新緑伏見

2010年04月30日
 先日の記事で「名古屋は、自転車が安全に走れる道をなんとかしてほしい!」と書きましたが(→●□)、おととい伏見の「名古屋インターシティ」内にあるキヤノンのサービスセンターに行ったとき、伏見通り(R23)の歩道に自転車道が作られており、随所に駐輪場も設けられていることに気が付きました。

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 うーむ、いつの間に。ちょうど一年前にキヤノンに来たときはどうだったかな?と思って去年の写真ファイル見てみたら同じ場所をたまたま撮影しており、一年前は工事中だったようです。
 伏見通りは、名古屋ご自慢(?)のだだっ広い道幅を誇る一本で、もとから歩道は広く、自転車道路を整備するのも簡単でしょう。だが、ここで交わる広小路はまだ自転車道がありません。

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 人通りが多い広小路に自転車道ができて初めて、名古屋も「よくやってるな」と思われるのではないでしょうか。ついでに言えば、広小路から車を締め出して、名駅-栄に路面電車を復活させるのが僕の夢(市長にでもなるつもりなのか)。

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 この時期の広小路は、歩いていて心地のよいほぼ唯一の季節ですね。
(まさ)
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恋のアーケード0007

2010年04月29日
 昨日の記事の「西濃回帰」ではないですが、先週久しぶりに大垣の町を歩いていたら、繁華街の郭町通りと大垣城の間で、アーケードの飲み屋街を発見しました。

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 その名も「お城街」。3年前まで知立駅前にあった「麗人街」を彷彿させます(→●□)。ああ、まだまだ地元にも知らないところがあるのう(もっとも地元と言いましても、僕の本当の地元は揖斐川町。大垣は「もっとも近くにあった都会」というポジションだもんですから、大垣中心部のことはそんなに強い地元意識があるわけでもないです)。

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 しっぶ~い!←名著「ギャンブルレーサー」で鶴岡篤人(埼玉・引退・55期)が関優勝の愛車クラウンを見て言ったセリフ(reprise2010.04.12)。
 カンバンの「菊川」は、鵜沼の蔵元、菊川株式会社(旧名:武藤)の銘柄。各務原の酒なのになぜ「灘の酒」を謳っているのか?と、2年前に某紙の取材で蔵元に伺ったとき尋ねたら、かつて灘に蔵を持っていたそうです。このほか奥には、地元大垣の蔵元、武内合資の「御幸鶴」の行灯カンバンもありました。

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 う~ん、しっぶ~い!(reprise2010.04.12)
 シブくて、何かの媒体で取り上げてみたいんだけど、居酒屋で酒を飲むという習慣がわれわれ夫婦にはないもんですから、こういう場所をどう扱っていいのやら…。

 そういえば2月に滋賀へ行った際に見つけたローカルカルチャー雑誌「ポップリ。」が、夜の滋賀をテーマに、こういう雰囲気の場所を大特集してました。この雑誌、なかなか凄いので、あちらに行かれた際はぜひ書店で探してみてください。
 いまいちパッとしない西濃を、そういう角度から捉えて本にしてみたいものです…という以前に、そういう切り口が西濃で成立するかどうか微妙だけど、いつか、なんとか、料理してみたいネタではあります。
(まさ)
岐阜中部・西濃雑 | Comments(2) | Trackback(0)

秘密の茶畑

2010年04月28日
 でもって土曜日の午後は、実家から車で5分ほどのところに位置する旧春日村下ヶ流(しもがれ)集落へ。1年ほど前、嫁がひょんなことで和紅茶を作っている方と知り合ったのですが、その方が集落の中に古民家を改修したサロン「庵・花茶」を開き、そのオープニングイベントを見てきたのです。

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 民間からの地域おこし的動きが極めて少ない我が地元ですが、ご近所にこういう施設がオープンしたのは貴重な出来事です。今後の展開から目が離せません。西濃も、少しずつ何かが変わるのか?
 イベント終了後、知り合った方に教えてもらった近くの茶畑を散策。

100428-2.jpg ←軽快に登る女性取材記者(トレランの練習?)

