カンバンの手帖ブログ版0104

2009年07月30日
 女満別空港に着いたのは昼過ぎ。YHでの結婚パーティーは夜。そんなわけで暇潰しに網走駅から釧網本線に乗ってみました。降りたところは北浜駅。

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 ホームの目の前がオホーツク海ということで、けっこう知られた駅ですね。僕は13年前に自転車で道東を回ったとき立ち寄っています。簡素な木造駅舎、未舗装のホーム、どっちを向いてもヘロヘロのレール。久々に「ザ・北海道の駅」を堪能。

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 渋すぎる駅舎が健在なのは嬉しい限り。喫茶店も変わらず営業中。
 しかし驚いたのは右端に見える赤いカンバン。

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 なんと中国人観光客向けの案内板で、なにかよくわからないけど中国映画のロケがここで行なわれたらしい。こういう雰囲気の駅なら中国国内にいくらでもありそうなもんだが…。
(まさ)
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御無沙汰北海道

2009年07月29日
 25(土)から28(火)まで北海道に行ってました。僕は13年ぶり、嫁は7年ぶり。嫁の友達の結婚披露パーティーが網走であったので、それが最大の目的です。
 土曜日にそれに参加し、あとの三日間はレンタカーで道東を中心にグルグル。天気は最終日以外悪かったのですが、バイクで先行していた樹林舎 I 氏(「知多巡礼紀行」の制作統括)と合流したり、揖斐郡に親戚がいるという農家のおっさんに出会ったり、ばんえい競馬で負けたり、けっこう濃い旅行になりました。
 13年前は、自転車で根室からできるだけ北に向かうという旅だったのだが、彼女と別れて会社も辞めてやって来たというダウナーな精神状態に加え、自転車漕ぐのが想像以上にキツかったのがたまりませんでした。アップダウンも多いし、風景は単調で飽きるし、町並はどこも同じだし…。で、あまりに辛いもんで稚内まで行かず、途中の遠軽でギブアップしたのでした。
 久々に道東に来て思ったのは…やっぱり北海道はクルマに限りますね!
 ちなみに今回の行程はこんなんでした。

25(土)
セントレア→女満別→網走・釧網本線ちょこっと乗車→網走・流氷の丘YH(パーティー&宿泊)
25(日)
網走→東藻琴→美幌→津別→阿寒湖→オンネトー→足寄→帯広(泊)
26(月)
帯広→音更→中札内→帯広(泊)
27(火)
帯広→音更→鹿追→新得→狩勝峠→占冠→夕張→新千歳→セントレア

 ここで一枚、爽やかな写真でも載せておきたいところだが、今朝、画像を保存してみたら、コンパクトフラッシュが破損したらしく半分ぐらい消えている!唯一晴れた昨日の画像なんか一枚しか残っていない。う~ん、どうゆう事?PCのせい?サンディスク社のせい?
 仕方ないので、生き残った中からとりあえず一枚だけ北海道らしいヤツをアップしておきます。

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(網走管内大空町【旧東藻琴村】の外れにて)
 
 コンパクトフラッシュの画像、なんとか復旧してくれないものか…。
(まさ)
東日本 | Comments(2) | Trackback(0)

スイート埴輪

2009年07月24日
 先日、犬山のはずれにある「青塚古墳史跡公園」というところへ取材に行った。歴史といえばもっぱら近現代の郷土史が専門の僕は、古代史にまったく興味がないもんですから、こんなところにこんなものがあることをちっとも知らなかった。国指定史跡というハイレベルなものです。

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 見事なまでに典型的な前方後円墳。撮りにくい。上から見下ろせるよう、櫓でも作ってほしいところだ。
 さすが国指定史跡だけあって、公園の一角にはガイダンスセンターまで設けられています。館内には、地元小学生が作ったオリジナル埴輪が展示されてました。

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 埴輪パフェ!これは美味そう!本当に食べられそうだけど、粘土細工ですよ。
 立派な古墳なのにどうもマイナーっぽいから、市街地にあるカフェあたりで本当にこういうパフェ作って宣伝すればいいのに。
(まさ)
尾張雑 | Comments(1) | Trackback(0)

カンバンの手帖ブログ版0103

2009年07月23日
 今回は、東海北陸道白鳥IC→大野→勝山→白山麓というルートで石川県入りしました。その途上、石川県最奥部の旧白峰村(今は白山市)にて発見した、共同浴場「総湯」への案内カンバン。人のシルエットがなんか微妙な距離感。

