THE 先端

2010年02月28日
 昨日自転車で、刈谷・東浦をうろうろ。考えてみると、三河と尾張の2国またぎ。なんか凄いことですね(そうか?)。
 その途上、衣浦湾最奥部の逢妻川・境川・五ヶ村川3河川の合流点へも行ってみました。イオン東浦の南東に架かる「平成大橋」の中ほどから、いわゆる「背割堤」が川の中に伸びており、前から走ってみたいなあと思っていたのだ。車でも行けそうだが、先端からずーっとバックで戻ってくるのはイヤだし、あんな先まで歩いていくのもイヤだし、自転車で行くのがベターです。

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 こうして撮影すると平成大橋から突端まで近くに見えますが、実際は800mもあります。
 少し走っただけでなんか寂寥感が募ってくる、妙な雰囲気。羽島や海津あたりの人里離れた河岸で味わうのと同じ感覚。ただ、木曽三川は雄大だけど、こちらは堤防の下に日本海沿岸のごとくペットボトルが大量に打ち上げられていますが。

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 そして堤防の先っぽへ。
 その昔、刈谷には「市原港」という資材の積出港があり、その名残で今も「港町」という地名があります。平成大橋より上流だとピンとこないけど、ここまで来ててみると「港」や「湾」って感じるなあ。
 なお、カテゴリは「西三河雑」にしてますが、この堤防は東浦町で、刈谷市と東浦町の境はこの東にあるもう一本の堤防になります。
(まさ)
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カンバンの手帖ブログ版0123

2010年02月27日
 宇野駅から電車に乗る前に、久しぶりに駅前界隈をひと歩き。なにか違和感あるな、と思ってよく考えたら、駅前の銀座通りにあったはずのアーケードが撤去されていた。

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 う~ん、アーケードがあると薄暗いし、ないと何だか寂れ感が強くなる気もするし。思えば宇野に初めて来たのは宇高連絡船が廃止される直前の1987年。広い構内と連絡船乗り継ぎ通路のある独特の雰囲気の宇野駅で下り、アーケードの中を歩いて「玉野宇野郵便局」という釈然としない名前の局に行ったのだった(玉野市は玉と宇野の合成地名)。当時の雰囲気は漠然としか覚えていないけど、今より活気があったのは間違いない。
 そんな宇野港銀座に、こんな郷土意識発揚系のカンバンが。

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 おお~、玉野市出身の天才マンガ家いしいひさいちの「ののちゃん」が!岡山に多い姓のキャラクター、三宅サンとフジワラ先生がいませんが。
 いしいひさいちは、どっちかというと地元岡山と岡山人を茶化すようなマンガが多いので、こうした形で地域振興に(?)協力しているとは、ちょっと意外な気も…。「日本のユダヤ人ともいわれる、ひねくれ者の岡山県人」なんてフレーズをマンガの中で使っているし。宇野の商店街の今のこの雰囲気は、いしいひさいちがまたネタにしそうだ。

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 ところで宇野といえば、今も本四および離島連絡船の一大ターミナルとなっていますが、10日ほど前のweb版四国新聞の記事によると、四国フェリーと国道フェリーの2社とも3/26限りで廃止されるとのこと。高速道路が安くなるのは嬉しいけど、船関係に影響が出て宇野がますます寂しくなるのは残念なことです。最後の砦はやっぱり玉野競輪。
(まさ)
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THE ガッツ

2010年02月26日
 備前焼を買ったら、あとは玉野に向かって一直線。しかし「競輪は別にいい」と言っている嫁をどうするか?いろいろ考えを巡らした結果「一人で児島までドライブしておいで」ということになりました。児島といえば競艇場…って、ウチもそこまで愚かな夫婦ではない。
 児島といえばジーンズの町。今嫁がはいている「KAPITAL」(大須で買った)や「桃太郎ジーンズ」などのジーパンメーカーが、児島には集まっているのです。途中のローソンでガイドブックを立ち読みして店舗情報をチェック。「どう、ここ、面白そうな町じゃない?」「うん、そうだね。行ってくる!」ここらへんは実に柔軟な嫁で、大変ありがたいです。ていうか、横に嫁がいたんじゃ落ち着いて勝負できねえ。
 そんなわけで、やって来ました玉野競輪場。輪史に残る名キャラ「ガッツ玉ちゃん」がお出迎え。

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 ここは10年ぶりです。かつてK出版社に勤務していたとき「目で見る高松・東讃の100年」という本を作ったのですが、出張取材に際して何回か、宇野港から船で香川県直島に渡りました。で、船に乗る前に、玉野競輪に立ち寄ったのでした。その時はヒラ開催で閑散としていましたが、今日はビッグレースの東西王座決勝戦、さすがに客がぎっしりです。
 到着したのは9レースの最中。4車揃った中部ラインが崩壊するという間抜けなレースで、締め切り前に着いてなくてよかった。

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 9レース後、倉敷古式消防組保存会によるアトラクションが。まさかこんなところまで来て階梯操法が拝めるとは思わなかった。いい芸です。もっとも客の8割はオッズを見るのに夢中で、これを見てる人は少なかったのだが…。

