遙かなるオアハカ

2009年04月30日
 この忙しい最中に読んで面白かった本、高野秀行の「メモリークエスト」(幻冬舎・1400円)。

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 「辺境冒険作家」「エンターテイメントノンフィクション作家」の肩書きで、世界の辺地に出掛けてはその経験を面白おかしく書き、そのどれもが本当に面白おかしい高野さん。いつもは、謎の怪獣とかジャングルに埋もれた謎の街道とか誰でも知ってるけど実態が謎なゴールデントライアングルとか、自分の興味に基づいた旅を本にしているのだが、本作は、読者から募集した「旅先で出会った、あの人(物)は今どこ?」を探してまわるという、過去の著作とは色あいの異なる企画モノ的な本です。
 探し回る展開と、探し当てた人の濃さ、それにその人のが暮らす土地と人生、全てが絶妙に混じり合い、今まで海外紀行本では読んだことのない面白さでした。第2弾を出してほしいとこれほど切望する本もありません。
 しかし高野さんの旅はいい旅だ。僕はといえばあちこち行ってる割に、その土地への想像力や情愛を掻き立てられるとか、すごい刺激を受けるとか、最近はそういうことがあまりない。ああ羨ましい…って、要は、たまには海外旅行に行きてえなあ~、というだけのことなんだが。

 そんなわけでちょっと海外の思い出にでもふけってみます。「メモリークエスト」にならって探してほしい人は…と考えると、思いついた。今ヤバいことになっているメキシコで会った人のこと。

 2006年の2週間弱のメキシコ旅行(→●□)の最後に、東部の内陸にあるオアハカという町に行きました。市街地全体が世界遺産になっている、とんでもなく美しく、明るく、楽しい町です。
 滞在中、ちょっと郊外の村にでも足を伸ばしてってみるかってんで、市場の近くから「コレクティーボ」と呼ばれる乗合タクシーに乗って、町から10キロほど離れたサン・バルトロ・コヨテペック村に行きました。
 このコレクティーボがなかなかすごかった。昔のカローラかコロナみたいな感じで、車じたいは特にどうということはないのだが、人の詰め込み方にびっくり。普通のセダンなら、後ろに3人助手席に1人でいっぱいのところ、なんと運転手が乗せたのは、後ろに4人助手席に2人。つまりセダン1台に運転手込みで7人乗車!ぎゅうぎゅう詰めとはまさにこのこと。
 しかも、詰め込む最後の1人がなかなか見つからないもんだから、先に後ろに座った我々を含めた4人は、ぎゅうぎゅうの体制で10分近くも待たされるハメになりました。
 その時横に座ったのが、大きなスポーツバッグを抱えた大学生ぐらいのちょっと小太りの兄ちゃん。とりあえず「あ、どうも~」的に声を掛け合ったのだが、こちらは初めて乗るコレクティーボにやや不安げ、彼は狭さと待ち時間にやや憮然とした表情をしているようで、肌を合わせながらもほとんど会話らしい会話はしませんでした。「どっから来たんすか?」「日本だよ」ぐらいのことは言ったかもしれないけど、覚えてません(ていうかスペイン語喋れないし)。
 
 3日間滞在したオアハカから撤収する日の晩、この兄ちゃんとオアハカの中心部でバッタリ遭遇しました。
 彼は僕らを見つけて「オー、あん時のお二人さん!」的な感じでニコニコ近寄ってくるのだが、こっちはほとんど話してもいない彼のことなんぞほとんど覚えておらず、最初は誰なんだか全然分からなかった。彼が「ほら、乗合タクシーのオレだよ」と言ったので、ようやく「ああ、そういえば!」と分かった。僕らも気付くの遅いけど、見つける彼も彼だよ。
 「これから夜行バスで帰るんだ」「そうかい、気をつけて。またオアハカにおいでよ!アミーゴ!」みたいな会話をしてすぐに別れたんだけど、ほんのちょっとしか交わっていない相手にもこうして親しげに声を掛けてくれるなんて、メキシコはアミーゴの国なんだなあと、深く感銘を受けた次第です。
 ああ、オアハカにまた行きたい。
 
