常一翁の島

2008年08月30日
 広島山口福岡旅行の初日に訪れた屋代島、またの名を周防大島(すおうおおしま)は、山口県東部の瀬戸内海に浮かぶ島で、本土とは橋で結ばれています。瀬戸内海の中ではけっこう大きく、現在は合併して1島1町になりましたが、以前は島内に4つの自治体がありました。正直これといった観光スポットもなく、大きい割にマイナーな島です。
 何でそんなところに前から行きたかったかというと、民俗学者・宮本常一の出身地だったからです。

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 日本中を調査して回り、膨大な著作と写真資料を遺した宮本常一は、僕にとっては憧れみたいな存在。近頃どうにも冴えないもんで、ひとつ偉大な先達を生んだ島の空気にでも触れて、己を見つめ直してみようかな、と。
 宮本常一の生まれ育ったところは、島の東部に位置する旧東和町。旧町の中心地区にある「周防大島文化センター」内に民俗資料館兼常一紹介コーナーが設けられているというので、まずはそこに行ってみました。
 宮本常一の生涯は、佐野真一の著作をはじめこれまで多くの本や雑誌で紹介されており大雑把なことは知っていますが、やはり生誕地でその人生の紹介パネルを見ると、ひときわ感銘を受けます。展示されている宮本常一撮影写真も、素晴らしいものばかり。設楽町の田口と名倉の写真も展示してあったのは嬉しかった!どうでもいいけど、名倉の写真には火の見櫓が写っていて、現存する東名倉の火の見櫓(→●□)は500メートルほど南に移設されたものであることも判明。いやホント、どうでもいいですが。
 また、所蔵文献も豊富で、特に伝説の雑誌「あるくみるきく」のすべてのバックナンバーが揃っていたのには驚嘆(まあ、ここにならあって当たり前と言えば当たり前だけど)。一週間くらい滞在して読破したい気分です。

 実はここに来たのはもうひとつ目論見があって、僕がフィールドにしている愛知、岐阜、遠州に、宮本常一がどれくらい足跡を残しているかを調べようとも思っていました。あわよくば原稿のネタにならんかな、と。
 で、結論からいうと、ツネイチ爺さん、ほとんどこっちに来とらんじゃないかい!
 パネル展示を見ると、愛知では設楽町名倉(この調査の模様は、岩波文庫「忘れられた日本」所収の「名倉談義」に書かれています)以外に、東栄町御園の花祭り調査、佐久島の調査、あと豊橋にほんのわずか立ち寄ったくらい(そのときの行動はよくわからず)。遠州は天竜川流域を少々。岐阜に至ってはこれといった調査はナシ。
 う~ん、我が地元には興味がなかったのかなあ?軽くショック。
 でもまあ考えてみれば、いかに「旅する巨人(by佐野真一)」といえども、交通がまだ不便だった時代にこの広い日本を満遍なく歩き回るのはムリってもんだろう。名倉に来ているだけでもよしとすべきか。

 資料館を見学したあと、島を一周してみました。

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 島なのに駅が!といっても鉄道の駅ではなく、かつて島内を走っていた国鉄/JRバスの遺構。路線は現在、防長バスに移管されていますが、駅舎は待合室として利用されており、駅舎内には切符売場の跡や鉄道接続の料金表も残っています。

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 防波堤で寝る女性取材記者。瀬戸の島は静かでのどかだ。思わず寝たくなる。
 そんでもってこの防波堤のそばには、例によってHINOMIが!

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 旧東和町では、これとほぼ同型の火の見櫓を4本確認しました。
 しかし、旅先でも地元でも行動パターンはだいたい同じなんだなあ~。なにが「己を見つめ直す」だよ。
(まさ)

