ぬっと立つ弘法

2010年03月31日
 宮田珠己さんの「晴れた日は巨大仏を見に」(幻冬舎文庫)を読んだ。高さ40メートルのデカい仏像を見に全国を回るという、珍風景紀行モノです。
 本書に登場する40メートル級のブツ、いや仏というと、淡路島の世界平和大観音、久留米の慈母大観音、加賀温泉の加賀大観音くらいしか見たことがないが(わざわざ見に行ったのではなく、たまたま目に入っただけ)、筆者はそうした巨大仏がぬっと立っている風景を「マヌ景」と称し、ズレた感じやダメな感じを楽しむという観点で旅をしています。
 宮田さんの文章はいつも大変面白いし、景観論としても秀逸だと思うんですが、本のよさはおいといて、実際に巨大仏が立ってる風景が面白いかというと、原風景原理主義者(なんだその主義)の僕が3つほど実物を見て思ったのは、醜悪な景色だなということ。なので、写真も撮ってません。
 宮田さんは「巨大仏周辺住民の反応は、おおむね次のいずれかに分類できる気がする」として、

1、気味が悪いので撤去してほしい
2、景観を破壊しているので撤去すべきである
3、自分の知ったことではないが、撤去されても特に異存はない
例外、もうひとつつくってほしい、たくさん並べてほしい

てな項目を挙げているけれど、僕が住民だったらだんぜん1です(筆者は3)。2だと、新興郊外型店なんぞ僕の基準では全部当てはまり、それはさすがに暴論になっちゃうので。
 ランドマークな建造物のない岐阜の田舎で育った身としては、何かの間違いで近くに巨大仏が立っちゃって、地元が異形空間になるなんて想像すると、かなりダークな気持ちになってしまう。なので、巨大仏がある地域の方には、同情を禁じ得ません。いや、まあ、同情されるほど地元では深刻じゃないかもしれないけど。

 東海地方には40メートル級なんて常識外れなブツはないので、幸いというかなんというかですが、そこまではいかないにしても、ランドマークな巨大仏はあちこちにありますね。そのひとつ、蒲郡市三谷の山上にどどーんと立つ弘法さん。前にも書いたことがありますが(→●□)。

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 昭和13年、名古屋の富豪で蒲郡観光開発の父、滝信四郎の寄進で造立されたもの。管理する金剛寺のサイトによると「地上百尺(30メートル)」とあるが、これは階段部分も含めた高さで、像自体は62尺=18m強です。62は弘法大師入寂の年齢にあやかった数字。
 昭和62年に発行された古写真集「蒲郡あれこれ」に建設中の写真が掲載されており、こんな解説が書かれています。

この弘法さんができてから、この南山も前の美養公園も温泉旅館が一ぱいでき、一大歓楽街になった。これも弘法さんの御利益であろうか。

遠く蒲郡からも山の上に大きなやぐらが見えて、どんな弘法さんができるのかとみんな楽しみにしていた。


 この当時は弘法信仰もごく一般的だったろうし、建造にあたっては「ありがたいもの」「地域にとってナイスなアトラクション」という共通理解があったということが想像されます。ちなみに美養公園は、のぎやんが立ってる公園です(→●□)。
 戦後~平成の巨大物というと、どうも成金特有のスピリチュアルなものが動機になってる例が多いようで、やはり胡散臭さは否めません。

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 この三谷の弘法さん、目立つかといえば実はあんまり目立たない印象があります。歩いていると目に入ってくるけど、車でこの辺を走っているときに弘法さんを意識したことは、ほとんどないです。
 高い場所にあって小くしか見えないので、宮田さんの本でいうところの「ぬっとある」という感じはあまりしません。つまり、風景に違和感を覚えさせるほど邪魔な存在ではない。
 以上のことから僕が言いたいのは、三谷の弘法さんはアリ、ということです。個人的には、知多四国の本がらみで弘法さんの御利益もあるし…(結局それか)。

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 でも、アップにするとやっぱりちょっと怖いぞ。蒲郡市では弘法山を「ラバーズヒル」なんつって売り出してるけど、カップルで夜景見に来て、振り向いたら闇の中にこの弘法さんがぬっと…。
(まさ)

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カンバンの手帖ブログ版0130

2010年03月30日
 昨日は真冬のように寒かったのに、今日は一転、実に春っぽかった西三河・碧海地方。ウチの近所にある名鉄三河線重原駅前の、八剣社参道の桜もだいぶ咲いてきました。

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 後ろに見える駅舎が木造だった頃はもっと雰囲気がよかったんですけどね~。
 この桜の木の下に、引っ越してきた6年前から気になっているカンバンがあります。