 散策と言っても、錆び錆びの吊り橋を渡り、転げ落ちそうな急斜面を10分ほど登ったところにある畑で、気分は登山かトレイルランニング(→●□)。地元の爺さんが毎日世話をしに登っているそうだけど、よくまあこんなところまで通っているなあと、感心というより呆れてしまうほど。

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 山の中腹に突如現れる茶畑。文章ではこの秘境っぷりをうまく表現できないけど、秘境の雰囲気を湛えた凄い場所。実家から数キロに秘境があるってのも凄い話だが…。

 西濃探索は老後の趣味かなと思ってましたが(目標は郷土史家なので)、ネタがゴロゴロしている割にあまり顧みる人もいない地元を、少し突っ込んでみたくなっている今日この頃です。
(まさ)
岐阜中部・西濃雑 | Comments(0) | Trackback(0)

新緑尾西

2010年04月27日
 話が前後しますが土曜日の午前中は、一宮西部方面へ。地域限定配布の某紙で自転車企画を少し載せることになり、その取材です。一宮市内の「サイクルショップ ポパイ」(金曜日にZIP-FMのジェームスの番組に電話出演したお店)さんに協力をお願いして地元の自転車乗りたちに集まっていただき、木曽川河川敷や美濃路などで撮影。

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(後ろは濃尾大橋)

 自転車はいい…。(←少し前の記事でわたくし「漁船はいい…」とかつぶやいてましたが)
 この時期は、木曽三川の中下流部が一番美しいシーズンなんじゃないかと思います。きらめく川面をバックに、川原に生えている潅木が芽吹いて伊吹山からそよ吹いてくる風に揺れ、気持ちよいことこの上なし。こういうところはやはり歩くよりも自転車でしょう。ああ、取材してないで自分が乗りたいぜ。
 一番右に見える方はヒルクライマー。すんごいカッコイイ自転車を乗ってらして、チョー羨ましい。いや、自転車で山登りがしたいわけではなくて、自転車がほしいだけですが。
 この方いわく「日本のロードレーサーは最終的にヒルクライムに行き着く」んだそうです。日本では道路的にも地形的にも長距離ライドには限界があるようで、ガシガシ乗るには山が一番ということになるらしい。たしかに、日本の道路も法律も自転車を軽視している。特に名古屋と西三河は、自転車が安全に走れる道をなんとかしてほしい!

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 美濃路の富田一里塚も新緑。

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 一宮から少し下った祖父江のギンナン畑も新緑。そういえば新緑の祖父江のイチョウって、あまりイメージがない。ギンナンシーズンの晩秋も凄いですが(→●□)、春もなかなかの雰囲気。
(まさ)
尾張雑 | Comments(2) | Trackback(0)

新緑浜松

2010年04月26日
 昨日はお日柄もよく、浜松八幡宮で執り行われた仕事仲間のカメラマンさんの結婚式に夫婦で参列してきました。浜松八幡宮は遠鉄の八幡駅東に鎮座する浜松でもっともメジャーな神社。新郎新婦はバリバリ豊橋っ子なのに、なぜか浜松での挙式ですが、遠州マニアの僕にとってはナイスセレクト。

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 緑が多くて、実に爽やかな境内です。三河一宮の砥鹿神社でやったウチらの式を思い出すねえ~。ウチらも「岐阜出身と尾張出身がなぜ東三河で式を?」と言われたものですが(東三河フリークの僕のたっての希望です)。
 オメデトウ!!!

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 当社のシンボル、家康が根元の穴に隠れて武田勢の追っ手から逃れたという「雲立ちの楠」。
(まさ)
遠州雑 | Comments(2) | Trackback(0)

三重的あるいは宮崎的

2010年04月23日
 県庁所在地にしてはいささかアレな町、津ですが(地元の人もそう思ってるでしょうが)、なんでこのような町になったのか。その原因を考えると、津駅の位置と、市街地を貫く国道23号の道幅の広さのせいではないか?

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 津のもともとの中心部は安濃川と岩田川に挟まれた地域で、ここに津城が置かれ城下町および伊勢街道の宿場町として発展しました。地元では、この旧城下町を「橋内」、そして安濃川の北を「橋北」、岩田川の南を「橋南」と呼んでいるようです。明治中期、津で真っ先に開通した鉄道、つまり紀勢本線は、橋内は通過して、橋北に津駅、橋南に阿漕駅を設置しました。
 このとき、なぜ「橋内」に津駅を作らなかったのか。もし津市役所の西あたりに駅があれば、そこから「駅前通り」が「だいたてアーケード」あたりに伸びて、中心市街地が多層的になっていたんじゃないだろうか。同じ東海地方で例を挙げれば、名古屋、岐阜、豊橋、桑名、多治見あたりなどのように。いずれも町外れに駅ができ、駅と従来の市街地を結ぶ道路が作られたことで、市街地が拡大していった町です。
 よくある話で、城下町の住民が鉄道を忌避したのか、それとも駅が作れない地形的問題があったのか。

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(津城跡の石垣から津中央局、津センターパレスを望む。一等地なのに巨大な空地が)

