石垣へ

2009年06月30日
 今朝、友人2人が石垣島へ旅立っていった。石川県にいた頃からの付き合いだが、なぜかワタシの中学時代の部活仲間を知っていて、不思議な縁を感じたものだ。ワタシが愛知に戻り、結婚してしばらくすると今度は2人が愛知にやってきて、ここ一年は、結構、遊んだなぁ。
 ダンナとも馬が合い、焼肉をよく食べにいった。この2人、見かけによらずよく食べる。まだ頼むの?と、ダンナも驚くくらい、ガツガツ食べる。ついついこちらも食べ過ぎてしまい、食べ終わったときにはお腹がはちきれんばかり。なのに、「まだ食べられるよ、デザートたべよっかなぁ~」と平気な顔をしていうんだよなぁ。一体、どんな胃袋してんだ?!
 食べることが大好きな2人の夢は石垣島で店を開くこと。一年後か二年後か分からないけれど、のんびり島ライフを楽しみながらマイペースでやっていくような気がする。ちょっと離れてしまったけれど、まっ、国内だもんね。応援してます!(まり)

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2人が作ってくれた手作りピザ。生地から用意してくれた!
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鬼や桃太郎たち

2009年06月29日
 先日、犬山に用があったついでに初めて桃太郎神社へ行ってみたんだけど…。ここ、すごい。神社っつーか、セメント人形のミュージアムですね。

090629-1.jpg 「ボク、生まれたよ~」

         「おぬしが食べたのだな」 090629-2.jpg

090629-3.jpg 「へえへえ、さいでやんすよ」

 付属の「宝物館」の受付にいた人に製作意図を聞きたかったけど、なんか聞きづらい~。
(まさ)
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スポーツドリンクは少年時代の味

2009年06月28日
 春夏秋冬叢書の季刊誌「そう23号」連動ネタ。
 地名の記事で「その他の黒地名」としてちょろっとだけ出した新城市黒田に行ったとき発見した、壊れた自販機。

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 おー、まだあったかサントリーのNCAA。
 これは僕が小学生の頃(1980年前後)に登場したんだったと思います。確かCMでアメリカの女子大生チアリーディングかなにかが「ボクたち飲むならエヌ・シー・エー・エー!」とか叫んでてたような覚えがあるが…。いや、あれは「ボクたち飲むならピクニック!」だったっけ?どっちにしても、揖斐川町には流通してなかったのか、飲んだ記憶がない。

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 しかしよく見ると、肝心のNCAAが入ってないじゃん。まあ、新城も揖斐も似たような田舎だから…。

 あの頃って、スポーツ飲料がバンバン出てきてましよね。ゲータレード、ポカリスエット、アクエリアス、クイッククエンチ等々。クイッククエンチはガムか。
 僕が入っていた小島地区の野球少年団では、練習や試合の日には誰もがスポーツドリンクを持参してきたものです。粉状のドリンクを水で溶き、ロゴの入った専用のボトル(保冷用のドリンクホルダー付き)に入れていったっけな。
 ほとんどがゲータレード派のなか、僕だけポカリスエットを買ってました。あのデザインは子供心にもクールに思えたので。でも、やっぱりみんな飲んでるゲータレードが羨ましくて、ポカリのボトルにゲータレードを入れたこともありました。
(まさ)

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カンバンの手帖ブログ版0100

2009年06月27日
 細々とやってるうちにとうとう100回目になってしまったこのシリーズ。もともとは、シリーズ0002(→●□)のように、カンバンから読み解く地域史やデザイン史、みたいな企画を考えていたのに、いつの間にか宝島社のVOW的な方向になってしまっております。
 そこで、ここはひとつ初心に帰って、掘り下げた話を。長良川鉄道の相生駅前で発見したもの。

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 なんとも御利益がありそうなこのカンバンは、駅前のもと木材・資材倉庫に貼られています。
 写真を撮ってたら、倉庫とカンバンの持ち主であるお爺さんが建物の前で車を洗ってござった。そこで話を聞いてみると、この「大黒号ポンプ」は、名古屋の尾頭橋にあった「尾頭ポンプ」という会社の製品であることが判明。といっても消防ポンプではなく、井戸のポンプです。
 ここに貼られたのは、こんな曰くがあったそうな。

 もともと、このお爺さんの家は、材木を扱う運送業を営んでいました。山深い相生は林業が盛んな土地。郡上西部の山で切り出された材木を、この運送屋が馬車で運び出し、相生駅(当時は越美南線美濃相生駅)から貨物列車で名古屋へと運んでいたのです。

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 現在は何の愛想もない片面ホームの無人駅がかつては貨物扱いをしていたというのも、今ではにわかに信じられませんが…。倉庫から駅まで100mほどの運搬トロッコ用のレールも敷かれていたそうです。
 名古屋鉄道局全駅の貨物取り扱い品を網羅した「沿線物産案内 第四輯」(戦前発行、年は不詳)という凄く面白い資料を見ると、美濃相生駅の取り扱い品の一つとして「木材」が挙げられ、下記のような丁寧な解説が書かれています。

