イヌヤマニアック0003

2009年10月31日
 先日、仕事で犬山の成田山名古屋別院の裏山に登りました。山頂からの写真を撮るために登ったんだが、登れるとは知らなかった。てっぺんには東之宮古墳という国指定史跡があります。
 で、そこに登る途中、別院本堂裏手の茂みのなかにこんなものを見つけた。

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 なぜこんなところに廃駅の跡が?と思って同行してくれた別院の人に聞いたら、モンキーパークを走っていたおとぎ列車の遺構だとか。
 レールの行き止まりにはターンテーブルまであった。

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 おとぎ列車は今年1月に廃止になったそうで、消えたのはモノレールだけじゃなかったのね。モンキーパークのHPによると、9月末に「おとぎ列車レール見学会」というきわめてマニアックな催しをしたらしい。ていうか、なぜ廃止したのか?駅跡だけ見るとなかなか雰囲気よさそうな感じだが…。
 これに乗ったこと僕は一度もないし、そもそもモンキーパークにすら行ったことない。尾北・可茂・各務原エリアの子供は遠足で必ずモンキーパークに行くそうですが、西濃ではそんな習慣はなかったので。そんなわけで、これ以上この話題は膨らみません。
 廃線といえば、成田山門前のモノレールの遺構はすでに撤去されてました。

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 がら~ん。最晩年の成田山駅はこちら→●□
(まさ)
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ありがとうファンちゃん

2009年10月30日
 01年より使ってきたウチのファンカーゴが、昨日、引退いたしました。

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 もともとはウチの婆さんの介護用として導入したのですが、介護に使うまでもなく婆さんが亡くなってしまったので、わたくし用に譲られたものです。いわば婆さんの遺産。04年に結婚してからは嫁も使うようになり、二人でさんざん乗り倒しました。
 この車が重宝したのは、なんといっても後部座席を倒せば足を伸ばして寝られたこと。いったいこの車で何泊したことか。03年に伊那谷へ取材に通っていたときは、道の駅信濃路下條や信州千石平の駐車場を常宿に連泊を繰り返したものです。乗り始めて間もない頃には、弥彦競輪→サテライト会津→郡山場外→いわき平競輪を4泊で周遊し、競輪場全50場制覇を達成したこともありました。もちろんこんな愚か者の旅は独身時代にしか決行できません。
 この車で行った最北は米沢、最西は福岡。凄いところでは05年、「島根県の歴史街道」(樹林舎)の取材で隠岐にも行きました。
 最終的な走行距離は、32万2010km!大きな事故も故障もなく(小さな事故はちょくちょく…)、酷使に耐えてよく持ったものです。ありがとう、ありがとう。
 しかし32万キロって、ガソリン代に換算すると一体いくらなんだ…。
(まさ)
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キャラクター・ジャパンの考察

2009年10月28日
 えー、コメントに「ゆるキャラブームがなぜ起きていると思うか?」という問い掛けがありましたので、書いてみました。かなり大雑把で裏付けのない説ということをまずご承知おきいただきまして…。
 「ゆるキャラ」の名はwikipediaによると2002年にみうらじゅんが命名したそうですが(登録商標らしい)、この現象自体のルーツは、かなり過去にさかのぼって考えることができるのではないでしょうか。

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(扶桑町民まつりに臨席するひまりん&やまりん)

 僕は、93年のJリーグ発足が、ゆるキャラ誕生の遠い起源ではないかと考えています。
 バブル崩壊後というタイミングで、大都市圏でない地域にも多くのプロサッカーチームが誕生したことは、「地域のアイデンティティ」を日本に芽生えさせる大きなきっかけになりました(たぶん)。特に、若者の意識を「地元」に向けさせた点で、Jリーグの功績は大きい。
 Jリーグ発足に際して、各チームのマスコットキャラクターも作られますが、これ以後、いろいろなイベントやさまざまな業界に「公式マスコット」が登場することが多くなった気がします。例えば公営レース業界でも、各競輪場にキャラクターが設定されるようになりました。もちろんそれ以前からありましたが、80年代に誕生したキャラクターとは、デザインの雰囲気が大きく異なっています。
 そうしたマスコットが、地域アイデンティティの浸透とともに、全国の自治体に「地元キャラクター」として広まっていったのではないでしょうか。それはモリぞー&キッコロで大ブレイクし、せんとくん騒動で完全に市民権を得た、と。

 余談ですが、ゆるキャラブームのはしりとなったキャラクターも、実は競輪なのではないかと思っています(違ってたらスイマセン)。それは、10年ちょっと前に登場した、観音寺競輪の「銭形くん」。
 あれを見た時は、二つの意味で衝撃でした。広告の野暮ったさといったら目を覆うばかりの競輪業界でもこういうセンスのいいことができるのか、ということと、こういうのがローカルキャラクターとして成立するんだ、ということで。