 津駅も上記の例と同じく町外れに駅があります。しかし、駅と市街地を結ぶ道路は線路と並行する「旧伊勢街道」。戦前はこの街道筋もそれなりに市街地化していたようですが(今は昔の名残はあまり感じられない)、新設の「駅前通り」ではないので発展にも限界がありそうです。
 で、戦後になって、今の国道23号が開かれるわけですが、これがやたらとだだっ広い。これでは新興商店街としての「駅前通り」の機能を担わせるのは無理があります。また「橋内」地区でもそのド真ん中を貫いているので、繁華街は分断された感じだし、伊勢への「通過ポイントでしかない町」という印象もより強く受けてしまいます。
 まあ、町は地味だけど、津の人はそのことにあまりこだわってないような気はしなくもない。町のイメージはともあれ、住みよければそれでいいってなもんで(住みよいかどうかは知らないけど)。
 そういえば、半年前に発刊された「別冊アルネ」が三重県特集をやってました。発行人の大橋歩さんが三重出身らしい。ああいうオシャレな雑誌では津もそれなりにオシャレな町に見えます。

 ところで津は、なんか宮崎市に雰囲気が似ています。津を語るのに宮崎を引き合いに出すのもなんなんですが、私、仕事で行っていた関係で津よりも宮崎の方がよく知っているもんで…。
 ざっと津と宮崎が似ている点を列挙してみると、幹線国道が鉄道とほぼ並行に走る、それが市街中心部のど真ん中を貫いている、市街中央の交差点角にデパートがある、アーケード商店街が小規模、地形にメリハリがあまりない、真っ直ぐな海岸線が近くにある、西へちょっと走るとすぐ農村地帯、通りにフェニックスが植えられている、etc。

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(津なぎさまちの船着場に通じる道路)

 しかしなぜフェニックス?
 宮崎市は、知名度が高い割に市街地自体はパッとしない町で、そういう面でも津と実によく似ています。ただ、あちらは津と異なり、同規模の町が近隣にないので、市街地の吸引力は津よりも強いのだけど。
(まさ)
三重雑 | Comments(2) | Trackback(0)

恋のアーケード0006

2010年04月22日
 月曜日、東海地方なのにほとんど馴染みのない津へ、某書籍の取材で行ってきました。何回も来てはいるけど(主に通過)、まともに町を歩くのは初めて。
 この町の考察は明日にしまして、とりあえず一枚、中心部の「だいたて商店街」の写真を。なかなかこう、なんというか、県庁所在地にしてはいささかアレなアーケードです(なぜか遠慮がちな表現に)。

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 いち地方都市の、というならまあ普通のアーケード商店街で片付けられるけど、県庁所在地ともなると、やはりもっとドカーンっつーか、ドヒャーンっつーか、派手な商店街を期待してしまうので…。
 昼前にここを歩いてたら、ラジオ体操第一のテーマが突如、アーケードの中に響き渡きわたった。

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 なんでいきなり?しかもこの時間に?そして体操が終わったらなぜか拍手で締め。う~ん、津はミステリアス。
 そういえば昔、天理のアーケード街を歩いていたら突然音楽が流れ出し、歩いていた人が立ち止まり本部の方角に向かって深々と頭を下げるという驚愕の光景に遭遇したことがあるが、それを思い出した。
(まさ)
三重雑 | Comments(2) | Trackback(0)

郡上八幡春祭り

2010年04月20日
 日曜日、取材で12月以来の郡上八幡に行ったら、たまたま「郡上八幡春祭り」の最中でした。去年は知多の山車祭りをやたら見に行ったのに、今年の春はいろいろタイミングが悪くてまだ何も見ておらず、これが初めて。
 目的地の郡上八幡城から町に下りると、通りの向こうから山車が!

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 え、えーっ!?
 旧庁舎記念館前に行くと、こんなのが大集結。

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 え、えーっ!?
 と思ったら、これは子供会の「祭りみこしコンクール」で、昔ながらの行事はちゃんと別にやっておりました。ああ、一安心(って、大きなお世話だが)。

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 郡上八幡の春祭りは市街地にある岸剣神社、日吉神社、八幡神社の各祭礼が同時に行なわれるもので、メインは太神楽らしい。神社での奉納のあと、時代がかった装束をまとった一団が町を練り歩き、なかなかの雰囲気が楽しめました。