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 若者に密告を奨励するわが町。あと、駅名がなぜか「上重原駅」になってる。
(まさ)
西三河雑 | Comments(0) | Trackback(0)

カンバンの手帖ブログ版0129

2010年03月29日
 先週末、取材で妻籠に行った際、時間があったのでついでに大桑村にも行ってきた。中山道野尻宿、須原宿のあった村です。

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 野尻宿の町並み。これといった観光ポイントもなく地味な感じは否めないけど、気取りも飾りもなくて僕好みではあります。
 そんな町の中で見つけたブリキ製のカンバン。

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 おお~、たぢみ肛門科。しかし、おなじ中央本線沿線だからって、離れすぎてやしないか?
 そういえば以前、江南市の布袋でも同じ病院のカンバンを発見したことがあります(→●□)。尾北から木曽までとは、この病院、なかなか手広い。
 どこまで名声が轟いていたのか、一度カンバンの分布範囲をぢみちに、いや地道に調べてみたいものです。
(まさ)
北信越 | Comments(0) | Trackback(0)

茶所マニア

2010年03月28日
 ここ数日、なぜか画像がアップロードできなかったのと、ぎっくり首というものになってPC画面を見るのがつらかったので、更新できませんでした。ぎっくり首というのは、ぎっくり腰の首版。1月、嫁がぎっくり背中になったばかりで、いわば「ぎっくり夫婦」ですな。
 水曜日、R23岡崎バイパスでの渋滞中、伸びをしたら首から背中にかけて突然痛みが。あれ?あれあれ?と思いつつ、家に帰ってもずーっと痛いままで、首を左右に曲げられない状態に。嫁は、かなり長きにわたって痛みが取れなかった経験を踏まえて即、整体に行くべきただと主張します。といっても純粋な地元民でない我々はどこが評判いいのかわからないので、地元在住の会社員時代の先輩に尋ねてみると、そういう症状なら針灸がいいかも、とのアドバイス。で、翌日早速、教えてもらった安城の針灸医院へ行ってみました。
 ハリ治療は初めて。けっこう興味本位で、本当に効果があるかどうかよくわからないままハリを打たれてきました。打たれたその日から翌朝にかけては、初ハリの反動かなんか知らんけど頭がずきずきしてたまらなかったのだけど、次第に痛みも引き、今では背中に若干の張りを感じる程度にまで回復。いやー、ハリのおかげ…なのかな?たぶんハリのおかげでしょう。おかげで今日は、大須演芸場での柳亭市馬の落語会に行けました。
 しかしハリというのは、治療を受けていてなかなかに味わい深さを感じます。その針灸医院は待合室に畳と炬燵があるし、痛む箇所をゆっくり探るようにして、ここぞというところにポツポツとハリを打つのが、なんかこう、まったりムードっつうか。今度ぎっくり首かぎっくり背中になったら、またハリに行ってみようと思います。

 ってそんなことはどうでもよくて、少し書きかけてほかっといた、一身田の話の続き(それもどうでもいい話だけど)。タイトルは、名鉄の茶所駅が好きで好きでどうしようもない、という意味ではございません。
 このブログで過去2度ほど、寺の境内に設けられた休憩・接待所「茶所」について触れましたが(→●□●□)、さすが大寺院の高田本山専修寺、デカい茶所がありました。

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 小さい寺の本堂の倍はあろうかという建物。境内案内図や看板は「進納所/案内所」「無料休憩所」となっていますが、入口左に見える石製の「雨水桝(雨水を溜める巨大な入れ物)」には、しっかり「茶所」と刻まれています。こいつは享和元年(1801)製。
 中には参拝グッズ&土産販売所と無料のお茶飲み場、そして中央に専修寺の寺紋をあしらった大きな竈が。

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 鉄の釜は宝暦10年(1760)製。これまたかなりの年代もの。いやー、あるところにはあるもんだなと感心した次第。
 ていうか、知多四国の取材で「昔はお茶所があって、巡拝シーズンの春には一日中お茶を沸かしてお接待していたものだけど、今はさすがにやってないね~」という話をあちこちで聞いたので廃れゆくものなんだと思っていたけど、大きい寺では今もけっこう普通にあるようで、なにもいちいち驚くこともないんだな、と。なんじゃそりゃ。
(まさ)

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タウンサインの研究0023

2010年03月23日
 2週間ほどまえ三重方面へ遊びに行ってきまして、その途上、津市一身田にある専修寺というデカい寺に15年ぶりぐらいに参拝してきました。

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 山門デカっ。
 ここは浄土真宗高田派の総本山。僕の父の実家(旧久瀬村)が高田派で、父が小学校低学年の頃、両親に連れられて泊まりで参拝しに来たこともあるそうです。高田派といえば父の母の葬式の時、初めて高田派のお経を聞いたんだが、一本調子の早いビートで「帰ぃ!命ぉ!無ぅ!量ぉ!寿ぅ!如ぉ!来ぃ!」てな感じで読経していたのに驚いた覚えがある。

