ROLL & HINOMI & BANBOKU

2009年01月28日
 本日は大府で柳家花緑の独演会の予定が、演者がインフルエンザということで急遽延期に。そういうこともあるんだな、と。大事にしていただきたいものです。

 2週間ほど前、岐阜羽島駅から7、8キロ南にある桑原町東方という揖斐川べりの集落にて撮影。なかなか不思議な、農閑期の光景です。

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 枯れ田一面に転がる藁ロール。何に使うんだろう?背後には小さく、例によってHINOMIが!

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 岐阜県(主に西濃~岐阜地区)の火の見櫓もここ1年ほどでけっこう採集しまして、分かってきたことが一点。このエリアのHINOMIは三角・隅切りの見張り台が多い。だからなんだということはありませんが…。

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 オマケ。岐阜羽島駅前に建つ大野伴睦センセイ(この駅を作った郷土の偉人)夫妻の銅像。取材の合間、中途半端に時間が空いちゃったので撮りに寄ってみました。
 考えてみると、中学校の修学旅行以来、岐阜羽島駅を利用した記憶がない…。
(まさ)
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タウンサインの研究0013

2009年01月27日
地元以外ではあまり知られていませんが、尾張一宮駅前通りは「銀座通り」と呼ばれています。

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 で、この通りに掲げられているタウンフラッグがこちら。

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 中央の円にあしらわれているのは、一宮市の花、キキョウ。一見、どうということのないデザインですが、キキョウの部分をよーく見てみると…

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 なんとこのキキョウ、刺繍!
 銀座通りに店を構える老舗洋品店の方によると、市内にある服飾刺繍の専門会社に依頼して、この旗を作ったとのこと。さすが織物の町の中心商店街、見事なまでの地域性へのこだわり。見事だけど、教えられなきゃ誰も気づかないぞ!
 このほか銀座通りには、御影石でできたこんな腰掛も。

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 なんの形かと思ってよく考えてみたら、一宮市章でした。気づきにくい~。
(まさ)
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御神籤業界の努力

2009年01月25日
 町の中心部にある「お宮横丁」で富士宮やきそばを食べた後、向かいにある富士山本宮浅間大社に参拝してきました。朱塗りの楼門や朱塗りの拝殿が美しい、いかにも格の高そうな神社です。

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 荘厳な雰囲気に反して?社務所ではこんなポップなおみくじを販売中。

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 その名もズバリ「富士山おみくじ」!御丁寧にノーマルバージョンと赤富士バージョンの2種類あり。普通の短冊のおみくじを富士山型に折っただけですが、開くのがちょっともったいないような。しかし神業界もいろいろ工夫してるんだなあ。

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 参拝する女性取材記者。爺さん、婆さんが長く元気でいますように、と。
(まさ)
東日本 | Comments(0) | Trackback(0)

談春、啖呵を切る

2009年01月25日
 今流行りのインフルエンザA型にかかってしまった落語の師匠の代わりに、今日はワタシ一人で立川談春の独演会に行ってきた。開場は名古屋の中電ホール。2700人収容の大阪フェスティバルホールも満員にした談春のこと、約450人収容のホールはもちろん満席だった。客はファンと思わしき一人客が目立ち、着物でいらしている方もちらほら。2000円のパンフレットやCDも好調に売れていた。
 
 開演は夕方6時。前座の立川春太が『たらちね』を演じた後、談春が現れる。大阪フェスティバルホールの独演会、情熱大陸の裏話等を盛り込んだマクラを20分ほど喋った後、一席目は『へっつい幽霊』。これはCDで何度か聴いている。この話は、博打好きの幽霊と、博打好きの熊さんが博打をするところが見せ場。うらめしや~の手で幽霊がサイコロを転がすシーンを、生で見られたことが嬉しくて仕方なかった。
 
 中入り後は『大工調べ』。この話の登場人物は、大工の棟梁、大工の与太郎、大家さんの3人。店賃の担保代わりに大工道具を持っていかれてしまった与太郎に、棟梁は滞納金の一部を与太郎に渡して、道具を返してもらえと伝える。与太郎の言い方もまずいが、大家は道具を返してくれない。ならば棟梁自ら頭を下げようと大家に出向き、足りない分は後から必ず払うと言う。ところが、ちょっとした言葉の言い回しから大家は意固地になり、全額払ってもらわなければ道具は返せないと一歩も引かない。もとはといえば与太郎が悪いのだが、棟梁は大家の態度にぶち切れて、啖呵を切る。これが、物凄かった!
 