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 いらんお世話だ。
 で私の成績ですが、10・11Rと買って、近年ありえなかった連続的中。×万円もうかった。はっはっは。

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 終了後、嫁が玉野まで迎えに来てくれるかと思ったら、児島のジーンズ屋で思いのほか粘っているらしく、仕方ないので宇野線→備讃線と乗り継いで、児島へ。浮いた金で郷土本を4冊と、2人分の「桃太郎ジーンズ」を購入しました。あー、来てよかった。
(まさ)
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備前市名所三連発

2010年02月25日
 前回「続く」なんぞと書きましたが、別に何もドラマチックな展開があったわけでなく、「やっぱ、行っとく?」てなノリで、家に帰らずそのまま名神を西へ走らせて、岡山へ遠征してしまっただけです。フットワークの軽さが身上の我々ですんで。ていうか、行き当たりばったりにもほどがある。
 行き先はやっぱり、東西王座戦が絶賛開催中の玉野競輪。とはいえ、一日じゅう競輪場に滞在するなどという「嫁への挑戦」はいたしません。
 とりあえずその日は山陽道竜野西インターまで走り、携帯から「じゃらんネット」を通じて取った相生駅前のビジネスホテル泊(この先岡山市内まで当日予約で安く泊まれる宿がなかった)。翌朝、フロントに置いてあったチラシを見たら、備前市の伊里という町で「真魚市かき祭り」が開催中!ってんで、まずはそこへ。
 相生からJR赤穂線沿いにタラタラ走り1時間、やって来ました伊里漁港。

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 いや~、瀬戸内海は無条件にアガりますなあ。しかし漁港は、漁村風情にではなくカキをはじめとする魚介類を求めるでアガりまくり。

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 水揚げされたばかりのチョー新鮮なカキが袋に詰めたい放題というんで、地元の人たちが詰めまくっております。会場内には「勝手に焼いて食えコーナー」(U字溝と網と炭が無料で使える)があり、地元の人たちが買ったばかりのカキを焼いて食いまくっておりました。「地元の人たち」と書きましたが、ほとんど岡山ナンバーばっかりだったので。
 旅の途中の我々がここでカキを買いまくってもしょうがないので、ファーストフードを食いまくり。

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 カキ入りミートソーススパゲティを購入する女性取材記者(ただの朝食)。
 このほか「カキオコ(カキ入りお好み焼き)」「ちんめいだこまん(肉まん生地に名産のチンメイ蛸入り)」「備前バーガー」等々、B級グルメブームに乗っかった食い物がずらり。うまかった。「食べすぎたから昼ごはんはナシね」「えっ!?」
 腹を満たして次に向かったのは、備前市北部の山あいにある国指定特別史跡、閑谷学校。「世界最古の庶民向け学校」ということで、学校建築マニアの僕は以前から一度行ってみたかったのです。

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 予想以上に人里離れた山の中に広々とした空間があり、そこに、目にも鮮やかな備前焼の瓦を載せた寺の本堂のような校舎がデン。このロケーションにこの建物!こりゃ驚いた。
 また天気もいいもんですから、軒先で思わず寝たくなってしまいます。

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 受付で貸し出しいていた案内テープの入ったラジカセ(イヤホン式ならよくあるけどラジカセそのものを持ち歩けとは!)を手に散策する女性取材記者。尻ポケットにはなぜか割り箸が…。このまま見学を終えるまで気付かない。

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 そして備前市観光の締めは、備前焼の里、伊部。ここも前から来たかった場所です。某編プロにいた何年か前にやきもの関係の書籍制作に関わったのだが、予算の関係で遠隔地への取材が許されず、資料で原稿を書かされるハメになった思い出の地。思い出というか、その時のモヤモヤを解消するための訪問です。
 2時間ほどじっくり歩き、窯元の店をいくつも見て回り、3000円のビアマグと2000円のぐい呑みを購入。おかげでモヤモヤは解消されました。

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 「陶製の狛犬がある」と書いた覚えのある天神社にも参拝。おお、本当に陶製だ。でも、陶製の狛犬なら三河高浜や瑞浪にあるヤツのほうがデカイから、そんなに驚かない。鳥居の向こうは、ストレッチをしながら参拝する女性取材記者。
 あとオマケ、閑谷学校に向かう途中ののどかな集落には、例によってHINOMIが!