 ただ、Jリーグや大規模イベントの場合は大手広告代理店がつくので、キャラクターもかなり戦略的なデザインワークに基づいて作られています。もっとも、Jリーグのマスコットキャラクターでカッコイイと僕が思えるものは、発足以来ひとつもありませんけど。なぜなら、あまりに幼稚くさいから。
 金を持っているところは、大手広告代理店のある意味「カタい」デザインを採用することができるでしょうが、そうでない場合、例えば市町村など予算の限られているところでは、作ろうと思いついてもそんなに金をかけていられません。
 そこで、地元のデザイナーへの発注やコンペなど、できるだけ安価に上げようということになります。その結果、デザイン自体も発注金額なりにいささか安っぽいキャラクターが、続々と誕生したのではないかと。
 「続々と誕生した」理由のもうひとつは、よそがやっていることが羨ましくてすぐ自分のところにも取り入れたがる、日本の自治体職員や議員の性格による…と思います。

 地域のゆるキャラに対して肯定的な僕ですが、その理由は「子供ウケがいいから」、この一点に尽きます。つまり、郷土意識を涵養するのに役立つアイテムというか、子供の時に地元のシンボルを脳に刷り込んでおくのは、地域の将来にとって有用なのではないか、と。
 なので、自治体はデザインや露出戦略に、今以上に気を配ったほうがいいかもしれません。手元に「ゆるキャラまつり」のパンフがあるんですが、見てると「こりゃヤバイ」ってのがけっこうあるからなあ…。

 ホントか!?というような記述が続出ですが、学術論文でもなんでもないので、ご容赦のほどを…。
(まさ)
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とどろけ!幸田町

2009年10月27日
 先日、久々にR23岡崎バイパスを通ったら、幸田町の須美ICと桐山ICの間に道の駅ができていた。

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 その名も「道の駅 筆柿の里・幸田」。
 考えてみると、西三河のまともな道の駅って、これが初めてではないか。「どんぐりの里・稲武」は稲武町がまだ東三河だった時代のものだし、「デンパーク」は後付けだし。
 この道の駅、バイパスからだと下り線からしか入れません(旧道からは入れる)。なんちゅう不便な、と思ったら、11月1日には5キロほど名古屋寄りの上り線に新しい道の駅ができるらしい。東海北陸道の長良川SAと関SAみたいなもんですね。幸田町と西尾市の間で何か駆け引きがあったのか。

                          ↓ ゆるキャラっぽいのがここにも…
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 駅名のとおり、目玉は筆柿の直売。幸田町が日本一の産地で、R23沿いの狭い谷間に柿畑が広がっております。富有柿産地の隣町で生まれた僕にはまったく馴染みがありません。試しに買って食べてみたら、まあ、普通に美味しい柿でした。
 筆柿は売ってて当たり前なので、他に何かめぼしいものはないかと物色したら、地元産のコイツが。

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 幸田町坂崎にある東海地方唯一(たぶん)の焼酎専門醸造元、轟醸造(→●□)!ローカルすぎて、今までどこに売っているのかわからないような存在だったのだが、いよいよ光が当たるか?これだけでも道の駅を作った価値はありますよ。
 どうでもいいけど、轟醸造の名を聞くといつも「とどろけ!一番」を思い出す。四菱ハイユニ、ほしくなかった?
 あ、轟醸造は「とどろけ!醸造」じゃなくて「とどろき醸造」ですんで、念のため。
(まさ)
西三河雑 | Comments(2) | Trackback(0)

BANBOKU ROAD

2009年10月26日
 タケくんハナちゃんで盛り上がる羽島の、知っておいて損はないネタ(得もありませんが)。
 羽島といえば岐阜羽島駅。岐阜羽島駅といえば、大野伴睦センセイ。

091026-1.jpg 「母ちゃん、駅造ったんやて~」(岐阜弁)

 なまずまつりのあと、図書館に行って新幹線開業前後の羽島市広報を読んでいたら、 岐阜羽島駅から伸びるやたらと広い駅前通りについての記事を見つけた。

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 当時、岐阜県内で最大の幅員を誇ったこの道路を、大野伴睦の功績を称えて「睦通(むつみどおり)」と名付けたそうです。ついでに、駅の近くに架かる桑原用水の橋も「睦橋」にしたとか。
 しかし、僕が生まれてこのかた、この道を「睦通」と呼ぶという話は聞いたことがない。定着せずに廃れてしまったようです。まあ、あまりにあからさまだし、謙虚な県民性(?)なので使うのやめたのかしらね。
 あとちなみに、中央分離帯の植え込みには当時、国体花のサルビアを植えたとのこと。開業翌年に岐阜で国体があったので。
 以上、どうでもいいネタでした(いつもか)。
(まさ)
岐阜中部・西濃雑 | Comments(0) | Trackback(0)

ナマズ、生まれ変わる

2009年10月25日
 昨日の続きで“ゆるキャラ”といえば、羽島の竹鼻商店街のキャラクター(→●□)が新しくなったという情報を入手しました。
 以前はこんなのだった。

071021-2.jpg (2007.10.21撮影)

 市役所で聞くと、土日に開催される竹鼻商店街の「なまずまつり」で、新キャラの着ぐるみがデビューするというので、昨日さっそく竹鼻に行ってみました。って、何やってんだと思われるでしょうが、いちおう仕事で取材ですよ。
 大にぎわいの竹鼻商店街にやって来ると、町のド真ん中で新キャラ撮影会が開催中!撮影会といっても別にモデル撮影ではなく、よい子のみんなと記念撮影というものですが。こちらがその新キャラ、ナマくんズーちゃん…ではなくて、タケくんハナちゃんです。