 時間にして一分、いや二分、三分くらいあっただろうか。トレモロのようなスピードで、畳み掛けるようにまくし立てる。まくし立てるというと、ちょっと下品な感じがするから、これは少し違うか。流暢な語り口なんて表現では物足りない。ドラムの連打を聴いているような感覚といえばいいだろうか。昨年、喉の手術をしたにもかかわらず、よく通る声も健在で、心地のよい調べを聴いているようだった。観客席からスゲェ!見事だ!という気持ちを込めて拍手が沸き起こる。クラシックならば、ブラボー!と、誰かが発しただろう。ケンカを売っているわけだから、内容は決して綺麗ではない。というか、内容はほとんど覚えていない。啖呵の後に、当事者の与太郎が「ケンカを打っていたようですね・・・」と、ポォーッとした表情で言うが、ワタシも与太郎と同じく、棟梁の(談春の)声や語り口に聞き惚れてしまっていたからだ。
 師匠の談志とも違う、志の輔にもない、立川談春にしかできない話芸。談春の底力を見せ付けられた独演会だった。(まり)
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「楽」で落語!

2009年01月22日
 久しぶりのブログでございます(ワタシにとって)。波がありますが、今年もお付き合いのほど、よろしくお願いします。
 さて、富士山の話題から話が飛びますが、いまだ落語の熱は冷めやらず、年末から今年にかけて5回も落語を観に行ってきました。とくに正月は“新春初笑い”と称して、あちらこちらで落語会が催され、行けばパンフレットに挟まれた告知チラシに目を通し、すると気になる落語会を見つけてしまい、再び落語会へ行き、そこでまた気になる落語会を見つけてしまう・・・と、落語ビンボーまっしぐら。なかなか抜け出せません。
 
 ここ、お食事処「楽」での落語会は、正月明けの7日に行った春風亭小朝の独演会で見つけたもの。20日が三遊亭白鳥、31日が柳亭市馬。市馬は正統派の古典落語を聴かせる実力ある噺家で、12月中席の浅草演芸場を見に行ったらトリを務めていた。評判通りの話しぶりで、声がものすごくいい。対して白鳥は創作落語で知られる噺家。『この落語家を聴け!(広瀬和生著)』(初心者なんで、このような本も買ってしまう・・・)では、奇想天外な創作落語で爆笑させる、と評されている。どちらを観るか、それとも両方観るか・・・。とりあえずチケットがあるかどうか問い合わせてみると、どちらもまだ余裕があるとのこと。迷った末、まだ一度も見たことのない白鳥を選び、落語を観たいと言っていた友達も誘って、ダンナを合わせた3人で見に行ってきた。
 「楽」は、地下鉄東山線の中村日赤駅から徒歩10分ほど離れたところにある。名古屋競輪場へ数回、いや数十回?行ったことのあるダンナには通いなれた場所のようだが、ワタシは初めて。夕方六時半過ぎの周辺は薄暗く、女二人で歩くにはちょっと心細い道だった。黄色い看板が目印だという「楽」は三階建ての一軒家のような店で、一階は食事処として普段どおり営業していた。会場は階段を上がった二階。20畳くらいの大広間に高座が設けられている。落語のために作られたとしか思えない場所だ。受付で木戸銭1,500円を払い、パンフレットを受け取ると、群青色の着物を着た人が後ろからやってくる。一瞬、お客さんかと思ったが、胸元には白いスワンの絵柄が二つ。この人が白鳥さんだった。
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 座席は自由。前から四列目くらいまでは背もたれの付いた座イスがあり、こちらは早く来た人だけが座れる特等席。その後ろは座布団席で、空いている席に横並びに座った。客は50人以上100未満。ギュウギュウ詰めではない。女性客もちらほらいたが、男性の一人客が圧倒的に多く、たぶん常連さんなのだろう。 
 開演の7時を過ぎると、開始の合図、出囃子が鳴る。今までの独演会では前座なり二つ目が一人二人いたが、今日は白鳥一人。出囃子はテープで、曲は「白鳥の湖」。どんな展開で進んでいくのか楽しみになった。
 最初から創作落語で爆走するかと思っていたら、「まずは古典落語をやります」といって、『白鳥流火焔太鼓』を話し始める。妻の尻に敷かれた道具屋の亭主が、この世に二つとない火焔太鼓を仕入れ、運よくお殿様が購入するという、めでたいストーリー。この話の見せ場の一つが、亭主と妻のやりとりだと思うのだけど、白鳥が演ずる亭主役は幼い子どもに見える。もしや、妻と子どもの話に改作したのだろうかと思ったが、基本の設定は変えていないよう。あえて、子どもっぽく演じていたのだろうか。
 その次は創作落語『悲しみは日本海に向けて』。師匠、三遊亭圓丈の『悲しみは埼玉に向けて』の改作版で、落語というより私小説。新潟の高田で生まれ育ち、実家は自転車屋、江戸っ子に憧れて落語家になったが二つ目の名は出身地をアピールした“三遊亭新潟”。新作落語を得意とする師匠を目指し、「古典落語ができない体質になってしまったんです!」と、落語家としては致命傷ではないかと思うようなことまで激白する(いいのか?!)。一体、どこまでが本当でどこまでが冗談なのか。ストーリーに少々ムリがあったものの、古典の改作より、完全な創作落語のほうが断然、面白かった。
 一席見た限りでは、鼻水垂らして遊びほうける小僧役とか、落ち着きのない課長とか、そういうキャラクターのほうがぴったりはまるような気がするなぁ。それから、マクラと話の本編の調子が変わらないので、少し分かりにくい。マクラが延々続いているように聞こえてしまうのだ。まっ、偉そうなことはいえませんが。とはいえ、声は明るいし、憎めない坊ちゃん風の表情もいい。東京の寄席で観てみたいものです。
 