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 走っていて気付いたのだが、岡山県南東部は火の見櫓が異様に多いようです。
 岡山の話題、続く。
(まさ)
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近江東部シブい町並みなんとなく三連発

2010年02月23日
 土日は完全オフ。ちょうど二人とも仕事の谷間だしどこかに行こう、という話に金曜日の夜急になりました。

まさ 「雪が見たいなあ。奥飛騨の温泉宿に一泊二日ってのはどう?」
まり 「なんで前もっていい宿を探して予約しておかないのよ!じゃあ、比叡山はどう?」
まさ 「このあいだ大徳寺に行ったばっかじゃん!じゃあ、岡山はどう?玉野競輪で東西王座やってるし」
まり 「なんでそんな遠くまで競輪しに行かなきゃならないのよ!じゃあ、知恩院はどう?浄土宗の御忌会(法然の命日)の日だからいいお経が聞けるかもしれないよ」
まさ 「だからなんで寺しか出てこないんだ!」

 などという間抜けな議論をするも結論が出ず金曜の晩は就寝。翌朝も行き先が決まらず、うだうだいいながら9時すぎに出発。とりあえず東海地方からは脱出しなきゃ、ということで豊明インターから伊勢湾岸道に乗り、なんとなく新名神に入り、このまま行ったら本当に比叡山か知恩院になりかねないので、なんとなく甲賀土山インターで下りてみました。単に土山には行ったことがなかったので。

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 土山は旧東海道の宿場町。本陣近くの「東海道伝馬館」に車を停め、町外れの田村神社まで往復。よくある田舎の宿場町かと思っていたら意外と規模が大きく、雰囲気もなかなかいいです。道の駅で無料のお茶を飲み(茶産地なのでうまい)、社格がけっこう高い田村神社に参拝し、国鉄バスの旧近江土山駅をチェックして、予想外に楽しい散策に。
 なお、「いつもNAVI」というサイトで計測したところ、歩行距離は4キロ。

 昼を過ぎ、車に乗り込んでさてどうする。信楽が一瞬頭をよぎりましたが、なんとなくそのまま東海道を西へ進み、なんとなく次の宿場の水口へ辿り着いたのでまた歩くことに。

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 水口は13年ぶりですが、宿場町を歩くのは初めて。宿場町というより田舎の商店街の雰囲気が強い感じ。中心部に「笑四季」「酔小町」と二つも酒蔵があるのも高ポイント。しかし、町の東外れで見つけた「DINING CAFE TAKUMIYA」という町家を改造したイイ感じの店で一休みしようと思ったら、いつの間にか2時をとっくに過ぎてて閉店。う~ん、休み損ねた。
 歩行距離は3キロ。なお、昼食は家から持っていったおにぎりです。

 この流れだと東海道を西進して石部宿か草津宿というところだけど、最後はなんとなくベタなところで締めたかったので、北西に上がって近江八幡へ行くことにしました。

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 ここも水口と同じく13年ぶり。前回はマイナーロープウェイに乗っただけだったので、町をまともに歩くの初めて。日牟礼八幡宮の前に車を停めて参拝のち、暮れなずむ町をぐるぐる散策。観光地っぽさと生活臭が渾然一体となって、実にいい感じ。
 滋賀県は近江八幡をはじめ長浜や彦根など、割と成功している町並み系観光地が多い印象です。関西人観光客のシビアな目線に耐えうる作り方をしているというか。そこらへんのビジョンや戦略が、東海地方の同系観光地とはちょっと違う気がする。
 歩行距離は2キロ。さすがに疲れたので「尾賀商店/カフェ五三九」というアート好き女子の心をグッと鷲掴みするような店で30分くらい休み、神社門前の「クラブハリエ」というバームクーヘンが有名な店でブリオッシュを購入し、町外れにある「中村屋」という地元民に人気がありそうな焼肉屋で晩飯を食べて、オシマイ。今回はなんとなく、寄った店名を全て出してみました。
 これで終わりかと思いきや、実はまだ旅は続く。以下、次回。
(まさ)
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タウンアーチの先へ0010

2010年02月22日
 安城のタウンアーチといえば、桜井よりも安城駅北口にあるこれの方が僕好み。

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 北明治商店街のアーチです。なんともいえないこのフォルム、この書体、このカラーリング。主張があるようなないような、安城的な微妙さが漂う佇まいです。僕がこのアーチの存在を認識したのは20年くらい前だが、その頃からアーチも北口界隈の雰囲気も何も変わっておりません。

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 アーチの先を右に曲がったところ。この先の南北の通りを核に商店が点在していますが、一般にイメージされる商店街のような風情ではなく、町歩きして面白いかというと、まあ微妙。
 古くは安城駅界隈は「明治新田」と呼ばれ、明治22年の安城駅開業を期に初めて中心部が形成されました。「北明治」の発生がいつかは知りませんが、線路より北側一帯の通称名として自然に定着したのでしょう。「安城北明治郵便局」もあります。

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 ところが、町名は「明治本町」(と昭和町)になっているからややこしい。この地名は昭和31年の町名整理に際して誕生。「明治新田」の中心農家でもいたからこういう町名を採用したのか?
 この前年、碧海郡明治村が解体され、その6割方が安城町と合併して安城市になっていますが、「明治村」という自治体名が消えたのを幸いに、「北」を外して「本町」を付けちゃえ、ってな地元有力者の思惑が見え隠れしているぞ。
(まさ)
西三河雑 | Comments(0) | Trackback(0)