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女「あなた、ちょっと待ってよ」
男「やかましい!」

 林家正楽の作品みたいだ。
(まさ)
北信越 | Comments(0) | Trackback(0)

カンバンの手帖ブログ版0102

2009年07月22日
 石川県といえば魚のイメージがありまして、ウチらも行くと回転寿司に行ったり近江町市場に行ったりするんですが、今回メインで食べたのは魚ではなく、こちら。

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 石川県民なら誰でも知ってるチェーン店、「カレーのチャンピオン」だ!金沢在住の競輪選手、小島敬二(SS・74期)のブログを読んでその名を知り、今度行ったら食べようと思っていたのだ。
 訪れた店は野々市(金沢と松任の間にある郊外町)にある本店。嫁の先輩のご主人によると「Lカツカレーを食え」とのアドバイスだったので、それを注文しましたよ。
 名古屋圏域に住んでいると、カレーチェーンと言えばどうしてもココイチになっちゃいますが、ココイチのカレーってルウがシャビシャビで、なんか好きになれない。その点、チャンピオンはネットリしたルウで僕好み。味はコクと深みがあり、カツはサクサク。あー美味い。東海地方に進出してくれないかなあ。
 店に置いてあるパンフを見たら、昨年モンド・セレクションを受賞したとのこと。そりゃすげえ。って、名前は知ってるけどモンド・セレクションにいかほどの権威があるのか知りませんが。
 そのLカツカレーはどんなものかというと、メニューは撮らなかったのでカンバンの写真を。

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 道路沿いに建つ巨大カンバンに、ドカーンと出ております。しかしデカイ。聚楽園大仏なみにデカイ。そこまで大きくはないけど、普通サイズでけっこうなボリュームがあります。

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 あとオマケ。知立から見た今日の日食。

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 撮影はほとんどワンチャンスでした。
(まさ)
北信越 | Comments(6) | Trackback(0)

今年もエクスタジア

2009年07月21日
 19日(日)は毎年恒例、石川県白山市松任で開催された「白山国際太鼓エクスタジア2009」を見物に行ってきました(2008はこちら→●□)。
 今回はたしか3年ぶりに文化会館での屋内開催。エクスタジアはできれば野外フェスでやってほしいんだけど、今回は例年以上に粒揃いの出演メンバーで、屋内でも納得の内容でした。いつもより出演者・チームの年齢が若くて(なんせキャッチコピーは「日本の太鼓、明日の太鼓」)、演奏自体にパワーがみなぎるという感じ。いやー若いってすげえなあ。まあ、若くない人も出てたけど。
 そんななかで僕がオッと思ったのは「塩原良&御花泉」です。塩原さんはプロ奏者で、2年前の東京国際和太鼓コンテスト(→●□)で最優秀賞を獲得した実力の持ち主。伊那谷の高森町を拠点にしており、三遠南信をフィールドにする僕はそれだけで注目してしまうのだが。
 若さ&パワーでガンガン攻めてくる演者が今年は特に多かった中、塩原さんだけは、ちょっと違うグルーヴの楽曲を持ってきた。作曲は塩原さん自身。台湾のチームとも親交が深いらしいので、あちらのリズムを取り入れているのか?それまでの流れと異なるグルーヴだったので観客はいささか戸惑いがあったみたいだけど、とにかく個性的な曲で、インパクトがありました。
 三遠南信の人にはこれから特に注目の奏者です。いや、三遠南信に限らなくてもいいんだが。

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 こちらは終演後、会館の外での出演者による即興パフォーマンス。オレンジTシャツの人はこちらも注目の奏者、加藤拓三さん。恵那出身、岐阜県のホープ!

