3セクに託して

2009年09月30日
 飯田線木造駅舎の消失をやたらと嘆いた9月でしたが、今月上旬に沿線を回った明知鉄道では、阿木、岩村、山岡、明智にまだ残ってました。そのうちのひとつ、阿木駅。

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 相変わらず、すんごい東濃チックな地味っぷりが健在で何より。
 明知鉄道だけでなく、天浜線や長良川鉄道も、木造駅舎の残存率はかなり高い。このあたりの路線って、鉄道ブームとか言ってる割にあまり中央の媒体が取り上げないけど、駅視点で見れば、もっと注目を集めてもよさそうなもんだが。
 80年代中ごろに全国にできまくった第3セクター鉄道、誕生当初は車輌のデザインとか広告とかいずこもチープな雰囲気につつまれて、正直なんだかなあと思ったものです。しかし、金がないのが幸いして駅舎は建て替えられず、今となっては第3セクター鉄道が木造駅舎最後の砦みたいになってしまいました。JR東海のままだったら、今頃たぶん9割は消えてる。
 地域建築学的(今思いついた言葉)にはよかったな、としみじみ思います。

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 阿木から岩村方面を望む。廃ホームに保線小屋、この雰囲気こそ第3セクターの真髄ですよ。
 駅舎にとどまらず、もう路線ごと県指定文化財にしてしまえばいい。
(まさ)
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中濃・東濃雑 | Comments(0) | Trackback(0)

ザ・ゴールデンカーペット

2009年09月29日
 ネタがないのでもうヤケクソって感じですが、伊那谷の飯田線シリーズ三発目。飯島町の七久保駅から北へちょっと行ったところで撮影。

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 何系というのか知りませんが、飯田線にこの車輌が入って2年くらいでしょうか。JR東海の好きなシルバーステンレスのボディ、飯田線にはなんか馴染まないような気がするのは僕だけ?

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 さらに先へ進んで、伊那本郷駅の方が近い地点にて撮影。まだこっちの車輌の野暮ったい感じのほうが、飯田線に合ってると思うのは僕だけ?
 駅舎の改築・リフォームにしても、新造車輌にしても、発足以来JR東海のやること全般にセンスを感じたことがないのは僕だけ…ではないと思うが、どうか。
 
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 最寄りの七久保駅は、木造駅舎がなんとか健在でした。正直、木造といってもそんなにパッとしないけど、頼むから残してくれ。
(まさ)
伊那谷雑 | Comments(2) | Trackback(0)

ザ・ホワイトカーペット

2009年09月28日
 伊那田島の赤そば畑のあと、少し北上して伊那本郷駅の方まで行ったら、今度はノーマルな白いそば畑に遭遇。

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 飯島町の本郷地区にはそば生産組合もあり、そば生産が盛んなようです。
 で、ついでに伊那本郷駅に寄ってみたら、駅舎が建て替えられていた。

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 前回来た時はまだ木造駅舎だったのに。

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(2007.02.07撮影) 
 うーん、JR東海め。あと、上片桐駅も建て替えられてました。
 こうなったらもう、残りの木造駅舎は一刻も早く登録文化財に…。←しつこい
(まさ)
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ザ・レッドカーペット

2009年09月27日
 「鼓撃巡礼」を観にいく前には、ひさびさに飯田線沿線をウロウロしてました。中川村の伊那田島駅近くを通りかかると、まったく知らなかった「赤そば花まつり」を開催中。赤そばの名所はもっと北の箕輪町だと思っていたのだが、中川でもやってたのね。期間は10月中旬まで。

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 なかなか壮観。写真にはたまたま人が写っていないけど、観光客は意外と大勢います。このすぐ下に西原農園というぶどう園があり、「ダブル名所」目指して普通車のみならず狭い農道を大型観光バスが続々とやって来てました。

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 畑の向こうに飯田線が通ってて、物販ブースにはカメラマン向け(というか列車利用の観光客向けか?)に手書きの時刻表が掲示されました。心配りが行き届いてます。
 待ってたら、やがて電車がやって来た。

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 う~ん、たまには乗りたい…。
(まさ)
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ネオ・越県連携

2009年09月26日
 話は前後しますが1週間前、飯田市の飯田人形劇場で「鼓撃巡礼」という和太鼓コンサートを観に行ってきました。

090926-4.jpg ←クリックで大きくなります

 出演アーティストは、高森町在住の塩原良、飯田市在住のアート・リー、恵那市在住の加藤拓三。共通項は、東京国際和太鼓コンテスト(→●□)の大太鼓ソロの部門で、最優秀賞を受賞した経験があること。それぞれのソロ演奏は以前に観たことがあり、いずれもとても良かったので、豪華3人の揃い踏みは見逃すわけにはいかないぞ、と。

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↑会場前のデモンストレーション演奏(サポートのHAB)

 演奏力はさすが最優秀賞の3人だけあって言うまでもありませんが、塩原さんの実に優美な動き、アートリーさんのクール&グルーヴィなリズム、加藤さんの溌剌さ、三者三様のパフォーマンスがそれぞれ際立つ巧みな構成で、会場のノリもよく、はるばる西三河から来た甲斐がありました。

 で、もうひとつ注目したいのが3人の居住地、高森(下伊那)・飯田(下伊那)・恵那(東濃)。下伊那と東濃は、一見あまり関連がないように思えるのだけど、実は中央自動車道で1時間も満たない近接した土地なのです。「実は」っていうほど意外なことでもないか。
 この近接したエリアから、8回のコンテストで3人も最優秀賞を輩出していることって、かなり凄いことなのではないか?何かこう、南信と東濃に共通するグルーヴがあるんじゃないか、とまで思えてしまう。