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 えーっと、なんの話だっけ?メモリークエストか。豚インフルエンザが心配なメキシコで、彼の安否を確認してきてほしいな、と。
(まさ)
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遙かなる伊良湖岬

2009年04月28日
 ブログの内容でもお分かりの通り、ここ数ヶ月、集中的に知多半島を回っています。南の方まで行くと、本来僕のホームグラウンドであるはずの渥美半島が手に取れるほど近くに見え、なんかこう、遠く離れた恋人を思うような切ない気持ちになったりします(恋人というより変人に近いが)。

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 伊良湖も一年以上行ってないなあ…。
 知多と渥美はこんなに近いのに、人の交流は今も昔もほとんどないらしい。篠島出身で武豊在住の元先生にも聞いてみたが、渥美の話題はどうもピンとこないようで、両半島の往来にまつわる面白い証言は引き出せませんでした。
 例えば岐阜県でも、西濃に住んでると東濃の動向なんかにゃこれっぽっちも興味を覚えず、別の県のような気すらしていたが、渥美と知多の関係にも同じことが言えるようです。
(まさ)
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遙かなる御岳

2009年04月26日
 急に寒さが戻ってきて困ったもんです。
 先週半ば、各務原方面での取材帰りに笠松に寄ったら、御岳が綺麗に見えて驚いた。岐阜にいて御岳を意識することはほとんどないので、なかなか新鮮な光景でした。

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 富士山が見えるもっとも遠い場所、という話題はよくあるが(ちなみに僕がもっとも遠くから富士山を見たのは、東海道線新所原-鷲津間の車窓から)、御岳の可視範囲も調べてみると面白いかもしれん。
(まさ)
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富んでヨシ

2009年04月22日
 また知多ネタです。三河方面の読者の方には大変スイマセン。1年半ほど前は♪無限ループのHINOMI旅~、とか言ってたのが、今は♪無限ループの知多遍路~、って感じで。あー、たまには奥三河に行きたい。今年に入って一度も行ってない。
 日曜日、共同通信社杯春一番の決勝を買いに行けなかったのは、コレを見に行ってたからです。

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 南知多町内海にある、旧内田佐七家住宅。かつての廻船問屋の邸宅で、月に1度しか内部公開されません。日曜は公開日だったので、取材してきました(例によって遊び半分だけど)。
 僕は保存住宅が好きなのでけっこうあちこち見ているのですが、ここはなかなか面白かった。公開開始から2年ぐらいしか経っていないうえ、まだ教委の整備途上っぽく、邸内は生活臭が微かに残っている感じ。昭和40年代の後半までは普通に生活していたそうです。
 展示品の中に、貴重品を発見!

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 内海にあった酒蔵、内田酒造の木箱!
 内田酒造は内田家住宅のすぐ近く、内海川に面して建っていた酒蔵で、銘柄は「富好(トミヨシ)」(→●□)。酒造りをやめたのはたぶん7、8年くらい前だと思うのだが、詳細は不明。事務所の建物とカンバンはまだ残っていますが、蔵は取り壊されて空地になっています。
 内田佐七家と内田酒造がどういう関係なのか、前から気になっていたのでボランティアガイドの方に聞いたところ、少なくとも近い親戚ではなかった、という話。どちらも昔は廻船業をやっていたが酒造をやってる内田家のほうが規模が大きかったらしい。
 そんな細かい話はさておき、この逸品をこんな風に無造作に置いておくなんて…。もっとも、こんなものに価値を見出す人もそうはいないだろうけど。
(まさ)
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宙に舞う

2009年04月20日
 昨日の共同通信社杯春一番は北京の銅メダリスト、岐阜の英雄、永井清史(SS・88期)が優勝しましたね。後輩を使っての見事な番手捲り。大変めでたい。めでたいが、買いに行ってないんだよな~。
 そんなことはどうでもよくて、土曜日曜は半田中心部(下半田地区)の祭礼でした。最近、知多の祭りの話題ばっかりだな…。