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 松任エリアのオマケ情報。エクスタジアの前に松任郊外の「牛乳村夢番地」というところで食べたソフトクリームとロールケーキは美味かった。某太鼓チームの人たちも絶賛だそうです。
(まさ)
北信越 | Comments(0) | Trackback(0)

西尾にも変な人がいっぱい

2009年07月20日
 17日(土)の夜、西尾まつりの前夜祭?的なイベントで「ちんどんフェスティバル2009」という催しが行なわれたので、見物に行ってきました。

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 会場は、井桁屋百貨店跡の公園(→●□)の向かい側の空地に設けられたステージ。プロのチンドン屋が18組登場し、毎度おなじみの宣伝芸を見せてくれて、とても楽しかったっす。
 でも、萩原商店街や富山のチンドンコンクールとは、なんかちょっと違う雰囲気。なぜかと考えてみると、たぶんひとつは夜にチンドンを見るのが初めてだったからではないか。いつも昼間に見てるもんだから、チンドンは“昼の屋外芸”という印象が頭にあったのだろう。写真は最後に披露した全チームの大合奏だけど、なんか夏フェスって感じ?
 あと、コンテストではないので入賞目指して優劣を競う必要がなく、演者もけっこう肩の力が抜けているような感じだったとも言えるかも。質の高い芸を見るならやはり真剣勝負のコンテストだが、こういうユルさ加減も西尾らしくていいかな。
 5組を出していた業界最大手のちんどん通信社は、コンテスと違うシフトを組んでました。

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 業界のドン林幸治郎と娘の風見花サンのチーム。ラッパを吹く幸治郎さんを初めて見た。

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 コンテストでは幸治郎と組んでいるジャージ川口(僕が一番好きなチンドニスト)も、今回はバンマス?リーダー?的なポジションでチームを牽引しておられた。しかしいつ見てもジャージは最高だ。

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 長崎からやって来た、僕がイチ押しチームのかわち家(→●□)は、ゴロスの大御所、喜楽家さよこ姐さんとのユニットで登場。貴重だ!

 イベントはそれなりに盛り上がったので、あとは商店街の普段の盛り上がりですね…。
(まさ)

チンドンファン必見、当ブログのチンドン記事
2009.04.07→●□(富山)
2009.04.05→●□(富山)
2008.11.26→●□(香嵐渓)
2008.10.24→●□(萩原)
2008.08.06→●□(安城七夕まつり)
2008.05.28→●□(萩原)
2008.04.10→●□(富山)
2007.05.27→●□(萩原)
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煉瓦塀の謎

2009年07月17日
 樹林舎刊「知多巡礼紀行」プロモーションシリーズ。
 普通、寺の塀といえば多くの人はこんなのを思い浮かべるんじゃないでしょうか。

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(知多市岡田 72番慈雲寺)

 ところが、先に紹介した「美浜・南知多町境界の峠道」を下って、もう一つ峠を越えて辿り着く29番正法寺の塀は、こんな煉瓦塀。

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 寺らしからぬ独特の雰囲気で、ここに来たとき違和感を感じた巡拝者も多いでしょう。一瞬、紡績工場の跡地にでも寺が建ったのか?と思ってしまう。
 住職に聞いてみたところ、この煉瓦塀が築かれたのは先々代の住職が僧侶になった大正10年ごろのこと。作ったのはその先々代住職の弟。この人は下駄屋だったんだが、器用な人で左官でもあり、煉瓦積みの技術を名古屋で習得してきて、竹薮を切り開いて道路を拡幅したとき、この塀をを作ったんだそうな。
 さすがに塀にまで目を向ける巡拝者はあまりいないでしょうが(たいていの人は、般若心経唱えて御朱印押してもらったら、ソッコーで次の札所に行っちゃうからね)、珍しいものなので見物されることをおすすめします。って、お寺はこの塀をPRしてるわけではないのだが。

 ところで、半東北部がエリアのケーブルテレビ“メディアス”が「知多巡礼紀行」をニュース枠で取り上げるってんで、昨日(14日)71番大智院で取材があり、見物してきた。

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 知多半島まるごとナビゲーションで映像が見られるらしいので、本書に興味のある方はご覧下さい(僕は出てませんよ)。

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(まさ)
知多雑 | Comments(0) | Trackback(0)

オールド弘法道0002

2009年07月14日
 樹林舎刊「知多巡礼紀行」プロモーションシリーズ。
 先に、探索して楽しい弘法道の一例として、南知多町の44番大宝寺上にある「名切坂」を紹介しました。あちらは全区間リアル山道の上級者向けですが、今回は割とビギナー向けのライトな山越え道をピックアップ。
 美浜町切山にある28番永寿寺から南知多町本郷の29番正法寺に至る山越えは、古道風情を味わえる割とおすすめの道です。行こうと思えば軽自動車なら突破できないことはない(けど、車はやめたほうがいい)。