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長距離走者の高速

2008年08月29日
 先に山陽道の三木SA、福山SAから書き込みましたが、月曜未明から木曜朝まで、山口→福岡→広島の旅に行ってました。車で。ETCの夜間割引をフルに利用しての夜間移動、おまけにファンカーゴの後ろをフラットにしての車中連泊。こういう旅行は久しぶり。う~ん、いまだ楽しい。こんなんでもよしとしてくれる嫁でよかった。
 とかいいつつ、今回の旅行は嫁の発案なんですが。彼女は最近、立川談春の「赤めだか」という本を読んで急に落語にハマりだし、先の東京行きの帰り、上野鈴本演芸場で寄席初体験。さらに調べてたら、26日に福岡で立川談志・談春の高座があるのでぜひ見に行きたいと。えっ、九州!?いくらなんでも遠いわ。でも、まあ、許す!
 せっかく西の方に行くんだから、前から行きたかった山口県の周防大島にも寄ろうということになり、ついでに帰りがけにも今年で最後の広島市民球場にも寄ることにして、そうすると車で行くしかない。北は東北・米沢、西は松山、津和野まで走り回り、7年間で27万kmを走行した老雄ファンカーゴの、おそらく最後の長距離旅行となるでしょう。

080829-1.jpg (錦帯橋)

 初日(25・月)は岩国→周防大島。最初に下りたのが岩国インターで、今まで3回くらい来ているのに観光をしたことがなかったので、軽く回ってみました。

080829-2.jpg (関門橋)

 2日目(26・火)は西へ進んで、下関→玄界灘沿岸→福岡。下関も今まで2回くらい来ているのに観光をしたことがなかったので、唐戸市場と城下町の長府などを軽く回ってみました。

080829-4.jpg (小春橋/呉市)

 3日目(27・水)は東へ戻って、安芸西条→呉→広島。

 三木SA、福山SAだけでなく、無料で使用できるPCが置いてあるSAで止まるごとに書き込んでいこうかと思っていたんですけど、どっかの容疑者みたいだし、アホらしくなってやめた。そもそも置いてあるのは山陽道だけで、中国道のSAには置いてなかったし。
 その中国道、ひさびさに走ったけど、広島県から山口県にかけての交通量の少なさは相変わらず。まさしく過疎道路。これほど車を見かけない高速道路もそうはない。
 10年近く前、仕事で中国道を頻繁に利用してたとき、こんな呆れるような事態に遭遇しました。

1、平日の午後9時頃、七塚原SAの駐車場に止まっていた車はわずか3台(PAならともかくSAなのに!)
2、ある日の午前、戸河内インターから六日市インターにかけて追い越し・すれ違いした車はゼロ
3、六日市インターで下りたら料金所の人に「関ヶ原から乗ったの!?凄いねえ。初めて見たよ」と言われた
 
 料金所の人に金額と「ありがとうございました」以外の言葉をかけられたのも初めてだったが…。
(まさ)
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タウンサインの研究0009

2008年08月25日
 で、八百津の市街地にズラッと掲げられているタウンフラッグ。

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 郷土の偉人、杉原千畝を顕彰した公園「人道の丘公園」のモニュメントをあしらった、秀逸なデザインの一品。地味の印象の町だけど(だいたい中濃はどこも地味か)八百津、なかなか侮れない。

 この記事は、山陽道の三木SAから書き込んでおります。今、山口へ向かって移動中。西日本高速のSAには自由に使えるPCがあるのだ。
 K土出版社に勤務していた7年前までは、持ち歩いていたノートPCに電話線つないで公衆電話からネットにアクセスしていたこともあったが、便利な世の中になったもんです。ネクスコ中日本にはないのかな?

 今、さらに移動して福山SA。3年ぶりの広島県。
(まさ)

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煎餅の町

2008年08月23日
 最近、嫁が煎餅ばかり食べております。
 というのも2週間前、岐阜県内のみで発行されている某誌の取材で八百津に行ったとき、取材先の煎餅工場の方に山ほどもらったのだ。

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 そもそも煎餅工場の取材ではなく、観光栗ひろい園に取材に行ったらそこの経営者が煎餅工場もやっており、ついでに工場もチラッと見せてもらっただけなんですが。
 工場は八百津の市街地から北へ少し入ったところにあり、近くに行くと甘い香りがぷ~んと漂っています。煎餅といっても、小麦粉に卵や砂糖を加えて焼いたいわゆる「瓦煎餅」ってやつ。八百津は瓦煎餅の産地なのです。
 町内には何十軒も煎餅工場がありますが、伺ったところがどうやら八百津煎餅の発祥らしい。明治時代に作り始め、ここで修行した弟子たちが暖簾分けして、八百津に煎餅作りが広まったとか。工場の方は、なぜ祖先が瓦煎餅作りを始めたかまでは言及しなかったが…。 
 僕は、米の煎餅は好きなんだけど、この甘いヤツはそんなに好きでもない。一方、シンプルな味を好む嫁にはストライク。特に、一番下に見える「ピーちゃん」がお好みだ。たまに、「煎餅でおなかいっぱいになったからお昼ご飯はいらない」とかいいやがる。
 そんな彼女にとって、煎餅工場の内部は至福の光景でありましょう。