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 土曜日に見物に行ってきたんだが、祭りをやる人も見る人もムチャクチャ多くて、4台の山車が勢ぞろいした中埜酒造前の業葉神社は、ご覧のように人でぎっしり。
 宮入りすると、それぞれの山車の正面に若い衆のリーダー格と思しき人が立ち、その前にズラリ並んだものすごいヘアスタイルでキメた若い衆に向かって「オラーッ気合入れてけーッ!」「××(組の名前)が一番!」とかなんとか煽りまくって、もう騒然。パンクバンドのライブの様相です。

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 煽りに煽ったあとはおもむろに人並みの中へダイビング!そして胴上げ!なんで!?
 とにかく若い衆のパワーがすごいすごい。今日、たまたま下半田の老舗和菓子屋を取材したので話を聞いたところ、祭りの中心は10代後半からせいぜい20代前半までで、年寄の出る幕はほとんどないらしい。確かに祭りの半被を着た中高年は、観客の整理とか誘導とか裏方役ばかりだった。う~ん、人がいなくて困っている奥三河あたりの人から見たら、羨ましすぎる状況だ。
 ただ「昔はここまで大騒ぎということはなかったけどねえ…」だって。
 最後に恒例、見事すぎる山車の彫刻から。

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「エサくれ、エサ!」「エサじゃねえっつうの」

(まさ)
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300000

2009年04月18日
 本日午後、東浦町にて、ウチの愛車ファンカーゴの走行距離が30万キロを突破しました。

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 頂に登ったときの景色がどんなものなのかを感じてみたかった、というイチローのセリフではないが、う~ん、我ながらすごい数字だ。ただ、見える景色はダラーっとした知多半島だけど。
 
 今のファンカーゴを使い始めたのは2001年。そもそもは、身体が悪くなりつつあった婆さんを病院に連れてゆくのに、バリアフリー(当時の基準)なこの車なら便利だろうということで、親が購入したものです。
 ところが、この車に乗せて病院通いをするまでもなく、婆さんが胃癌で死んでしまった。当時、うちには父用、僕用、妹用、軽トラと4台も車があったのだが、せっかくだから(何がせっかくなのか?)僕が新しいファンカーゴを使い、僕用の車を母用に回しました。
 なんせファンカーゴは、後部座席を格納してフラットにすると、僕の身長なら余裕で寝ることができる。前の会社を辞めてフリーになった矢先のこと、車中泊で宿代浮かして、遠くの取材にガンガン行ったるぜ!という意気込みで…ということでは別になく、当時はそんなに仕事もなかったもんで、ガンガン遊びに行ったりしました。
 
 この車で行ったもっとも遠いところは、北が山形県米沢市。確か2002年、まだ行ってなかった新潟・弥彦、福島・いわき平の各競輪場を一度に回ったとき(どうでもいいけど新潟場外、サテライト会津、郡山場外にも寄った)。新潟から福島へ向かう途上、会津若松から北上してわざわざ米沢に立ち寄ったのだった。
 というのも米沢は大学時代、合宿制の車校で3週間ばかり滞在した懐かしの町だったからです。ビクビクしながら路上教習で走った道を自分の車で走ることになるなんて…と、感慨深かったのを覚えています。
 西は談志・談春親子会を見に行った去年の福岡。あと、四国は松山まで。よく考えると、この車で本四連絡3ルートを制覇してるではないか。
 一番酷使したのは2005年、樹林舎の「島根県の歴史街道」という本を作ったときでしょうか。一年間に10回くらい愛知-島根を往復したうえ、隠岐の知夫村(NHKの「だんだん」で最後に出てきた島)を除く全市町村を走りまくりました。なんせ「街道」がテーマの本だもんで、主だった道はすべて走らなくてはならなかった。この島根行きで少なくとも6分の1は距離を稼いだんじゃないだろうか。

 乗り出してから8年、遊びと取材でフルに乗りまくり、2004年に結婚してからは嫁も使うようになり、走りに走った積み重ねが30万キロ。よく走った、ご苦労さん、もうゆっくり休んでおくれ、ということはなく、まだ乗り続けるつもりです。次は40万キロ?それは重い(C)イチロー。
(まさ)
そのほか | Comments(3) | Trackback(0)