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 永寿寺を出発して切山集落を抜け、名無しの峠までの登り坂は、このように圃場整備された畑の中の農道です。写真の撮影地はまさに峠で、ちょうど美浜町と南知多町の境界になり、かろうじて海も見えます。天気がよい日に妄想を働かせれば、まあ沖縄の丘陵地に広がる畑と思えなくもない。

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 峠を越えると一転、このような風情ある竹林の中を抜けるへろへろ道に!天気がよい日に妄想を働かせれば、嵯峨野の竹林と思えなくもない。
 もっとも、ここを「風情ある」と言ってる時点ですでに妄想が入ってるかもしれなくて、人によっては(ていうか多くの人は)薄気味悪い道としか思えないでしょう。って、どこかビギナー向けなんだ。

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 こんなところにも、例によって「丁石」(ネクスト札所への距離をカウントダウンで表示した石柱)が残ってたりします。
 この道を元気よく下ってゆくと(おそるおそる?)乙方という集落があり、さらにもう一山越えて、正法寺に至ります。

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 そんなわで、興味のある人は「知多巡礼紀行」を買って歩いてみてください。けどこの暑さ、誰が歩きに行くんだ…。
(まさ)
知多雑 | Comments(0) | Trackback(0)

ザ・ルビ

2009年07月09日
 先週、取材で初めて旧加子母村に足を踏み入れた。島根県とか宮崎県とかは全市町村(平成の大合併前の)行ってるのに、意外と地元では行ってないところがあって、お恥ずかしい限りです。ちなみに岐阜ではあと馬瀬と朝日と高根にも行ってません。
 加子母の第一印象は、地形のせいか意外と開放感があって、なんとなく居心地がよいこと。岐阜県では他であまり感じない、独特の雰囲気があります。島根でいえば旧石見町っぽい感じ(たとえが分かりにくいですが)。
 そんな処女地の加子母では、国の天然記念物にも指定されている「加子母の大杉」を見物してきました。

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 なかなか見事な巨木です。立派な山門と堂宇を備えた地蔵堂もいい按配です。
 しかし、マニア的観点からもっとポイントが高いのは、大正15年に建立された指定標柱。

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 昨日に引き続いてまた似たような石モノですが。これ自体はよくあるんだけど、細部をよーく観察してみると…

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 なんと加子母にルビが振られている!これは珍品…だと思う。岐阜の旧自治体でもっとも難読ですからね。
 そんでもって大杉の近くには、例によってHINOMIが!

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 スタンダードな形状のHINOMIはさておき、庚申塔と地蔵の前に伏せて置いてある湯飲み茶碗、その間のよく分からない石、その前に置かれた2体のダルマ、なんなんだ?未知の土地は謎が多くて面白い。
(まさ)
中濃・東濃雑 | Comments(1) | Trackback(0)

オールド弘法道

2009年07月08日
 先に発刊された樹林舎「知多巡礼紀行」では、企画の大きな柱として「弘法道」を大きくクローズアップしています。弘法道とはなんぞや?簡単にいうと、徒歩による知多四国の巡拝コースのことです。
 今ではほとんどの人が、知多四国巡拝に車を利用していると思います。名鉄のハイキング企画「歩いて巡拝(まいる)知多四国」の参加者は歩いていますけど、それ以外で歩いている人は、よっぽど歩くのが好きな人か、心になにかを背負った人とか、そんな人たちぐらいではないかな?
 戦後、バス利用が中心になるまでは、ほとんどの人は歩いて巡拝してました。そんな時代に使われた、寺を巡るための最短ルートが「弘法道」です。
 昔の道といっても、こんなに開発が進んだ今、どうやってそのルートを証明するんだ?という疑問があるでしょう。古地図と比較したり、年寄りに聞いたりなど、調査方法はいろいろありますが、本書で根拠のひとつとしたのがコイツらです。

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 こちらは「丁石」と呼ばれる距離標石。次の札所までの距離をカウントダウンで示したものです。

090708-2.jpg (武豊町東大高)

 そしてこれは「道標」の一種。
 道路改修でどっかに捨てられたり、まとめて寺や半田市立博物館に移設されたり(→●□)ということもありますが、知多には意外とこういうものがたくさん残っています。で、こうした石造物を丁寧に辿ってゆくとあら不思議、一つの道筋が浮かびあがってくるのです。
 丁石や道標の調査を10年以上前からコツコツやっておられたのが、本書制作メンバーのひとりで地元在住のT先生。先生が1万分の1地図に記録したルートを、出版にあたって先生と僕で再調査して修正を加え、まとめたのが、別冊の「弘法道地図帳」です。