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 そんなことはどうでもよくて、専修寺の門前町が非常にシブい。仏具店が多くて、ミニ京都って感じ。三重なのに。そんな専修寺門前町・一身田のキャッチフレーズ&タウンサインが下。

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 おお、バリバリ伊勢弁。四日市出身の友人の話し言葉の語尾が「に」だった。
 そして左に見える街灯にあしらわれたマークが、一身田のタウンサイン。というかこれ、専修寺の寺紋じゃないか。

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 そんでもって町のキャラクターが、なんと仏!だけど本名は高田身一!
 いい!一身田、実にいいよ!
(まさ)

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カンバンの手帖ブログ版0128

2010年03月22日
 宝乗院での販売の帰り内海に行って、寺チェックをしたり銘菓「波まくら」を買ったりしてたんですが、その「波まくら」製造元の向いに、驚くべき名前のビジネスホテルがあります。その名も…

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 目立つところにあるのでいつも目に止まってしまうのだが、しかしこのネーミング、驚きを禁じ得ない。カンバンのイラストもこれまた…。
(まさ)

(2012.05.11追記)
「ビジネスホテルびっくり」はこの年のうちに取り壊され、現在はサークルKになっています。


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歩いて参って作って売る

2010年03月21日
 昨日、名鉄主催のイベント「歩いて巡拝(まいる)知多四国」が南知多町で開催され、それにあわせて歴遊舎が「知多四国巡礼」を出張販売したので、手伝いに行ってきました。
 歩いて巡拝(まいる)知多四国は、1年間で知多四国の札所を全て巡ることができるようにコースが設定されたハイキングイベントで、毎月1回、知多のどこかで開催されています(詳細は名鉄のHPで)。昨日のコースは、半島の先端を歩く番外浄土寺から29番正法寺まで。われわれは、コースの後半に位置する大井の32番宝乗院に販売ブースを設置させてもらいました。大井は5つの札所が半径50mに集まっており、お接待やわれわれ以外にも物販ブースが出ていたので、参拝者の平均滞留時間が長いのです。
 もっとも販売といっても、線香屋や接待に出てきた檀家の婆さん、仲のいい住職と喋ったり、合間にフラフラ写真撮ったり、僕は結構ゆるゆるでしたが。

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                                   ↑歴遊舎代表 I さん

 昨日の参加者はなんと3千人。9時半ごろ、早くも最初の参加者が大井に到達したのを皮切りに、2時ごろまで途切れることなく人がやって来る。その人波に向かって「知多四国の最新ガイドブック、販売してま~す」なんて声を掛けると、かなりの人が見本を見て行ってくれます。
 見本を熱心に読みふけっている年配の方がみえると、つかつか寄って行き「こんちわ~、作った本人で~す」。すると「え、お兄ちゃんが?まあ素適。若いのに感心ねえ。何かのご縁だし、一冊いただくわ」と言ってくださる方が何人かみえました。素適なのは僕がじゃなくて本がです。「荷物になるのにすいません」というと、「いやいや、これも功徳だ」という爺さんも。功徳か?

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 ピークは昼前後。納経所には普段ありえない長蛇の列が。

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 お接待のお茶とお菓子も飛ぶように捌ける。トレイに入っているのは「おへげ」といい、正月の鏡餅を薄く切ってせんべい状に揚げたもの。いわばリサイクル菓子。
 そんなわけで買っていただいた皆さん、ありがとうございました。
(まさ)

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カンバンの手帖ブログ版0127

2010年03月19日
 豊橋市新川町の廃商店に掲げられているカンバン。

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 関東煮、たこ焼き、氷、焼そば、お好み焼きまではわかるが、一番左の「風流」ってなんだ?メニューのラインナップが風流なのか、店名の「かなやま」にかかってくるのか。建物の構えは「渋い」けど「風流」とはちょい違う。
 あと三河遠州のHINOMISTに残念なお知らせ。豊橋市街地の真ん中に最後まで残ってた、八町通4丁目の火の見櫓(→●□)が撤去されてました。

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 う~ん。さいきん牟呂方面に行ってないが、あっちのHINOMIは大丈夫だろうか。
(まさ)

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大浜旧名所、杉治醸造蔵群その後0003

2010年03月18日
 先日、久しぶりに碧南駅方面へ行ったついでに、駅の南に08年まであった味噌・醤油の蔵元「杉治」の跡地がどうなったか見に行きました。「カネニみそ」(→●□)の名で、西三河ではおなじみ(たぶん)。