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 地酒「積翠」の蔵元、平野本店の前での太神楽。あとで見学施設「郡上八幡博覧館」に行ったら、郡上踊り実演担当のおねえさんが「仕事じゃなければ町に行ってるんですけどねえ~」と言って観光客にウケていた。
 この日は祭り見物が目的ではなかったので、祭り自体はさらっとしか見ていないけど、踊りだけでなく年にもう一つ盛り上がれるイベントがある郡上八幡は、観光地としては恵まれているし、郷土意識も高い感じがあります。ここ10年近くの動向を見ていても、毎年何かしら新施設(見学、飲食、ショップ等)ができており、年々成熟度を増しているようです。
(まさ)
中濃・東濃雑 | Comments(0) | Trackback(0)

タウンアーチの先へ0011

2010年04月19日
 昨日の記事の「幸せを呼ぶブタ」がいる通りの東端はこんな風景。

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 以前このあたりには「錦町商店街」のアーチがありました。

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(2008.04.28撮影)

 2年前に撮影したあと、知らない間に撤去されてしまったようです。どうせこの先は、東海道線のガードをくぐる道で寸断されており、クルマなんか通らないので別に邪魔にならないと思うんだが、実にもったいない。
 アーチの右の店(元うどん屋)の旭日看板もなかなかのインパクトですが、これは現存しています。

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 上部の飾りがなんかよくわからないけど、錦って感じ。
 ところで、大垣の中心部を歩いていたら、今まで気付かなかったアーチも発見。

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 本町商店街のアーチです。大垣駅前通りの一本東側に並行する道なのだが、なぜかこのアーチ、本町のメインストリートではなく、垂直に交わるあまり店のない道に設置されている。あまり意味がないのでは…。

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 こちらが(本来の)本町通り。その南入口には、タウンアーチならぬタウンポールが。
 本町は旧美濃路ということで、市の観光パンフにも記載されています。が、これといったみどころはありません。本町に限らず大垣市は、個々では面白い店やポイントがあるんだけど、全体的に見るとあまり地域の活性化に頓着しない雰囲気ではあります。
 まあだいたいにおいて西濃地方の人ってのは、みんなで一丸となって何かをやろう!という気質ではないので、西濃らしいといえばらしい。そういえば僕が高校生の頃、岐阜中部未来博の絡みか何かで、西濃全市町村が一丸となって地域おこしをやろう!という「スインク西濃」なるイベントかキャンペーンがあったんだが、大して盛り上がることもなく終わったっけなあ。
 あ、これ、地元批判じゃないので念のため。
(まさ)

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(2010.04.22追記)
 大垣市郷土館で購入した「歴史と文化の交差路 大垣を歩く」(鈴木隆雄/平成20年/大垣市文化保護協会発行)という好著を呼んでいたら、この通りとアーチについて書かれていた。
 それによると、どうやら「錦通り」は、駅から北口(市街地の林町や、旧オーミケンシなどの紡績工場)へ行く通路として賑わっていたようで、昭和33年に大垣駅北口が開設されてから人通りが少なくなったらしい。アーチの撤去は08年6月。
岐阜中部・西濃雑 | Comments(0) | Trackback(0)

カンバンの手帖ブログ版0131

2010年04月18日
 昨日、取材で地元の大垣を久しぶりにフラフラしていて(フラフラしていて取材になるのか)、大垣駅前の東側にて発見した幸せそうなブタのカンバン。

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 幸せ~、な感じ。しかし何を食ってこんな幸せそうな顔ができるのか。

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 少なくともトンカツではない…。
(まさ)
岐阜中部・西濃雑 | Comments(0) | Trackback(0)

アラタマのカメ

2010年04月17日
 今週半ば、地下鉄新瑞橋駅の辺りを通りかかったら、バスターミナル裏の桜の花びらが山崎川に散り落ち、微妙な風情を醸し出していた。

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 綺麗とはいえない、微妙な風情。

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 花びらの下にはカメやコイが泳ぎ、のどかとは異なる微妙な風情が漂っております。かわぐちかいじの「沈黙の艦隊」で、確かこんなシーンがあったような(もちろんカメやコイじゃなくて潜水艦でしたが)。
 最近珍しく名古屋をウロウロすることが多かったので、この町の景観についていろいろ考えているんですが、都心に近い郊外部(瑞穂区、昭和区あたり)の掴みどころのなさが、どうにも心に引っ掛かります。「住みたくもあり、住みたくもなし」ってなもんで…。
(まさ)
名古屋雑 | Comments(2) | Trackback(0)

シネマテークで落語

2010年04月16日
 リコーの小型デジカメを買ってから、たまに白黒で撮影している。何でもない風景がカッコよく撮れ、こちらはその自己満足の一枚。カメラ目線を向けているメガネの男性は、落語家の立川志らくです。いいオトコ~!
 