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 もちろん、道路改修や土地改良なんかのおかげで、利用されるルートは結構頻繁に変わったりするものですが、今回はまだ誰もやってない(出版物にしていないという意味で)ことが本になったということで、ひとつの指標にはなると思います。

 しかし、知多半島みたいなダラーっとした地形のところに、そんなに面白味のある古道が残っているのか?これが意外とあるんです。ひとつ例を挙げると、南知多町内海の44番大宝寺付近。

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                               ↑80過ぎなのに元気に峠越えするT先生

 43番岩屋寺方面から、44番大宝寺へは「名切坂」と呼ばれるこんな峠道を越えていました。熊野古道を彷彿とさせるつづら折れ。世界遺産と比べちゃ規模的にアレだけど。

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 切り通しの峠には石仏も。そもそも知多半島なんぞに峠道があるってのも意外だが。
 もちろん平地にも、忘れ去られた旧道が残っていたりします。マニアックな道標もたくさんあるし(ていうか道標自体がすでにマニアックか)。いずれ古地図も駆使しつつ、全区間を細かく紹介していきたいものです。
 
 なお、本書を見て歩こうとされる方は、くれぐれも自己責任でお願いします。危ないところもあるので。あと、住宅地を歩くときは住民に通報されないよう誤解を招く行動(撮影とか)にご注意を…。

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知多巡礼紀行
監修 知多四国霊場会
発行 樹林舎
定価 9975円(別冊地図帳付き)

(まさ)

知多雑 | Comments(0) | Trackback(0)

タウンサインの研究0016

2009年07月06日
 先週久しぶりに大須に行き、例によって商店街の電光カンバンとフラッグを観察してみた。見つけたのは4種類だが、見落としたのもあるかも。

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   観音通り/仁王門通り
東仁王門通り/赤門通り

 古いものは電光タイプで大須観音の寺紋入り、新しいものはフラッグなんですねえ。若者向けの店が比較的多い通りが、新しいデザインを取り入れているように思うのだが、どうか。どうでもいいか。あと、赤門なのに緑色なのはナゼ?観音通りの電光カンバンとフラッグのカラーリングが異なるのはナゼ?フラッグに4番車が、いや青色がないじゃん!

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 どか~ん、って感じに大須はハデでやっぱりいいですね。
 ところで、万松寺ビルに名古屋競馬の場外馬券売場ができていてびっくり。どうせなら名古屋競輪のサテライトも作ってほしいものだ。
(まさ)
名古屋雑 | Comments(0) | Trackback(0)

無限ループの知多四国

2009年07月04日
 制作に関わった「知多巡礼紀行」(樹林舎・9975円)が発刊となりました。昨日ぐらいからボチボチ書店に並んでいると思います。

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 オールカラー全271ページに別冊地図帳つき。今回は、ほぼ全部の写真撮影、半分くらいの原稿作成、別冊地図の制作ディレクションを担当しております。
 あまたある知多四国本で「本書が初」のポイントは3つ。

1)写真が四季折々
 昨年3月から校了寸前の今年の5月半ばまで1年以上かけて撮っているので、春夏秋、まあ知多で冬っぽいのは難しいけどいちおう冬まで、オールシーズン揃ってます。ていうか、なかなか被写体として難しい寺が多いもんですから、一年ぐらいじっくり粘らないといけなくて…。

2)テキストが詳しくわかりやすい
 正直、過去に出た同業他社さんの本は、スピリチュアル方面に寄りすぎか、ライター自身がよく理解せずに書いているような寺伝がメインのテキストが多く見受けられますが、この本では、これまでありそうでなかった「知多四国の基礎資料」を目指したので、読めば「知多四国はなぜできたのか?」「寺で見かけるコレってナニ?」といった疑問が解決する、知多四国がよく理解できるテキストになっています。
 もっとも、通史を書いたのは僕じゃないですけど…。

3)地図がマニアック
 普通の巡礼のガイド地図と異なり、ここに記載されたルートは、徒歩巡礼中心だった戦前までに利用されたいわゆる「弘法道」。10年以上も調査を続ける研究者がまとめた成果をベースに、各地に残る道標や丁石を探し、古地図で対比し、現地で聞き取りし、過去に誰もまとめたことがない「道筋」を復元しております。道マニア必見。