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 よりによって東濃のバローとは…。地元資本はなにをしてるんだ。
 この蔵元の変遷は、過去の記事をご参照ください。
2008.06.03→●□
2008.07.18→●□
2009.03.28→●□

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いやさかマウンテン

2010年03月17日
 唐突ですが新刊のお知らせ。名古屋の歴遊舎から「2010年版地図ガイド 知多四国巡礼」という本が発売中です。知多四国のガイド本です

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 昨年、樹林舎の「知多巡礼紀行」(→●□)の制作に執筆・撮影・地図ディレクションとして関わりましたが、今回の本は樹林舎本をベースに、版元を変え、ハンディタイプの廉価版として発売されるものです。
 本書は「知多巡礼紀行」のダイジェスト版ではなく、内容的にリミックス版といったところでしょうか。「知多巡礼紀行」は定価9500円、事典に近い重量で、内容も専門性の高いページが多かったのですが、本書「知多四国巡礼」は入門書的な編集をしており、巡拝に持ち運べるような体裁、値段も1500円とお求め安い価格になっております。コラムの大半は書き下ろしです。
 書店や札所寺院で見かけたらぜひお買い求めください。

 さて、「知多四国巡礼」も前作同様、「弘法道」と呼ばれる昔の徒歩巡拝ルートを大きくフィーチャーしています(弘法道についてはこちらをご覧ください→●□●□)。
 実は今回の本では、一区間だけルートを書き換えています。というのは、本書のために半島を再チェックしていた1月上旬、新しい道標を発見してしまったから。

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 電柱をぶった切ったようなこの道標が建っている場所は、乙川西ノ宮交差点から西へ約400メートル、阿久比町横松と半田市乙川の境界近く。この一本によって、確証が持てなかった16番平泉寺(阿久比)から番外海蔵寺&18番光照寺(乙川)への道筋が確定できました…って、あまりにマニアックな話なんで、これ以上書くのはやめておきます。詳しく知りたいという奇特な方がいらっしゃったら、コメントでもください。

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 でもって新発見の道標を典拠に、乙川源内林町にへろへろ伸びるこの坂道が、新たに「弘法道」として認定されました。写真の右に転がっているのは道標ではなく「文部省」の刻印がある標柱。なんでこんなもんが?と思って登ってゆくと…

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 山の上に広がっていたのは乙川白山公園。こんな場所にこんな公園があるとは全然知らなかった。知多のローカルマガジンによると、桜の名所として地元ではソコソコ有名らしい。といっても、半田の一部の人しか行かないでしょうが。
 案内板によると、明治23年に半田で第一回陸海軍大演習が行なわれ、この山から明治天皇が演習を統覧したそうな。そして昭和9年には文部省が史跡に指定。つまり文部省の標柱は史跡の境界標で、すなわちここは聖跡だったのです。
 驚いたのは、写真左に見える五角柱の記念碑。昭和5年に建立されたもの。台座の部分にどーんと菊の御紋章が五つも!

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 そして柱にはキャッチフレーズ的な文章が。何かと思って調べたら、なんと五箇条の御誓文!

広く会議を興し万機公論に決すべし
上下心を一にして盛に経綸を行なうべし
智識を世界に求め大に皇基を振基すべし
宣武一途庶民に至る迄各其志を遂げ人心をして倦まさらしめんことを要す
旧来の陋智を破り天地の公道に基くべし


 さらに台座には勾玉で囲まれたナゾの文言も!

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 まさしくTHE 聖跡。普通の記念碑とは一味違う、ものすごいインパクト。しかしまあ、よく取り壊されず残っていたものです。

 えーと、何の話だったっけ?あ、歴遊舎刊「2010年版地図ガイド 知多四国巡礼」(1500円)、よろしくお願いします。
(まさ)
知多雑 | Comments(3) | Trackback(0)

THE トレイルランナー

2010年03月14日
 本日はお日柄もよく、新城市(旧鳳来町)の「愛知県民の森」をベースに行なわれた「OSJ新城トレイルレース」を嫁が体験取材してきました。アウトドアライターではないんですけど。
 トレイルレース(トレイルランニング)とは、山をマラソンのように駆け登り&駆け下りる競技です。山なんてただでさえしんどいのに、なぜわざわざ走って登り下りしなきゃならないのか、素人にはまずそこが疑問なんですが、愛好者は年々増加しているらしく、なんと1200人もの参加者が県民の森に集結。コースは11kmと32kmで、嫁は11kmに参加しました。