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 昨日は名古屋の小さな映画館シネマスコーレでシネマ落語が開催された。シネマ落語とは、映画を落語に置き換えて演じたもので、志らくによるオリジナル落語。ローマの休日やタイタニックなどの話題作や、志らくが個人的に好きな映画を題材に、時代背景を江戸や明治に、キャストを落語の登場人物に変更し、独自の話にまとめあげている。詳しくは志らく著の『雨ン中のらくだ』に書いてあります。
 実は志らくの落語を聞いたのは昨年3月の瀬戸市での落語会が初めて。で、その時に聞いたのがシネマ落語の『たまや~天国から来たチャンピオン』だった。映画の『天国から来たチャンピオン』は観たことがないけれど、この志らくがアレンジした話は泣けて泣けて。落語をきっかけに映画を観たくなる、そんな気持ちにもさせてくれた一席だった。私はこれをきっかけに志らくを追っかけるようになり、今回で8回目。本当は今晩の名古屋での独演会に行きたいのだけど仕事があり、残念です。
 さて、昨日は志らく監督による映画&シネマ落語の二本立てという今までにない趣向の落語会だった。ジージャン姿での志らくのトークショーの後、志らく監督・演出・主演の「死神パラダイス」を鑑賞、そして私にとっては二度目のシネマ落語「たまや~天国から来たチャンピオン」を一席。
 映画は約10年前に制作したもので、閻魔大王役のミッキーカーチスや高田文夫、柳家花緑が登場し、どこかで見かけたことがある若き落語家の姿も。志らくは死神の役で、ある女性を自殺に追い込まなければならないのに二度三度と助けてしまい、本来なら閻魔大王から罰を受けるべきところ、なぜか天照大神の差配で死神から縁結びの神になるというワケが分からない展開。う~ん。志らくさんもおっしゃっていたけれど、映画の知識を最大限に詰め込みすぎて、技術がともなわなかったとのこと。小津安二郎やチャップリンの手法など一部の映画マニアには分かっても、素人にはどのシーンのこと?と分からないところも多かった。でも、内容的には平和で(もっと理解不能なくらい、ヘンテコリンな映画と思ってた)、目を背けたくなったり耳をふさぎたくなるような嫌な感じはなかった。
 でも、やっぱり落語のほうが面白い。スクリーンの前に高座が用意され、1時間たっぷり話してくれた。二度目の『たまや~天国から来たチャンピオン』もホロリ。この話の主人公は江戸時代の花火師。花火師が「おたま~」と叫ぶシーンではダンナが爆笑していた。気になったのはブォーーンと鳴り続けていた空調の音。古い映画館だから仕方ないけれど、志らくさんの声、後ろまで届いたのかなぁ。
 終了後、出待ちをしてサインをもらったけど、あの丸い目で見られると緊張してしまい、「また来てください」としか言えなかった。一緒に写真を撮るのは照れ臭くて言えず、遠くから隠し撮りをするような形になっちゃった。しかも勝手にブログに載せているし。志らくさん、よくブログをチェックしているそうなので、もし気分を害されたようでしたらコメントください。すいません。 
(まり)
音楽・舞台・落語 | Comments(0) | Trackback(0)

拭って!お大師様

2010年04月16日
 桜が散ったというのに寒さが戻ってきてイヤになっちゃいますが、冷たい風が吹きすさぶ昨日、南知多町大井の「上陸大師」でお身拭いという行事が行なわれたので、見物してきました。
 上陸大師とは、弘法大師が初めて知多半島に上陸したと伝わる大井の聖崎に建立された、弘法大師の石像のこと。造立は弘法大師没後1150年の昭和五十九年。「ぬっと立つ弘法」→●□ほど大きくはありませんが、海中の岩礁に立っているので、満潮時などはけっこうインパクトがあります。
 海の中に立っているため年じゅう潮水と潮風を浴び、鳥のフンやらにも攻撃されます。そこで年に一回、お身体を拭いて差し上げようというのが「お身拭い」。33番北室院(上陸大師納経所)をはじめ、札所寺院の若手が中心になって開催しており、今年は100人ほどの善男善女が拭いに訪れました。あと、地元のケーブルテレビも来てた。

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 まずは陸から大師像に向かい、皆で揃って般若心経を読経。それから干潮の磯をぞろぞろと大師像へ向かいます。善男善女の多くは爺さん婆さんで足元は大丈夫かいなと思ったが、これも修行のうちか。

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 先に僧侶らが、脚立に登って上半身をキレイにします。背中に何かウニャウニャっとしたものが立ち上っていますが、これは昔付いていた光背の名残だそうな。