 隣接しているとはいえ、間に険しい恵那山が立ちはだかっていることもあって、下伊那と東濃の地域連携が意識されたことは、これまであまりなかったと思います。東山道は通じていたけど、歴史的に人の交流も少なかったような気がするし。
 今回の和太鼓コンサートは、南信-東濃という、新しい連携のヒントを提示してくれた…ような気がするような(自信はまだない)。
 これからは、提唱から長いことたっている割に連携している感じがちっともしない三遠南信に代わって、南信と東濃に地元の西三河を加えた「三濃南信」が新しい!かな?なんだかよくわからないけど共通のグルーヴを解明したら、道が開ける…かもしれません。
 あ、とりあえず五平餅文化圏ってのは言えるね。

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 おっとそういえば、いつの間にか飯田山本IC-天竜峡ICが開通して、いよいよ「三遠南信道」が高速道路網に組み込まれてきました。しかし水窪はおろか矢筈トンネルすらまだまだ遠い。僕が生きている間に全通するのだろうか。
(まさ)
伊那谷雑 | Comments(3) | Trackback(0)

カンバンの手帖ブログ版0109

2009年09月25日
 今日、豊橋の老津へ取材に行くのに、車でなく久々に豊橋鉄道に乗って行ってみました。この路線、改めて乗ってみると車窓風景がかなりいいです。特に大清水より先の大農業地帯は、唯一無二の車窓風景なんじゃないか?たいへん地味な路線なのであまり媒体で取り上げられないけど、今後もっと注目されてもいいと思います。経験上、地元で紹介してもなかなか共感を得られないので、中央の出版社の慧眼に期待したいところ。
 で、ずっと前から気になっていた、トヨテツ起点の新豊橋駅前にある飲食店のカンバン。大きな白いボードに牛のみってのは、なかなか大胆!

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 しかし、舌をペロっと出したこの牛、食べる方じゃなくて食べられる方じゃないのか…。
(まさ)
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阿久比谷の虫供養

2009年09月24日
 シルバーウィークとやらの最終日、阿久比町坂部で行われた「虫供養」という行事を見てきました。農作業中に死んだ虫を念仏を唱えて供養する、知多半島特有の民俗信仰です。阿久比のほか、大野谷(知多南部~常滑北部一帯)、東浦などでも行われているもの。
 阿久比では13の地区が持ち回りで開いており、今年は坂部地区が当番の年になります。場所は於大の方(家康ママ)の菩提寺として知られる知多四国16番洞雲院、の裏手にある八幡神社。他地区では公民館で催す場合もあるらしいですが、坂部では風情ある神社境内が会場で、いい年に当たりました。

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 この行事のポイントはおおむね3つ。
 ひとつは「小屋」に飾られた仏などの掛け軸。全部で9つの小屋があり、参拝者はそれらに賽銭を投じて巡拝します。老人はありがたい仏さんの絵を拝むという信仰心があるでしょうが、そうでない人(僕とか)にとっては、珍しい絵を見て回る一種のアトラクション。中でも、大勢の仏さんが楽器を演奏する「阿弥陀如来と二十五菩薩図」なんてのは大変興味深い一品で、たった10円の賽銭で、10分くらい仔細に観察してしまった。

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 掛け軸の前には当番の人がいて、鉦をキンキン叩き続けています。賽銭への礼か、はたまた客寄せか、ボランティアガイドの人に聞いても判然としませんが、この音はまさしく虫供養に欠かせないBGM。会場の雰囲気を作っているという点では、一般的な祭礼のお囃子と同じようなものかもしれません。

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 つづいて、松の木で作った大塔婆。虫供養のシンボルですね。
 この下に砂地が設えられており、幼児がこれを踏めば「疳の虫封じ」になるとか。砂は一袋300円で頒布されてて、記念に買ってみました。どう使うのか聞いたら「えーと、庭に撒いたりとか…ですかね」。曖昧な答えだけど、当番は13年に一度だから仕方ない。

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 そして、阿久比各地区の代表がずらり勢揃いして、4つの掛軸を掲げたメインの「道場小屋」で百万遍念仏。念仏の間、数珠をグルグル回したり、「南無阿弥陀仏」のお札を奉じたりします。この念仏は初めて聞きましたが、聞き慣れたお経とはメロディが異なり、独特の味わい。最後まで聞いていたかったけど、終わるまでに2時間かかるというので、20分くらい聞いて帰った。

 しかしこの行事、なかなかいいです。
 6月に刊行された「知多巡礼紀行」(樹林舎)のエリア解説の原稿で、虫供養のことを「風土や伝承、地域のつながりを大切にする気風によって守られてきた、知多らしい民間習俗といえるだろう」なんて見たことなかったのに書いたけど、それは正しかった。
 若者パワーで異常にアッパーな山車祭りよりも、まったり系の虫供養のほうが、知多半島の真髄に近いような気がするなあ。
(まさ)
知多雑 | Comments(0) | Trackback(0)

大人の階段のぼる中学生たち

2009年09月22日
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せ組(大工町)

 9月19、20日の2日間、某雑誌の仕事で遠州は、大須賀町横須賀(現・掛川市)の「小祢里(ちいねり)」という祭りを見に行ってきた。祢里とは愛知県でいう山車(だし)を指し、14町が14台の祢里を引き回す。キレのいい太鼓、調子のいいお囃子、「した、した」という掛け声(大名行列のしたに~したに~が由来)、祢里の飾りつけなど、見るべきところはたくさんあるが、この祭りの一番の見どころは、中学生3年生以下の子どもたちで仕切っていること。祢里の準備から当日の運行スケジュール、会計に至るまでのすべてを子どもたちで担うのだ。
 各組には幹事会という組織があり、幹事、副幹事、会計の役が設けられる。幹事は最年長の中学3年生が務め、中学3年生がいなければ中学1年生でも担当する。すべてのスケジュールを滞りなくこなし、祭りを盛り上げ、成功させることが彼らの任務。とくに幹事を統括する幹事長のプレッシャーはとんでもなく大きかったようだった。
 
