光る牛

2007年10月31日
 昨日出した街灯つながりで、僕が知る限り三河一、いや東海地方一と言っても過言ではない街灯をご紹介しましょう。撮影は2003年11月と古いものですが、まだ健在のはずです。

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 実にカラフルなネオン!アップにすると下のように。

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 マルの中の文字は「牛」。これは豊川市の牛久保商店街の街灯で、昭和47年に設置されたもの(とある資料に書いてあったが牛久保商店街の別の街灯のことかも。もう少し古いような気もするが)。
 こればっかりは青色街灯に取り替えられないことを祈るばかりです。
(まさ)
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青く美しき重原

2007年10月30日
 名鉄重原駅北の踏切から上重原町本郷地内の街灯が、いつの間にかこんな色になってた。

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 なかなか美しいではないですか。
 いつぞやテレビで、石川県野々市町に設置された同じ青色街灯が紹介されているのを見ました。なんでも従来の白色街灯より遠くがよく見え、おまけにこの色には気持ちを落ち着かせる効果があるらしく、チカンとか強盗などの犯罪抑止になるらしい。ホントかどうか知らんが、確かになんか落ち着くような気が。
 しかしまたなんで上重原のこの通りに、知立で真っ先に最先端の街灯を設置したんだろう。大きい寺があって巨木が繁っていることもあり、今まで暗いことは暗かったけど。地縁が強い地域だから住民のコンセンサスが得やすいのか?あるいは有力者でもいるのか?もしそうなら、街灯を取り替えるついでに、重原駅北西の交差点に信号を設置するよう働きかけてくれないかしらん。
 なお同じ上重原でも、踏切からドミー方面への街灯はまだ従来どおり白色の街灯です。
(まさ)
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酒とともに海へ

2007年10月29日
 昨日はお日柄もよく絶好の祭り日和ということで、蒲郡の三谷祭を4年ぶりに見てきました。

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 三谷祭は東三河最大の港町・三谷町にある、八剣神社と若宮神社の祭礼で、4台の山車が海中徒御をするシーンが最大のみどころ。会場となるラグーナの西・三谷温泉街真下の海岸には、近郷近在の老若男女が多数詰め掛け、海へと突進する晒に褌の男達に見とれます。
 ただ、今回の祭り見物の目的は別のところにあって、お神酒がどうなってるか見たかったので出掛けたのでした。
 というのも三谷には、超マイナー地酒「養神」というのがあり、それがお神酒になっているという話を三谷の酒屋に聞いたのです。この「養神」がどれだけマイナーかというと、まず酒屋や居酒屋でよく見られる銘柄カンバンを見たことがない。それから、売られているのも三谷の数軒の酒屋でしか見たことがない。流通範囲はきわめて狭い、ほとんど幻の酒です。おまけにこの酒、別名を「古醸酒」といい、詳しくは知らないがなんか特殊な酒らしい。
 造っているのは、八剣神社(三河三谷駅の近く)の裏にある竹内酒造。この竹内酒造には近いうち取材依頼をするつもりをしており、うまく取材できれば某誌で紹介しようという魂胆もあります。
 先の酒屋によると、三谷祭保存会の会長が竹内酒造の社長さんとのこと。なら祭りをやってる神社に行けばお神酒として奉納されている「養神」が見られるんじゃないか(つまりありがちな酒造り風景とは別の写真も撮れるんじゃないか)、と期待して行ったんだが…なかった。祭り屋台の中や氏子の休憩所ものぞいてみたんだが…なかった。なぜだ?
 唯一見つけた祭り風景の中の「養神」は、三河三谷駅北側の道路沿いに、大提灯とともに飾られていた薦樽。

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 三谷祭とはまったく関係ないけど、帰りに蒲郡駅前で、竹島の日本領有を主張する右翼の街宣車を見たんだが、拡声器から聞こえてきたのが「竹島は島根県イキ郡イキの島沖にある無人島で…」という文句。って、イキ(壱岐)じゃなくてオキ(隠岐)だろ!
 領土問題を声高に叫ぶのはけっこうだが、肝心の所在地すら読めないようでは、主張する資格はないんじゃないのか。みっともない。
(まさ)
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難扇子

2007年10月27日
 これまで半年に平均1本しか映画を見なかった我々が、何を思ったか今月3本目の映画鑑賞に!昨晩、安城コロナで「サウスバウンド」を観ました。感想は…なんか小説のダイジェスト版みたい。映画ってそんなもんか。
 ところどころで小ネタが効いてたのは面白かった。やっぱりポイントは「ナンセンス!」。マンガや小説や当時のルポの中でよく使われているのを目にしていたが、ああいうふうな言い方をしてたのかと、ちょっと感動。
 どうでもいいけど、僕が通ってた愛知大学(豊橋)はそのむかし革マルの東海地方の拠点だったとかで、僕が学生だった90年代前半当時、まだその残党が自治会を仕切ってました。学生は10代後半から20代前半なのに、彼らだけ明らかに年が10近く違ってた。彼らは、派手なアジ看板を学校の入口にバンバン出したり、汚い学生会館で昔ながらの団体交渉をしたり、公安の尾行に注意を払ったりしてました。
 昨年愛大を卒業した子によるとアジ看板は今もあるらしいが、彼らは健在なんだろうか。
(まさ)
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Joyful