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 縮んだな~、というか、かつての面影まったくなし!ゆるキャラ度がより高くなりました。
 あ、僕、こういうのけっこう好き。

091025-3.jpg ナマズなので尾びれつき

 これがまた子供たちに大人気で、撮影会は大盛況。係の人が「ヒゲに触らないで!取れちゃうから!」って連呼してるのに、やんちゃな羽島っ子たちはいうことを聞かず、さわりまくり。幸いヒゲは取れなかったけど、先代と違って足が出ないためかなり歩きにくいみたいで、歩くときはヨタヨタでした。その様がまたカワイイので、お子さんたちが追っ掛ける。
 
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 ちなみにこちらはホンモノのナマズ。飲食ブースにいました。この後、蒲焼になります。
(まさ)
岐阜中部・西濃雑 | Comments(2) | Trackback(0)

岐南ドール

2009年10月24日
 今月は取材の関係で岐南町をたびたび徘徊しています。岐南町というと、岐南インターと徳田ネギ、あと競輪選手の加藤慎平(S1・81期)の地元であること以外、これぞ!というものが特にない地味な町です。
 そんな岐南町で数少ない目ぼしい施設がこちら、岐南町図書館&歴史民俗資料館with旧宮川家住宅。

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 旧宮川家住宅は、明治26年に福島県白河(競輪選手の伏見俊昭の地元)の大工が建てたという、旧状をよくとどめた典型的な農家建築だそうです。渋すぎる。渋すぎて、文化財としては県指定で止まっています。
 内部見学ができるので入ってみたら驚いた。

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 まさか人形がいるとは思わなかった!観光地でもない町の単発モノ見学系民家で、こうした人形を置いておくのは珍しいのではないか?しかしバタ臭い顔にこの状況はシュール。こういう顔の人形って、カカシがわりに田んぼに刺してあることが多いが…。
 あ、岐南で目ぼしいものといえば、この地方ではおそらく一番デザインセンスがいいと思われるゆるキャラ「ねぎっちょ」がおった。

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 先日、役場の人に聞いたら、金土日と彦根でやってる「ゆるキャラまつり」に出ているそうです。近々、取材で彼に会う予定アリ。ちょっと楽しみ。
(まさ)
岐阜中部・西濃雑 | Comments(0) | Trackback(0)

カンバンの手帖ブログ版0113

2009年10月23日
 稲沢市国府宮商店街の外れで発見した、居酒屋の外壁に掲げられている大きなカンバン。いろんな意味で凄い。

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                                  ↑下品だ

 カンバン作家(作家?)の独自の世界観が存分に表現されていますね…。しかしなぜ衝立に徳川家の紋があるんだろうか。
(まさ)
尾張雑 | Comments(0) | Trackback(0)

初蜜柑2009

2009年10月21日
 最近、マニアックにもほどがあるネタばかりなので、たまには季節感のある話題など…。
 昨日、取材で旧引佐郡方面へ行きまして、旧引佐町の龍潭寺付近の無人販売で今シーズン初めての蜜柑を購入。蜜柑好きの僕にはいい季節になってまいりました。

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 10個ぐらい入って100円!けど、安いなりでまだ酸っぱかった。
 この時期に引佐や浜松北部に行くと安価で帰るので、つい食べ過ぎて手足が黄ばんでしまいます。

 ちなみに昨日は、取材で久しぶりに漁船に乗せてもらった。

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 浜名湖はいい…。
(まさ)
遠州雑 | Comments(0) | Trackback(0)

タウンサインの研究0019/タウンアーチの先へ0004

2009年10月20日
 その、消滅した西尾市肴町のタウンアーチは、こういうものでした。いずれも2006.06.03撮影。

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 商店街のちょうど真ん中にあったもの。

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 そしてこちらは北入口にあったもの。肴町なので、魚の形をしているわけです。昔は南入口(本町側)にも同型のものがあったのだが、平成8年に撤去されたとのこと。
 この魚型アーチの設置は昭和30年代後半。当初はこれに西尾市章と「肴町通」の文字のネオン管が取り付けられていました。昔は西尾繁華街の一角を占め、殷賑を極めたという話。ちなみに、西三河スーパー業界の雄・ドミーは、この通りにあった「井桁屋呉服店勇吉店」が発祥だそうです。
 なお、このアーチの現役時代の写真は筆者が手掛けた「西三河今昔写真集」(樹林舎)P.21に掲載したので、ヒマな方は図書館にでも行ってご覧下さい。
 現在の肴町通りはこちら。中心部の区画整理事業からはずれたおかげで、昔の面影が残っています。

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 なんと、アーチが撤去されたかわりにタウンフラッグが(あと、よく見ると街灯も新しくなっている)。書体とデザインは凝ったものではないですけれど、上部の鯛のマークはいいですね。
 肴町にフラッグがあるなら他の町もできたのか、と思ったら肴町だけだった。本町あたりにはいい感じの店もあるし、センスのあるフラッグで飾ると少し雰囲気も華やぐ気がするけどなあ。岡崎市街みたいに。
 商店街だけでなく観光方面も頑張ってる感のある西尾だが、もうひと押し何かが足りない!でも、そんな半端さも西尾らしくて好き。
(まさ)
西三河雑 | Comments(4) | Trackback(0)