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 次から次へと焼き上がり、一斗缶にどんどん詰め込まれてゆく煎餅。一斗缶で出荷する業者も今では珍しくなったそうな。
(まさ) 
中濃・東濃雑 | Comments(2) | Trackback(0)

水の底

2008年08月22日
 東京に行く前日に実家の揖斐に帰ったとき、根尾川のヤナで家族で昼飯食って、午後のドライブで徳山ダムに行ってみました。道がよくなって揖斐川町になってしまった今でも、かなりの山奥というイメージがありますが、ウチからだいたい1時間弱で行けます。

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 ダムが堪水してから来るのは初めてだが、いや~、なんというか…。胸が痛くなる。
 考えてみると、水没前の状態を知っているダムって、ここが初めて。単なる近所の住民の僕でさえ、見る影もない光景に愕然とするくらいだから、元住民の方々の心痛は相当のものでしょう。
 しかも、貯めた水の使い道が今のところないってんだから、わけがわからない。
 利水だけでなく下流域の洪水調節にもなるとかいうけど、現状で洪水が発生する確率なんて、数十年いや百年に一度あるかないか。山奥の村を潰して人を追い出してまで、洪水を防がなきゃならないのか?
 いやほんと、高度成長期に日本の主役だった世代ってのは、ロクなことをしませんね。

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 ダム本体のデカさには圧倒されるが、ただデカイだけ。愛嬌のかけらもない、暴力的なデカさ。
 ダムマニアという人種もいるらしいですけど、まったく同調できん!
(まさ)
岐阜中部・西濃雑 | Comments(0) | Trackback(0)

TKO五輪

2008年08月20日
 ワークショップの会場となったスタジオがある目黒区祐天寺で、空き時間に撮影したもの。いま、東京のあちこちの通りには、こんなフラッグがはためいております。

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 そういえばどこかのニュースで、慎太郎(競輪選手の佐藤・福島県・78期ではなく、石原のほう)がそんなこと言ってたっけな。こういうムーブメントが首都であることを、地方在住の我々はまったく知らない。オリンピックも開催まではしょせんローカルな話題にすぎないし、東京だって単なる一地方にすぎないんだな、と。
 ま、勝手にやってて、ってことで。

 唯一、東京オリンピックに期待することは、東京ドームの地下に眠る競輪用施設で自転車競技が行われて、昭和48年に廃止された後楽園競輪の復活につながればなあ。
(まさ)
東京雑 | Comments(0) | Trackback(0)

打つひとびと2008

2008年08月19日
 15日から、昨年に続いて今年も「TAIKO JAPAN 2008/東京国際和太鼓コテンスト&カレッジ」の手伝いに行っておりました。

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 これは日本有数規模の和太鼓イベントで、全国選抜のチーム&ソリストによるコンテスト/10あまりのワークショップ/和太鼓コンサートの3部からなっています。
 昨年は、イベントの主催団体のひとつである浅野太鼓文化研究所(石川県白山市)が発行する専門誌「たいころじい」付けの、スナップ撮影担当(あと原稿を少々)という名目だったのだが、今回は人手が足りないということで、完全に運営スタッフの一員に。編曲実践ワークショップに2日間張り付きで、太鼓運び、講師と受講生の誘導、弁当配り、ケガの手当て、カンバン設置&片付け、あとスナップ撮影を少々。普段まったくしない仕事ばかりで、なかなか貴重な経験でした。
 下っ端とはいえいちおう運営側スタッフだったので内容や所感を書くことはできません。う~ん。あ、でも、一言だけ。
 間近で見る麿赤兒(審査員)の迫力はすげえ。
(まさ)
音楽・舞台・落語 | Comments(2) | Trackback(0)