カンバンの手帖ブログ版0095

2009年04月17日
 昨晩はラーメンズの名古屋公演を観てきました。いや~、ムチャクチャよかった。最近、落語だチンドンだ、もろ和物ばっかりだったので新鮮な感動です(同列に語るものでもないが)。あ、そういえば来月は同じ舞台で談志の独演会もあるんだ。

 ラーメンズとも落語ともまったく関係ないですが、阿久比で発見したカンバン。

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 まさに男性仕上。どの段階で描かれたのかと。
 僕にとっては今だに「サヨナラを繰り返し、君は大人になるぅ~」のイメージなんですけどね。高校生の頃よくエアチェックしていたFMのライブ録音番組「日清パワーステーション」のCMで、カップヌードルのナレーションのバックに流れていたのがこれだったので。
(まさ)
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ザ・キャップ

2009年04月13日
 ちんとろ祭を見たあと、南下して武豊へ。続いて見物したのは長尾地区の祭礼。長尾は武豊町北部の地区名です。
 もともと武豊は、北部の長尾(JR武豊駅界隈)と南部の大足(イヅマンやミナミグラなど味噌蔵が密集するあたり)が合併してできた町。長尾+大足なら「長大村」とか「足長村」にすりゃよさそうなもんだが、長尾村の鎮守・武雄神社と、大足村の鎮守・豊石神社から二文字を取って「武豊」としたそうな。マニアックな合成地名です。

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 知多どころか東海地方の山車祭りを網羅した「尾張の山車祭り」という素晴らしいサイトによれば、この祭では6台もの山車が出るそうだが、行ったらすでに巡行してて、見ることができたのは「長北車」「八幡車」の2台だけ。
 驚いたのは1台の山車を曳く人、随行する人の数がメチャクチャ多いこと。村名のとおり、先頭からドン尻まで長い長い。いつもは車が多い国道247号を封鎖してワラワラと人が群がる様は、なかなか圧巻だ。
 この祭で目を引いたのは、彫刻よりも出車に随行する人(中高年齢層による、いわゆる「お取り持ち」か)が被っていた帽子。

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 長北車の帽子は、かわいらしい緑と赤のツートン!まさしく藤子不二雄Aの怪物くん!勇壮な祭におけるワンポイントのコミカル。このデザインの帽子を導入した由来が知りたい(みな忙しそうだったので聞けなかった)。

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 八幡車は船員か昔の消防団か、といったタイプ。それぞれ色や本数が異なる帯が巻いてあるが、階級を表しているのだろうか。
 来年はフルで見物して全帽子をチェックしたいものです。
(まさ)
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上半田ちんとろ祭

2009年04月12日
 暑い、暑すぎる。
 知多半島全域で勃発している祭りラッシュもいよいよピークを迎え、本日は半田市内だけで9か所で祭りが開催、うち7か所で山車が出ていました。この暑いなか見に行ったのは、半田市街西部・上半田地区の住吉神社祭礼、別名「ちんとろ祭」。名前だけで100点!
 おっとそう言えばちょうど一年前、「来年も常滑祭を見に行きたい」とか書いたような気がするが、スイマセン、半田を取っちゃいました。
 最大の特徴は、神社の前ある池に山車を乗せた「ちんとろ舟」が浮かぶこと。尾張津島天王祭の「巻藁舟」の系譜に連なるものだそうです。暑さにヤラれて頭がまだボーっとしているので、詳しい歴史を調べてここに書く気力がありません。

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 マンションや雑居ビルを背景にのっそり漕ぎ進む様は、なんというか、なかなか不思議。舟は拝殿の正面に係留され、子供が三番叟を奉納します。
 これとは別に陸上用の山車も2台あるのだが、例によって施された装飾がほんとうに見事で見飽きない。

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            「う~ん、また外した」    「何しとんねん…」

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「エサだエサだ!それ曳け!」

 なぜエサにこだわるのか、自分でもよくわかりませんが…。
 このあと町内巡行もあったけど、暑いし、他所でも見たい祭があったので、ポイント押さえただけで移動してしまいました。つまみ食い。
(まさ)
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東笠松駅の今昔

2009年04月11日
 一宮の木曽川堤の桜を見た日は、岐阜県側の木曽川堤防、つまり笠松の桜も見てきました。都合よくカーブする名鉄本線の背後に、都合よく桜並木が入るもんで、マニアにはメジャーな撮影スポットになっているところです。