カンバンの手帖ブログ版0112

2009年10月19日
 設楽町の町長選挙、推進派が勝っちゃいましたね。民主党政権になって設楽ダムも止まるかもと一瞬思ったけど、止まらなかったか…。しかし、今さらダムを建設したところで過疎化の根本的な解決になるわけがないのは、誰もが分かってることなんですけどね。
 まあ、地元住民でない一東三河ウォッチャーとしては、設楽町が“ダムに頼ってしまった最後の自治体”となることを願うばかりです。

 それはさておき、土曜日、用があったので西尾へ。明るい時間帯に来るのは久々だが、市役所が完成してるわ、駅前の高層マンションが稼動してるわ、「はと屋(→●□)」が新飲食店と新売店をオープンさせてるわ、「高知屋(お好み焼き屋)」の隣の空地が舗装されてるわ、肴町のタウンアーチの残骸が撤去されてるわと、けっこう変化があります。
 そんな西尾の市街地で変わらず残っているのが、木製の地名表示板。

091019-1.jpg  091019-2.jpg

 ほとんどかすれかかって読みにくいですが、よく見ると町名の文字は浮き彫りにしてあり、なかなか芸が細かい。左は肴町、右は錦城町。
 ちなみに、同タイプのものを郊外の熱池町でも見たことがあり、かつては西尾全域で見られたと思われます。

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 掲示場所がよかったせいか、旧状をかなりとどめているものも。下部のブルーのところには「西尾商工会議所 観光サービス部会/杉浦飲料KK」と書かれており、商工会議所がスポンサーを募って設置したらしい。肴町には「日の出薬局」、錦城町には「西尾タクシー」とあります。

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 ちなみにこれが「瓦町」。シブすぎる。
 ホーローカンバンのマニアはいても、木製カンバンのマニアってのはあまりいないと思いますが。貼ってある建物が朽ちたとき、地元の人はぜひカンバンを西尾文庫に持ち込んでいただき、保存を主張されることをお願い申し上げます。
(まさ)

※追記
過去の画像のCDを見たら、こんなのも撮ってた。2006.06.03の撮影です。

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 瓦町の地名表示板と西尾東映のポスター掲示板。なんと現役で、「男たちのYAMATO」のチラシが貼ってあった。
西三河雑 | Comments(2) | Trackback(0)

中山太鼓

2009年10月18日
 本日は恵那市串原山中に鎮座する中山神社の大祭を見物してきました。3年前、嫁が取材で訪れたことがあり、とてもいい祭りだと聞いていたので、一度見に行きたかったのだ。
 豊田から矢作川をさかのぼり、串原に入って細々とした林道をひたすら登ってゆくと、付近に人家がまったくない山上に中山神社があります。道行きは静かだったのに、神社の近くまで来ると太鼓の音が聞こえてくる。その音を辿って杉の古木の中を歩いてゆくと、狭い境内に人がぎっしり!

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 この祭りは戦国時代、戦の前に土地の武将らが戦勝を祈願して太鼓の皮が破れるまで拳で打ちまくったのがルーツで、「中山太鼓」と呼ばれています。
 拝殿下の狭い敷地に7台の太鼓が設置され、朝から午後遅くまで、とにかく打つ!打ちまくる!昼食時間以外は太鼓が鳴りっぱなし。
 最初は地区ごとに分かれて各太鼓を打っているのだが、いつの間にか地区がごっちゃになり、参加者が輪となって6台を順繰りに躍り打つようになります。境内は騒然、見てるこっちは一瞬何がどうなったのかわからず唖然。
 この輪には見物客も加わることができ、ウチの嫁は3年前の取材でもらったバット状のバチを持って、果敢に輪に飛び込んでいきました。

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              ↑もみくちゃになる女性取材記者

 あとで僕も輪に入って打ってみたのだが、リズムが覚え切れず、ロクに打てなかった。勉強しなおしてまいります。
 しかし、静かなイメージしかない串原でこんなアッパーな祭りが行なわれているとは。今日はアガった。
(まさ)
中濃・東濃雑 | Comments(3) | Trackback(0)

マンゾー

2009年10月17日
 知多四国の寺を回っていると、主に弘法堂の前で、かなりの確率でこういうものに出くわします。

091017-1.jpg (46番如意輪寺/南知多町内海)

 線香を供える石造りの「香炉台」です。正面に刻まれている寄進者の名前は伊藤萬蔵。知多四国札所の石製香炉台は、まずこの人の寄進といって間違いありません。香炉台だけでなく道標や門柱にもよくこの人の名が見られます。また、知多四国のみならず直伝弘法札所、さらには「本四国」にも石造物を寄進しまくり、その量はハンパない。どんだけ金持ちだ?まさに奇特な人、略して奇人。
 この伊藤萬蔵については、舟橋武志さん(名古屋の出版・古書・郷土史業界で知らない者はいない偉人)が、かなり突き詰めて研究されておられます。舟橋さんが書いた詳細レポートを出版社を通じて入手し、その超ダイジェストを「知多巡礼紀行」に掲載しました。以下、その抜粋。