[木材]明治初年頃より出材し、当時は川を利用して当駅より2キロ下流の地点にて集材し、筏を作って岐阜、桑名方面に運搬せられたが、鉄道開通以来もっぱらこれにより輸送されるに至りました。年産21,000トンに及び、種類は杉、檜、松、槙などで、特に樅丸太は荷造用箱板に適し、その販路極めて広く、その他の丸太は建築用に供され、毎年9月頃より翌年5月頃まで出荷旺盛にして、主に土岐津、多治見、岐阜、名古屋、四日市等へ出荷されております。…

 ちなみにこのほかの取り扱い品は、木炭、箱板、槙、庭石。って、庭石を貨物列車で運搬してたの!?
 で、こちらの運送屋、わざわざ名古屋まで運ぶのはいいけど(昔は業者が貨物列車に同乗していたらしい)、手ぶらで帰ってくるのはもったいない。そこで、名古屋の木材流通拠点である堀川にほど近い尾頭橋のポンプメーカーから、ポンプを仕入れて持ち帰ることを思いつきました。
 つまりこのカンバンは、メーカーの代理店を示すものなのです。
 当時、ポンプの井戸は郡上で普及していなかったので、完全に業務独占状態です。ポンプを設置するため、運送業だけでなく設備工事も請け負うようになりました。のちにはそっちが主体になって、話を聞いたお爺さんは水道工事が本業だったとか。

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 いやー、この小さなカンバン一枚でこれだけ話が引っ張れるとは。
 何が言いたいかというと、こんなホーローカンバンひとつ取ってもそこに貼られた地域特有の理由があるわけで、マニアや古道具屋は無闇に持ち去るんじゃない、と。
(まさ)
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旧額田郡本宿村役場

2009年06月26日
 先日、久しぶりに本宿を通りがかったら、本宿駅前にあった旧本宿村役場が消え去っていて愕然。

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 なんじゃこりゃあ。タテカン見たら「下水道工事を行なっています」とあったが…。
 以前ここにはこんな建物がありました。

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(2007.12.09撮影)

 シンプルながらも味わい深い役場建築だったのに、もったいないことです。名鉄の旧西中金駅が登録文化財になっているけど、あのレベルで文化財なら、こっちだってしてほしかった。もはやこのご時勢、闇雲になんでもかんでも登録文化財の申請をすべきですよ。
 2006年に樹林舎の「西三河今昔写真集」を作っているとき、この中に入れてもらったことがありました。当時は地元の公民館として使用されていたので、本宿村時代の古写真が保管してないかと思って(結局、吏員の集合写真しかなかった)。内部の写真も撮っておけばよかった。

090626-3.jpg (2007.12.09撮影)

 旧役場とHINOMIと道路元標の三役揃い踏み。もうこの光景も見られません。「火の見櫓暮情」にはこの写真を使うべきだった。ちなみに、HINOMIの後ろに写っている「かみや雑貨店」も、撮影の2週間後に閉店してしまいました。
 「岡崎の火の見櫓群」てな名称で、こいつも今のうちに文化財にしてほしいところです。岡崎市の教育委員会ならHINOMIを文化財にできそうな気がする。

 HINOMIの写真が出たところで火の見櫓研究者の皆さんにお知らせ。
 三河遠州のHINOMISTなら一度は銘板を見たことがあるはずの「ヤマ六鉄工所」について、その後の調査で判明したことをHPにまとめておりますので、ご覧ください。
三河遠州火の見櫓集成」より
▼火の見櫓の製造業者一覧→●□
▼ヤマ六鉄工所についての覚書→●□
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トイレットペーパーだらけ

2009年06月25日
 先日、板取へ紫陽花の写真を撮りに行った途中、美濃和紙の里会館に立ち寄ってみた。「トイレットペーパー考」という企画展が開催されていたからです。各務原かどこかの公共施設で入手した告知パンフが、トイレットペーパーの包み紙を模したデザインという凝りようで、B級の香りに誘われてしまいました。

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 館に入るといきなり巨大なトイレットペーパーがお出迎え。おいおい、これまた気合入ったオブジェだなあ。…と思ったら、トイレットペーパーの製造工場では、まずこのような巨大なロールを作り、続いてこれを細長い芯に巻きなおし、ぶつ切りにしていくのだそうな。

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 なるほど。
 展示スペースの奥に目を向けると、またマニアックな展示が。

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 岐阜県内でトイレットペーパーを作っている業者の製品がズラリ。ダンボール箱もこうやって並べてみるとそれなりにアートっぽく見えます。そうか?

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 歴史紹介のコーナーにはマニア垂涎のラベル類も。このほか、世界各地のトイレットペーパーを集めた展示もあった。コレクターか研究者が、海外旅行へ行く度にトイレでむしり取ってきたらしい。
 小規模ながらもじゅうぶん満足できる展示を見終わると、最後に受付で粗品をプレゼント。

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 展示してあったオリジナルトイレットペーパーです。地元にある工場で作られたもの。ここまで凝るか。見事。
 この展示7/13までやってるので、トイレットペーパーが好きで好きでしょうがないという人は行ってみてください。

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5、6月の落語会覚え書

2009年06月24日
5/3 大府普門寺・十一面観世音菩薩開帳奉納落語

 普門寺は知多四国の第三番札所。樹林舎刊「知多巡礼紀行」制作の追い込み時期で、17年に一度の御開帳行事を取材に行ったら、なんと檀信徒および祈祷を受けた人のみ限定の落語会が!しかも柳家権太楼って大物じゃございませんか。いやー、落語の神様がついているとしか思えない。いや、寺だから仏か。