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 また都合よくカメラを構えられる場所が、木曽川鉄橋のたもとにあるもんで、僕のような鉄道写真の素人でも(他の写真も素人だが)それなりの写真が撮影できてしまう。
 むかしここには、無人駅の東笠松駅がありました。

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(2005.01.09撮影)

 笠松駅よりも笠松の市街地に近いのに、普通列車しか止まらないので利用客は少なく、この写真を撮った20日後に廃止。4年を経てホームは見事に跡形もなく、駅があったとは思えません。
 名古屋方のホームからは笠松競馬場が一望でき、ホントいい駅でした。個人的には、地元の下方駅(揖斐線)と並ぶ名鉄好眺望駅の双璧だと思っていたけど…どっちもなくなっちゃった。

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 現在、駅跡敷地には立ち入り制限の簡易柵が。

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(2005.01.09撮影)

 廃止前はこんな風情でした。たいして変わっていないな。もうチョイ昔には、左の草が繁っているところに民家だか廃商店だかが建ってた覚えがあります。

 どうでもいいけど、実は東笠松界隈はけっこう思い出深い土地です。
 会社を辞めて無職だった10何年か前、どこにも行くあてがなくて、というかどこかに行きたかったけど遊びに出歩く気分ではなくて、よく東笠松駅下の河川敷に車を停めて時間を潰していた。適度に実家から離れているし、適度に広がりのある風景がなんかよくて。そこで自分の行く末を案じつつ、本を読んだり鉄橋を渡る電車の音に耳を傾けていたりしていたものだった。暗っ!
 あ、でも、目の前の笠松競馬に行くと己の境遇がより身に染みてダウナーに拍車がかかりそうだったんで、さすがにそこには行かなかったな(岐阜競輪には行ったけど)。

 駅はなくなり、河川敷もいつのまにかキレイに公園化され、当時の名残はあまり残っていないけれど、東笠松に来ると若かりし頃を思い出し、いつも少し切なくなったりする。う~ん。
(まさ)

◎駅跡シリーズ
名鉄西尾線鎌谷駅・三河荻原駅→●□
豊鉄田口線三河田口駅→●□
名鉄河和線布土駅→●□
東海道本線新垂井駅→●□
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なりませぬ×4

2009年04月10日
 今年は例年にないくらい桜を見た。キリがないからもう散ってもらってけっこうです。

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 今年見たなかの一つ、ツインアーチ138あたりの木曽川堤防左岸の「木曽川堤桜」。昭和2年に国の名勝及び天然記念物に指定された、けっこう格の高い桜です。ただ、並木が堤防道路になっているため、腰を据えて見物している人は微妙に少ない。
 戦前の国指定モノ(史跡・名勝・天然記念物)を見に行くと、よく指定標柱が建てられています。木曽川堤桜のそれもツインアーチの駐車場入口付近にありますが、これがまた実に味わい深い石モノ。

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 右の柱が指定標柱。ぶっとい文字に国指定の格がよく現れています。そして左が逸品!案内および注意書き。石板にびっしり文字が刻まれています。全文は以下に。

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この櫻は明治十八年に植栽したもので、樹種は彼岸櫻と枝垂櫻が主で、少数の山櫻が交ってゐます。花色の紅白、花形の大小種々で変化に富んでゐます。現存の樹数は千余で、花時盛況を呈します。■類の櫻をかく多数列植した所は全國に其の例がありません。

注意
一、櫻樹の伐採をしてはなりませぬ
一、彼岸櫻枝垂櫻以外の樹種を植樹してはなりませぬ
一、みだりに工作物の建設又は改築をしてはなりませぬ
一、其の他指定地域内の現状を変更したり風致を害するような行為をしてはなりませぬ

昭和二年八月 内務省

※句読点筆者、■は読めない
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 一宮市はこの石柱と石製案内板を文化財にすればいいと思う(国のものだけど)。
(まさ)
尾張雑 | Comments(0) | Trackback(0)