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 スタート直後、軽快に走る女性取材記者(今日はいちおう仕事)。
 先週、嫁がカメラマンYさんと事前に下見に行き、帰ってから「これはヤバイ」と青ざめるほど、キツイコースらしい(ランナーもきついがカメラマンはもっときつかろう。Yさんご苦労様でした)。なので、間違いなく途中棄権もしくはタイムアウトだろうと思っていたのだが、2時間50分後、無事ゴールに戻ってきました。

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 駅伝とかマラソンのゴールでよく見るように、倒れこんだところをバスタオル持って抱きとめる…なんてシーンを想像していたんだけど、案外ケロっとした顔で帰ってきて、やや拍子抜け。いやホント、途中で倒れたりしてないかとマジで心配したんだけど。ちなみに11kmの部の優勝者の記録はなんと1時間3分。凄すぎる。
 しんどいながらもけっこう楽しかったようなので、彼女は来年も参加するかもしれません。えっ、僕!?うーん…。
(まさ)
東三河雑 | Comments(2) | Trackback(0)

玉ガッキー0002

2010年03月13日
 もう一発、「そう」26号連動で玉垣の話題を。このネタ、読者の食いつきが悪い手ごたえありますが…。
 温泉地として知られる吉良町宮崎にある幡頭(はず)神社。そんなにメジャーな神社ではないと思いますが、本殿が国重文に指定されています。

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 ここの境内で、大正元年に建立された石碑を発見。

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 「玉垣紀念碑」とはストレートな。要は玉垣を作った記念碑です。

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 裏面を見ると「割石寄付者」として、寺部・上畑・小見行・桑畑・洲崎の「石工中」と刻まれています。これらは隣町の幡豆町の集落名。そして幡豆町は石の産地。「幡豆石」という堅い石が今も三ヶ根山麓で採掘されており(→●□)、ラグーナやセントレアなどの埋め立てに使われています。今は大きな業者だけですが、この記念碑から、昔は各集落に多くの石工がいたということがわかります。

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 このネタなら原稿が作れそうだわいと、一瞬「ツモ!」って言いそうになったんだけど、肝心の玉垣は最近改修されたらしく、新しいものになってました。う~ん、流局~。

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 参道から見た三河湾。さすらいの玉垣旅はまだ続く…って、もうこれ以上書くことないんですけどね。
(まさ) 
西三河雑 | Comments(0) | Trackback(0)

玉ガッキー

2010年03月12日
 引き続き「そう」26号連動ネタ。
 今回は地名、小学校のほかに「玉垣」についても書いております。神社の周囲を囲う、アレです。アイテムとしてはかなり地味な部類。このテーマを受け持った時は、まあなんとでもなるだろう、と思っていたんですが、甘かった。これまでの「そう」で、屈指の難しい原稿作りになってしまった。

 玉垣にはよく寄進者の名前が刻まれています。2、3社回れば、地域性が読み取れる寄進者の名前がいくつか見つかるはず、そこから「石造物観察の楽しみ」的な感じで文章が作れるだろう、という読みでした。ところが、西三河、東三河平野部の主だった神社はだいたい行ったのだけれど、一向にネタになりそうな玉垣が見つからない!
 まず、玉垣に寄進者名が刻まれていない例が意外と多い。たとえば砥鹿神社や菟足神社、伊賀八幡宮。格が高すぎて逆にないのだろうか?
 それから、近年改築されたものもけっこうあります。寄進者の名前があっても、現在も生きてる人ばかりではこれまた取り上げにくい。そもそも名前の刻まれた玉垣は文化遺産でもあるんだから(郷土資料になりうるので)、安易に取り替えるのもどうかと思うが。
 そして、古い玉垣で名前があっても、名前だけではいかんともしがたい…ということに、玉垣チェックを始めてから気付きました。名前の羅列から読み取れるのは、この地域にはどんな苗字が多いか、ということぐらい。もっと早く気付けよという感じだが。

 さんざん探した挙句、ようやく蒲郡の大宮神社で、名前だけでなく会社や屋号が刻まれた玉垣群を発見したので、なんとか原稿が作れたのですが、これがなければどうなっていたことやら…。
 大宮神社の何を書いたかは、「そう」26号を購入して読んでください。

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 本誌にはまったく触れていませんが、数少ない「面白い玉垣」のあった神社のひとつ、吉良町荻原の羽利神社。場所は吉良町図書館の裏あたり。数年前に廃止になった名鉄西尾線三河荻原駅跡(→●□)のすぐ西で、境内裏には荻原の火の見櫓(→●□)があります。
 境内のど真ん中にクスノキの巨木が聳えてて、なかなかいい雰囲気の神社です。通りに面した大正15年製の玉垣に刻まれた文字がなかなかマニアック。