 祭りの取材に行くと、こちらが聞かなくても祭り好きな大人たちが「うちの祭りはな、ここがスゴイんだぞ」などと教えてくれることが多い。でも、子どもたちの場合は自ら、説明をしたがらない。聞けば教えてくれるけれど、同級生がいる前では照れくさいようで、口数は多くはなかった。祭りが始まると、とくに中学生たちは組のこと、祭り全体のことでいっぱいいっぱい。幹事長は駆けずり回って、指示を出していた。
 当日、幹事長の目が真っ赤になっていた時があった。明らかに泣きはらした様子で、鼻をすすっている。あ~、これは何かあったなと思ったが、とても聞けない。しばらく経ってから幹事長とすれ違ったので、「どう?」と聞こうとしたら、ワタシの声を遮るように「順調です!」と大きな声で返してきた。強がった言い方だったけれど、何か格好よかった。彼の側には他の組の幹事が寄り添い、サポートしている。祭りが進行していくたびに、幹事たちの関係がどんどん強くなり、中学生とは思えない大人の顔つきに変わっていた。
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 そんな彼らの姿を見ることができたのが、今回の祭りの収穫。帰り際、「ありがとうございます!」と、こちらの目をしっかり見て言ってくれた。歩き疲れて帰りはフラフラだったけど、そんな疲れも吹っ飛ぶくらい嬉しかった。
 
 そうそう、これは付け足しておかないと。今回の祭りは子どもたちが主役だが、子どもでは出来ないところは大人たちが助けていた。つい手を貸してしまいがちだけど、子ライオンを谷底に突き落とす親ライオンのように(そこまで厳しくないが)、子どもが困ったときだけ助けるという姿勢を貫いている。子どもが汗水流して練り歩いているなか、大人は道端で酒盛り。いいですねぇ~。祭りは子どもに任せて、今日は酒飲んで楽しもう的なノリは、子どもを信頼していないとなかなか出来るもんじゃない。
 あと、祭りの段取りなど教えてくださった大人の方々、本当にありがとうございます。とくに横須賀の茶碗屋さんとお米屋さんには大変お世話になりました。

 来年4月には大人が主役の三熊野神社の大祭がある。日程は4月2日(金)~4日(日)。もちろん子どもたちも参加するので、これは見に行きたいなぁ~。(まり)

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遠州雑 | Comments(0) | Trackback(0)

鳥羽山の悲劇

2009年09月20日
 船明(ふなぎら)でウロウロしたあと、昼飯にしようと天竜市内のとあるソバ屋に入ったら、これがなんか不思議な店で…。
 昼時なのに客は僕だけ。テレビもラジオもなくシーンとした店内は、暖簾をくぐった瞬間になんだか居づらい雰囲気が漂っていました。
 しかし入ってしまったものはしょうがないので、とりあえず、手打の店だったのでざるを注文しよう、と思ったら、「新そば入荷まで中止しています」との貼り紙が!新そばじゃないと打つ気にならないのか!?
 さらに、お茶を出してくれなかったので要求すると「ウチはお茶、出してないんです」。注文すると自動的に湯のみに入ったそば湯が付いてくるという。ざるそばじゃないもの頼んでそば湯もらってもなあ。
 まあこれくらいなら「こだわり店主の店なんだな」で済ませられなくもない。
 ここの給仕係はおばあさんなのだが、できあがった胡麻ぶっかけソバを僕の前に置くともう何もすることがなく、手持ち無沙汰な様子で店の片隅にちょこんと座ってしまった。そしてカウンターのむこうでは調理を終えた店主が、これまたなにもすることがなく所在なさげにポツン。
 静けさの漂う店内に、僕がソバをすする音だけが響く。う~ん、居づらい!
 ソバに対するこだわりも大事でしょうが、店の雰囲気作りにもこだわってほしいところです。

 それはさておき、ソバを食べ終えて逃げるように店を出たあと、近くの鳥羽山に登ってみました。戦国時代の城跡で、頂上は公園として整備されており、車で上まで行けます。頂上の展望台から見える眺めを確認したかったので。
 展望台は二つ。うち一つは北向きで、掲示してあった写真(銅板に転写したもの)を見ると、かつてはこんな眺めだったらしい。

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 折り重なる山々の間を天竜川が大きく蛇行しており、なかなかの絶景です。ところが実際はこんな具合。

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 展望台の意味ないじゃん!
 そしてもう一方、南向きの展望台からは浜松平野が一望できます。

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 できるんだけど、電線が邪魔!
 そもそも公園全体が、なんか手入れが行き届いてない風情。政令指定都市とはいえ公園事情はなかなか厳しい…。
(まさ)
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フナのギラギラ

2009年09月19日
 今朝、掛川市横須賀(旧大須賀町)の祭りを取材に行く嫁を送って東名高速を東に向かったんですが、反対の下りが岡崎から浜松あたりまで一部途切れながらも延々と渋滞してました。昨晩10時ごろ国1を走りながら見てたらすでに渋滞しており、今日の夕方にも国1から見たらまだ渋滞。凄まじいにもほどがあります。
 盆の帰省ラッシュはまだ理解できるが、混むことわかっていながらなぜそれでも高速に乗って遠くに出かけようとするのか?理解できん。途中で予定変更して下道を走って、空いているところに行けばいいじゃないかと思うのだが。例えば作手とか…。

 それはさておき、横須賀で嫁を降ろしたあとはこちらの取材で遠州をウロウロ。その途中、久々に旧天竜市の船明(ふなぎら)へ行ってみたら、長らく動きがなかった「佐久間線跡」の区画整理事業が進んでいる模様で、国道152号の経路が少し変わり、築堤跡に重機が置かれていた。