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 左手奥に秘仏の十一面観世音菩薩。そして正面奥が高座。なんともありがたい雰囲気。客層はご覧のとおり、いつにも増して年齢層が高く、噺家が座布団に座ってお辞儀をすると、前の方に陣取ったおばあちゃんたちもつられてお辞儀する有様。こりゃ開口一番の右太楼も面食らっただろう。
 権太楼は「井戸の茶碗」「笠碁」の2席。顔が最高に面白かった。

5/6 川辺町白扇酒造・花美蔵寄席

 こちらは一ヶ月ほど前、岐阜県内のみで配布されるフリーの雑誌の取材で川辺町の白扇酒造(味醂で超有名な蔵元)に行ったところ、社長さんが「来月ウチで落語会やるよ」とお誘いいただいたのだ。花美蔵寄席は毎年この時期行なっているそうで、レギュラー出演は三遊亭鳳楽。こちらは円楽一門の総領で、近々円生の名跡を継ぐと噂されているこれまた大物。いやー、落語の神様がついている。松尾様か?
 蔵の敷地内にホール的なスペースがあって、そこに集まったのは50人ほど。「浮世床」「五月のぼり」「不動坊」の3席をたっぷり演じて、その後は鳳楽師匠も交えての食事会。蔵元なので酒はもちろん、打ちたてソバまでつくという豪華さ。
 そしてウチら落語一年生は、鳳楽師匠とジカにお話させていただいたうえ、写真まで撮らせてもらって興奮の極み。

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 花美蔵で鳳楽師匠と乾杯する女性取材記者(完全にミーハー)。
 鳳楽師匠はいつもこの時期、設楽の関谷醸造→白扇酒造と「酒蔵ツアー」みたいな会を催しているそうで、来年はどちらも是非いらしてください、と言ってくださった。行きます!

5/某日 名古屋・柳家三三ひとり会

 この会は嫁は行かず、かつて勤めていた会社の先輩と行く。この2ヶ月で行った落語会では一番よかった。若いのに凄いぞ、三三。とにかく口調のよさが最高にカッコよく、圧倒された。「悋気の独楽(だと思う)」と「引越しの夢」の間、2席目には講談を演じてました。「落語家になってなかったら講談師になっていた」と三三談。

5/某日 名古屋・立川談春独演会

 25周年スペシャル独演会ツアーの初日ということで、談春も気合が入っていた、と思う。1席目は昨年福岡で聞いた「おしくら」。同じ人の同じ演目を聞くのはどうなのか、と出だしは心配したが、初めて聞いたように面白かった。2席目は「紺屋高尾」。いやー、落語を堪能した、という感じでした。
 前座のこはるの「家見舞い」、さすが談春の弟子というか舌の回りが見事。しかし女性でも糞尿話をやるんですね…。

5/某日 名古屋・立川談志独演会

 機嫌も体調も悪かったらしく、談志がなかなか出てこない。それで平林が2回も引っ込んでは出てきて小噺やったりかっぽれ踊ったりしてた。マジで困ったふうの平林がなんか面白かったです。談志の会ってのはスリリングなもんだ。
 引っ張って引っ張ってやっとこさ出てきた談志は、2月に浜松で見たときより老け込んだ風情。「夕立勘五郎」という噺をサラッとやって、中入りかと思ったらそこから引っ張って休みを挟まず「金玉医者」へ。
 あとで談志のHPを見たら「今日は本当に高座が出来るかどうか判らなかった・・・」だって。大丈夫でしょうか。

6/13 各務原市・江戸前かかみの寄席

 前もちょこっと書いたけど、終演後、志らくのサイン会が催されました。順番が回ってくると、志らく大好きの嫁が一言「独演会をやってください!」
 それを聞いた志らく師匠「あ、あー、そうですね。名古屋でね」。
 もしかして志らく、名古屋のこと嫌いなのか?

6/21 豊川市・音羽寄席

 権太楼、右太楼の前に演じたアマチュアの方は鶴橋減滅渡、微笑亭さん太という2人。実は4月に、豊橋の小池町にある大黒屋旅館で催された落語会を嫁が取材して「そう23号」に書いており、お二人にも会っています。どちらもベテランで、微笑亭さん太さんは落語台本作家でもあるとのこと。小朝の本にも「凄い人が地方にいる」と紹介されてました。
 そんなわけで見たかったんだけど、この2人には間に合わなかったんだよな~。着いたら微笑亭の高座の真っ最中。扉の向こうでかなりドカンとウケてるのが聞こえてきて、もっと早く家を出ればよかったと地団駄。まあ、地元の方たちなので、近いうちにまた聞く機会があるでしょう。
(まさ)
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権太楼に始まり権太楼に終わる