 今回の本は、拾いすぎて書き切れないネタや、いろいろ差し障りがあるので書けないネタが多くて、ちょっと困るくらいでした。例えば野間に…おっといけねえ。
 まあ、ここでボチボチお蔵出ししていきますんで、とりあえず本書をよろしくお願いします。
(まさ)
知多雑 | Comments(2) | Trackback(0)

カンバンの手帖ブログ版0101

2009年07月03日
 古いバスマニアにすらわからないかもしれない、かなりマニアックなネタです。大学時代に北遠を歩いた時のアルバムから。

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(1992.11.18撮影)

 これは、現在の遠鉄バス青谷バス停(浜松市天竜区龍山)にあった「峰之沢口駅」跡の建物内に掲示されていたものです。
 
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(1992.11.18撮影)

 取り壊されて現存しませんが、秋葉ダム湖のほとりにある青谷バス停には、かつてこのような「駅舎」が建っていました。
 上のカンバンはその昔、秋葉ダムが観光名所だった時代のもの。つまり、ここに観光客目当ての売店があり、買い物すると遊覧船に乗れるというサービスをやっていたらしい。ここで何が売られていて、どんな船でダム湖遊覧ができたのか、非常に気になるところですが…。

 しかし峰之沢口といえば、国鉄バスマニアや廃墟マニアにとっては、ここの対岸山上にあった峰之沢鉱山跡に残るこれを思い浮かべるのでは。

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 選鉱場の隅にあった旧国鉄バスの峰之沢口バス停跡(こちらも→●□)。JR化以前に廃止され、その後、龍山村営としてマイクロバスが瀬尻からここまで運行されていたました(現在の運行形態は知りません)。

 これはいったいどういうことか、というと。
 2枚目の写真の端に見える吊り橋、これを渡ったところに、河岸と山上の峰之沢鉱山を結ぶ「インクライン」の乗り場がありました。インクラインは要はケーブルカー。鉱山従業員や家族の便を図るため昭和28年に開通し、昭和43年1月まで運行されてました。ちなみに料金は無料。廃止されたのは、瀬尻から峰之沢鉱山までの国鉄バスが開通したためです(ただ、鉱山は昭和44年末で閉山)。
 つまり、“旧”峰之沢口はインクライン乗り場のアクセス停留所を意味する名前。新路線の開通で「峰之沢口」が引っ越したため、所在地の「青谷」に改称したというわけ。
 もともとマニアックな当ブログですが、マニアックすぎてワケわかりませんかね。

 以下、現在(といっても2008年1月)の写真。

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 “旧”峰之沢口バス停横にあるインクライン連絡吊り橋「峰之沢橋」。昭和32年の竣工。秋葉ダム建設の補償として架橋されたもの。

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 インクライン乗り場跡と思われるところ。

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 インクラインを登った途中にある選鉱場跡。なお、インクラインがどんなものか知りたい方は、浜松市中央図書館か天竜図書館で「龍山の今昔」(昭和45年・竜山村教育委員会)P144をご参照ください。

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 従業員アパートの廃墟。現在、この直下の私有地には柵があり、容易に近づくことができません。このあたりは廃墟マニアにはおなじみでしょう。
 峰之沢鉱山は武田信玄の金山が起源といわれる銅の鉱山。明治時代より本格稼動、個人経営→久原鉱業(株)→日本工業(株)→峰之沢鉱山(株)と変遷し、昭和44年末に閉山しました。この山上に1700人もの労働者が住んでおり、天空都市の様相を呈していたといいます。

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                                             ↑HINOMI
 鉱山跡の北側にある旧龍山村下平山下村集落。かつて鉄筋コンクリートの校舎があった小学校跡付近から見下ろす天竜川&HINOMI。
 なんで今頃こんなネタかというと、拙著「火の見櫓暮情」の補遺編として細々と更新を続けている「三河遠州火の見櫓集成」(→●□)が、刊行から1年半を過ぎてようやく東三河編と西遠州編をまとめ終えたからです。写真ファイルを漁ってたら、いつかここに出そうと思っていたのを忘れていたのに気が付いた。
 過去の企画をいつまでも引きずっていたくないんだけど、まだ西三河編が残ってて、やり始めたら完結させないと気持ち悪いし…。
(まさ)
遠州雑 | Comments(0) | Trackback(0)
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