足助のゆるい宵・夏本番編

2008年08月14日
 ジョイフルの喪に服していたかのように2日ほど書き込みが空きましたが、ここ1週間ほど取材・遊び・ヒマつぶし・盆の帰省・HINOMIチェック(まだやってる)等々でけっこうあちこち動き回っておりました。
 12日(火)は午前中取材で八百津に行き、夕方、足助の「たんころりん」へ。6月半ばにプレイベントには行ったんだが(→●□)、本チャンのたんころりんは初めて。今回は、嫁の友人の切り絵作家Sさんも同行です。

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 たんころりんは、中馬街道筋の古い町並みを中心に、通りを和蝋燭行灯で飾ろうというイベント。訪れる人は行灯の仄かな明かりの中をブラブラ歩き、延長営業している和菓子屋や肉屋などでお菓子やコロッケを買い食いしてみたり、ベンチに座ってだべってみたり、時折やってる演奏会を見物してみたりして過ごします。
 今回は「本番」なのでけっこう人が来ているのかと思いきや意外と混んでなくて、いや全然混んでなくて、どちらかというと夕涼みの地元住民のほうが目立ってたような。気取らない雰囲気が実にいい。西三河山間部特有のゆる~い感じを堪能できました。

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 街角では足助祭りに山車で参加する西町の衆が、祭り囃子を披露していました。これが凄くいい演奏で、聴かせる。土地に足の着いた太鼓ってのは、やはり心に迫るものがある。
(まさ)
西三河雑 | Comments(3) | Trackback(0)

ジョイフルありがとう

2008年08月11日
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16歳だワン

 8月9日の午後9時過ぎ、凹み気味の婆ちゃんの様子を見に行った帰りの、湿っぽい空気が流れていた車中のこと。 ダンナの携帯が鳴り、携帯どこ?とカバンの中を探しているなか、今度は私の携帯が鳴る。電話の主は涙声の母。あぁ、これは何かあったな。それが、まさかジョイフルのこととは思わなかったけれど、「ジョイがね」の一言で、いつか来るだろう日が来てしまったんだと悟り、ただただ涙があふれるばかりでした。
 下道でゆっくり帰ろうとしていたのを急遽変更し、音羽蒲郡インターから実家へ急ぐ。午後10時過ぎに実家に着き、慌てて部屋に入ると、横になったままのジョイフルがタオルケットの上に寝かされていました。ジョイフルの前でどれくらい時間が経ったのか分からない。涙が乾ききったところで、ジョイフルの顔をじっと見ると、非常に穏やかな顔をしている。ジョイフルとライバル関係にあったダンナは今までに手や足を4回も噛まれているけれど、今なら触れられると、今まで絶対に触れなかった頬をなでる。ジョイフルは、どこでも触ってくれと、やっとダンナと和解(一方的にジョイが敵対心を燃やしていただけ)したようでした。
 翌朝の7時過ぎ、隣のカムイくんが飼い主の家族と一緒に弔問にやってくる。父の「弔問犬だぞ」の一言が妙に可笑しくて、悲しいことなのに吹き出してしまいました。いつもジョイフルが通るとワンワンと吼えていたカムイくんが、今日はそっと近づいて匂いを嗅ぎ、何かを察したような顔をしている。聞けば、私が知らないだけで二人は仲が良かったようで、散歩にも一緒に出掛けていたようでした。
 千葉に住んでいる弟が来るというので、高蔵寺駅に迎えに行く。朝5時に電車に乗って来たらしく、いつもクールな弟の意外な一面を見たようでした。大きなリュックサックとスーツ入れを持ってやってきた弟を見て、もしかして喪服じゃないよね?と疑う私。スーツは翌日用のものだと聞いて、ほっと安心し、ということは泊まっていくのか弟よ、と驚く私。翌朝の新幹線に乗って会社に直接向かうという弟を、「なかなか見どころのあるヤツだなぁ」と、ダンナがぼそっと言いました。
 葬儀屋には午後1時30分に行くことになり、それまでジョイフルを触ったり、見つめたり、声を掛けたり、横になったり、テレビを見たりして、ぼーっとする。朝は食欲がなかったけれど、悲しいかな、お腹が空いてきて、昼飯の素麺は美味しく食べられる。食欲とは不思議なもんです。刻々と時間は過ぎ、いよいよジョイフルとの別れの時間が迫ってくる。ずしりと重たくなったジョイフルを抱えて車に乗せ、ペットの葬儀屋へ運びました。
 葬儀屋の人が、「いらっしゃいませ」と言うのには呆れるやら怒れるやら。ジョイフルを穏やかに送り出したいから、ここはレストランじゃないんだ!と怒りたくなるのを抑える。案内された場所は12畳くらいの殺風景な部屋で、献花台は造花。「今からお経のテープを流します」と女性スタッフが言い、スイッチを押す。襖の後方からはテープではないお経の声が聞こえてくる。どうやら、立会い葬にすると、人間と同じように葬儀を行ってくれるようですが、個人葬や団体葬だと、簡易的になるよう。まっ、それを選んだのは私たちなんだけど、こんなにあっけないものだとは知りませんでした。
 でも、良かったのは葬儀屋に着いてから30分以上、ジョイフルの側にいられたこと。これは予定した時刻より20分以上も早く着いてしまったからだけど、ジョイフルに思う存分、触れられました。首元の白い毛の部分に顔をうずめてみたり、肉球を触ってみたり。泣いてばかりじゃなく、笑って見送れたような気がする。ジョイフルの側には、母が畑で採ってきたヒマワリとハーブの花と、散歩用の布袋(これも母の手製)を添えたけど、あの場所にジョイフルを一人きりにしていくのが忍びなくて、最後にまた涙があふれました。
 いつもはお盆に帰ってこない弟が実家にやってきて、久々に家族全員がそろって迎えられたお盆の日曜日。いつも食事時になると物欲しそうな目でこちらを見て、ここ最近はワンワンとしつこく吼えては食べ物をねだったワガママジョイフルだったけど、最後の最後は、家族のことを考えてくれたんだなぁ。首輪も外し、自由になった今、天国で元気で駆け回りながら、たまに夢に出てくれればと思います。(まり)