カンバンの手帖ブログ版0094

2009年04月08日
 富山でのチンドンのあとは、郊外の岩瀬という町で白エビ定食を食べ、アダチ宣伝社がPRしていた郊外の商業施設「ファボーレ」で温泉に入り、東海北陸道に乗ってひるがの高原SAで車中泊して、翌日曜日は長良川鉄道沿線をロケハンしがてらダラダラ帰りました。
 長良川鉄道も春爛漫。

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 福野駅の桜は満開。

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 大矢駅の桜も満開。
 いずれも所在地は旧美並村。大して高くもない山と、ユルい流れの長良川と、その合間に広がる農村風景、すべてが相まって長閑極まりない風情を醸し出している地域です。昔から美並村に来ると、遊びでも仕事でもなんかダラーっとしてしまう。
 そんなのん気な旧美並村のあちこちに掲示されている、衝撃のカンバン。

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 この村には屋外で着替える風習があるのか!?誰が!?若い女の子もか!?
 じゃなくて、農作業のジジババに向けてのメッセージかね。死んだウチの婆さんも、平気で外で肌を露出して着替えてたし。
(まさ)
中濃・東濃雑 | Comments(0) | Trackback(0)

チンドン評論の地平

2009年04月07日
 しかし、チンドン屋もこれだけ見ているとさすがに目もだんだん肥えてきて、なんとなくプロの中でも良し悪しが見えてきます。中には追っ掛けしたくなるようなチームも出てきてたりして。いや、ホント、追っ掛けしてるマニアって絶対いるよ。
 富山と萩原のコンクールに登場した中で、他とは明らかに一線を画しているのは、この2つ。

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 まずはこちら、長崎を拠点にするプロ「かわち家」。
 かわち家の最大の見所は、鳴り物。とにかく演奏がいい。音楽の安定感は業界随一。チンドン太鼓、トランペット、ゴロス(緑の着物の女性が叩いている太鼓のこと)、3つとも音がキレイで全くブレがない。上質のライブを観ているような感覚にまでなるのは、正直この「かわち家」だけだ。
 コンテストで演じるときの曲は、毎回アップテンポでノリが凄くいい。見ている我々の身体が自然にリズムを取って、踊り出したくなる。この卓越したグルーヴ感!。まさしくディスコ。チンドンヤ・ディスコ。パフュームの曲のタイトルか。
 また、多くのチームが「オレたちを見ろ見ろ!」的なアピールを強く発するなか、かわち家はそんな演じ手の自意識をまったく感じさせない。あくまで自然体で、観客をノセよう、楽しませようという気概にあふれている、ような気がする。
 そしてもう一点素晴らしいのが、3人のポジショニング。撮影してみるとわかるのだが、上の写真ように、三人がきれいに収まるタイミング(つまりシャッターチャンス)が他のチームより格段に多いのだ。着物の色あいと背丈のバランスもほぼ完璧。
 どういう隊形やスタイルをすれば美しく見えるか、彼らは演劇やライブをかなり見て研究しているはずで、確実に自分たちのモノにしている。これぞプロのパフォーマンスだ。

 もうひとつは大阪拠点のプロ「ちんどん通信社」から、囃子座。

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 「ちんどん通信社」はちんどん屋業界の頂点に君臨する大所帯で、毎回何チームかを送り込んでくる。その中で主宰者の林幸治郎率いる「囃子座」は、これまでに何回も優勝している大御所トリオ。和太鼓界でいえば林英哲、落語界でいえば立川志の輔、昔の競輪界でいえば吉岡稔真。はっきりいって格が違いすぎるので、コンテストなんぞに出てはいけないとも思うのだが、囃子座が出ないとイベント自体が締まらないだろうから仕方ない。
 囃子座は毎回、芝居仕立ての舞台を披露する。芝居自体のうまさと演奏のうまさは言うに及ばず。見事なのは脚本だ。
 チンドン屋は宣伝業なので筋にPR企業・団体を入れ込むなければいけない。その絡め方が実にうまい。今回の予選では、富山競輪をモチーフに清水次郎長の物語を綺麗にまとめて演じていた。筆者の愛する競輪を、プロ中のプロ、囃子座が演じてくれて本当によかった。
 ちなみに去年萩原で見た時は、スポンサー企業が「一宮法人会」。こんなもんどう演じりゃいいのか、並のチームならガタガタになりそうなテーマだが、そこは囃子座、きっちり芝居にしてPRしていたのはさすがである。主催者も安心して難題を任せられるのだろう。
 そんな囃子座には、絶対に外せないキーパーソンがいる。