タウンアーチの先へ0009

2010年02月18日
 昨日、かなり久しぶりに安城市東南部の桜井を通りがかりました。桜井といえば近年、桜井駅西側の大規模区画整理事業が進行中で、駅も高架化されちゃいましたが、東側の旧市街は商店が減ったものの旧態をとどめており、タウンアーチも健在です。

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 中途半端な古さ(昭和50年代製か?)ではありますが、キャッチコピーといい書体といい、そこはかとない田舎町の味わいを醸しだす一品です。このほか、南北の通りに同型のアーチあり。
 ポイントは、下段にズラッと並んだ地元商店でしょう。

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 一部消されているのが淋しいですが、店によってはロゴを使用していたりして、それぞれが主張しているのが好もしい。上段左端、碧信の書体が3、40年代風の明朝ってのがこれまたなんとも。正式な書体名はなんというのか?「残しておきたい日本の風景」の一要素です。

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 でもってこのアーチの先には、しばらく来ないうちに様変わりしていた桜井駅が。2008年6月21日に高架化されたらしいが、駅前広場はまだ工事中。そういえば、高架化・区画整理・駅前に巨大ショッピングモールという形状は、東浦町の緒川駅周辺とまったく同じだ。だからどうこう言うわけではありませんが…。

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(2004.10.15撮影)

 シブかった旧碧海桜井駅。シブいけど、保存するとかいうクラスの駅舎ではないところがまた微妙。これは桜井の旧市街も同様で、割と古い家並が残っているけれど、歩いてみたところでそんなにグッとくるわけでもない。この感じがいわゆる「安城的」というヤツでしょうか。
(まさ)
西三河雑 | Comments(2) | Trackback(0)

豊橋ラージヒル

2010年02月17日
 冬季オリンピック真っ盛りですが、タイトルはジャンプ競技とはまったく関係ありません(それどころか本来の意味からもかけ離れております)。
 昨日書いた騎兵連隊のあった王ヶ崎町は、多くの豊橋市民にとって「ただの住宅地」というイメージしかないでしょうが、住宅地の裏ではこんな広々とした風景が見られます。

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 丘の上に広がる白菜とブロッコリーの畑、向こうに見えるのはホテル日航豊橋。実に豊橋的。
 丘といえば、市北部の石巻平野町にもこれまたよい丘があります。

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 丘に広がる次郎柿畑。柿のシーズンオフに撮影したのでこんなんですが。
 市街地のすぐ近くにこういう場所があることが、豊橋の最大の魅力だと昔から思っているのだが(あと、市電と競輪場があることね)、この良さがなかなか地元の人にも他地域の人にも伝わらないんだなあ。
(まさ)
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THE 馬

2010年02月16日
 富本町からさらに南下して、豊橋っ子(このフレーズだけでなんか笑っちまう)や愛大生にはお馴染みのユタカ自動車学校のあたりまで行くと、王ヶ崎団地の中に小さい公園があります。

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 公園なのか松林なのかなんだかよくわからないけど、いちおう「王ヶ崎東公園」の名が付いています。で、この松林の中に一頭の馬が。

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 子供が乗る馬の遊具…だと思うけど、敷地内にあるのはこれ一頭きり。いったいどういうつもりのか、と思ったら…

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 実はここ、豊橋の軍事遺産を保存する公園でした。騎兵第26連隊の営門と哨舎、記念碑などが建っております。馬はその中のいちアイテムというわけね。
 愛大から南栄町・中野町・王ヶ崎町にかけてはもともと広大な陸軍施設で、戦後、学校や住宅地に転用した土地。もと師団司令部だった旧愛大本館などは一部の戦争遺産マニアには有名ですが、ほかにもこうした軍関係の遺物が、あちこちに点在しています。この公園は、まさに騎兵第26連隊の敷地内にあたります。
 
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 であるにしても、このたった一頭の馬遊具、いったいどういうつもりで置いたのかと。もっとたくさん寄贈すりゃいいのに。

081206-2.jpg 「なんとか言え!」
(知多四国72番慈雲寺のソフトバンク犬)

100216-7.jpg 「やんのか、コラ」

(まさ)
東三河雑 | Comments(0) | Trackback(0)

小池遊廓の名残

2010年02月15日
 天気のよかった土曜日、豊橋の南部方面を12キロも歩いてしまった。取材5割遊び5割です。西駅~小池町~中野町~高師駅~上野町~西幸町~牧野町~愛大というルートですが、この道筋がどうしたら取材に結びつくのか?答えは年末までお待ちください。最近先の長い話が多くて。もっとも、遊びにしてもどこが面白いのか、って感じの町ばっかりだけど(僕は面白いんですけどね)。

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 その途上、愛大の学生だった17、8年前に自転車でよくウロウロしていた愛知大学の北西界隈(R259高師口交差点の北西あたり)を不審者のごとくさまよっていると、富本町の狭い道沿いに小さい神社を発見。