そのほか | Comments(3) | Trackback(0)

カンバンの手帖ブログ版0070

2008年08月09日
 知多市の南の外れにある知多四国71番札所・大智院境内にて発見した、坊主系のカンバンキャラでは最強の一品。

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 眼鏡をかけた坊さんが佇む、なんともホンワカしたデザイン。すごい。
 江戸時代後期、盲目の老人が熱心にお参りしたら目が見えるようになり、お礼に奉納した眼鏡が弘法像に掛けられるようになった。以後、メガネ弘法と呼ばれているらしい。メガネユーザー必拝の寺だ。

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 このデザインは、境内にある目薬薬局のカンバンに描かれています。(まさ)
知多雑 | Comments(0) | Trackback(0)

カンバンの手帖ブログ版0069

2008年08月08日
 でもって、真清田神社の横にある雑居ビルを見上げると、こんな書道の作品が!

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 乳母車店のカンバンはけっこう見てるけど、ここまで存在を誇示する乳母車店てのもすごい。
(まさ)
尾張雑 | Comments(3) | Trackback(0)

安城VS一宮、真夏の戦い

2008年08月07日
 図書館で、安城市歴史博物館が平成15年に発行した企画展の図録「日本の三大七夕」という素晴らしい資料を読んでいたら、興味深いことが書いてあった。安城が自分とこの七夕を「日本三大」と謳うのには根拠があるという。
 なんでも、昭和53年に東京で「日本商工会議所100周年全国郷土祭」なる催しが開かれたとき、仙台、平塚とともに、七夕飾りを出展したとか。以来「日本三大」という言葉を使うようになったそうです。う~ん、なかなか微妙な根拠だなあ。
 その資料には全国の七夕祭りリストも載ってて、安城より早くからやっているところもある。そもそも安城は、清水(静岡)の七夕祭りを参考にしたということだし。
 ただ、一宮よりも安城の方が上、というのが納得できる記述もありました。一宮は、安城の成功を聞いて視察に訪れ、そのとき安城の商工課課長が「織物産地の一宮で七夕祭りをやったほうが説得力あるじゃん」なんてアドバイスをしたそうな。一宮の人は「あ、そりゃいいこと聞いたわ」と、さっそく翌年(昭和31年)から始めたとのこと。一宮は完全に安城のフォロワーなんですね。