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 右上に「玉垣拾三本」の文字が。この磯村ゆみさんという方、13本の玉垣を寄贈したらしい。こまかいというか、なんか中途半端だ。
 うーん、どうでもいい。
(まさ)
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道路元標の迷宮0002

2010年03月10日
 昨日に引き続き「そう」26号連動ネタ。地名とともに毎回担当している「わが町の小学校」コーナーでは、東栄町にある東部小学校を取り上げました。

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 ここも残念ながら、今月いっぱいで廃校になってしまいます。これで、平成に入ってから順次行なわれてきた奥三河の小学校の統廃合はだいたい終了。廃校後は、NPОか何かが山村交流施設として利用するとか。
 東部小学校のある地域は、昭和の大合併以前は「北設楽郡下川村」といいました。東部小学校ももとは下川小学校という校名だったのですが、平成2年に東薗目小学校と統合され、現校名に改称しています。ちなみに東薗目小の廃校舎は、プロ和太鼓チーム「志多ら」が活動拠点にしています。
 で、ネタは学校と何の関係もないんですが、山の中腹にある小学校への登り口の国道473号沿いに、下川村道路元標を発見しました。

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 道路元標については、2009.12.17の記事(→●□)を参照してください。
 僕もかなりの数の道路元標を見て来ましたが、こんなに風化して文字が読みづらくなっているものは初めて。だいたいどこも御影石製だと思うのだが、ここでは地元に転がっている石でも使ったのだろうか?
 そういえば東部小学校の取材では、東三河の地質研究の第一人者であるY先生(もと鳳来寺自然科学博物館館長で、鉱物ガイドも出版しておられる方)にお世話になったんだった。今度、道路元標の材質を聞いてみよう。
(まさ)
東三河雑 | Comments(0) | Trackback(0)

アラタマシズタマ

2010年03月09日
 春夏秋冬叢書が年4回刊行する三河遠州の地域雑誌、「そう」26号が発売になっております。今回のテーマは「玉」。毎回担当している地名探訪のページで取り上げたのは、遠州の麁玉&鎮玉です。
 麁玉(あらたま)は旧浜北市の北部(大雑把にいうと天浜線宮口駅の周辺)、鎮玉(しずたま)は旧引佐町の北部に位置する地区名で、昭和の大合併まで存在した自治体名でもありました。
 麁玉は、万葉集の句に詠まれていたり、麁玉小学校があったり、浜松市の政令指定都市化にあたり区名候補にもなったりしたので、地元では割と名が知られていると思います。いっぽう、鎮玉はかなり難易度が高い。昔、村域を国鉄バス遠三線(宮口-三河大野)が縦断してて…って、マニアックすぎてますますどこだか分からない。
 いずれにせよ、両者とも字面と語感が超グッド!続けて呼んだらまるで呪文みたい(まるかどめるかど、的な…)。いつか出したいと思っており、念願かなって嬉しいっす。
 ここでは本誌で出せなかったマイナーなネタを。

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 旧鎮玉村役場(遠鉄おそ渕バス停前)には、門柱が残っております。役場が置かれたのは村域の中心に位置する別所集落ですが、村で最大の人口密集地は、役場から4キロほど北へ上った渋川という集落です。渋川はほんとに雰囲気が良くて、遠州で最も好きな集落のひとつです。

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 引佐の山の中に忽然と現れる小盆地、そこが渋川。村の中心にはのどかな田んぼが広がっていますが

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山裾の道沿いには小規模ながらもシブい町並みが。かつては、鳳来寺山と秋葉山を結ぶ街道の宿場町でした。
 このシブい町には、きわめてシブい建造物がいくつも残っております。

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 一つめ、六所神社参道のレンガ製アーチ。日露戦争の戦勝を記念して明治39年に建造された「凱旋記念門」です。神社の入口ですが鳥居ではないので念のため。久しぶりに行ったら、いつの間にか登録文化財になってた。

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 二つめ、渋川郵便局の旧々局舎。先代の局舎は取り壊されてしまい、なぜか木造の先々代が残りました。別に保存しているわけではないでしょうが。鬼瓦はもちろん〒マーク。入口扉の摺硝子に「渋川郵便局」の文字も見え、郵便史学的に超貴重な建造物。こっちも登録文化財にしてほしい。

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 三つめになると少々あやしいですが…渋川文化書店。初めて渋川に行ったのはもう18年も前ですが、見つけた時の衝撃はものすごいものだった。「こんなところに書店が!?鳳来町にもないのに!?」って。いやホント、渋川にあってなぜ三河大野に書店がないんだ。もっとも、書店というより学校前の文房具屋みたいなもんですが。渋川小学校は今月末で廃校になってしまうので、その後どうするのだろうか。
 これでHINOMIがあれば完璧なのだが、残念ながら旧引佐町には一般的な形状の火の見櫓はありません。