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 なんの話かといいますと、昔、二俣線の遠江二俣と飯田線の中部天竜を結ぶ「国鉄佐久間線」の計画があって、旧天竜市内だけ築堤、トンネル、橋梁の橋桁などが完成していたのだが、時代の流れで計画が頓挫してしまい(無駄な公共事業の走りみたいなもんです)、それらはすべて無用の長物に。壊すのも金がかかるのでそのまま放置されていたところ、大規模な宅地化が行なわれる船明のあたりだけ区画整理の邪魔なので築堤を壊した、ということ。
 よそ者から見ると正直、こんなところ団地にしてどうなのかなあ、と思うんだが…。造成大好き・区画整理大好きの静岡県らしいといえばらしい。

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 船明の火の見櫓(→●□)近くに残る築堤の上から、二俣方面を望む。昔はずーっと築堤が続いていて、なかなか壮観だったのだが。
(まさ)
遠州雑 | Comments(0) | Trackback(0)

イーストワード

2009年09月17日
 春夏秋冬叢書の季刊誌「そう」24号連動ネタ。今回のキーワードは「東」ということで、豊橋の東田を取り上げましたが、三河遠州で「東」といえば、極めつけの地名がありました。

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 浜松市東区。特にまとまりがあるわけでもない浜松市の東部地域を、区制施行にあたって「とりあえずひとまとめにしとけ」てな感じで線引きされたような区です。歴史に基づいた味わいのある区名を期待してたんですが、中心地区もないし、歴史的な総称もないし、シンボル的存在もないし、最初から「東区」にするよりほかにない。区名の住民投票がアリバイ的に行なわれたけど、さながら先の衆議院選の城内みのる氏のように、5つの候補中、圧倒的な支持を得ました。
 面白い記事が書けないかと、HINOMI探索以来久しぶりに区内をグルグル回ってみたんですが、文章がまったく思い浮かばず、結局「東田」で書いた次第です。
 それでも少しは小ネタを拾ってきました。
 東区の北の方に積志という地区があります。昭和の大合併は以前は「浜名郡積志村」で、今は特徴のない住宅地が多くを占めていますが、昔は純粋な農村でした。この積志という地名、字面も語感も個人的にけっこう好きです。
 この地名の由来、明治時代によくあったように「役人が何かの書物から適当に引っ張ってきたんだろう」ぐらいにしか考えてなかったんですが、実は自治体の名称としてはかなりイレギュラーなものでした。

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 旧積志村役場のあった公民館に、単に「積志」という標題の石碑があり、漢文がびっしり刻まれています。
 この訳を記した案内板もあり、それによると、積志村の由来は当地に設立された「積志銀行」。発足は明治8年、当初の名称は「積志講社」で、村民から積立金を集め、村民の資産増殖とともに区費や学費に充てるために設立されました。これがのちに積志銀行に改称され、明治41年に合併で新しい村ができた際、住民と地域に利益をもたらした銀行の名をとって「積志村」と命名したとのこと。案内板には積志の語そのものについては「淮南子(漢代の思想書)の語からとったか、或いはまた、私を制し公に譲り、小を積みて大に致すという意から名付けたか」と記されています。
 言葉のフィーリングもさることながら、意味的にこれはなかなかいい言葉ではないですか。なんなら東区じゃなくて「積志区」にしてもよかったんじゃないか、と思うくらい。ただ、区名投票では5候補のうち4番目。採用されてたら、笠井や市野や中野町の人が黙ってなかっただろうけど。

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 看板と石碑だけでは殺風景なのでオマケ。遠鉄の積志駅。
(まさ)
遠州雑 | Comments(2) | Trackback(0)

カンバンの手帖ブログ版0108

2009年09月16日
 市電の東田坂上停留所付近から旧遊廓へ続く「東雲通り」で発見した一品。

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 胃腸薬の「わかもと」のカンバンです。右書きなので戦前のものと思いますが、そうなると遊廓のあった頃から存在するわけで、その意味でも貴重。腹を壊した遊女や客が、「わかもと」を求めて駆け込んだりしたこともあったはず。ただ、店はもうやってませんが。

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 こちらが、昔は市電も走っていた東雲通り。遊廓の成立後に門前町ならぬ「廓前町」として発展したらしい。食堂や銭湯もあって下町っぽく、なかなか味わい深い町並みです。そのうちレトロタウンとして売り出す…ということは、たぶん、ない。
(まさ)
東三河雑 | Comments(0) | Trackback(0)

東田の星

2009年09月15日
 豊橋・桜丘高校出身の競輪選手、深谷知広(96期)が今日の大津びわこ競輪で優勝し、デビュー以来無敗のままS級に特進しました。家のPCで中継を見ていたら、昔の吉岡のごとく2着に大差のぶっちぎり。いやー凄い。豊橋期待の星というより、もはや競輪界期待の星ですね。今度、豊橋で深谷が走るときは見に行かねばならん。
 こんな逸材が現れたのに、豊橋競輪場がなくなるようなことになったらシャレにならないので、関係各位にはこれからも頑張っていただきたいものです。

 そんなこんなで、春夏秋冬叢書の季刊誌「そう」24号が発売になっております(表紙はずっと追っ掛けている足助のチンドン屋「嵐」→●□)。今号のキーワードは「東」ということで、毎回担当している地名探訪コーナーは、豊橋競輪場の所在地でもある東田を取り上げてみました。
 東田といえば、レトロマニアには遊廓があったことで知られています。東田遊廓があったのは現在の吾妻町で、区画がそっくりそのまま残っているので地図を見れば一目瞭然。ただし、今行ってもそれらしい建物はほんの少ししか残っていません。