2009年06月22日
 昨日は旧音羽町役場に併設されたウィンディアホールで「音羽寄席」を見てきた。出演は柳家権太楼がメインで、弟子の柳家右太楼、豊橋天狗連のアマチュア落語家2人。
 実は5月から6月にかけて、トチ狂ったように落語会に行ってました。そのスタートが5月3日に大府の知多四国3番普門寺で催された「十一面観世音菩薩開帳奉納落語」で(知多四国の本の取材)、そこに出てたのが権太楼。音羽寄席の後はチケットを何も買ってないので、落語強化月間の締めも権太楼というわけ。
 ちなみに5~6月のスケジュールはこんな感じでした。

5/3 大府普門寺・十一面観世音菩薩開帳奉納落語(柳家権太楼)
5/6 川辺町白扇酒造・花美蔵寄席(三遊亭鳳楽)
5/某日 名古屋・柳家三三ひとり会
5/某日 名古屋・立川談春独演会
5/某日 名古屋・立川談志独演会
6/13 各務原市・江戸前かかみの寄席(立川志らくほか)
6/21 豊川市・音羽寄席

 いやー、アホだねアホ。このほか嫁は、5/4大須演芸場の三遊亭円丈独演会にもいってます。さすがに家計に響くっての。
 この2ヶ月7会のうち、権太楼の弟子の右太楼は三三の開口一番も務めていたので、都合3回も見たことになります。調べてみると右太楼は、岐阜出身でしかも愛大文学部卒だそうで、モロ僕の後輩ではございませんか。何かの因縁?いや、この5月まで存在すら知らなかったんだが(落語一年生だもんで)。
 で、右太楼の落語ですが、普門寺と音羽は、師匠がそばで聞いていて、しかも音羽では中入り前に師匠が右太楼とアマ2人の落語を講評するという企画があったためか、キッチリ演じているけどなんか緊張している風情でした(要するに、そんなに笑えなかった)。
 さすがに師匠も、あそこが悪いなどとストレートなダメ出しはしなかったが、満席の客を前に、壇上の針の筵ならぬ針のパイプ椅子で固まっていたのは面白かった。
 いっぽう師匠のいない柳家三三独演会のときの一席は、のびのびやってるって感じで面白かったんですよ。これが寺でやってたのと同じ人か?って。やはり、師匠の存在ってのはプレッシャーになるんでしょうか。酷な企画だよなあ。
 ただ、師匠はアマの一人がやった上方落語の「骨あげ(江戸では「野晒し」)」について「ネタの選択ミス。会の初っ端にやる噺じゃない」と言ってたけど、三三の会の開口一番で右太楼が演じたのは「野晒し」だった…。

 右太楼さんが地元でやるときはまた見に行こうと思います。 
(まさ)
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岡崎中央

2009年06月19日
 リブラこと岡崎市中央図書館の周辺、すっかりキレイになったのはいいけどなんか閑散とした風情になっちゃってますね。もっとも、あの界隈が繁華街として賑わってた時代を知らないんだが。
 リブラの向かいに、松坂屋と並んでセルビという商業ビルが建ってます。

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 このあいだビルの銘板を見て初めて知ったんだが、セルビって「ントラパークル」の略…なの!?普通に略したらセパビじゃないの?なお、建ったのは昭和47年。
 嫁に言われて気付いたが、セルビだのシビコだのクレオだのリブラだの、岡崎ってどうして似たようなカタカナ3文字のハコが多いんだろう。東岡崎駅は「岡ビル」だが…。
(まさ)
西三河雑 | Comments(2) | Trackback(0)

神のいるレース場

2009年06月18日
 春夏秋冬叢書の季刊誌「そう23号」連動ネタ。
 今号のキーワードは「黒」ということで、黒川原駅のほかに「黒潮」のテーマを担当しました。といっても海流のことではなく、オートレース用語の黒潮。コースにできる走行軌跡のことです。

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 この写真では黒潮が分かりにくいけど。
 3月の取材では黒潮を撮影すべく、鈴鹿でレース写真の撮影もしている豊橋在住のカメラマンS君とともにコースの内部に入ったのだが、内側で意外なものを発見しました。

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 なんと祠!広報担当の方によるとレース場がここに建設される前からあった「水神様」だそうで、今も地元の和合町の人が年に一度お参りに来るそうな。
 そういえば、トラックの内側が民有地の笠松競馬場には、墓があったっけな。
 あー、オートに行きたい…。消音エンジンに乗り換えしてからすぐ行こうと思ってたのに、遠州方面はここのところご無沙汰だ。
(まさ)
遠州雑 | Comments(0) | Trackback(0)

ザ・カマ

2009年06月17日
 かわぐちかいじの昔の漫画にこういうタイトルがありましたが…(カマじゃなくてガマか)。
 知多四国のお寺さんを回ると、本堂や大師堂とは別に、休憩室のようだけどなんだかよくわからない古びた建物を見かけることがあります。

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 こういうの。写真は内海の46番如意輪寺。
 これはかつて「お茶所」だった建物です。お茶所とはその名のとおり、巡拝者にお茶の接待をするところ。内部の中央に竈が設えてあり、巡拝のハイシーズンにはお湯を一日中沸かして、ひっきりなしにやって来る巡拝者にお茶や漬け物なんかを振舞ったそうです。
 ただし、そんな習慣があったのも徒歩巡拝が中心だった終戦後間もなくまで。いくつかの寺にかろうじて残ってますが(如意輪寺では倉庫代わりにしていたのを今年から休憩スペースとして開放したそうな)、さすがに竈まで残しているところは皆無です。
 ところが!知立の遍照院に行ったらなんとお茶所と竈があるではないか!