 ああ、こういうところのガイドブックを作ってみたい。
(まさ)

◎麁玉・鎮玉に関連する記事
2007.10.10(麁玉村灰木)→●□
2007.10.10(麁玉村堀谷)→●□
2007.10.11(鎮玉村久留女木)→●□
2007.11.14(麁玉村大平)→●□
2007.11.29(麁玉村宮口)→●□
遠州雑 | Comments(4) | Trackback(0)

恋のアーケード0005

2010年03月08日
 アーケードといえば、先週浜松に取材に行った際、空いた時間に浜松駅南口にある「砂山銀座」のアーケードを少し歩いてみました。遠州はアーケードが発達しなかった地域なのか、道路全面を覆うタイプのアーケード街は確か現在ここだけです(他にもあったらすいません)。

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 いつ以来か忘れるくらい久しぶり。昔から気になっていたのだが、なぜここの愛称が「サザンクロス」なのか?

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 長さと道幅は豊橋の「ときわアーケード」とだいたい同じくらい。市街中心部からチョイ外れていることもあって下町チックなのは、同じく豊橋の「花園商店街」っぽいか?定期的に朝市を開催するなど活性策は打っているようです。
 アーケードはここだけかと思ったら、抜けたところにもう一本、飲み屋街のアーケードがあることに初めて気が付いた。

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 「サッポロ街」って、浜松に札幌とは…。昔はラーメン屋街だったのか?そういえば浜松はラーメン屋がやけに多い印象があります(ていうか餃子屋か)。遠鉄新浜松駅北の高架下には「浜松べんがら横丁」というラーメン屋街もあるし。
 砂山銀座、サッポロ街ともに取材も資料調査もしたことないので、こんな程度ですが…。
(まさ)

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(2012.06.16追記)
 図書館でいろいろ資料を調べたところ、このアーケードは昭和43年に完成。昭和62年の広報の紹介記事に「サザンクロス」の名が見えるので、それ以前から使われているようです。愛称の由来は「砂山」の音読み。駅南とのダブルミーニングだそうで…。
遠州雑 | Comments(0) | Trackback(0)

恋のアーケード0004

2010年03月07日
 2/27の記事(→●□)で「岡山県玉野市のJR宇野駅前に行ったらアーケードがなくなってた」ということを書きましたが、ただいま実家にて昔の資料を漁ったら、現役当時の「宇野港銀座」アーケードの写真が出てきました。
 この商店街、どうやら東西の通りと南北の通り2本のアーケードがあった模様。写真見るまですっかり忘れていました。

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(2000.02.29撮影。以下同じ)

 駅に一番近い入口。

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 2/27の一番上の写真と同位置。

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 国道30号築港交差点口。「宇」の字が脱落している。父の小さいデジカメでプリント写真をテキトーに接写したので、若干ボケております。

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 アーケードの中にはこんな渋い酒屋(横畠商店)もあったらしい。日除けの下(アーケードがあるのに!)にずらり描かれた酒や調味料のカンバンが凄すぎる、が、全然覚えてない…。今だったらとりあえず全部撮っておくのに。この頃はデジカメ導入前で、現像代がかかるからなんでもかんでも撮るわけにはいかなかったのです。
 まあ、あと50年もたてばこういう写真にも価値が出てくるでしょう。その頃には「目で見る岡山・玉野の150年」なんて中途半端なタイトルの本が出ていたりして…。
(まさ)
西日本 | Comments(0) | Trackback(0)

カンバンの手帖ブログ版0126

2010年03月06日
 一ヶ月前、岐阜県内のみで配布されている無料中古車情報誌「ジャウス」の取材で、関市にある関牛乳の取材に行ってきました。販売エリアはほぼ地元のみの牛乳屋さんです。牛乳というと普通は「120℃2秒殺菌」が普通ですが、こちらでは昔から「65℃30分殺菌」がウリ。飲ませてもらったら、味の違いが歴然で驚きでした。
 その関牛乳の街灯用カンバンがこちら。

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 乳の一部がさりげなく集乳缶に!(牛乳瓶か?)なんかかわいい。最近見たローカル企業ロゴでは出色のデザインです。

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 左は配達トラック。キャラクターはファンシー系です。右は「武芸川温泉ゆとりの湯」に設置されている冷蔵庫。あまり日帰り温泉の牛乳冷蔵庫に注目したことはなかったけれど、ローカル製品マニアとしてはチェックが必要なアイテムかもしれません(明治など大手メーカーが多いような気もするが…)。
 牛乳パックや牛乳壜は最近デザインをリニューアルして、シックな趣になっています。デザインは地元出身のデザイナーさんとのこと。