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 東田遊廓は明治43年、当時の大口市長が15師団を誘致するため、もとは宿場町の札木・上伝馬にあった遊廓を町外れの東田に移転させて、誕生しました。このことはいろんなところに書いてあるのだが、その後どうなったのか、市史や豊橋の歴史本を漁っても、ネットで探しても出てきません。
 仕方ないので中央図書館に2日ぐらい籠って新聞のマイクロフィルムをひたすら探したら、豊橋の赤線廃止直後の昭和33年1月3日付け「豊橋新聞」に、その歴史がこと細かに書いてあるのをようやく発見しました。以下、その記事のまとめ。

 東田遊廓が消滅したのは昭和19年。理由は、大崎沖(今の明海町)に海兵団や軍需工場が設置されることになり、その寄宿舎建設用資材として遊廓の建物が徴用されたため。それを受けて一部の店が有楽町に移転しました。軍施設に近かった有楽町は私娼街になっていたのですが、従来の店と移転組が合体し、新たに「小池遊廓」が誕生したのです。戦局もいよいよ押し詰まっているというのに!しかも、翌年の豊橋大空襲で灰燼と帰しながらも、すぐに再建されたというから凄い。
 戦後、東田遊廓跡地は引揚者向けのバラック住宅街となりましたが、引揚者が始めた飲食店で私娼を置く店が何軒か現れて、問題化します。公認の有楽町の店が激しくクレームを付けたり、GHQが取り締りに乗り出すなか、逆に地元では町の活性化のため遊廓を復活しようという動きも出てきて、もうシッチャカメッチャカの大騒ぎに。市議会でも紛糾しますが、結局、遊廓復活が決議されます。
 それで昭和27年に「東田園」の名で新しい公娼街(特殊飲食街=赤線)が誕生しました。これは吾妻町の旧遊廓跡地ではなく、現在の東田仲ノ町になります。

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 しかし、復活したはいいものの、昭和31年に売春防止法が成立。これを受けて東田園も有楽町も、昭和32年12月末日限りで廃止されてしまいました。廃止後、何軒かの店は旅館や飲食店、キャバレー的な店に業種を変えて営業を続けますが、それも今やほとんどがやめてしまいました。

 東田園も有楽町もネットや本で紹介されてその筋では割と知られているので、なにか東田遊廓の分かりやすい痕跡はないかと探してみたところ、吾妻町の端の方で「豊光稲荷」というのを見つけました。

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 この鳥居は、遊廓の宿が寄進したもの。

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 入船楼は、東田遊廓でも最大規模の店だったようです。
(まさ)

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(2010.01.19追記)
 東田の旧赤線がある町名をなぜ「東田仲ノ町」と呼ぶのか不思議に思っていたのだが、おそらく吉原のメインストリート「仲之町通り」から採ったんでしょうね。粋だ!
 立川談四楼「寿限無のささやき」を読んで、気が付きました。
東三河雑 | Comments(0) | Trackback(0)

カンバンの手帖ブログ版0107

2009年09月14日
 ZAZENBOYS×立川志らくの「マツリセッション独演会」のために大阪で一泊したのですが、ライブ以外の行動は、二日ともベタベタの大阪観光となりました。

090913-1.jpg ベタな女性取材記者(こういうのがあると必ずやる)

 初日は天神橋筋商店街散策に天満天神繁昌亭昼席。2日目午前中は新世界と通天閣。食事は天神橋筋商店街の寿司屋、鶴橋のホルモン焼き、串カツとこれまた大阪ド真ん中コースで、一緒に行ったもと大阪在住の友達が、美味い店に導いてくれました。
 そして2日目の午後には上方落語の一大イベント、彦八まつりへ。

090913-2.jpg 林家卯三郎さんにサインを求めるミーハーなわたくし

 会場にはファンがわんさか。そして落語家もわんさか。ずらり並んだ出店のすべてで落語家自身が客相手をしているという普通では考えられないような状態で、上方の落語家の敷居の低さに驚いた。
 会場内をうろついていると、去年の秋に豊田市上郷の落語会で見た(→●□)桂梅団治さんと林家卯三郎さんを発見!それで、なぜか持参していた足助のたんころりんの団扇にサインを書いてもらいました。西三河在住の僕らにとっては意味のある一品になったのだが、お二人にとってはなんでこんな団扇にサインを書かされたのか訳が分からなかったでしょう。スンマセン。また西三河に来てください。

 えーと、あと、新世界で見つけた昭和45年のマニアックなカンバン。

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 愛知万博のこういうのはないだろうなあ。
(まさ)
西日本 | Comments(0) | Trackback(0)

ZAZEN BOYS×志らく

2009年09月12日
 先日9月4日、ZAZEN BOYSのライブを大阪の厚生年金会館芸術ホールで見てきた。タイトルは『マツリセッション独演会』。落語家の志らくをスペシャルゲストに招くという変り種である。会場には落語会ではお馴染みのめくり(演者の名前が書いてある)があり、パンフレットには演目(曲目)も書いてある。ワタシのイメージでは、ロックはオールスタンディングで縦ノリ、落語はオールシッティングで時々縦揺れ。相反するようなその二つが、どう絡み合うのかに興味があった。
 
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 1曲目、「マツリセッション」。ボーカルの向井秀徳に対して、ギター、ドラム、ベースの3人が身構える。来るならこい、望むところだ、受けてやると、セリフが聞こえてくるような緊迫したムードの中で、向井が空気を切ると、ギターやベース、ドラムが鋭く鳴る。前から6列目で見ていたから表情も見える。とくにドラムがいい。両手を前に出して低く構える姿は、いつ、どこから降ってくるか分からないボールに反応しようとするゴールキーパーのよう。あんな風に対峙するバンドは初めてだった。
 