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 うーん、こんな近場で盲点だった…。しかし渋い、渋すぎる。で、このお年寄り達が一服を終えお参りに出かけたあと、ここで茶をすすりながらペタルのあんぱんを食ったわけです。

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 釜からお茶を汲む女性取材記者。ウチの嫁、雑誌の取材で遍照院の縁日に来たことがあるのだが、さすがに竈には気付かなかったらしい。もっとも、存在に気付いたとしてもこれがそんなに重要なものだと思わなかっただろうが…(って、マニアックなだけでそんなに重要アイテムでもないんだけど)。
 鍋の蓋がまたよい風合い。

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 取っ手部分の獅子も見事なこの釜は、西三河の鋳物産業の中心地、平坂(へいさか=西尾市)産。銘によると昭和31年に「街商人一同」(露天商のこと?)が寄贈したものらしい。
 参拝に行かれる方は一度ここで一服されることをおすすめします。

 以下宣伝。6月末頃、樹林舎から「知多巡礼紀行」という知多四国をテーマにした本が発刊されます。「写真集」と銘打ちながらテキストの内容が異様に濃く、はっきり言って、これまでいろんなところから出版されたどんな知多四国本よりも、知多四国の歴史と文化がよく理解できます。チョイと値は張りますが…。

090617-5.jpg ←チラシ

 ワタクシは一部文章+写真+地図ディレクションを担当しております。
(まさ)
西三河雑 | Comments(3) | Trackback(0)

弘法テーマパーク

2009年06月16日
 土曜日は弘法さんの月命日ということで、各務原の落語会に行く前、遍照院に参拝してきた。

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 境内と沿道に出店が並ぶいわゆる「縁日」に参拝するのは、実はまだ2回目。3年ぶりに行ったんだが、相変わらずの活況を呈しております。ていうか、土曜日なんで余計に人が多い。しかし、どこからこれだけのジジババが湧いて出てくるのか。弘法さんの求心力はやっぱり凄いぞ!そしてこれだけの人がいるというのに、3組も知り合いに会った(うち一人は「知多巡礼紀行」の取材で大変お世話になった常滑・大善院の御住職)。まさに弘法さんの御縁ですなあ。
 で、今回初めて、かなり時間をかけて境内を回ってみたのだが、さすが遍照院、単に本堂にお参りするだけではなく、楽しめるアトラクションが目白押し。かなり楽しいです。

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 本堂裏手の杜の中にはミニ88ヶ所めぐりが。多くの人がそれを全部回って、全部にお賽銭(1円)をあげていたのには驚いた。

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 境内には花、野菜、駄菓子、大あんまきなどなど、まさに「多彩」な店が所狭しと並ぶ。たまにポンッ!という破裂音がするので何かと思ったら、ポン菓子(米菓子)の店だった。

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 庫裏の奥には本四国のお砂踏みまで!足元に四国88ヶ所各寺院から持ってきた砂を詰めた袋が置いてあり、それを踏みながら各寺院の本尊軸に手を合わせ、1円のお賽銭をあげてくるというもの。これで本四国に詣でたのと同じ御利益があるそうな。
 このほか戒壇めぐりがあります。

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 旧知立駅跡から遍照院にかけても店がズラリ。元から弘法通りに店を構える神谷酒店は、マニアックにも「敷嶋」(亀崎にあった酒蔵)のロゴ入りテントを出して立ち飲みコーナーを設けていた。このあと、各務原まで行く用事がなければ、一杯引っ掛けていきたかったが…。

 なおこの日に参拝したのは、知立の人気カフェ「ペタル」はじめ地元の若手の店の人々も境内に店を出すという情報を嫁が仕入れており、どんなもんかと覗きに行った次第です。

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 完全に昭和テイストの境内にちょっとオシャレ感のある品揃えですが、さすが弘法さんは懐が深いというか、いい感じで馴染んでました。なお、この日の朝食はペタルのあんパン&お接待のお茶。

 しかし、僕らの世代がジジババになる頃って、こうやって御命日はまだ賑わっているのだろうか。いつまでも残りそうな民間習俗だけど、こんな現代社会に生きながら地域社会を探る仕事をしていると、これすらもやがて消えるんじゃないかと心配になる。
 とりあえず、来月も参っとくか。
(まさ)
西三河雑 | Comments(0) | Trackback(0)

麦の大地0003

2009年06月15日
 土曜日、パティオ池鯉鮒すぐそばの麦畑で、麦刈りが行なわれておりました。

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 クボタの大型コンバインARH430。すごいスピードです。ウチの実家のコンバインは10年以上前のタイプで2条刈りのノロノロマシンだもんで、コイツのスピードにゃ驚いた。音でいえばザッザカザッザカ。これ以外にER108というのもいた。いや、農業用機械には別に興味ないんですけどね。
 この日はクボタの人とクボタのマシンが大挙してこの畑かいわいにいたんだけど、コンバインのデモンストレーションか?それとも委託農作業だろうか。
(まさ)
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岐阜の名を呼べば

