタ創始者の豊田佐吉は遠州人だし。
 城下町の面影を求めて…というわけではなく、闇雲に町の中を徘徊していたら、例によってHINOMIが!

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 これはけっこう珍しい、線路際に立つ火の見櫓の図。三河線には数え切れないほど乗っているのに、これだけ近いとさすがに車窓からは気付きませんね。

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 あとオマケ、木造駅舎健在の上挙母駅。残ってくれるのはうれしいけど、名鉄の木造駅舎が壊滅状態の今、ここがなぜ残ったのか逆に疑問。古いものを大切にしようという城下民の気質が残させたんでしょうか(そんななわけないか)。
(まさ)
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HINOMI on the hill

2010年06月01日
 久しぶりに純粋な火の見櫓の話題。「純粋な火の見櫓の話題」ってのもワケがわからないフレーズだが。
 先週、豊田市南部のR155(旧道のほう)を車で走っていたら、丘の上になにやら小さな鉄塔が。近づいてみると、半鐘台(小型のHINOMI)がポツンと立っていました。

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 場所は広田町…といっても豊田市民でも知っている人は少ないでしょうが、トヨタ堤工場の南東300mほどのところです。
 一見すると堤防みたいですがそうではなく、なだらかな丘の尾根にあたる筋が、遊歩道化されているのです。こんな場所にHINOMIは違和感バリバリですが、どこかから半鐘ごと持ってきたのでしょう(半鐘には「高岡村竹中」の刻印あり。竹村の中心部のことか)。消滅するよりはいいです。
 おまけにこの櫓、低いので気軽に登れます。

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 HINOMIからの眺め。まあ、登らなくても同じような景色なんだが、子供のころ感じた、ジャングルジムや滑り台の上からの眺めの気持ちよさを思い出します。なにもそこまで郷愁を感じなることもないか。
 碧海台地の最北に位置する高岡地区の、こういう丘の風景の美しさは、実に西三河らしくていいです。こういう景観のよさをアピールする気が、地元にはまったくないのがもったいない。
 そしてこういう優良農地も、規制緩和と離農でやがて工場用地化されてゆくんでしょうかね。
(まさ)

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2008年2月刊行の拙著「火の見櫓暮情」です。
西三河雑 | Comments(0) | Trackback(0)
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