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 照国神社&福徳稲荷社です。境内はかなり小さいのにイナバ物置のような社務所があり、絵馬が何枚も奉納されています。そんなに御利益のある神社なんだろうか?いつもお世話になっている写真家・山本宏務さんの「三河遠州御利益行脚」(春夏秋冬叢書)にも掲載されていないので、マイナー度はかなり高い。
 いつもなら挨拶程度に手を合わせて(賽銭入れずに)通り過ぎるところだが、鳥居を見たら驚愕。

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 寄進者が一廣楼、松岡楼、松見楼。これって、近くにあった小池遊廓の置屋ではなかろうか(驚愕ってほどでもないか)。
 小池遊廓のことは、東田遊廓について書いた「そう」24号で少し触れ、当ブログでもちょこっと書きました(→●□)。現在の有楽町に、昭和19年から昭和32年まで存在した遊廓/赤線です。
 この小池遊廓、正式認可は昭和19年なのですが、それ以前から“青線地帯”(私娼街)として機能していました。おそらく、明治41年に陸軍第15師団が現在の愛大一帯に設置されてから自然発生したものでしょう。表向きは軍人さん向けの芸者置屋で、裏では…という感じか。
 ネタがネタだけに豊橋市史や校区誌などのオフィシャルな資料には書かれておらず、他の資料も未発見なので詳細がよくわかりません。鳥居の建立年は大正15年。古い新聞記事によると認可前には30軒の置屋があったらしく、小さいとはいえ鳥居を寄進したとなると、町を代表するそれなりの大楼だったはず。赤線廃止後は一部の店のみが料理旅館やバー、アルバイトサロンなどに転業して営業を続けますが、以前調べたところ、廃止直後の新聞広告に唯一「旅館久松(旧松見楼)」の名を見つけています。
 今のところ、この鳥居から分かるのはそれだけ。でも、豊橋裏面史を語る貴重品には違いない。豊橋に行く予定の赤線跡マニア・古い町並みマニアの方は、ぜひこの神社もチェックを。ただし、車を停められる場所が近くにありません。
(まさ)
東三河雑 | Comments(0) | Trackback(0)

扇の架け橋 付・10、11、12月の落語会覚え書

2010年02月14日
 本日は嫁方の家族とともに「長久手文化の家」で開かれた落語会へ。2ヶ月ぶりで、今年初めてです。もう2月も半ばすぎなのに、タイトルは「初笑い ながくて寄席」。どんだけ遅い初笑いだ。
 出演は入船亭扇橋(心眼)、扇辰(片棒)、遊一(元犬)と柳家喬太郎(転失気)。皆、良かったんだけど、今日はなんといっても御年80の扇橋師匠。マクラがいったいどこへ向かうのかスリリングな点も含めて、すげー面白い。ボソボソ喋って笑いを取れる80歳、凄いです。師匠と同年代のウチの婆ちゃんもケラケラ受けてました。

 ところで、昨年から小学館より刊行されている藤子・F・不二雄大全集を何冊か買ってるんだけど、初期の「ドラえもん」のアナーキーさには、改めて驚かされます。ポップ・シュール・ナンセンスのオンパレードで、僕らが小学生の頃、こんなとんでもないマンガを読んで面白がっていたのかと。
 落語を聞くようになってわかったのは、初期のドラえもんの笑いは実に落語的だということ。藤子・F・不二雄が落語を好きだったという話は聞いたことがないけれど、明らかに落語の影響を受けているのが読み取れます。中には落語をそのまま引用したセリフもあるし。
 藤子不二雄の青春期というのは、落語が今よりも人気、というか生活に近いところにあったはずで(東京なら寄席がいっぱいあったし、地方にいてもテレビやラジオの演芸番組がいっぱい聞けた)、てことは落語的笑いも日本人の感覚の中に染み込んでいたはず。ということは初期ドラえもんは、落語(=伝統芸能)という裏打ちがある極めて日本人のセンスに合致したマンガなのではないか。これをリアルタイムで読んだ我々の世代は、落語的笑いが感覚として染み込んでいるといえる…って、なんの話だ。
 落語好きの方は一度、小学館の藤子・F・不二雄大全集のドラえもんを読んでみてください。ただし、1~3巻ぐらいまでね。
(まさ)

 ついでなので、昨年末に書きかけでほかっておいた秋・冬の落語会の覚書もアップしておきます。自分用のメモですんで気にしないで下さい。

10/10 扶桑文化会館/落語新時代
 桂吉弥、柳家喬太郎、三遊亭白鳥、立川志らくという、人気落語家を揃えた会。白鳥が相変わらずのハイテンション&エクスプロージョンなネタで凄く面白かったのだけど、会場の雰囲気がなんか白鳥色に染まってしまったというか、その後に出た志らくが、会場の雰囲気を塗り替えられないまま終わってしまったような…。曰く「師匠の談志が『あんなヤツの後に上がりたくない』とかつて言ったことがあるが、その気持ちが少しわかる」。なるほど。

10/12 今池末広亭/立川志らく・生志落語会
 二日後にまた志らく。今度は「抜け雀」できっちり。よかった。

11/22 お食事処楽/快楽亭ブラック毒演会
 数ある落語家のブログで唯一おもしろいのがブラック。ずっと読んでて、期待して行ったら期待どおりでサイコー。でも、これ、とても女の子と一緒には見られません。嫁をほっといて一人で来てよかった。次回も一人で行こう。