2009年06月14日
 土日は岐阜でイベント2連発。まず土曜日は各務原市民会館で「江戸前かかみの寄席」という落語会。立川志の八(開口一番)、雷門幸福、三遊亭兼好、入船亭扇治、立川志らくのラインナップで、流れ的にも寄席仕立て。ちなみに幸福は各務原出身、扇治は美濃市出身です。
 明るい兼好、渋い扇治がそれぞれ好演。扇治はどこか昔気質風情な佇まいが印象的で、いちど東京の寄席で見てみたいと思いました。トリの立川志らくが演じたのは「文七元結」。先月、名古屋の談春独演会で「紺屋高尾」を聴いたが、それと対を成すかのような熱の入った一席でございました。終演後なんと志らくのサイン会も行なわれて、志らくが大好きな嫁は大興奮。志らく本人に「こっちで独演会をやってください」と直訴してた。
 志らくほどの落語家が来たのに空席がけっこうあったのは、各務原市の宣伝がマズかったのか、それともハコがでかすぎたのか。次回は改修された村国座でやればいいのに。

 日曜は、長良川競技場でFC岐阜と湘南ベルマーレの試合。サッカーにはほとんど興味がないんだけど、実家に行ったら招待券があったので、それで見にいくことにしました。なんでも今日はFC岐阜の「揖斐川町の日」だそうで、町民にチケットが配布されたとのこと。

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 FC岐阜の経営がかなり厳しいことはよく耳にしていたので、どれくらい人が来てるのか疑問だったのだが、意外と盛況で驚いた。

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 「We are the ギ~フ、We are the ギ~フ」の合唱で盛り上がるFC岐阜の応援団。岐阜の名前だけでこんな一体感が生み出されるなんて、これまでにあっただろうか!88年の未来博がピークかと思っていたが、岐阜もまだまだ捨てたもんではない、かな?岐阜競輪にもこれくらいの盛り上がりがほしいものだ。
 ただ、前半41分に岐阜の冨成がゴールを決めたのはいいが、すぐ1分後にゴールを決め返されているのはいかがなものか。
(まさ)
岐阜中部・西濃雑 | Comments(0) | Trackback(0)

黒川原駅の実態

2009年06月12日
 豊橋にある春夏秋冬叢書の季刊誌「そう23号」が発売されております。今号のテーマは「黒」ってことで、毎回担当している地名のページは、田原市大久保町の小字「黒川原」を取り上げてみました。
 小字ですが、戦前の20年ほど豊鉄渥美線(当時は渥美電鉄)がここまで伸びていたので、鉄道マニアにはけっこう知られていると思います。ただ、黒川原駅に関する資料は乏しく、実際どんな駅だったのかはあまり分かっていません。駅の写真も見たことがない。写真は、田原市の教育委員会もおそらく持っていないでしょう。
 で、謎の黒川原駅の実態を明らかにすべく、野田(大久保の隣村)出身の知り合いの元校長先生に取材対象者の紹介をお願いしたところ、どうした話の流れか、黒川原駅の現役時代を知る人が集まっての座談会が催されることになりました。

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 3月某日、大久保市民館に集まっていただいた地元の皆さん。座談会は予想以上に盛り上がり、2時間近くに及びました。彼らが現役時代の黒河原駅を知る最後の世代ですが、この方々ですら記憶はすでに幼少時のもの。
 本誌記事では、この座談会のおかげでようやく分かってきた黒川原駅の姿を、概念図とともに紹介しております。興味のある方はぜひ「そう」を購入してください。スペースの都合上、割愛したネタもあるので、そのうちブログかどこかで書きます。

 今回の座談会で判明した最大のポイントは、黒川原駅の正確な位置です。
 これまでに出た数少ない資料には「国道259号バイパスと県道田原赤羽線が交わるあたり」(セブンイレブンのある辺)とされていますが、これは微妙にズレてます。正確には、その交差点から100mほど田原寄りで、「車屋」といううどん屋さんの前になります。

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 このへんね。写真は田原市街方面を見ています。
 ここからしばらくはバイパスが路盤跡。1キロほどで少しカーブしてバイパスから分かれますが、黒川原駅から眺めるとちょうどその辺りまで列車が見えたと、出征兵士の見送りに黒川原駅へ行った座談会出席者は語っていました。
 バイパスから分かれるところから三河田原駅手前までは、ほぼ完全に路盤が残存しています。

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 こちらは加治駅跡のやや東から三河田原駅方面を見たもの。見事な廃線跡です。大学の頃ここを自転車で走ったことがあるが、まったく変わらず未舗装のままだったのは嬉しい。
(まさ)
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幡豆からの便り

2009年06月11日
 先日、幡豆町教委からこんなものが届いた。

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 できたばかりの「幡豆町史 資料編3」です。いつも情報提供等でお世話になっている歴史民俗資料館のBさんに頼まれて、東幡豆港での幡豆石の積み出し(→●□)の写真を提供したところ、そのお礼ということだそうです。去年「大社町史」をもらったときと同じで、ちょっとしか提供していないのに逆にどうもすいません、って感じです。
 しかしこれは嬉しい。フル活用します。おそらく愛知県の若手ライターで(まだ若手)僕ほど市町村史を駆使している人もいないでしょうから。…って、これは胸を張っているのではなく、単に需要がないネタを漁っているだけなんだが。