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 伊藤萬蔵は明治時代、名古屋の塩町に店を構え、一代で財をなした立志伝中の米商人である。塩町は現在の西区城西から幅下にかけての旧町名で、かつては蔵が建ち並んだ堀川沿いの一角にあたる。
 商いが成功し名古屋でも有数の富豪となった萬蔵は、明治10年代から昭和初期にかけて、知多四国の札所だけでなく日本全国のあらゆる社寺に石像物を寄進し続けた。ただ、寄進の経緯や数などを記録した資料がまったく残っていないため、その全貌は把握できない。
 萬蔵の寄進は40代の頃から95歳で死去する直前まで長期間にわたっている。寄進先も驚くほどの高密度、広範囲で、名古屋では著名な神社仏閣のほとんどに寄進しているようだ。判明しているうち最も古いものは熱田神宮の常夜燈で、明治13年の建立。覚王山日泰寺(名古屋市千種区)境内に作られている八十八ヶ所めぐりは、その設置にも関わったらしい。
 本四国の札所の多くにも萬蔵が寄進した線香台が数多く残っている。寄進先はさらに九州にまで及び、その情熱にはただただ感嘆するばかりだ。

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  で、話は前回のブログ記事に戻りますが、呼続駅で下りて旧東海道を笠寺観音へ向かって歩く途中、湯浴地蔵という小さいお寺に立ち寄ってみました。普通なら無視しそうな地味極まりない小寺ですが、呼続界隈では正直、ほかに立ち寄るような面白いところもなかったので、ついふらふらと。

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 こんなに小さくても、「名古屋二十一大師」「尾張六地蔵」という二つの霊場めぐりの札所になっています。
 この本堂の前にマンゾーが寄進したブツを発見!

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 香炉台…ではなくて「供花」?しかも両サイドに。上にはカエルが置いてあるし、いったいこのデカイ花瓶(?)に何の花を供えろというのか。
 湯浴地蔵から旧東海道をさらに南下すると、長楽寺という寺の入口で今度はマンゾー寄進の門柱に遭遇。

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 マンゾー寄進物に刻まれた文字は、このように太く豪快な筆跡でかつ彫りの深いのものが多く、かなりインパクトがあります。こりゃ彫る石工が大変だっただろう。
 そんなわけで、ヒマでしょうがない人は、ぜひマンゾーの遺物を探してみてください。
(まさ)
名古屋雑 | Comments(0) | Trackback(0)

タウンアーチの先へ0003

2009年10月13日
 今日、金山で仕事の打ちあわせの帰り、呼続から笠寺観音まで旧東海道を歩いてみました。笠寺の町に入ったところで、こんなアーチがお出迎え。

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 本笠寺駅北の踏切から笠寺観音まで、200メートルばかり続く商店街のアーチです。電車の中から見えるもんでずーっと気になっており、今日はじっくり観察。書体は変にアレンジしていない昭和40年代テイスト。気になるのは中央の出っ張りで、左には「観音」とあるのに、右には何も文字がない。老朽化して脱落したんだろうか…と思っていたんだが、間近でよーく見ると、この出っ張りは中央ではなくやや左寄り。そして商店街にある3基両面とも、右側は文字なし。
 つまりこれは「笠寺観音商店街」と読ませるらしい。う~ん、空いたスペースがもったいないような気が…。

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 あとどうでもいいんですけど、出っ張り部分に二つ、上に一つ、球状の街灯が付いていました。これはまさに「人生ゲーム」の車型の駒に差し込む人の形。

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 3つめのアーチの先には笠寺観音。夕方なので参拝する人は誰もおりません。
 知多四国八十八ヶ所を巡った名古屋方面からの巡拝者は、87番長寿寺(大高)のあと、帰りがけに八事の興正寺か笠寺観音を参拝した、と言われています。「知多巡礼紀行」の調査のとき、大高で笠寺観音を指し示す道標を見つけたので、笠寺界隈にも知多四国へ導く道標がないか探すのが今日の目的だったんですが、何も見つからず。
 そのかわり、こんなものが。

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 また僕の知らない弘法札所めぐりがこんなところに。「愛知札所巡り」という便利なサイトによると、江戸時代からあったらしい。てことは、知多四国→名古屋21ヶ所の札所巡拝数珠つなぎを昔の人はやってたとか !? なんだか弘法道探索も無限ループの様相を呈してきた。
 いや、アーチとはなんにも関係ないんですけど。
(まさ)
名古屋雑 | Comments(4) | Trackback(0)

カンバンの手帖ブログ版0111

2009年10月12日
 その関市街地裏通りで見つけた、廃商店のカンバン。

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 ピーナッツメーカーの特約店用カンバン。シブい、シブすぎる。だいたいピーナッツ業界って、こういうカンバンを制作するイメージが全然ありません。という以前にピーナッツ業界っていう業界があることもよく知りませんが。
 「春日井のいかピーナ」は春日井製菓。グリーン豆とか黒飴とか作っている、東海圏では(たぶん)メジャーなメーカーですね。「いなばのバタピー」は聞き覚えがあるような…と思ってネットで調べたら、稲葉ピーナッツという岐阜のメーカーでした。「おやつの味光堂」は不明。
(まさ)
中濃・東濃雑 | Comments(0) | Trackback(0)