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 志らくの出演はラスト。ステージ上にスクリーンが下りてきて、ZAZEN BOYSの姿がシルエットに映る。その前に高座が用意され、出囃子はZAZEN BOYSの「アソビ」。割れんばかりの拍手のなか、着物姿の志らくが現れた。
 志らくが掛けたのは、ボーカル向井がビリビリと震えたという「らくだ」。狂っていた。ちょっと走り過ぎた感もあった。でも、「らくだ」の登場人物も志らく自身も、汗だくだくの狂気の域に入っていた。思った以上に観客はウケていて、ワタシの斜め前に座っていた、ZAZEN BOYSのTシャツを着た男の人なんて、体を揺らし、時には声を出して笑っていた。落語会だと、どうでもいいところで手を叩いたり大笑いしたりして、ムードを壊す客がたまにいるのだけど、不思議とそういう人はいなかった。

 殺気立ったロックバンドと、狂気狂乱の落語。これ、ありです!人情話じゃ場がしらけそうだけど、「らくだ」だからこそ、しっくりきたのでは。
 しかしながら、志らくはいつもより緊張していたようで、汗の量が尋常じゃなかった。落語会では会場が明るいけれど、今回は志らくのほうにだけライトが向いていたから、暑かったと思う。けれど、きっとそれだけじゃない。会場のお客さんのほとんどがZAZEN BOYSのファンだったろうし、客層だって20~30代が中心で若い。ウケるウケないの問題より、ロックファンの皆さま方に果たして落語は受けいられるのか。志らく自身も、当たって砕けろ的な気持ちでのぞんだんじゃなかろうか。
 とはいえ、こういう冒険的なアソビ、試みができる落語家は志らく以外は考えられない。談春はまとまりすぎて合わないし、志の輔は分かりやすすぎるし、昇太はお笑い系だし、鶴瓶は優しすぎるし・・・。落語家って、なぜかみんな似たような顔つきをしているけれど、志らくはZAZEN BOYSの一員としてさりげなくギターを弾いていたら、案外染まってしまうかもしれないなぁ。

 志らくにしかできない落語の冒険的追及。これからも楽しみです。(まり)
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飯田線駅舎取り壊し速報

2009年09月11日
 今日、何年かぶりに飯田線時又駅に寄ったら、改築の案内が貼ってありました。

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 工事期間は9/7から12/7までとなっており、9/12から工事に伴い待合室と改札通路を移動…って、明日からじゃん!飯田線マニア、駅舎マニアの方は即、お出掛けください。
 時又駅は昭和2年の建築。下伊那南部を歩き回ってた頃は何度も利用したもので、好きな駅のひとつだったんだが、惜しいことです。もはや飯田線の木造駅舎は数えるほどなので、残りはぜんぶ登録文化財にしてもらいたい。
 取り壊しといえばもうひとつ、時又駅から徒歩3分、天竜川に架かる天竜橋も架け替え工事中だった。

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 天竜川の橋でも屈指の美しさ、だと個人的に思っていたんだが、惜しいことです。すぐ下流に新橋がすでに姿を現しているので、遅くとも年内まででしょう。橋マニアの人はお早めに。

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 橋の向こうの高台には、例によってHINOMIが!こちらはまだまだ生き永らえ…てくれるといいんだけど。
(まさ)
伊那谷雑 | Comments(2) | Trackback(0)

風雲!タカバ城

2009年09月10日
 いや~秋空ですね。今日、知多半島で仕事の打ち合せがあったついでに、伊勢湾の美しい夕景を撮ろうと、常滑市北部にある大野城跡へ。ニセモノ天守閣(展望台)がある中世の城跡です。

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 しかし、行ったら閉まってやがった。5時までだって。夕焼けの一番美しい時間帯に閉めてどうする!いちおう城の外からも撮れたことは撮れたんだけど、山の影が邪魔だし。まあ、管理人が常駐する施設ではないのでしょうがないんだけど…。ヘタに開けておいたらヤンキーに荒らされること必至だからね。
 ところが、国道155号へ戻るべく山を下りようとしたとき、城山から見るよりもいい夕焼けの光景に遭遇しました。

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 一瞬、サンフランシスコかどこかかと思った(行ったことないけど)。この青海山団地、日中に通っても特に何の感想もない団地なんだけど、この季節のこの時間帯は意外といい感じではないか。坂マニア(タモリとか)にはたまりませんね。
(まさ)
知多雑 | Comments(4) | Trackback(0)

セメント瓦マニアックス

2009年09月09日

 木造校舎といえば、山吉田の1週間後に設楽町に行った際、同じく撮る機会を逸していた旧八橋小学校も見物してきた。田口から津具への途中にあります。学校マニアのくせになぜ撮り洩らしているかといえば、ここを通るのはほぼ間違いなく津具を目指しているときで、いつも「アーッ、まあいいや」で通過してしまう。

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 奥三河の小規模小学校に典型的な、横長平屋建て校舎が現存。しかし、設楽ダムの水没予定地にあり、ダムが本当に完成すれば(民主党政権になったので中止にならないかなあ)水の底です。かつては常滑市の野外活動センターとして使われてたらしいが、実際にここで活動している場面には遭遇したことない。

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 上とは別に講堂もあるのだが、よく見ると屋根がセメント瓦。長年風雪にさらされ、苔むしています。風格を重んじそうな学校建築にも使われているとは。だけどセメント瓦って、なんとなく奥三河によく似合ってて、好きです。
 陶器瓦は残るだろうけど、セメント瓦の建築物は何十年か後にはすべて消滅するだろうから、建築学的にも水没は惜しい…。いや、そんなマニアックな観点からダムに反対するわけではないですけど。
 オマケ。1年半ぶりに訪れた三河田口駅跡。こちらもセメント瓦です。

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 前回訪問時には待合室をかろうじて覗けましたが(→●□)、もうムリ。
(まさ)

東三河雑 | Comments(3) | Trackback(0)