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 バンジョー担当、ジャージ川口だ。
 上の二人だけ見ると渋いのだが、この人がいるだけで、「芝居」の舞台ではなく、独特の「チンドン」の舞台になる…って、そんな理屈はさておき、大部分が丸で構成されたこの姿!何度見ても味わい深い、ザ・大阪の芸人というこの風情!二人が芝居やってる間の表情が、またたまらない。囃子座の隠れた見所は、彼が醸し出す独特の空気と間にある。

 てな感じで、タイトルに「評論」と付けたので、評論っぽく気取って書いてみました。
(まさ)

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●□ お 知 ら せ □●
◎I toursブログを更新しました。やきものの話題だけど、なぜか酒のホーローカンバンも一枚だけ掲載→●□
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敢闘賞!

2009年04月05日
やりました!
 個人的に応援している「香嵐渓市川一座チンドン屋 嵐(らん)」が、富山の全日本チンドンコンクールで敢闘賞に輝きました。以前にもブログで紹介していますが(→●□)、彼らは豊田市足助を拠点に活動しているチンドン屋さんです。プロではないけれど、プロ並みにイベントや開店祝いに引っ張りだこ。平均年齢60歳、座長は確か81歳。めちゃくちゃ元気なチームです。
 チンドンコンクールとはプロ&素人のチンドンマンが真剣勝負で芸を競うもの。約3分間の演技を披露し、基本技術(チンドン太鼓の演奏)、口上、練り歩き、専門性(音楽、衣裳、パフォーマンス等)が審査されます。
 毎年二日間にわたり開催され、プロは4日(土)が予選、5日(日)が本選。素人は4日(土)に競います。県庁前公園に設置されたステージで披露するのが常ですが、今年は途中から小雨が降りだし、午後からの素人コンクールはやむを得ず、国際会議場でのステージで披露となりました。
 素人チンドンマンは30組が出場。この中から、最優秀賞1組、優秀賞2組、敢闘賞7組が選ばれます。愛知県から出場したチームは「嵐」と「よいこちんどん」の2組。両チームとも昨年よりレベルが上がっていて、何となくいけそうな気がしてはいたものの、内心はドキドキ。2組の名前が呼ばれた時にゃ、もうめちゃくちゃテンションが上がりました。
 2組の喜びようったらない!祝福に楽屋に行ったら、嵐のまとめ役、鶴田浩二(芸名)が、「ありがとう!ありがとう!」と、がっしり手を握ってくれる。ファンとしてこれほどの喜びはありません!いやぁ~、ETC割引を利用しての日帰りで、富山に来た甲斐があった!疲れも吹っ飛びました。
 街でチンドンマンを見かけたら、ぜひ応援してください!(マリ)
 
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「香嵐渓市川一座チンドン屋 嵐(らん)」。個性派ぞろいの一押しチーム。

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座長、キマリすぎ!右横の怪しい女性はマリリン。

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マリリン、怖すぎるっ!でも、女性の私より色っぽい、艶っぽい・・・

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「よいこちんどん」の三人娘。ちんどん通信社囃子座の林幸治郎氏が「カワイイ!」と絶賛。うちのダンナもメロメロ。 

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「厩橋CHINDON倶楽部きれいどころチンドンズ」。手前の三味線を抱えているお方はなんと80歳!チンドンが元気の秘訣らしい。見事、優秀賞に輝きました。
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ブルーシーターズ

2009年04月04日
 三河もようやく桜が咲きそろってきましたね。いつまで咲き惜しみしとるんじゃ!という感じでしたが。

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 てなわけで、取材のロケハンがてら朝の岡崎公園へ。昨日(金曜)の岡崎公園は満開あと一歩。よくよく考えてみると、桜の時期の明るい時間帯に岡崎公園を歩くのは初めてではないか。朝から場所取りのシートがすごかった。