タウンサインの研究0018

2009年10月11日
 昨日は扶桑文化会館で吉弥・白鳥・喬太郎・志らくの落語会がありまして、そのついでに関の刃物まつりにも寄ってみました。ついでにしては、やや離れた場所だが。

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 刃物まつりは初めてだったんだが、予想以上の人出に驚いた。きょう、この日、刃物を必要としている人がこんなにたくさんいるとは!だってそんなに買い換える物でもないじゃん。
 もっとも包丁やナイフだけでなく、農具やステンレス製品も並んでいて、刃物業界のアイテム数が意外と多いことも再認識。ウチは今のところ刃物類は必要ないんで、ステンレス製のポットを買ってきた。

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 イベントのひとつには、「関」の付く6自治体(=三重県関町、岐阜県関ヶ原町、山口県下関市、上関町、大分県佐賀関町、岩手県一関市)が一堂に会した「全国関フェスタ」という物産展も。同名自治体の交流といえば、何年か前までやってた全国池田サミットを思い出すが、平成の大合併がだいたい終わっても、この手の催しってまだ成立するんだなあ。
 さて、そんな関市街の中心商店街、本町4・5丁目商店街の電光サイン。

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 「セキ」を図案化したロゴといい、書体といい、愛称の「サンロード」といい、見事な昭和テイストの一品。
 関の中心部は、町並み的には評価されていないけど、昭和の商店街風情がよく残ってます。隣の美濃のような売り出し方は無理だが、もう十数年くらい現状をキープすれば、いずれレトロ系町並みとして売り出せるチャンスが来る…はず。
(まさ)
中濃・東濃雑 | Comments(0) | Trackback(0)

カンバンの手帖ブログ版0110

2009年10月10日
 その馬瀬で見かけた店の案内看板。村を縦貫するR257&県道431沿いに同じ様式のものが点在しており、行政か商工会が設置したオフィシャルなものだと思われます。
 村内の店や施設を細かいレベルで拾ってますが、やはり釣り客向けなんでしょうか。

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 しかし、「喫茶・お食事」や「総合食品加工」まで英訳表記する必要はないと思うんだが…。
(まさ)
飛騨雑 | Comments(0) | Trackback(0)

ハツマゼ

2009年10月09日
 本日は、岐阜の某誌の取材で下呂市へ。といっても下呂温泉はまったくかすめることもなく、目的地は金山と馬瀬でした。旧馬瀬村は初めて。7月の旧加子母村に続き、岐阜県内で一度も足を踏み入れたことがなかった数少ない村です。残るは旧朝日村と旧高根村。

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(馬瀬最大の人家密集地、中切集落)

 初めての馬瀬は、いや~、かなりシブかった。有名施設「美輝の里」のイメージがあって、もっとこう、アッパーな感じの田舎(どんな感じ?)を想像してたんだが、悪く言うと地味、良く言うとまったり系。クラスで目立たない女の子なんだけどなんかしらんが僕好みのタイプ、というか(どういうタイプ?)。いや、つまり、なんかしらんが僕好みの村ということです。
 旧馬瀬村は南北に異様に細長くて、下呂市になる前は「岐阜県のチリ」とも言われていました。馬瀬川の細い流れに沿って小集落が点々とあり、旧板取村とどことなく似たところがあるんだけれど、地形にさほど険しがなく、集落景観にどことなく落ち着いた風情があって、板取よりも僕好み…って、ますますわかりませんね。
 美輝の里で話を聞いたら、今は鮎と紅葉の谷間の閑散期だとか。馬瀬の紅葉はかなりレベルが高いみたいなので、また来シーズン、機会があれば行きたいものです。
 そういえば馬瀬では、人を見かけない割にやたらと公衆便所を見かけました。鮎釣り客用か?

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 「美輝の里」がある西村集落にて。この柿を猿が食ってるところを目撃したが、撮り逃した。
 なお、「岐阜県のチリ」と言われていたというのは、ウソです。
(まさ)
飛騨雑 | Comments(2) | Trackback(0)

タウンアーチの先へ0002

2009年10月08日
 昨日に続いてタウンアーチの一例。一宮市街地東部の泉1丁目に残る「花岡」のアーチ。特に凝ったデザインでもなく、まったくもって一般的な一品です。

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 大江川沿いに二つあり、こちらは花岡橋のたもとにあるもの。

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 こちらは花田橋のたもと(似たような名前でまぎらわしいが)。よく見ると、書体が微妙に違います。
 スポンサーは飲食店、スナック、旅館など。詳しく調べていないけど、花岡は旧遊廓の後継である歓楽街みたいです。地図を見ると確かに区画がそんな感じ。ただ、大正12年の地図を見るとまだ一帯は田んぼで、比較的新しいらしい。
 近くに一宮競輪場もあるし、考えてみると豊橋の東田(→●□)とよく似た立地ではあります。

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 上のアーチの下には旧一宮花岡郵便局の局舎も残存。現在は一宮泉局として近くに移転してます。ただし、泉局じたいもすでにけっこう古くて味わい深い。
 実は郵便局舎・旧局舎の写真も20年前から撮り集めてたりします(もとは郵便局マニアなので)。こちらもシリーズ化したいところだけど、旧局舎は個人宅に転用されている例が非常に多く許可とかいろいろ面倒くさいんで、たぶん永久死蔵。
(まさ)
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タウンアーチの先へ0001