旧校舎取り壊し中

2009年09月08日
 先月末、久々に鳳来方面に行ったら、静岡県境近くの下吉田という集落で建物の取り壊し工事に遭遇しました。

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 無残な姿をさらしているのは、旧山吉田中学校の校舎です。昭和26年に建築され、昭和45年に鳳来中に統合されたのち、なにかの工場として使われたり、木材置場になってました。山吉田地区のランドマーク的な建造物だったので大学時代から存在は知っていたのですが、かつて正門に「関係者以外立ち入り禁止」の看板が出ていたので、ビビッてまともに写真を撮ったことがありません。う~ん、恐れず撮っときゃよかった。
 このあと、山吉田ふれあいセンターに取材に行ったら、取り壊し時に出てきたという棟札が保管されていたので撮らせてもらった。

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 けっこうデカいもんだ。永年保存してほしいものです。
 ちなみに跡地には、山吉田小学校が移転するそうです。以上、東三河の一部の人にしかわからない話題でした(いつもか)。
(まさ)
東三河雑 | Comments(0) | Trackback(0)

岐阜的な景観

2009年09月07日
 先週火曜日、東京から戻った翌日に白川郷へ取材に行ってきた。白川村じたいは何度も通っているけど、合掌集落をまともに散策するのは今回が初めて(嫁は何回も来ています)。夏休み明けの平日ということもあって、有名観光地にしてはさほど混雑しておらず、落ち着いて歩けた。

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 白川郷といえば、ガイドブックではよく「日本の原風景」「昔話の世界」「タイムトリップ」などと形容されることが多い。僕も某ガイドブックの編集をしていたとき安易にそういうキャッチコピーを付けたりしたこともあったけど、実際に歩いてみると、これらはどうも正しくない。
 もちろん合掌造り家屋のインパクトは凄いのだが、昔話もタイムトリップも大げさ。原風景といっても、多様性に富んだ日本の田舎の景観をここに代表させるのは無理があるってもんで、せめて「岐阜県の原風景」というべきではないか。ていうか、地形や集落の雰囲気に、なんかものすごく岐阜の農村っぽさを感じたんだけど。
 写真のとおり、白川郷は家の周りを田んぼが囲んでいます。田んぼの中に民家が点在するといってもいいくらい。そんな集落には水路が張り巡らされて、潤いがある。山深い土地ではあるけれど、ここだけ見ると険しさはあまり感じられず、なんとものどかで小ぢんまり。他にも要因はあるけれど、そんなあたりに岐阜っぽさを感じるのは僕だけ?
 白川郷は、時代を超越した異空間を見に来るのではなく、岐阜的な農村風情を味わいに来るところではないかと思います。
(まさ)
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怒涛の末広亭

2009年09月04日
 実は東京のTAIKO JAPANの前後は、寄席に行ってました。実は、なんて書くと後ろめたいようだが、別に後ろめたくはありません。
 前日の7/27は池袋演芸場の昼席。池袋西口のビルの地下にあるのだが、なぜこんな地下深くに寄席を作らなきゃならないんだ、とまずハテナ。そして中に入ると狭さにびっくり。高座と客席合わせても、東京国際和太鼓コンテストの会場になった青山劇場の、ステージの半分くらいしかないじゃないか!東京の地下深く、狭い小屋でひっそり見る落語。う、後ろめたい。

 この日は、中トリが林家正蔵、トリが柳家三三という豪華な顔ぶれ。林家正蔵といえば元こぶ平。こぶ平といえば「タッチ」のアニメでデブのキャッチャー孝太郎の声優やってたのが思い出されますが、東京のローカルテレビ局で再放送やってたもんで、毎日観てました。それはさておき、いろいろ書かれているのを読むと正蔵は面白いかどうか不安だったんだけど、意外に面白かった。声がかなり嗄れていたのが、また味わい深い。孝太郎も老成したんだ。
 三三は5月に名古屋で見て実によかったが、今日も変わらず実によかった。「若いくせに高座では若さがない」とか言う人もいるようだが、別にいいではないか。
 他のメンツは正蔵・三三のセレクトとのこと。この日、一番ウケていたのは二つ目の春風亭駒次で、東急の路線が戦国武将になって覇権を争うという新作をやっていた。まったくもって鉄道マニアで東京ローカルだが、面白い。明日、ZAZENBOYSと立川志らくのコラボが大阪であるが、駒次はくるりとコラボしたらいいと思います。
 あと、春風亭百栄が凄かった。何が凄いって顔が。ザブングルの「悔しいです!」の人とバナナマン日村を足して二で割ったような感じで、怪芸人っぽい雰囲気。噺もなんか掛け合い漫才のようで、特に若い女の喋りが気持ち悪くてよかった。

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 最終日明けの8/31は新宿末広亭で、勢朝、歌武蔵、彦いち、白鳥、玉の輔による「個性派5人衆の会」。台風だというのに行ったらけっこうな行列が出来てて、そんなに人気のメンツなのかと驚いた。しかし、中に入ると余裕で座れて満席にならず。喫茶店でも行ってりゃよかった。
 雰囲気は池袋演芸場と正反対でむちゃくちゃ味があり、昔ながらの寄席の趣です。東京のど真ん中にこんなところがあるとは。ボロいシート席の両サイドは加子母の明治座のように桟敷席になってて、そこに座ってみた。う~ん、座っただけでなんかいい感じ。末広亭初体験の身としては、この雰囲気味わえただけで満足。落語がつまらなくてもまあいいやって気になります。いや、ちゃんと面白かったけど。
 林家彦いち、三遊亭白鳥は怒涛のテンションで新作二連発。最高。最後の勢朝も怒涛のテンションだったが、結局落語をやったのかやらなかったのかわからないうちに終わっちゃった。なんだこの人?三遊亭歌武蔵は元力士だけあって怒涛の大きさ。そして五明楼玉の輔はラストの大喜利で怒涛の下ネタ。大喜利って「笑点」で見ると何かアレだけど、生で見ると割と面白いもんですね。