 この町史は「資料編」なので、歴史の記述が書き連ねられているのではなく、古文書や行政資料などを読みやすくまとめたものです。
 その中に西尾・幡豆地域のローカル新聞「民衆時報」の記事を抜粋した章があり、パラパラ眺めているだけでけっこう面白い。例えば昭和11年2月4日のこの新聞に、こんな記事が掲載されたそうな。

「幡豆町小野ヶ谷は小野小町に無関係」
同町小野ヶ谷は、平安期の女流歌人として有名な小野小町の最期の地という伝説があったが、本郡の郷土研究会がこれを否定。西加茂の寺部城が落城した際に城主の姫小野小桜を乳母が同地にかくまっていたと記録が証明。


 う~ん、けっこうどうでもいい話題だなあ。ていうか、最初から関係あるわけがない。地元民のファンタジーをぶち壊す記事ですね。
 続いて昭和25年5月12日の記事。

「金魚を飼う 東幡豆小学校」
校庭の隅に研究・観賞用として金魚を飼育。しかし、アヒルやトンビにより被害。そのため、広い池から深い池に移動。金魚熱は盛ん。今秋展覧会計画。


 う~ん、これまたどうでもいい話題。でも「金魚熱」ってのが気になる。金魚といえば弥富。もしかしたらこの頃、弥富の業者らによってブームを起こす何らかの策が講じられたのかもしれん。これは突っ込んで調べてみる価値があるかも!(ないかも)
 お礼として資料館のBさんには「幡豆町史資料編3刊行記念 オリジナル幡豆町ポストカード」6枚組を作って送らせていただきました。

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 こんなものがお礼になるのかどうかわかりませんが…。
 欲しい人いたら連絡ください。
(まさ)
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since1609

2009年06月07日
 嫁が石川県在住時代からお世話になっている白山市の浅野太鼓が、6月3日に創業400年を迎えました。400年ということはまだ徳川家康が生きていた頃というから気が遠くなります。
 で、5日から7日まで「感謝祭」が行なわれたので、5・6と行って来ました。なお、嫁はスタッフとして前日から出掛けており、まだ向こうで働いてます。

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 5日は、JR松任駅前にある白山市松任学習センターで「オープニングコンサート」を見物。入場料は出血価格の1000円!12組が2時間にわたって繰り広げた生演奏は、これまでに見たどの太鼓イベントよりも素晴らしい内容でした。特に中盤、TOKARA~三宅島芸能太鼓同志会~今福優~火火火(ほのお)太鼓と続く演奏は、まさしく怒涛。これを聴けただけでも、わざわざ愛知から行っただけの価値はあった。
 なかでもアート・リー率いる飯田市拠点のグループ「和太鼓アンサンブルTOKARA」の演奏は出色でした。去年名古屋で観たときもこりゃ凄いと思ったが、今回は各チーム1曲ずつということもあって、短時間で高濃度の演奏がすさまじい。この際立ったグルーヴ感は、普段J-POP(この言葉まだあるのか?)やダンス音楽を聴いている人でも確実にノレます。

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 6日は、浅野太鼓の本社で催されたイベントを見物。青空ワークショップが行なわれるわ、香川県の祭りの山車が練り歩くわ、リズミックボクシングで観客が踊りまくるわ(要はエアロビ?)で大賑わい。国道8号沿いにあるので、何も知らずに走ってきたドライバーは何事かと驚いたことだろう。
 
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 太鼓の展示販売会場では製作工程の実演も。これは、太鼓の内側に「亀甲彫り」を施す作業のようす。なんのために内側にまで彫りを入れるかというと、音響的にどうとかこうとか…。また嫁に聞いておきます。
(まさ)
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カンバンの手帖ブログ版0099

2009年06月05日
 中井侍へ行く途中で見つけたやつ。根羽村役場の向かい、タクシー車庫の片隅に打ち捨てられていた古いカンバン。

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 なんと津具高原スケート場のもの。昭和27~46年に存在していました。現在の津具高原グリーンパークがその場所らしい。
 「東三河今昔写真集」(樹林舎)の記述によると、愛知県唯一の天然リンクだったそうです。温暖化が進んだ今では、寒冷地の津具でも天然リンクは無理っぽいなあ。
 ちなみに、本長篠バスターミナルにあるバス乗り場のポールにも、このスケート場の痕跡が残っています。

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(2003.09.02撮影。ここのところ本長篠に行ってないけど、まだあると思う)

 スケートといえば高校の頃、関ヶ原の同級生たちはみんなマイ・スケート靴を持っている、と聞いて驚いたことがあった。揖斐も関ヶ原も似たようなもんだけど、やっぱ関ヶ原は田舎度が違うなあって。
 さらにスケートといえば大学の頃、確かホリデイスクエア(日航豊橋ホテルの下)にスケート場があって一回だけ滑りに行ったことがあったが、まだあるんだろうか。
(まさ)
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資源としての秘境駅0002