2009年10月07日
 その伊勢長島にはこういうものもあります。

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 商店街の入口などでよく見かける歓迎アーチ。こういものはむしろ都会のほうが多く、交通の邪魔とか老朽化とかの理由で、田舎では減少傾向にあります。
 長島では商店街…というか商店はほとんどないので単なる中心地区の東入口に、交差点を斜めに跨ぐかたちで建てられています。桑名市に合併してリニューアルした模様。合併前はなんと書かれていたのだろうか?長島クラスの町だと「交通安全」という場合が多いけど。
 しかし疑問なのは「歓迎 三重県立水郷公園」の文字。このあたりへ観光で訪れた人で、ここを通る者はまずいないと思うのだが…。

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 アーチをくぐった先にあるのは公園ではなく、萱町・中町の町並み。いちおう「町並み」の体をなしてはいますが、かなり地味度が高い。同じ木曽川下流域の祖父江とよく似た雰囲気。
 町並みを抜けると木曽川までだだっ広い田園地帯が広がっています。濃尾平野の典型的な景観で、まあ、写真を出すまでもない。

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 堤防のすぐ下まで行くと田んぼを潰して作ったような池がいくつかありました。なにかと思えば金魚の養殖池。金魚は弥富の専売特許かと思っていたが、長島にもあったのね。

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「エサくれ、エサ!」
↑当ブログの定番フレーズ。これを書きたかっただけ。

 タウンアーチもたくさん撮っているので、シリーズ化します。乞うご期待!(誰が期待を?)
(まさ)
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タウンサインの研究0017

2009年10月06日
 いいかげんこのブログのテンプレートを変更したいのだが、fc2の管理ページを探しても、これぞというのが見当たらない。デザインはともかく、カレンダーとか、投稿日の表示場所とか、書体とか、僕の求める条件はたいしたことではないんだけど、なぜか希望に添うものが全然ないのです。一から作るのはもちろんカスタマイズも自分でできないので、誰かがよいのを作ってくれるのを待つしかないんですが…。とりあえず、プロフィールだけ少し変えてみました。

 それはさておき、先月半ばに三重の長島(紀伊じゃなくて伊勢のほう)に行ったとき見つけた、町内各集落に掲示してある地名表示案内板。行政名では「自治会案内板」というそうです。

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 地域のサインやフラッグに子供の描いた絵を使うのは、けっこう危険なことです。良い子のみんなには悪いけど、美観を損ねる例が非常に多いので。例えばトヨハ…まあいいか。もちろん、悪いのは良い子たちではなく発想が安直なオトナなのだが。
 けど、長島のタウンサインは、地域の特色を的確に捉えたモチーフと、主張を抑えた安定的な絵で、いい感じに風景に馴染んでいます。特に「又木」の案内板に描かれた郵便局とAコープ!ローカルの極み、抜群のセレクトセンスがマニアにはたまらない。
 描いたのは長島中学校美術部の生徒。精進していいデザイナーになってください。

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 中には小学生のヤツも。うーん、まあよしとしよう。しかしこの「ラドーニ」、どういう地名なんだ!と思ったら分譲マンションだった…。
(まさ)
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のび太の東栄奇岩城

2009年10月05日
 昨日とは打って変わって冴えない天候の中、今日は取材で東栄町に行ってきた。なんと今年初めて。
 東部小学校で5・6年生による校区内の「地質見学ツアー」が行なわれたので、それに同行。普段はただひとこと、「いや~、美しい」で済ましてしまう景色が、地質の専門家(鳳来寺山自然科学博物館の元館長)の説明を聞きながら見ると、また違って見えるから不思議なもんです。
 いつも、現在見える風景を人はどのようにして形成してきたのか、ということを考えているのですが、今日のように理科的な視点から風景の成り立ちを考えると、さらに東三河の面白さが見えてくる。つまり、東三河には中央構造線が通ってて、昔は海でどうのこうの…理科は苦手なので上手く説明できない。

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 地質名所のひとつ、振草川の「預り淵」。えー、岩や地層の色の違いがどうのこうの。

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 国道473号の下川橋付近で見られる岩。穴のでき方や色の違いがどうのこうの…いや、理科は苦手なので上手く説明できなくて申し訳ないです。
 原稿の締めは遙か先の12月下旬(掲載は5ヶ月後)なので、ゆっくり勉強させていただきます。
 しかし上の石、手塚治虫の「火の鳥太陽編」あたりに出てくる妖怪のようだ。車で走っているときは側面を見て「ほーっ」て軽く感嘆するだけで通過してしまうけど、河原に下りてみるとこんなふうに見えるとは。
(まさ)
東三河雑 | Comments(2) | Trackback(0)