 さて、「楽」で食事をしてもよかったのだけど、そこから15分ほど離れた「プサン」という韓国料理屋で打ち上げをすることに。「楽」以上に辺鄙な場所にあるのにお客さんで賑わっていてびっくり。チヂミとコプチャンチョンゴルが旨かったなぁ。「楽」+「プサン」、このパターン、かなりおすすめです!(まり)
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↑雅楽に用いる鼉太鼓(だだいこ)。外側を朱色の火焔が取り巻いていることから、火焔太鼓とも呼ばれる。鼉太鼓は、赤い太鼓の革面に三つ巴を描いた左方太鼓、緑色の彩色した革面に二つ巴を描いた右方太鼓の一対で用い、この写真は右方太鼓。
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タウンサインの研究0012

2009年01月21日
 富士川を渡ったあと、柚木駅から身延線に乗って、これまた12年ぶりに富士宮へ。富士宮といえばコレですね。

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 ローカルB級グルメの帝王、富士宮やきそば!
 町の中央に鎮座する富士山本宮浅間大社の門前に「お宮横丁」なる軽食系休憩スポットがあり、そこにある2店で嫁と僕、それぞれ別の焼そばを注文してみました。写真手前は「富士宮やきそば学会」、奥は「すぎ本」です。初食の嫁は、麺のモチモチ感を絶賛。
 12年前に来たときは「富士宮やきそば」なんてぜんぜん耳にしなかったのに、時代は変わった…。
  
 富士宮駅前から「お宮横丁」までは12年の間に町並み整備が行われたらしく、僕の記憶にある光景ではなくなってました。さすが区画整理事業が大好きな静岡県。しかし「お宮横丁」から西富士宮駅までは、従来どおりの40年代チックな商店街が現存しており、ひと安心。歩道アーケードも健在です。

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 西富士宮駅にほど近い「西町商店街」では、これまた40年代チックな各店舗用統一電光サインがアーケードの下にズラリ吊り下げられており、なかなか圧巻です。富士宮なのになぜかオレンジ・白・緑とインド国旗のようなトリコロール。店名の左には扱う商品のイラスト入り。

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 やっぱり商店街にはこういう統一感が必須ですよ。現状キープしてほしいものです。
(まさ)
東日本 | Comments(0) | Trackback(0)

駿河は春か

2009年01月20日
 先週、金谷から富士山を眺めたばかりですが、 昨日も18きっぷの残りでまた富士山を見に行って来ました。いちおう取材です(18きっぷで!)。

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 12年ぶりに東海道線の富士川駅で下車し、富士川を渡って身延線の柚木駅まで歩いてみました。写真はその途中、富士川の河川敷から撮ったもの。しかし駿河は暖かい。完全に早春。土日に揖斐川町に帰ったときは雪も残ってて完全に冬だったのに。
 でも、望遠レンズで山頂のほうをよく見ると、強風に煽られて雪煙が上がっております。
 頭が回らないので細かいネタはまた後日。
(まさ)
東日本 | Comments(0) | Trackback(0)