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 そのあと、参拝者が順々に岩礁に登り、主に下半身を磨きます。普段は遠くから拝むだけの大師像にジカに触れられるだけあって、皆さんかなり熱心。写真のとおり足場が不安なので、拭っているのか抱きついているだけなのかわからない人も中にはいたが…。

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 1時間弱で終わって陸に戻り、最後は揃って般若心経で締め。お大師さんもさっぱりした心持ちで、巡拝者を見守ってくれることでしょう。

081206-2.jpg 「あぁ~、いい湯だった…」
(久々登場、知多四国72番慈雲寺のソフトバンク犬)

(まさ)

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●□ お 知 ら せ □●
執筆・撮影・地図ディレクションを担当した「2010年版地図ガイド 知多四国巡礼」(歴遊舎)が、書店および一部の札所寺院で発売中です。買い求めやすい手頃な価格ですんで、よろしくお願いします。

100316-1.jpg ←クリックで拡大します
監修 知多四国霊場会
定価 1500円
発行 歴遊舎
知多雑 | Comments(0) | Trackback(0)

前芝クルージング

2010年04月14日
 1週間前、以前取材でお世話になった前芝(豊川河口の漁村)のKさんから突然郵便が届きました。何かと思えば「六条潟が紹介されたNHK名古屋放送局の番組『金とく』が4/9に再放送されるので要チェケラ!」という告知でした。いや、チェケラとは言ってないが。
 この番組は「奇跡の干潟 三河湾」というタイトルで今年の1月に放送されたもの。六条潟は神野新田沖に広がる三河湾最奥部の干潟で、アサリの稚貝の大発生ポイントとして有名なところ。すぐ東まで、高度成長期の大愚策「三河湾総合開発」による埋め立て地が迫っているのですが、豊川河口に近いここだけかろうじて埋め立てを免れ、稚貝を発生させる良好な環境が残されています。
 番組は六条潟を一年近くにわたって追い続けたもので、大変おもしろくかつ勉強になりました。三河湾沿岸には潮干狩りポイントがあちこちにありますが、まずは六条潟で稚貝を採集して、幡豆や蒲郡、吉良などの沿岸に撒いて育てている…という話なぞ、06年に作った「浜道紀行」(春夏秋冬叢書)のときに取材しておけばよかった。
 環境とかサイエンスな方面は苦手なので、これまで意識的に避けてきた部分もあるので、これからはもうちょっと追究せねば、と思った次第。

 そのKさんの差配で、前芝沖に漁船で出たことがあります。むかし前芝でポピュラーだった「立て干し網」という観光客向け漁法を、地元のもと漁師の皆さんに再現してもらったのでした。
 そのとき、ついでにアサリ採集の実演もしてもらった。

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(2006.06.01撮影)

 マンガと呼ばれる漁具で海底を砂ごとさらい、ふるいにかけてアサリの稚貝をゲット。かなりの重労働。この作業自体は、下地あたりの豊川(シジミ漁)や矢作川・矢作古川河口、浜名湖南部でも容易に見ることができます。

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(2006.06.01撮影)

 漁船はいい…。
 Kさんの手紙にはこんな追伸がありました。
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 今年はアサリが採れるものと期待していましたが、1~2月頃に原因不明で、また、全滅になりました。
 普通なら、今は絶好の潮干狩りシーズンで、浜はにぎわうのですが、潮時がよい日でも、浜に人影はありません。
 三河湾がおかしくなっています。豊川を含め、みんなで見守ってゆく必要があります。
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 なお、Kさんには放送告知のお礼に前芝の写真でハガキを作って送りました(余分に作ったので、大学からの友人で生粋の豊橋っ子「すぎうら保険設計」あきのり君にも送っておいた)。

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 このような、マイナーだけど美しいポイントを揃えたポストカード、豊橋で作ったら売れないかねえ。5枚セットでシリーズタイトルは「豊橋アナザーサイド」。撮影地は前芝の海岸、石巻の柿畑、老津の切り干し大根作り、天伯原の白菜畑、岩屋観音から見た豊橋市街。やはり売れないか…。
(まさ)

◎前芝関連記事
2008.11.19→●□
2008.11.20→●□
2008.11.21→●□
東三河雑 | Comments(3) | Trackback(0)

旧知多郡三和村小倉公会堂&旭村金沢公会堂

2010年04月12日
 くどくてすいません、知多のマニアック公共建築シリーズ。昨日いただいたコメントにあった常滑市小倉の公会堂です。場所は知多四国67番三光院近の近く。知多四国の撮影を始めた2008年春に撮ったものです。