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 実は7/25、岐阜で仕事の打ち合わせがあったついでに、一宮の七夕祭りも見てきました。
 安城の七夕祭りよりもいいところは、なんと言ってもアーケードの本町商店街が主会場だということ。直射日光が当たらないのはとても嬉しい(しかし上の写真ベタな絵だな)。
 もうひとつは、歩行者にいちおう目的地があること。とりあえず向かう先は、真清田神社です。核になるイベント会場がどれかよくわからない安城ではどこへ向かっていいのかわからず、暑い中を闇雲に歩くハメに陥りかねません。

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 カラフルな境内と拝殿。真夏の参拝もなかなかいい。暑いけど。
 境内には所狭しと出店が並んでて、大勢の人で賑わっています。そのなかで、一際にぎわしい一角が。

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 こりゃまたスタンダードというかノスタルジックなお化け屋敷!これはポイント高い。
 意外にもこれが小中学生を中心に大人気で、外にまでキャーキャーと絶叫が聞こえてきます。入口には存在自体がモノノケのようなじっさまが、マイク片手に「さあさあみんないらっしゃ~い。怖いよ怖いよ~。オバケさんに触っちゃダメだよ~」なんて煽ってるし。
(まさ)
尾張雑 | Comments(1) | Trackback(0)

チンディアン・サマー

2008年08月06日
 安城七夕祭りの名前がでたところで、そちらの写真もアップしておきましょう。8/1~3に開催され、ウチらは中日の2日に、1時間ほど見物してきました。

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 愛知の七夕祭りといえば安城と一宮が双璧で、どちらも市の公式サイトで「日本三大七夕祭りの一つ」を謳っています(残りの二つは仙台と平塚で確定)。別にどっちが三大でもいいんだけど、創始は安城の方が2年早く、昭和29年。古いのは安城だが、織物との関連づけでいえばやはり一宮のイメージかなあ。いや、まあ、地元民じゃないのでどっちでもいいっす。
 このクソ暑いのにかなりの人出なのは、さすが日本三大のひとつ。通りを埋め尽くす飾りも、道行く浴衣のねえちゃんたちも美しいねえ。ただ、汗ダーダーの顔に七夕飾りがベタっとくっつくと、さすがにうっとおしい。
 そんなにぎわいの中、ひときわ異彩を放つ皆さんが!

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 足助が拠点のアマチュアチンドン屋「香嵐渓市川一座 チンドン屋 嵐(らん)」の御一行。富山のコンクールまで嫁が追っ掛け取材をした方々で(→●□)、この日も七夕より彼らが見たくて安城に来たのです。
 しかし、炎天下にこの衣装、この化粧、この楽器!敬服せずにはいられない。「朝10時からやっててさあ、まだ終われないんだよ~」と、さすがに皆さんバテ気味だ。

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 御歳80(!)の座長もかなりお疲れ(富山では女装していた方)。ホント、ほどほどにしといた方がいいんでは…と、心配になるが、見物客が写真撮影を頼むと軽やかな足取りで応じてござった。凄い、凄すぎるよ座長!

 嫁渾身のチンドン取材の成果は、先月末に発行された「たいころじい」33巻(浅野太鼓文化研究所・1500円)をご覧ください…って、一般書店じゃほとんど扱ってない専門誌なんだけど。興味のある方は版元にお問合せください。
(まさ)
西三河雑 | Comments(0) | Trackback(0)

熱風に揺れる風鈴&半鐘

2008年08月05日
 衝撃の杉本神明神社のあとは、「夢かけ風鈴」というイベント名で、町じゅうを風鈴で飾っている小渡(おど)へ。1/8の記事(→●□)で書いたとおり、真冬の寒風に揺れる風鈴の音色はシュール以外の何者でもなかったが、夏は風鈴の音もしっくりきますね。
 「夢かけ風鈴」は夏休み期間中行われており、狭い小渡のメインストリートに連なるすべての商店と民家に、無数の風鈴が吊り下げられます。予想以上の数でなかなか壮観。風が吹くと一斉に音が鳴り、小さい町に響き渡る。これはなかなかいい行事なんじゃないの。安城や尾張一宮の七夕祭りは、景観の凄さに感嘆するより暑さで先に参ってしまいそうだが、ここは音の優しさがなんとも心地いい。まあ、暑いことは暑いんだが。