平成21年初富士

2009年01月18日
 先週はなんかバタバタと忙しい一週間でした。
 頭があまり回っていないので、とりあえず16日に撮影した富士山の写真だけでも。金谷駅の真上あたりから撮ったものです。

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 ただ富士山というだけで、これといってネタはありませんが。
(まさ)
北信越 | Comments(0) | Trackback(0)

遙かなる豊橋

2009年01月14日
 読売新聞が「創刊135周年記念」と銘打って「平成百景」なるくだらない企画をやっています。今、紙上で1県につき5~10か所ほどの候補地(全国300か所)をリストアップした連載をやっており、読者投票をもとに4月下旬に選定するらしいのだが、なにがくだらないかって、愛知県は7か所挙げているのだが、その中に東三河がひとつも入っていないことだ!
 いや、戦前ならいざ知らず(昔から新聞社はこの手の企画をよくやっている)、今どきこんなことやったって世間になんの影響も与えないので別に入ってなくてもいいのだが、愛知の候補地ラインナップが「犬山城と日本ライン」「サツキとメイの家」「香嵐渓」「名古屋城」「名古屋駅前の高層ビル群」「名港トリトン」「藤前干潟」。サツキとメイの家て!伊良湖岬や鳳来寺山はやはりジブリに負けるのか?

 そんな偏狭な三河ナショナリズムはおいといて、話は前後しますが、馬籠の取材のあと中津川市街へ行く途中、マイナー宿場の落合にも寄ってみました。落合宿の中ほど、旧落合村役場跡地の前で、このような巨大道標を発見。

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 大正11年製で高さは約2メートル。側面に刻まれた銘によると、明治元年に生まれた同い年の仲間10人で金を出し合って建立したもののようです。
 正面はご覧のとおり「右 至中仙道中津町1里」と、ごく普通の距離標ですが、他面がマニアック。

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 一番左に注目。「豊橋屯営96哩(マイル)9分」って!
 豊橋屯営とは、明治41年から大正14年まで置かれた第15師団のことで、わが母校の愛知大学豊橋校舎の旧本館に師団司令部が置かれていました。なんでまた東濃の外れの道標にこんな名を刻むのか(しかも他は里丁で距離を表示しているのにこれだけマイル)。寄贈したオッサンたちが15師団に入営していたのだろうか。
 ちなみに他の表示は
「岐阜元標22里14丁」…たぶん司町の旧県庁前あたりに元標があったのだろう
「経長野県神坂村至飯田町9里」…神坂村は昭和の大合併で揉めて長野と岐阜に分割
「中央線落合川駅14丁」…大正6年開業

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 オマケ、本陣付近の落合宿。
(まさ)
中濃・東濃雑 | Comments(2) | Trackback(0)

岩村ヘブン

2009年01月12日
 馬籠に行った日の午後は、中津川、恵那市街を回って午後遅くに岩村へ。国道257号を走っていたら、岩村市街の手前で年末25日に開業したばかりの明知鉄道極楽駅に遭遇したので寄ってみました。

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 なんでまたこんな名前を駅名に採用したのかと思っていたら、中世の廃寺「極楽寺」にちなんで公募で決定したとのこと。字名も「極楽寺」だそうです(恵那市のホームページより)。
 ここ数年の岐阜県の鉄道といえば、名鉄各線の廃止、神岡鉄道の廃止、近鉄養老線の分離独立などロクな話題がなかったので、多少なりとも脚光を浴びるのはよいことだ。

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 隣の飯羽間、岩村までともに1キロほどという駅間距離の短さも気になったのだが、現地に行って納得。多治見に本社のあるバローの最寄り駅としてオープンしたのね。駅周辺は、バローのスーパー、ホームセンター、Vドラッグの3本柱に加え、三洋堂書店もあるという岩村の郊外型商業施設集積地。駅のすぐ裏には宅地も造成されています。三セクの灯を消さないためにも利用客が増えるといいけど…。
 上記の恵那市HPによれば、駅の建設費用としてバローが1080万円を寄附したそうです。スーパーのバローの品揃えは個人的にはあまり好みではないし、最近の過剰な出店ラッシュはどうかと思うが、こういう面での貢献は評価できます。