12/07 大名古屋らくご祭・立川志らく独演会
 2席目の「中村仲蔵」、感動のあまり終わってから嫁ともどもしばらく口が開けなかった。2009年のベスト一席!2009年どころか、今まで聞いたすべての落語で、08年夏に博多で聞いた談志の「松曳き」に次ぐ素晴らしさでした。

12/09 大名古屋らくご祭・SWA
 昇太・白鳥・喬太郎・彦いちによる新作落語ユニットの会。最初から最後までハイテンション。ああ、楽しい。定期的に名古屋でやってくれませんか。

12/14 第127回安城落語会
 トリが5日前に見たばかりの昇太。今度は古典の「花筏」だったけど、こっちも面白いねえ~。昇太もさることながら瀧川鯉昇の味わい深い面白味(顔も含めて)がとても印象に残りました。こっちに来たらまた行きます。

12/18 今池ガスホール・第五回落語教育委員会番外編
 2009年のラスト。いろんな本で「柳家喜多八はいつもダルそうに出てくる」と書いてあったので期待してたら、ほんとにダルそうに出てきた。たまらん。ネタは「二番煎じ」。たまりません。

 今年は、一回くらいは大須演芸場に行ってみたいと思います。
音楽・舞台・落語 | Comments(0) | Trackback(0)

清美に清子に清志郎

2010年02月13日
 先日、久しぶりにJR名古屋駅で下車したら、コンコース中央のでかいキヨスクにこんなものがいた。

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 JR東海キヨスクのキャラクター、キヨ美!苗字は矢野か!(もうひとり、キヨ子というのもいたけど、面倒くさいので撮らなかった)あんまりユルくはないけど、完全にブームに乗っかってますね。どこかの広告代理店にでも乗せられて作っちゃったのでしょうか。
 こういものでイメージアップを図る一方、各駅からの撤退も相次いでおり、悲しい限りです。

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 弁天島も。

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 浜松駅在来線ホームも。

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 愛知御津も!

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 火の見櫓もさることながら、キヨスクも「残したい日本の風景」なんですけどねえ…。

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(2003.09.03撮影)

 残したかった日本の風景。新城駅にあったキヨスクです。先週3年ぶりぐらいに立ち寄ったら、とっくになくなってた。

 キオスクいや記憶に残るキヨスクといえば、飯田線平岡駅。伊那谷を頻繁に歩き回っていた20代の頃、平岡駅に友人と5連チャンで駅泊したことがあります(今の駅内宿泊施設じゃなく、建て替え以前の夜中無人の待合室で野宿です)。ここのキヨスク、売れ残った新聞は、営業終了後ビニールヒモで束ねてベンチに置いておかれ、翌朝一番列車が運んできた朝刊と引き替えに回収されるのですが(村の新聞屋さんが取りにくるのだったかも)、夜中、その束から信濃毎日や南信州、信州日報を抜き取り、暇潰しに読ませてもらってました。そして丁寧に戻しました。毎日キヨスクで数百円使ってたので、ちょっとくらいいいよね、って。
(まさ)
そのほか | Comments(4) | Trackback(0)

THE 石

2010年02月12日
 大徳寺境内には20以上の塔頭があり、そのほとんどが拝観謝絶みたいなのだが、茶所からさらに奥へと進んだ龍泉庵には入ることができました。何かの展示会が開催中のようです。
 何の展示かというと、う~ん…盆栽をもっとシンプルにしたモノ、とでもいうんでしょうか。自然光のみの、静謐な空間に、石だけがポツンと置いてあるという。

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 なんとまあ、雅というか風流というか(この場合「シブい」ってのは当てはまらない)。京都には知らない世界があります。嫁は着物だったからまあよかったけど、だらしない格好の僕は完全に場違いな感じ。
 もらった案内を見ていたら「揖斐川石」を使った作品がいくつかありました。なんだそれは!ウチの地元にそんな銘石があるのか!

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 これが「揖斐川石」。いや~、さすが素晴らしい…のか?

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(旧久瀬村中心部あたりの揖斐川)

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(藤橋の道の駅あたりの揖斐川)
 どこで取れるんでしょうか。
 そういえば、ウチの実家に爺さんが築造した庭園があって、巨石がデンと置いてあるのだが、あれは当然「揖斐川石」ということになるんだろう。よく思い出してみると、素晴らしい庭に思えてくるが…。
(まさ)
西日本 | Comments(0) | Trackback(0)

THE 茶所

2010年02月10日
 伏見の次はぐぐっと北に上り、臨済宗の大寺院、大徳寺へ。特に目的などなく、なんとなくです。

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 いや~、広い。あまりの広さにびっくり。ケタ違い。なんせここ2年ほど、寺といえば知多四国ばかりだったもんで…。広さもさることながら、その雰囲気に背筋の伸びる感じです。
 境内の道を歩いていると、意外な建物に遭遇。