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 でもって後方にはさりげなく、例によってHINOMIが!
 この火の見櫓、他に類のない独特の形状をしており、町並みとの調和具合は西三河随一。傍らには二階建ての古びた消防団詰所、道を挟んだ向いには地元の山林地主らしき旧家があり、実にいい雰囲気なのです。

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 夢かけ風鈴を見に行かれる方はHINOMIも要チェック。
(まさ)
西三河雑 | Comments(0) | Trackback(0)

Back to the 杉本村

2008年08月04日
 7月下旬、町並みを風鈴で飾る町おこしで知られる旧旭町(現豊田市)小渡へ行った際、半年ぶりに杉本へ立ち寄りました。国天記の貞観杉が村の真ん中にそびえ、2体ののぎやんが村の入口でお出迎えしてくれる(→●□)、山奥の小集落です。
 冬に貞観杉は撮影したのだが、その上にある神明神社を見ていなかったので、クソ暑い中、杉の木立の中に続く参道を登って見物に。

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 山の中腹にぽっかり空いた神域。拝殿の傍らで、青空に向かって伸びる杉の木(これは貞観杉ではありません)。うん、田舎の神社はやっぱり夏が一番似合うな!
 などと暑さにやられてどうかしたんじゃないかというような寒いことを考えつつ石段を登ると、拝殿の側面に掲げられたとんでもないものを発見。

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 な、なんじゃこりゃ!暑さのあまり幻でも見ているのか!
 これは、日露戦争か日中戦争かわからないけど、村の出身者が戦勝した従軍地から帰還したときに、歓迎アーチに取り付けるために造ったと思われるもの。
 かつて仕事で地域古写真集を作っていたとき、戦勝パレードや提灯行列とともに撮影された凱旋歓迎アーチの生写真はさんざん見てきたが、まさか実物がこうして残っていようとは…。

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 こんな具合に掲げられています。けっこうデカい。
 乃木将軍像も2体あるし、この集落、何か時代を超越した空気が…。

 あ、もしかしたら戦争モノじゃないかもしれないので(有名スポーツ選手がオリンピック出場から帰国したとか)、またいずれ再調査に行きます。この間は、話を聞こうにも人が歩いていなかったんで…。
(まさ)
西三河雑 | Comments(2) | Trackback(0)

タウンサインの研究0008

2008年08月03日
 金曜日の夜、豊橋の友人Hさんのお誘いで「ぺちゃくちゃないと浜松」というイベントを見物に行って来た。

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 会場は、町のど真ん中にある「アートフォルム」という高級マンション1階のコミュニティホール。建築家や照明デザイナーや写真家や絵描きや町おこし活動家など10数名が、スライドショーをバックに自分たちのやってることをプレゼンしていくというもの。
 スライドショーは1枚20秒×20枚という制限つき。講演とかプレゼンとかの類って、冗長になると聞いてる側はけっこうキツイものがあるけど、このイベントは実にテンポよく進み、しかもバラエティに富んだ出演者だったのでなかなか面白かったです。間には南米音楽家や、富山のチンドンコンクール(→●□)でも会った雄踏町のチンドン屋が演奏を披露したりするし。

 終わった後、クールダウンを兼ねて会場付近の歓楽街をブラブラ。考えてみると、夜の浜松のにぎわいって初めて見るわ。そんな中で見つけたタウンフラッグ。

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 浜松の夜のメインストリート「アルコモール有楽街」の紋章型サイン(日本で紋章がよく見られるようになったのは、たぶんJリーグの影響が強いんじゃないかと思うが)。
 これはたぶん、ガス灯風街灯や舗道のデザインに合わせたもの。両サイドになぜライオンがあしらわれているのかよくわからないけど(ヨーロッパ風というかライオンズマンションを思い出す)、盾の中にはホルンとハープが描かれており、いちおう楽器の町浜松を表したデザインになっています。浜松でヨーロッパ調ってのもなんかアレだが、豊橋では、このオシャレ感を出すにはちょっとまだ難しいかな。
 有楽街に隣接する通りでは、こういう従来型デザイン?の旗も。 