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 オマケ。青山劇場/こどもの城ビルの11Fから見た新宿の摩天楼。あんな街に末広亭があるなんて、東京は魔境なり。
(まさ)
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北海道遺産

2009年09月02日
 東京の話題から、話はまたまた北海道に戻ります。滞在三日目の7月27日(月)。
網走から帯広に向かった一番の目的は、花畑牧場の生キャラメルや柳月の切れ端バームクーヘンをゲットするためではなく、競馬。帯広でしか開催されていない「ばんけい競馬」を、どうしてもこの目で見たかったからです。
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 ばんえい競馬を知ったのは、今年5月の落語家、柳家小三治の独演会でのこと。本題の「馬の田楽」に入る前のマクラで、「競争馬と一緒に走っても、人間のほうが速いんですからっ。あれは見る価値ありです!」と、ばんえい競馬について語る語る。そこまで小三治を熱くさせる“ばんえい競馬”っていったい何なんだ?!と、大いに興味をそそられたわけです。

 当日、午後4時からバックヤードツアーを申し込んでいたので、その1時間ほど前に、ばんえい十勝競馬場に到着。場内に入ると、ちょうど3レースが始まったところ。馬は一歩踏み出すたびに足の筋肉が隆起するような力強い馬ばかりで、馬の後方には鉄の塊みたいなソリが付いているし、騎手はソリの上に乗っているし、ワタシが唯一知っている中京競馬場や笠松競馬場とは全く異なっていた。

 コースはスタンドと並行に200メートルの直線で、その途中には土を盛った障害物(小さな山になっている)が二ヶ所。最初の障害物は難なくクリアするが、次の障害物は相当苦しいようで、なかなか乗り越えられない。ほとんどの馬が手前でピタッと立ち止まり、一呼吸付いてから上り始めるのには驚いた。後で調べたら、これはばんえい競馬特有の作戦らしいんだけど、なかには障害物を乗り越える時に足を滑らせ、前のめりになっている馬もいる。障害物を何とか乗り越えたものの、途中で力尽きて、ゴール手前で立ち止まってしまう馬も。こうなると、どの馬が一着になろうが関係なくなり、「大丈夫か、ガンバレ!」と声を掛けずにはいられない。しかも、馬と一緒に走ってみたら私のほうが断然速い。
 ルールも平競馬とは異なり、ばんえい競馬はソリの後端がゴール線を通過しないとゴールインにならない。そのため最後の最後までスローな競り合いが続く。だから、目の前で見ていても、どの馬が一着になるのか分からないのだ。

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障害物をのぼる手前でストップ!

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雨のほうがコースが湿ってソリが滑りやすくなるため、馬にとっては比較的楽らしい。

 そもそも、なぜこんなスタイルの競馬が誕生したのか。競馬場に隣接する「馬の資料館」の説明によれば、ばんけい競馬は丸太を運搬する馬の力試しが始まりだそう。つまり丸太の代わりがソリになったわけ。その日のソリの重量は700キロ。ベストシーズンの冬には1トンになるらしく、徐々に重量を増やして慣らしていくらしい。

 当初の予定では最終レースまでいるつもりはなかったのだけど、最後まで馬の勇姿を見届けたい気持ちになり、土砂降りで直前に中止になった11レースまで競馬場で過ごしてしまった。
 見たレースはすべて賭けたけれど、結果は全てハズレ(100円単位でしか買っていないから大した額ではないんだけど)。一緒に行ったIさんも完敗。ダンナは一度だけ当たった(でも少額)。大金を当ててジンギスカンを腹いっぱい食べるという夢は叶わなかったけれど、馬を責めても仕方ないって気持ちになるんだなぁ。

 場内は掃除が行き届いていて、タバコの吸殻もほとんど落ちていない。小さな子どもが遊べるキッズコーナーもあるし、ばんえい競馬オリジナルパンも売っている。馬と一緒に走っている子どももいるし、公営ギャンブルとはいえ、北海道らしいのんびりした雰囲気が漂っている。バックヤードツアーのスタッフも気合が入っいて好感がもてたしなぁ。
 かつては北海道の各地で開催されていたばんえい競馬も、ここ帯広にしか残っていない。経営は大変なようだけど、何とか存続してほしい。北海道に行く機会があれば、ぜひ行ってみてください!(まり)

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打つひとびと2009

2009年09月01日
 27日から31日まで日本有数規模の和太鼓イベント、「TAIKO JAPAN 2009/第8回東京国際和太鼓コテンスト&カレッジ」の手伝いに行っておりました。全国選抜のチーム&ソリストによるコンテスト/10あまりのワークショップ/和太鼓コンサートの3部からなるイベントで、僕の仕事は記録(スナップ撮影およびコメント取り)および搬出入のヘルプを少々。嫁は場内スタッフおよび記録。

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 今年で3回目(嫁は8回目)の手伝い参加。3回目ともなると少しは余裕も出てきて、コンテストの出場者やワークショップ講師のプロ奏者をじっくり観察できるようになってきた。和太鼓のプロは、普段アマチュア相手に指導する仕事が多いせいか割と敷居が低い人が多いのだが、やはりそこはプロ、皆それぞれオーラというか凄みがあります。
 ワークショップ参加者は終了後、気楽に声を掛けていたけれど、僕は恐れ多くてそんな気楽に話しかけられないぞ!

 東海地方がらみの話題では、ジュニア部門のコンテストに出場した春日井の「転輪太鼓」にCBCが密着取材してました。最優秀賞を受賞したので、かなりいい画が撮れているはず。9/3夕方の「イッポウ」で放送されるそうなので、興味のある方はご覧下さい。
(まさ)

「TAIKO JAPAN」シリーズ
2007→●□
2008→●□

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