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 大徳寺茶所!
 茶所は、知多四国の寺院を回っていると時々出会います。徒歩巡拝者にお茶の接待をしたところで、戦前まで巡拝シーズンにはお湯を一日中沸かし、巡拝者にお茶や漬け物なんかを振舞ったそうです。今は建物だけ残っているところが何か寺かあり、フリーの休憩所・物置・台所などとして利用されています。詳しくは→●□
 大徳寺ほどの寺ともなれば、こういう施設はあって当然でしょうか。この茶所、いったいいつからあるのだろうか。知多四国の茶所は、京都の大寺院の茶所がルーツなのか?まさか知多四国が先で京都が後とは思えないけど…。

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 中にはお茶の入ったポットと紙コップが置いてあって、ご自由にお飲みください状態。奥には仏像が祀られています。これは知多四国のお茶所も同じで、知多ではたいてい弘法像がまつってあります。
 う~ん、なんか落ち着く。ていうか、境内は荘厳すぎて逆に落ち着かんわい。こうして比べると、知多四国は庶民的で落ち着くよなあ。

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                 ↑茶をすする女性取材記者(ただの観光客)

 そしてなぜかピンクの電話が。京都すごい!すごすぎるよ!
(まさ)

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●□ お 知 ら せ □●
◎知多四国本の絡みで、HPにこんなコーナーを作ってみました。落ち着く、知多四国!→●□
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タウンサインの研究0022

2010年02月09日
 もう十日も前になりますが、車でふら~っと京都に行って来ました。完全に遊びです。

100209-1.jpg ←着物で取材にのぞむ女性取材記者(ただの観光客)

 目的地のひとつが伏見の月桂冠大倉記念館で、記念館を見物したあと伏見界隈をウロウロ。蔵元密集地の渋い風情もいいんだけど、さすが関西、商店街が地元客でガンガン賑わってて面白い。愛知県では大須の商店街ぐらいでしか味わえなくなった風情です。
 そんな伏見界隈で遭遇したタウンサインの数々。

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 まずは、坂本龍馬ゆかりの寺田屋あたりから北へ伸びる「竜馬通り」。名所密集地の近くなので、この通りには観光客も入ってきます。この通りについての案内板によると、最初は「木津屋図子」、のちに「南納屋町」とも呼ばれるようになり、「近年商店街活性化を目指して隣接の“寺田屋坂本龍馬”にあやかって個人名を冠する全国でも珍しい商店街となった」とのこと。ほう、そうですか。ところで、龍馬でなく竜馬通りとしたのは、なにか遠慮でもあったのか。
 まあ、タウンサインよりも、左に見えるホーロー製の町名表示板のほうが気になるんですが。

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 竜馬通りの先は下町風情がぷんぷん漂うアーケード商店街になります。
 左は南北の「納屋町商店街」。商店街誕生100年記念のメモリアルフラッグ。100年て!これについても案内板があって(京都人は解説好きなのか)、明治42年に「納屋町進商会」が発足し、昨年が100周年だったらしい。明治43年には日本初の「鉄柱アーチ型全覆式日覆い(布製簡易アーケードか?)」を完成させたそうで、さすが京都、歴史が違う。
 右は東西の「大手筋商店街」。こういうデザインだとなんか若者の町っぽい気がします。

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 納屋町商店街の途中で枝分かれする路地のようなエリア「なやまちセンター」。インド国旗の配色ですね。

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 大手筋商店街。なんだこの人出は!
 東京や関西でこういう光景を見るたびに、地方の商店街もなんとかならんもんかと思います。スーパーチェーンや大規模ショッピングセンターはもういいからさ~、って、そういところを利用せざるをえないんだけどね。
(まさ)

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●□ お 知 ら せ □●
◎久々にItoursブログを更新しました。月桂冠大倉記念館の話題です→●□
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SNOW & HINOMI

2010年02月06日
 今日の朝は知立でも雪がほんの少し積もってて、気分がアガりましたね~。雪の多いところで育ったもんで、寒かろうが交通に支障が出ようが、やはり冬に雪がないと物足りません。
 で、今日は取材で三ヶ日に行ったんですが、10時頃までは豊川、豊橋北部にも雪がうっすら積もってました。これが本坂トンネルを越えて三ヶ日に入ると、雪は風に乗ってときおり舞う程度で、まったく積もっていない。
 東名豊川インター北西、豊川市橋尾(旧一宮町)付近の朝9時の風景はこんな感じ。

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 う~ん、撮ってはみたけど地味な雪景色。背後に見える東名の下り線では、こんな程度なのに速度規制が行なわれてました。
 でもって、この場所の北側にある橋尾集落の中に入ると、例によってHINOMIが!