稲刈りマスター

2009年10月04日
 本日はお日柄もよく、揖斐川町の実家の稲刈りを手伝ってきました。

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 クボタのコンバイン「SKYROAD R1-12」を運転するわたくし(撮影はいつもの女性記者)。操作は簡単。どうでもいいけど、いつもは農村風景を撮る側の自分が、こうして農作業中の姿を撮られてみると違和感がまったくないなあ。さすが田舎の子。
 こうして刈っていると、稲の間に潜んでいた蛙やら蛇やら名も知らぬ虫やらが、キャタピラに終われるようにわらわら出てきます。轢き殺されるのも中にはいるでしょう。ウチのほうでは阿久比の虫供養(→●□)のような行事は特にないけど、農作業でも虫ケラどもと対峙すると、虫供養の精神もわかるような気がします。
 田んぼ仕事は午前中だけだったのに、日頃の寝不足・運動不足で午後からは体が鉛のように重かった。
(まさ)
岐阜中部・西濃雑 | Comments(0) | Trackback(0)

三河湾の景観を壊す埋立の例

2009年10月03日
 東京オリンピック、パーになっちゃいましたね。よかった、というか当然というか。
 テレビではおおむね「東京にオリンピックを!」という翼賛報道だったけど、東京圏以外での盛り上がりはまったくないし(都民の支持率も低かったみたいだが)、東京もしょせん一地方にすぎない、ということが如実に示された一件だったと思います。
 東京ドームで自転車競技開催→後楽園競輪復活、という流れにでもなれば支持したけど…。

 それから広島県鞆の浦の、港を埋め立てバイパスにする工事の裁判では、景観保全のため工事を差し止る判決が出ました。これもよい流れです。というか、社会が今まで景観保全に関して気にしなさすぎた。
 もっと早くこういう時代になってれば、三河湾奥部もこんな様にはならなかったのに。

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(2006.04.17撮影)

 こんな様、の一例。田原市白谷沖の工業地帯造成埋立工事。
 戦前はこのあたり、観光絵葉書も発行されていた渥美半島屈指の景勝地でした。それが今では、姫島に手が届くような勢い。景観もへったくれもありません。もっとも、よそ者の僕だから「素晴らしい景観を台無しにしやがって」と思うだけかもしれなくて、海岸線の景観に関心のある旧田原町民はほぼ皆無でしょうが…。
 景観以前に、今ごろこんなところ造成したって企業は来やしないから、まさしく無駄。りんくう常滑駅周辺を見よ。
(まさ)
東三河雑 | Comments(0) | Trackback(0)

知られざる88

2009年10月02日
 先日、某紙の取材で大府市内の7寺でやってる「大府七福神」を回ってみたのだが、大府高校北交差点(R155とR366の合流点)の近くにある大日寺というお寺で、意外なブツを発見しました。

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 門前の歩道に建つ「弘法大師霊場」の標柱。この大日寺、知多四国の札所でないので今まで立ち寄ったことがなく、この標柱も完全にスルーしていた。弘法さんと関係がある寺だとは聞いてなかったが…。
 境内に上がってみると、88体の弘法像がずらり。

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 おお、壮観。これは大正9年に設置された「本四国八十八ヶ所土砂移奉安霊場」というものらしい。
 知多で弘法さんというと、当ブログでもお馴染みの「知多四国八十八ヶ所霊場」がメジャーですが、文化6年(1809)開創の知多四国の「成功」(?)を受けて、フォロワーの弘法霊場が続々誕生したといわれています。
 後発組でもっとも規模が大きいのは大正14年開創の「直伝弘法」で、これは知多四国と同じく知多郡全域に散らばる88寺をめぐるもの。このほか、「××三弘法」やエリア極小の「プチ八十八ヶ所」があちこちに開かれました。大日寺のこれもそのひとつ。
 さっそく「知多巡礼紀行」の制作でお世話になった弘法道研究家のT先生に電話すると、これ自体はご存じなかったものの、大正時代に本四国の札所から砂を持ってきて霊場を作ることが流行(?)したことがあったそうな。
 かつて知多四国を徒歩で巡った人は、札所でなくても弘法関連寺院であればたいてい立ち寄るのが慣例だったそうで、4番延命寺から6番常福寺の道沿いにある大日寺も、立ち寄りスポットとして往時は賑わったんでしょう。ちなみに知多四国の「番外」札所は、立ち寄りスポットから昇格して加わったところが多いようです。戦前の話ですが。

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 ステキな面構えのスタンディング大師も。刻印によると、この88体を彫ったのは岡崎の石屋で長坂ナントカという人。さすが岡崎。各弘法像の台座には一体ずつ寄進者も刻まれており、大府らしく「鷹羽」姓がやたらと多い。
 これ以外にも大日寺の本堂には、定番の弘法木造が安置されていました。こちらは5番地蔵寺と関係が深いそうで、その絡みではないか、と寺の人。

 他の大府七福神の寺で仕入れた情報では、弘法さんの母親を祀った「御母公21ヶ所」とか、市内北崎町の賢聖院&豊明の2つの御堂からなる「尾張三弘法」(犬山・小牧のものとは別)とか、もっとマイナーな霊場もあるらしい。観音系霊場も多いし(南知多三十三観音とか)、まさに百花繚乱。
 ていうか、この異常な乱立状態ってなんなんだ?これを解明すると、隠されていたリアルな知多人の姿が見えてくる…ような気がする。
(まさ)

090708-6.jpg 090708-3.jpg 「知多巡礼紀行&弘法道地図帳」(樹林舎)
知多雑 | Comments(0) | Trackback(0)
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