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 オマケ、隣の飯羽間駅。待合室がシブい。
(まさ)
中濃・東濃雑 | Comments(3) | Trackback(0)

カンバンの手帖ブログ版0087

2009年01月11日
 木曜日、取材で馬籠に行ってきました。先の名松線は22年ぶりでしたが、こちらもかなり久しぶりで、たぶん12年ぶりです。編入合併で岐阜県になってからは初めて。

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 超有名観光地なので朝から賑わっているのかと思いきや、朝9時ごろ着いたらこんな具合に誰もいない。メジャーなのにこんなもんなの?もっとも、昼近くなったらチラホラ観光客の姿も見えましたが、それでもこの少なさは意外です。
 取材先で聞いたら、正月休み中はそこそこ人出があるけど、正月明けから春休みまで平日は非常に観光客が少ない、とのこと。冬期休業の店も多いようだし、こんなもんなのか…。まあでも、逆に言えば、静かな宿場町風情を味わいたい人はこの時期が狙い目でしょう。
 町を歩いていたら、酒の小売店の軒先にこんなカンバンが吊り下げてあるのを発見。

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 三河高浜の蔵元、森弥商店のカンバン!森弥商店は「高浜市やきものの里かわら美術館」のすぐ近くにある蔵元ですが(→●□)、地元でこの蔵の商品が販売されているのを見たことがなく、やっているかどうか不明。名鉄三河港駅の特産品陳列ケースには飾られていますが…。情報求む。
 しかし、伊勢奥津のマンサンといい、馬籠のこれといい、味噌醤油の流通範囲ってなかなか予測が難しい。「江戸時代には知多や碧海の醸造品が船で江戸に運ばれた」、という記述は各種資料でよく見るけど、近現代の醸造の流通をまとめた資料ってないのだろうか。これについても情報求む。ていうか、自分で取材調査しろってか。

 あと蛇足。本来の取材とは関係なく、長野県から岐阜県になってどうかとある人に尋ねたら、もともと商圏は中津川だし生活上は便利になってよかった、と言ってました。合併に反対した人の中にはまだわだかまりもあるようだが、さほど問題にする程でもない感じ。
 馬籠がかつて属していた旧神坂村は、昭和の大合併のときにも分村・越県合併騒動を経験しており(その時は半分が中津川市に、馬籠を含む半分が山口村に分裂)、分裂した旧村民間で感情的なしこりが残ったという話で、「その徹は踏みたくなかった」という一言が印象的でした。
(まさ)
北信越 | Comments(0) | Trackback(0)

カンバンの手帖ブログ版0086

2009年01月10日
 伊勢奥津から名松線で折り返し、松阪に戻ったのが1455と中途半端な時間。本来なら久々に松阪競輪に行きたいところだが、駅から中途半端に遠いうえ本場開催ではなく立川記念の場外だったのでやめまして、伊勢奥津でカンバンを撮った蔵元「油正」を探しに行こうと、近鉄で久居に向かいました。
 久居市街へ行くのは初めて。東海4県の「市」の中心部で、唯一歩いたことがなかった町です。これにて完全制覇です。
 駅マンション化されている非常につまらない久居駅を出て、郵便局→旧市役所経由で「油正」へ。

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 かなり大きい蔵元です。味噌・醤油の蔵元かと思っていたらメインはどうやら酒らしく、直売店のスペースも8割酒が占めていました。銘柄は「初日」。しょにち、ではなく、はつひ。めでたい名だ。
 この蔵自体はよかったのだが、久居の市街地はどうにも活気がなく、ちょっとこれは大丈夫?と心配になってしまう。津市に合併したことで、町としてのアイデンティティも喪失したかのようだ。実際は何か活性化策をやっているのかもしれないけれど…。
 まあそれでも、カンバン的には面白いモノが意外と多く、それが救いと言えば救い?