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 三河遠州で雪景色の火の見櫓を撮るのは初めて。だからといってどうということもありませんが…。ちなみにこのHINOMIは東名からも見えるので、助手席のHINOMISTはぜひ一度チェックを。
 なお、橋尾の西隣の上野町にあったHINOMI(→●□)の跡地は、残念ながらこんな具合になってます。

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(まさ)
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さらば天埜酒造

2010年02月05日
 昨日、亀崎について書いた自分の原稿を校正していて、確認のため亀崎最後の酒蔵、「初夢桜」の天埜酒造(まるかど版はこちら→●□)のHPをチェックしてみたら、トップページになんと1月31日かぎりで廃業とのアナウンスが!

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(2008.12.13撮影)

 う~ん、松坂屋岡崎店や小坂井町がなくなるよりショックがでかいぜ。知多では、昨春廃業した東浦の野村酒造(blog●□/hp●□)に続く廃業で、これで知多における古くからの蔵元は国盛、白老、ねのひ、冠勲、生道井の5蔵になってしまいました。なんとかならんのか日本酒業界。
 今日の夜、半田に用足しに行ったついでに蔵元の前を通ってみたら、表札が「金しゃち酒造」と書かれた新しいものに代わってました。金しゃちといえば、盛田系の会社が出している地ビールの銘柄。もしやと思ってネットで検索してみると、中部経済新聞のページに「MICSグループが金しゃち酒造を半田市に設立し「金しゃち」ブランドの清酒製造を開始、天埜酒造から酒造免許や製造設備を譲り受け「初夢桜」も継続して製造・販売」との記事がありました。知多に金鯱ってのもなんか違和感なくもないが、まあ、完全になくなるよりはマシなのかなあ…。
 ちなみに、天埜酒造の隣りにあり、10年程前まで醸造していた伊東合資という蔵元の「敷島」は、安城の神杉酒造に譲渡され、遠州方面で販売されているのを見かけます。

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 どうでもいいけど私、神社に奉納されている酒樽をチェックするのが趣味なんですが(なんの意味があるのか…)、亀崎の東外れにある神前神社には、上のように通常タイプと「潮干祭りバージョン」の2タイプが奉納されていたことが思い出されます。これは残るのかな?
(まさ)
知多雑 | Comments(2) | Trackback(0)

NON宝飯

2010年02月02日
 1/31は松坂屋岡崎店の最終日でしたが、東三河では宝飯郡小坂井町の最終日でした。これにて「宝飯郡」が完全に消滅してしまうわけで、悲しいことです。
 もともと宝飯郡は豊川市と旧宝飯郡4町(御津・音羽・一宮・小坂井)に加え、蒲郡市と豊橋市の豊川右岸域(下地・前芝)を含んでおり、早くから本来の郡域での一体感はなかった印象ですが、語感も字面もよい「宝飯」が消えるのは惜しい。かといって「宝飯市」ってのもなあ…って感じで。

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(2003.09.04撮影)

 小坂井を象徴するような大した写真がないので、旧東海道の写真でも(今も特に変化はないけど…)。要はこの記事、タイトルが書きたかっただけです。
(まさ)
東三河雑 | Comments(0) | Trackback(0)

デパートのある町

2010年02月01日
 このブログには珍しくタイムリーな話題を。昨日閉店した松坂屋岡崎店に、閉店の2日前に行ってみました。

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 実は中に入るのは初めて。29日(金)の午後は、1階のバーゲンコーナーにオバチャンがわらわらと群がっていたものの、他のフロアはボチボチの人の入り…といった程度。もっとも、普段に比べると客は多かったんでしょうが。
 驚いたのは地下1階。ただのスーパー的な食料品売場かと思っていたら、オール対面販売の完全なる「デパ地下」。いまどき、この規模の町の中心部にデパ地下とは…。さすが岡崎。

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 屋上の巨大カンバンには「松坂屋」と「クレオ」の表示が見えますが、中に入って初めて「クレオ」がなんなのか分かりました(興味がないので今まで考えたことがなかった)。このビルは松坂屋直営フロアと、地元商店が入るフロアが分かれており、地元組のフロアを「クレオ」と称しているわけですね。「クレオ」は協同組合方式のショッピングセンターということになります。

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 屋上に上がってみたら(7階と8階の2つある)外に出ることができました。昔は屋上遊園地もあったそうですが、何もなくてガラーン。

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 屋上の片隅には、開店10周年記念と思われる、なんだかよく分からない彫刻が。打ちのめされてる人のように見えるが…。
 僕は岡崎生まれでも岡崎市民でもないので、感慨も思い出もまったくないんですが、子供のころよく連れて行ってもらった、大垣のヤナゲンを思い出します。揖斐川町などという田舎に住む者にとっては大垣ですら都会で(市電の走ってる岐阜なんてもう大都会っすよ)、その都会の象徴が、大垣駅前にデンと構えるヤナゲンでした。屋上遊園地で遊んだり、レストランでお子様ランチを食べたり、おばあちゃんにYMOのカセットテープを買ってもらったりしたなあ。って、まだヤナゲンはあるけど。
 こうしたデパートは、市民のみならず周辺の町や村に住む人にとっても大きい存在であるわけで、あったほうが絶対に岡崎にとっていいんだけど…。
(まさ)
西三河雑 | Comments(3) | Trackback(0)
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