2009年06月04日
 火曜日、およそ2年ぶりに伊那谷に行ってきました。このブログを始めた07年の前半は、伊那谷の取材がけっこう頻繁にあったもんで「伊那谷雑」のカテゴリを作ってみたけれど、まさかこんなに間が空くとは…。だって遠いんだもん。
 今回の目的地は長野県最南端、天龍村の中井侍。ある企画のロケハンです。本来なら飯田線で行きたいところだが、そんな悠長なことも言ってられず、やむなく車で。

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 小和田・為栗・田本・金野とならぶ飯田線秘境駅ビッグ5のひとつ、中井侍駅。このホームに立つのはたぶん15年ぶりくらい。最後に来たのはまだ大学生だったときで、5日間連続で平岡駅に駅ネしながら友人と二人で下伊那・北遠の村々を歩き回った最終日でした。
 中井侍から小和田まで歩こうと天竜川沿いの道を南下したのだが、途中、大崩落に行く手を阻まれる。仕方ないので30分かけて急斜面をよじ登り天竜川林道に出て、退屈なその道をひたすら歩いて県境を超え、遠州最北の塩沢集落へ。そこから小和田駅に通じる山道を下り、日が暮れる頃ようやく小和田駅にたどり着いたのだった。
 あー、またそういう歩き旅をしたい。

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 そういえば2年前、下伊那南部の行政関係者とこの地域を回ったとき、「秘境駅をどう売り出すか」という話をしたんだけど、見た限りでは、案内板の設置やパンフレットの改訂などはなされていかった。やっぱり何もやりようがないわな。まあ、このままがいいです。
 そんな中井侍にも、例によってHINOMIが!

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 台座が茶の木に埋もれて見えません。
(まさ)
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名古屋雑

2009年06月03日
 プリンターの調子が悪くなり、伏見にあるキャノンのサービスセンターへ持ち込み修理依頼。ここのところ名古屋といえば、辺地の植田や大高に行くか、夜、落語に出かけるぐらいしかなかったので、日中に都心に出るのは久々です。

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 う~ん、ビルがいっぱい建っててチョー都会じゃん。って、発言が田舎者丸出し。
 以前、伏見の編プロに勤めていたので、このあたりは勝手知ったる場所。しかし、久々に来るとなんかヨソヨソしい。新しいビル(キャノンの入ってるビルとか)や店もいっぱいできてるし、名古屋のくせに気取ってんじゃねーぞって感じ?(「のび太のくせに生意気な」的な)
 都会的な気取りとは対極の知多四国なんぞにどっぷり浸かっていたので、余計にそう思うんでしょうか。
 帰りは伏見の交差点からまっすぐ南下して、道徳・柴田・名和・荒尾を経由して帰宅したんですが、東海市(知多四国の寺が5つある)に入ると、名古屋と違いどこか落ち着いた風情に思えてホッとする始末ですから。今まで特に思い入れのなかった町なのに!
 どうでもいいけど、名古屋から「常滑街道・半田街道」を下って初めて田んぼを目にする場所は、東海市の富木島であることを発見しました。意外と遠い。

 しかし、NTTデータ(中央)の無骨さと日土地ビルの赤茶色は、周囲に新しい建物がガンガン建っても相変わらず異彩を放っているなあ。これにヒルトンと観光ホテルを加えた「伏見のビッグ4」は、やはり旧時代の象徴という感じがします。

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 そんなビル街にもコレはまだ健在。安芸西条の大手蔵元「賀茂鶴」の屋外サイン。
(まさ)
名古屋雑 | Comments(0) | Trackback(0)

さらば幸娘

2009年06月01日
 東浦町緒川の旧市街を通りかかったら、「幸娘(サチムスメ)」の蔵元、野村酒造(→●□)の蔵が取り壊されてて唖然。

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 以前はこんな光景でした。

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 路地から見た蔵。

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 春先に知多四国の巡礼道を調査したときにはまだあったのに…。先々週、大府の「あぐりタウン」に行って地酒コーナーを見たら、半年ばかり前にはあったはずの野村酒造コーナーがなくなっていたので、もしかしてと思っていたら案の定。うーん。最後に幸娘を見たのは「入海神社のおまんと」のときになってしまった(→●□)。
 たまたま出てきた蔵元のお婆さんによると、取り壊しはつい先日、5月下旬。酒造り自体は3年ほど前にやめていたそうで、最晩年は委託醸造だったとのこと。「寂しいことですけどね…」と、ポツリと一言洩らして、跡地の整地作業を見に行かれました。
 地酒の調査を始めてから5年ほど経つが、この間愛知県では威光(岡崎)、四君子(師勝)、常盤(名古屋富田)、白龍(名古屋清水)、幸娘と、6つもの酒蔵が消えてしまった。もうビールはやめて、日本酒に切り替えましょうよ県民のみなさん!って、下戸のわたくしが言うのもなんですが。
 愛知県って「産業観光」の宣伝に精力的だけど、地酒や食品・農業系はけっこう軽視する傾向にあるから、こういうところをもっとPRして支援すべきだよ。トヨタ、ノリタケ、中電系なんかの金持ってる大企業は、ほっといても勝手にやるんだから。

 野村酒造の蔵が取り壊されてしまったので、コイツの行方も気になる。

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 蔵の角に建ってる東浦村道路元標。せめてこれだけはここに残しておいて!移設したらホント意味なくなっちゃうから。
(まさ)
知多雑 | Comments(4) | Trackback(0)
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