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 なんとも典型的な場所取り風景(なぜか写真がでかくなっちゃったけど)。
 そういえば僕は、彼らのように会社から遣わされて花見の場所取りをしたという経験がない。ていうか、桜の木の下での宴会も、名古屋の編プロに勤務していたとき鶴舞公園で2回ほどしたぐらいかな?
(まさ)
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大高町を歩く

2009年04月03日
 昭和の大合併以前に存在した自治体を徘徊するシリーズの第5弾。今回は名古屋市最南端に位置する大高町です。
 大高じたいは何回も歩いているのだが、最近とある本の企画で古い街道を探索しており、その一環として数日前に改めて歩いてみた次第。ちなみにその街道とは、常滑街道の名和(東海市)と旧東海道の鳴海宿を結ぶ“連絡路”。なんちゅうマニアックな企画だ…。
 
 大高というと、最近は南大高駅が開業してちょっとだけ脚光を浴びましたが、そこは新興開発地域。大高駅に近くの旧市街には古い町並が残っており、なかなか趣きがあります。有松ほどのハデさはないけど、うまく宣伝すれば名古屋の新しい町並系観光スポットとして急浮上してもおかしくありません。まあ、売り出そうという気は地元民にないでしょうけど。

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 最大の売り出しネタは酒蔵。なぜか大高には3軒もの酒の蔵元が現存しています。上の写真はそのうちのひとつ、萬乗醸造(→●□)の母屋。シブすぎ!で、この前を通るこの細い道が名和鳴海往還(名前がないので勝手に命名)。

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 名和鳴海往還は萬乗醸造のところで直角に折れ曲がり、北上します。その界隈が大高の本町。大高城址の真下に位置し、たぶん城下町として町並が形成されたのでしょう。
 この写真は角から少し入り、萬乗醸造の正面を見たもの。レンガの煙突が実に味わい深い。萬乗の酒は飲んだことありませんが、通には「醸し人九平次」の醸造元として非常に有名らしいです。飲みてえ~。

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 本町から鳴海方面に進み大高川に差し掛かると、「江明公園」という小広場の一角に大高町道路元標と役場跡の碑が並んで立っています。石碑をよく見ると「旧知多郡大高町」の文字が。何食わぬ顔して名古屋市に入っているけど、実は大高は知多郡なのだ。てことは大高の3蔵は、近世に名を轟かせた「知多酒」の一翼ってこと?

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 ちなみに萬乗以外の二つの蔵元は、「神の井」(→●□)と「鷹の夢」(→●□)。しかし「鷹の夢」って凄い銘柄だ。英語にするとHawk's Dreame。

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 大高川を渡ると、旧東海銀行大高支店の建物が残存。銀行は比較的、街道に面して建つことが多いので、この道が名和鳴海往還であることの証拠と言ってもいいでしょう。ファザードは銀行建築らしい重厚さだが、後ろを見ると和風建築。シブい。
 さて、今回のハイライト。この記事はこれを出したかったがために書いたようなもんです。旧東海銀行から名和鳴海往還をさらに進み、八幡神社の片隅に「資料収蔵庫」の表札を掲げたこんなモノが!

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 これは…もしかして奉安殿?
 奉安殿とは、戦前、全ての小学校に置かれていた、天皇の御真影や教育勅語の収蔵庫のこと。当時の子供たちは学校に来ると、まず奉安殿に最敬礼していました。戦時教育の象徴ということで、戦後取り壊しが命じられた、はずなのだが…。
 まさかこういうものが再建されるとも思えず、とするとホンモノ?
 「××の100年」「△△の今昔」などむかし手掛けた古写真集の取材で、奉安殿の写った写真は嫌になるほど見てきたけど、いや~、びっくり。侮れないぞ大高。
 と言いつつ、現物に遭遇するのは実は2例目だったりします(もうひとつは碧南某所で)。
(まさ) 

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◎旧自治体徘徊シリーズ
2007.09.24 愛知郡八幡村→●□
2008.02.03 西春日井郡楠村→●□
2008.04.17 愛知郡金城村→●□
2008.10.22 愛知郡御器所村→●□
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