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 貴重品の木製カンバン。渋い。

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 むかしウチの爺さんが好んで吸ってた覚えがある「チェリー」のカンバン。キャラクターはポパイ!だけどポパイが普段吸ってんのは紙巻タバコじゃなくてパイプじゃん。
(まさ)
三重雑 | Comments(0) | Trackback(0)

カンバンの手帖ブログ版0085

2009年01月09日
 伊勢奥津では電車の折り返しまでの1時間、駅前の町並みをうろうろ。山あいの閑散とした土地ですが、伊勢本街道の宿場町だったこともあり、ところどころで昔日の繁栄を思わせるシブいポイントが見られます。
 駅前通りと街道の三差路角にある醤油の小売店には、こんなホーローカンバンが。

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 ちょうど店からオバチャンが出てきたので聞いてみると、「ヤマニ」は阿漕(津市)の蔵元、油正(あぶしょう)は久居にある蔵元とのこと。「これを撮ってインターネットで紹介してくれる人もいるねん」。ほう、そうですか。鉄道マニアとカンバンマニアは5割がカブるといわれているからね(ウソ)。
 それはともかく醸造の話で盛り上がり、「中にもあんねんで」と言うので見せてもらうと、中には知多マニア垂涎のこんな逸品が!

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 半田のもと蔵元、マンサン(→●□)の特約店であることを示す大型の木製カンバン。まさかマンサンの名に、こんな伊勢の山奥で出くわすとは。
 しかし考えてみると、知多半島と当地は伊勢湾を隔てて向かい合う地域だし、伊勢うどんが示すようにこちらも溜文化圏だし、ここがマンサンの商圏であるのは別に驚くようなことでもない。
 オバチャンはマンサンの現状が気になっていたようで、今は醸造をやっていないことや、事務所のあった本宅の一部が観光協会事務所になっていることを教えてあげると、えらく驚き喜んでくれました。いずれぜひ、半田に来ていただきたいものです…って、別に僕は半田の人間ではないのだが。
(まさ)
三重雑 | Comments(0) | Trackback(0)

名松線の娘

2009年01月07日
 きのう青春18きっぷで、松阪と伊勢奥津を結ぶJR名松線に乗りに行ってきました。とある企画のロケハンです。

         090107-1.jpg (一志駅)

 20代の後半までは18きっぷのシーズンになるたび「××線に乗りに行く」ことを目的とした旅行をしていたものですが、こういうのはホント久しぶり。自分の旅の記録を見たら、名松線に乗ること自体もなんと22年ぶり!最後に乗ったのはまだ国鉄時代だよ…。
 久しぶりに乗ってまず思ったのは、よくもまあこんな路線が生き残っているなあ…ということ。いや、残っているのは嬉しいし今後も残してほしいんだけど、名鉄揖斐線も美濃町線もなくなってしまったこの時代に、こんな過疎地を走る盲腸線がまだ残っているなんて、奇跡なんじゃないか。
 名松線が、80年代の国鉄赤字ローカル線大量廃止を生き延びたのは確か、併走する道路がぜんぜん整備されていないから、というなんとも三重県らしい理由だったかと思うが、車窓から見る限り道路事情は20年前とあまり変わっていない模様。ということは、まだ名松線は大丈夫かな?

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 僕が乗ったのは伊勢奥津に12時28分に着く列車。もとより乗客は少なかったけど、旧美杉村の中心部にある伊勢八知駅でほとんど降りてしまい、終点まで行ったのは4人。うち1人は地元の女子高生で、残る3人は僕を含めて18きっぷ利用の鉄道マニア。う~ん、やっぱりこの路線の先行きが不安だ。
 さらに驚いたことに、マニアの1人がなんと若い女の子!女の鉄チャンいわゆる「鉄子」なる人種が存在することは知っていたけど、一人旅のホンモノに遭遇するのは初めてです。カフェとか雑貨屋にいそうな、きわめて普通の女の子で、一見マニアとは思えない風貌。乗ってるときは全然わからなくて、伊勢奥津で列車の写真を撮ってるのを見てようやくソレと気付いたほど。
 いや~時代は変わった…。
(まさ)
三重雑 | Comments(2) | Trackback(0)

鐘を吊るした人の村

2009年01月05日
 新年早々、とんでもなくドローカルなネタですいません。分からない人はネットで地図を検索して読んでね(それ以前に読む人がいるのか)。
 12/13のブログで、浜松市天竜区佐久間町神妻(かづま)の火の見櫓に吊り下げられている半鐘に、ウチの父親の在所の隣の集落に住む人の名前が刻印されていたと書きましたが(→●□)、正月にその集落へ行ってきました。といっても、子孫を探し出して話を聞いたわけではなく、ただ行ってきただけですが。
 例の半鐘に刻まれていた「揖斐郡久瀬村外津汲(とづくみ)」は、平成の合併により現在は揖斐川町となっています。揖斐川町役場から揖斐川沿いに車で15分ほど上ったところに位置しており、ウチの実家からもそんなに行きにくくはないんですが、なんせ上流方面へ行くことなんて年に1、2回しかないうえ、幹線道路(国道303号)から外れていることもあって、僕もこれまで指折り数えるほどしか行ったことがありません。