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 商店街組合にとってもデザイナーにとっても、町のデザインってのはまだかなり難しいんだろうなあ…。
(まさ) 
遠州雑 | Comments(2) | Trackback(0)

カンバンの手帖ブログ版0068

2008年08月02日
 金沢の近江町市場近くにある商店街、安江町で発見した一品。

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 食堂のショーケースの中にいるのは…フクちゃん!?
 これは金沢の地酒「福正宗」のキャラクターとして起用されていたフクちゃんです。スモックの裾には赤字でしっかり「福正宗」の銘柄名が。かわいい。かわいいけど、酒のキャラに幼児って…。
 なお、先に書いた和太鼓イベント「白山エクスタジア」では、野外で演奏を聞きながら「福正宗」を飲んだくれてました。
 ちなみにこのカンバンを所有するお店がまた激シブ。

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 この建物が象徴するように、安江町じたいがなかなか面白いところ。東別院の門前町商店街として発展したらしく、通り沿いには仏壇・仏具店が並んでいます。金沢仏壇といえば三河仏壇と並んでその筋には有名で(どの筋?)、さしずめここは三河で言えば知立の弘法通り。

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 ほかにも、加賀毛バリ(→●□)の老舗があったり、アーチスティックな作品が並ぶ桐工芸の店があったり、さらには町家カフェまであって、シブい系の町の極み。観光客にはあまり知られていないようだけど(我々も今回初めて知った)、伝統工芸・現代アート・庶民文化が渾然一体となったなんとも金沢らしい町です。
(まさ)

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タウンサインの研究0007

2008年08月01日
 以前、金沢のデザインレベルは高い、ということを書きましたが、今回もレベルの高いタウンサインを発見しました。
 金沢西部郊外、金沢西インター近くで発見したもの。

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 なんのこっちゃかよくわかりませんが、このサインの所在地は「示野町(しめのまち)」。つまり「示」という字を図案化しているのです。「示」なんて、地名にはあまり使われない文字。デザイン化する機会もそうはないだろう。マニアックかつ、かっこいい一品。
 示野の町は、国道8号に面してマックスバリューとカーマがあるくらいの新興地域。なので、このようなファンシー&幾何学なデザインもしっくりくる。
 地元以外の人がわざわざ行くような町ではないですが、商業エリアの一角にある文苑堂書店示野本店は、かなりいい店だったな。ちなみに文苑堂書店は富山の高岡が本拠地で、当地出身の藤子不二雄Aも「まんが道」の中で登場させています。

 もう一つ、金沢ではないが白峰で見つけたもの。

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 これも一見なんなのかよくわかりませんが、雪だるまをデザインした街灯です。帽子の下に電球がある。豪雪地として知られる白峰の名物行事「雪だるま祭り」をイメージしたものでしょう。シンプルでかわいい。この村のパブリックイメージに合っている。逆に示野のサインのような洗練されたデザインは、白峰には合わないでしょう。

 さらにもうひとつ、タウンサインではないが金沢ならではの旗を。

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 北陸鉄道野町駅近くの通り沿いにズラッと並んでいた、北陸・上信越の独立野球リーグ「BCリーグ」に所属する石川ミリオンスターズの応援フラッグです。ユニフォームのデザインを旗用にアレンジしたらしい。野球のユニフォームとしてはベーシックでいい感じ。BCより先に発足した四国・九州アイランドリーグの各チームのユニフォームより、個人的にはBCの方がデザインセンスは上だと思いますが、どうでしょう。
 BCリーグもアイランドリーグも、当該地域以外にはほとんど情報が流れてこないので、いったいどれだけ盛り上がっているのかまったくわからず、なんとももどかしい。旗を見る限りそれなりに定着しつつある、のだろうか?とりあえず、北国新聞のスポーツ欄には試合結果が大きく報じられていました。一回見に行きたいものです。
(まさ) 
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