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 しっぶ~い!←名著「ギャンブルレーサー」で鶴岡篤人(埼玉・引退・55期)が関優勝の愛車クラウンを見て言ったセリフ。
 ついでにその近所でもう一棟。知多市金沢の公会堂です。場所は知多四国71番大智院の近く。こちらは2008年冬の撮影。

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 うーん、しっぶ~い!
 実は旧役場や公民館の類は、大学生の頃から狙って撮影しているんだけど、本にまとめたら売れませんかね。売れませんよねやっぱり。
(まさ)
知多雑 | Comments(2) | Trackback(0)

旧知多郡鬼崎村役場

2010年04月11日
 多屋公民館は取り壊されてしまったが、同じく常滑・鬼崎地区に建つ旧鬼崎村役場は健在です。あ、鬼崎村というのは昭和29年まで存在した自治体(ただしS26~29は町制施行して鬼崎町)で、おおよそ名鉄常滑線の西之口~多屋間にあたります。役場があったのは今の榎戸町の県道252号(旧西浦街道=旧R155)沿い。

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 横長の建物に建て増し部分を加えたL字型の木造庁舎で、裏手には文書類や金庫などが入っていたと思われる蔵もあります。

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 鬼瓦の「役」の字がクール!(そうか?)

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 長いことほったらかしにされているようなんですが、このあいだ行ったら門柱にこんなカンバンが取り付けられてた。売れなきゃいいのに。
 知多半島では、現存する木造の旧自治体庁舎はたぶんここだけなので(ほかにもあったらすいません)、なんとか保存活用は…ムリか。
(まさ)
知多雑 | Comments(2) | Trackback(0)

美女

2010年04月10日
先日、取材先で出会った大正13年生まれの“しょう”さん。
昨年亡くなったお爺さんが30代の頃に始めた仕事を、娘さんと孫の3人で引き継いでらっしゃる。
作っているのは美女餅という餅。原材料はうるち米だから餅とは違うのだけど、食感はお餅とほとんど変わらない。
米を蒸すところからひとつひとつ手づくりしていて、できたてはまた格別に美味しかった。
米もん(粉もんに対抗して)好きな私はいつか取材に行きたいと思っていて、やっと実現。
こんな笑顔を見せる人たちが作っていたんだなぁ。
詳細はジャウス6月号に紹介されます。

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袋詰めされる前の美女餅
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(まり)
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旧知多郡鬼崎村多屋公民館

2010年04月09日
 先日、常滑の西浦街道(国道155号旧道)を走ってたら、多屋にあった公民館の取り壊し現場に遭遇。移転新築したらしいです。

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 取り壊し前は、こんな建物でした。

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(2008.09.27撮影)

 上半分は田舎の小学校の体育館みたいなコンクリートブロック積みですが、下半分はさすが常滑、焦げ茶色の陶製ブロック。建造年は調べてませんが、昭和40年代前半と見た(ならばタイトルはヘンですが、まあ他の記事との統一ってことでご勘弁ください)。

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 地域性に富む建築物とはこういうものをいう。
 取り壊しにはいろんな事情があるんでしょうか、こういものに価値を見出せる感覚を地方で育んでいかないと、潤いに欠ける景観ばかりが広まってゆくことになる、と思うんだけど…。
(まさ)

◎旧××郡××村建造物シリーズ
旧安倍郡井川村公民館→●□
旧額田郡本宿村役場→●□
旧愛知郡長久手村長湫公民館→●□
旧碧海郡高岡村中田農協倉庫→●□
旧碧海郡高岡村若林公会堂→●□
旧碧海郡高岡村吉原区民館→●□

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(2014.02.23追記)
 昔の「広報とこなめ」によると、旧多屋公民館の完成式典が昭和37年11月4日に実施されたとのこと。
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ホワイトウォール

2010年04月08日
 福沢桃介といえば先日久し振りに、名古屋の町並み保存地区「白壁、主税、橦木の町並み」にある文化のみち二葉館に行ってきた。桃介の愛人?パートナー?正式にはなんと言うべきかよくわからないけどそういう人である、川上貞奴の邸宅です。

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 名古屋では有名施設のひとつなんで、いまさら特に何か言うこともありませんが…。