 集落の対岸には国道303号の旧道が通じており、山奥の割にアクセスは容易です。僕が小学校低学年の頃はまだ久瀬トンネルが開通しておらず、父親の実家の西津汲へ行く時はけっこう頻繁にこの道を利用していました。対岸に外津汲の集落が見えるあたりから道は俄然険しく、谷は深くなり、いよいよ山奥の村へ突入!と言う風情になります。この道が子供心にも怖くて怖くて。転落の危険に怯えながら座席にしがみついていたものです。この道で、昭和40年代に路線バスが落石の直撃を受け谷底に転落し乗客全員死亡という大事故があり、そのイメージもあり余計に怖かったのでしょう。

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 橋の向こうに見えるのが外津汲橋の集落です。正月はウチも含まれる揖斐郡山間部は、時折小雪がちらついてました。
 僕が中学生の頃までは、橋のたもとまで近鉄バスが確か2往復乗り入れており、今もブロック積みのバス待合室跡が残っています。
 で、どんだけ谷が深いかというと…

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 こ、怖ぇ~。
 つまり外津汲は、崖の上のポニョ、じゃない崖の上のわずかな平地に開かれた集落なのです。
 橋を渡ったところではこんな石碑がお出迎え。近代石碑マニアのワタクシには見逃せない一品だ。

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 昭和5年に建立された「節婦村瀬きよ女碑」。裏にはこんな一文が刻まれています(読みやすく変換しています)。

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表彰状
村瀬きよ 明治3年2月5日生

明治28年1月、その夫に死別し、爾来婦女子の身をもって一家経営の任にあたり、病弱なる舅姑義姉らを扶養し、その終を全うせしめ、一子を育成して今日あらしむ。その間30有3年、まことに節婦の模範とするにたる。よって本会規約第三条により、置時計一個を贈呈し、ここに表彰する。

昭和3年12月7日
岐阜県校長会揖斐郡支会長 竹中保一
昭和5年1月建之 有志者
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 この村には石碑まで建てて顕彰するような、立派なお母さんがいたらしい。記念の置時計はまだあるんだろうか。
 明治の偉大なBARSANに思いを馳せつつ集落の中を進んでゆくと、例によってHINOMIが!

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 「揖斐郡養基村・小川鉄工所製作」の銘板付き。養基(やぎ)は養老鉄道揖斐駅あたりの旧村名で、ウチの爺さんはこの鉄工所を知っていました。吊り下げられている半鐘を誰が寄贈したかは不明。まさか神妻と同じとか。可能性はなきにしもあらずだが、区の許可を得て登って半鐘に刻印がないかどうか確認してみないことには…。
 いつか取材しますので、乞うご期待!(誰が期待を?)

 しかしまあ、こんな具合に今年も相変わらず無限ループのHINOMI旅なのか。いやホント、いい加減にHINOMIの呪縛から解放されたいと思ってるんだけど…。
 とかいいつつ、ごく一部向けの寒中見舞(今年は喪中なので)には、HINOMIの写真を使ったりしてます。しかも宛先によって2パターン。送ってほしい方がいたら連絡ください。
(まさ)
岐阜中部・西濃雑 | Comments(1) | Trackback(0)

謹賀新年2009

2009年01月04日
 あけましておめでとうございます。

090104-1.jpg
(生け花:まり)

 今年の正月は、31日夜から2日まで僕の実家の揖斐川町、3日の昼にいったん知立に戻り、夕方から4日午前中まで嫁の実家の尾張旭、4日昼から嫁の母の在所の豊川、という西美濃~東三河の大縦断コース。各所の爺さん婆さんの様子伺いの様相でした。
 1日は先々月行ったばかりの谷汲山にまたお参りに行って、2日は地元の“揖斐ショッピ”内にある酒屋で買った地元の池田屋酒造という酒蔵の「甕口」を飲んで酔って寝て、3日はテレビでHEROを見て、4日は婆さん宅へ向かう途中の豊川市千両町山中でサルを見た。そんな感じの4日間。
 ということで、本年もよろしくお願いいたします。
(まさ&まり)
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