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 そんなわけで、岐阜県内で「ジャウス」を見かけたら一度ご覧ください。サークルKや三洋堂書店のエントランスあたりが入手しやすいと思います。
 どうでもいいけど、関牛乳にならってこのブログのテンプレートもいいかげんリニューアルしたい。でも、FC2の管理ページの中にコレといったのがない~。
(まさ)
中濃・東濃雑 | Comments(0) | Trackback(0)

カンバンの手帖ブログ版0125

2010年03月05日
 その大府サニーセンターの近くで発見した、電電公社のレアな注意書きホーローカンバン。黄色の縁取りとロゴの水色、そして書体がライトでポップです。

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 一番下の但し書き「ピンク電話からは鍵を使用して下さい」って、いったいどんな仕組みだったんだろう。
(まさ)
知多雑 | Comments(0) | Trackback(0)

カンバンの手帖ブログ版0124

2010年03月04日
 先の「銀座センター」のコメントにあった「大府センター」、正式名称は「大府サニーセンター」といいます。今日、空いた時間にちょっと見に行ってみたら(ウチから大府市街まで15分ほど)、建物は健在でした。

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 もともとは、名古屋のあちこちにある「××市場」と同じく個人経営の小さい店が入居した、いわゆるマーケットだったのでしょう。今は商店ではなく「ヤスイダンス教室」「大府囲碁クラブ」の看板が出ています。側面には現役の飲み屋が三軒。3年前まで知立駅前にあった「麗人街」(→●□)のような風情。

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 今でこそ大府の裏通りみたいな場所ですが、もとはセンター前の道路が豊明と東海市を結ぶ幹線道路(国道155号の前身)。昭和41年に現在の跨線橋が完成→この手前にあった踏切が廃止→メインストリートから転落、という経緯を辿った模様。なお、写真の奥に見える交差点の角に大府町道路元標が建っています。
 そんでもって、市内半月町(元気の郷の北西)の知多四国6番常福寺の門前に、こんなカンバンが。

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 隣に西部警察…じゃなくて大府警察があったらしい。
(まさ) 
知多雑 | Comments(0) | Trackback(0)

THE 馬0002

2010年03月02日
 その銀座センター跡地あたりから路地を北へ少しはいったところに、何かいわくがありそうな「萬吉稲荷」という小さな社があり、

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その境内にレアな遊具が!

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作った人に会ってみたくなる逸品です。ていうか、この模様の真意を聞きたい。
(まさ)
西三河雑 | Comments(0) | Trackback(0)

さらば銀座センター

2010年03月01日
 嫁が「刈谷の銀座通りに空地ができているけど、何があったかしら?」というので見に行ったら、松秀寺の隣にぽっかり空間が出現していた。「銀座通り」といってもこの通りは、知立-刈谷-東浦を結ぶ県道の裏通りのことです。

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 以前ここには、こんな建物がありました。

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(2006.05.28撮影)
 
 昭和35年に建築された「銀座センター」です。
 この場所にはもともと刈谷町役場→刈谷市役所があったのですが、昭和29年に東陽町の現在地に移転。空いた場所に昭和35年、5階建ての「銀座センター」が建てられました。「刈谷市史」によると、このビルは当時市内で最高層。一階は商店街、上部は市営住宅になっていました。晩年はどうなっていたのかじっくり見てないけど(なかなか入りづらい雰囲気で…)、一階のテナントに「インターナショナルフードショップ」なる店が入っていました。
 県道開通以前は、この銀座通りが刈谷のメインストリート。このあたりまでアーケードもあり、そりゃあ賑わったものです…って、岐阜生まれの僕が刈谷のそんな時代を知る由もなく、伝聞ですが。なお、昔の市役所や銀座通りがどんな様子だったか知りたい方は、図書館で「西三河今昔写真集」(樹林舎刊・わたくし編集)をご覧下さい。
 当の刈谷市役所も、開庁から55年を経てついに建て替えに。

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 以前の役所はレトロの域に達しつつありましたが、惜しくも?取り壊し。

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(2006.04.18撮影)

 しかし刈谷市も、税収多いのによく55年もこの建物を使い切ったもんです。一種のエコ?三階奥の薄暗くゴチャゴチャした倉庫で、市広報撮影の古いネガを取材のため漁らせてもらったのが懐かしい。

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 パブリック系建築でよく使用される「残しておきたい日本の書体」も壁に取り付けられていたんだけど。知り合いの郷土史家の先生に、郷土館に保存してもらうよう頼んでおけばよかったなあ。
(まさ)
西三河雑 | Comments(5) | Trackback(0)
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