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 開館が愛知万博の年で、前回訪れたのは確かオープン間もなくの混雑している時期だった。前は特になんとも思わなかったけど、静かな時に改めて来るとまた違う味わいというか、こういう空間で読書や仕事してみたいなあ~と思いました。あわせて行った橦木館や豊田佐助邸も然り。
 この町並み、保存地区なので趣きはあるのだが、実は写真がけっこう撮りにくくて、あんまり好きではない。ひとつは、町並み写真で定番の構図を狙ってもイマイチパッとしないこと。宿場町や商店街みたいな建物の並びではないので、しょうがないといえばしょうがないんだが…。
 そしてもうひとつは、いちおう観光地なんだけど高級住宅地だもんで、金持ちの方々のプライバシーだなんだを考えるとカメラを構えるのが憚られること。この日も、入学式帰りのお坊ちゃまお嬢ちゃまがお歩きあそばされておられ、父兄に何か言われるんじゃないかとビクビク。
 そんなわけでこの町にはちょっとした偏見があったんだけど、今回行ったら当地オリジナルのナイスな光景に出会えました。

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 高級レストランだか結婚式場だかの前で客を出迎えるボーイさん。イタリア語でいうところのカメリエーレ?←オノ・ナツメのマンガでこの言葉を知り、一度使ってみたいと思ってた。
 このアイテム(アイテムってのもアレだが)、普通の町並み系観光地ではありえない。これは参った。高級なところもたまにはいい、かな?
(まさ)
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遙かなる幡豆

2010年04月06日
 先月末、取材で木曽方面に行った際、南木曽町中心部の対岸にある「福沢桃介記念館・山の歴史館」という見学施設の敷地に、明治45年に建立されたマニアックな石柱を発見。

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 正面は「御下賜金紀(記)念日毎年七月二十五日」、左側面は「読書村」とあります(読書村=ヨミカキムラは南木曽駅周辺の昔の村名)。ほぼ同じものを妻籠の観光協会前でも見かけたのでなにかと思っていたら、横に案内板が立ってた。以下、その全文。

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 御下賜金とは、明治38年から昭和22年まで、皇室から木曽谷住人に与えられたお金のことです。古来から木曽の住民は、周囲の山林に依拠して生計を営んできましたが、明治政府は強引に山林の多くを官有林として囲い込み、明治22年には皇室の財産として御料林にしてしまいました。
 しかし山林を取り戻そうとする木曽谷住民の反発も強く、島崎広助(藤村の兄)が中心となって政府と交渉した結果、山林は返ってきませんでしたが、毎年一間年ずつが皇室から木曽へ下されることになったのです。当時の木曽郡役所は、それを記念して毎年七月二十五日を「御下賜金記念の日」と定め、郡下各町村はこのような石碑を建てたものです。

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 要は、権力にタテついて妥協を引き出した木曽人を称えるモニュメント、ということらしい。資料館で話を聞いたら、木曽の人たちは木曽川にダムを造りまくった福沢桃介とも大モメしたというし、さすがプライドの高い信州人、気骨が違う。
 それはともかく、この記念碑の右側面を見たら、意外な地名が刻まれていた。

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 読みにくいけど、「三河国幡豆郡幡豆村 建碑寄附人 山本勘三郎」とあります。なぜ幡豆の人が寄附を?もしかしてこの記念碑、幡豆石製?幡豆石についてはこちら→●□
 今度、幡豆の歴史民俗資料館に行ったときに何か分からないか聞いてきますので、続報を乞うご期待!(誰が期待を?)

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 オマケ、桃介の別荘・視察基地として建てられた福沢桃介記念館。大正8年築、昭和35年二階部分焼失、平成9年復元。館内には川上貞奴と並ぶ桃介の写真も展示されています。
 桃介はイイ男との評価が高いらしいが、どうも桃介の顔って、田舎の人間を小馬鹿にしているような感じで好きじゃない。木曽の人もそこらへんが気に食わなかったんじゃないかな?

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 もうひとつオマケ、桃介記念館から見た桃介橋と三留野の町並み。
(まさ)
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ミラーマン

2010年04月01日
 このブログも早いもんでまる三年経ち、テンプレートを変えてみました。カレンダー機能が付いていなかったので自分でくっつけてみたけれど、うまく機能するのかどうか?もしダメならまた元に戻します。
 とりあえずこの画像も試しに貼り付けてみたものです。

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 3月上旬、揖斐川町瑞岩寺(実家のある集落)から見た、朝もやに霞む金華山。真ん中の川は揖斐川ではなく、支流の粕川。こうして見るとウチの地元ってけっこう絶景の地にあるなあ。
 こういう景色の中に巨大仏が立ってたりすると、♪朝焼けの光の中に立つ影は~、ってな巨大ヒーローモノの主題歌のような感じで味わい深いかもしれぬ。
(まさ)
岐阜中部・西濃雑 | Comments(2) | Trackback(0)
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