2007年10月26日
 うちの実家の愛犬、ジョイフルです。
 NHK朝の連続ドラマ『どんど晴れ』に影響された両親が、結婚記念日祝いも兼ねて東北へ旅行に出掛けたので、代わりに私が世話をすることになりました。
 朝早くから「散歩に行こうよ」と起こされ、仕事から帰った後も、待ってました、とばかりに愛想を振りまいてこちらを見る。ピョンピョン飛び跳ねるような歳ではないのに(犬は関係ないかもしれんが)、全身でせがんでくるから突っぱねることもできず、まんまとジョイペースに巻き込まれました。夜は夜で、旦那のイビキに対抗するかのように大きな寝息を立ててホニョホニョと寝言もいう。とにかく人間味あふれる性格なのです。
 春日井の西武で、当時3000円で購入したジョイフルも、今や満15歳の立派なおじいさん。最近、痰がつまって咳込むようになったけれども、行き過ぎなくらいの散歩と、祖父母が住む1階と2階を、降りたり駆け上ったりと何度も往復したおかげで、足腰はしっかりしています。あと何年、甘えて楽しませてくれるかなぁ。みんなに愛されているジョイフルです。
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首周りの白い毛がマフラーみたいでカワイイ。
(まり)
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職人技 on the 屋根0004

2007年10月23日
 フジで有名な羽島市竹鼻の竹鼻別院にて。屋根に咲く蓮の花

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 花だけでなく、ずらりとならぶ「本」の字も気になります。これは竹鼻別院が、真宗大谷派つまり東本願寺に属しているので、東本願寺の「本」ではないかと。たぶん。

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 そして青空に吼える獅子。よく見ると体に模様が付いています。何か宗教的な意味があるのか、それとも職人の遊び心か。
(まさ)
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カンバンの手帖ブログ版0036

2007年10月21日
 行政とか商店街とかが作る「ローカルキャラクター」はデザイン的にしょーもないものが多いですが、これはなかなかいい!羽島市の竹鼻商店街のキャラ、なまず君(正式名称は知らん)。

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 マルちゃん(東洋水産)のホットヌードルに似てなくもないが、いい味出してるねえ~。
 しかしなぜ羽島でナマズなのか。商店街組合の人によると、羽島の周辺には沼や川が多く、昔はよく捕まえて食ってたから、とのこと。
 で、昨日と今日、竹鼻商店街で商店街のイベント「美濃竹鼻なまずまつり」が催されたので、取材半分遊び半分で行ってみたら、歩くなまず君に遭遇!

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 子供に大人気!あと、リボンをつけたピンクのなまずちゃんもいました。あとナマズがらみでは、ナマズ蒲焼の販売やナマズ味噌汁の無料サービスコーナーもあって、大行列ができてた。

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 なまずまつりの人出はかなりのもんで、普段ではありえない人波です。うしろに見える「まからずや」は、9/21の本シリーズ32で出した店。店番に立ってたおばあさんに話を伺うと、創業は昭和21年で、創業者のご主人が修行に行ってた大阪の店の名前だそうです。意味は「ウチはまけません」じゃなくて、「これ以上まけられないほど安い」。納得。
(まさ)
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カンバンの手帖ブログ版0035

2007年10月18日
 小ネタの中の小ネタ。豊橋市北部、石巻萩平町の県道69号沿いで発見。

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 シュールすぎてなんのカンバンなのかさっぱり分からんと思いますが、これは小学校マニアには外せない一品です。

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 このカンバンに写っているのは、西郷小学校に残されている「青い目の人形」。青い目の人形とは、昭和2年に日米友好の証としてアメリカから全国のかなりの数の小学校に贈られた人形のことです。せっかくの贈り物なのにその後の戦争で多くが廃棄されてしまったのだが、ほんのわずか隠し残されたものもあった。その貴重な一体が、西郷小の小ネタ、いやコネタちゃんなのです。
 以前、春夏秋冬叢書発行の季刊誌「そう」で青い目の人形を紹介することがあったんだが、設楽町の田峯小に残るグレースちゃんを取材したため西郷小には行くことができず、ずっと気になっていた。いっぺん見てみたかったんだが、こんな形でお目にかかれました。
(まさ)
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黄昏

2007年10月17日
 久々に映画を見てきました。東浦のTOHOシネマズ。荻上直子監督・小林聡美主演の「めがね」。
 同監督・同主演の前作「かもめ食堂」が面白かったんで期待して行ったんだけど、感想は…ゆるい、浅い、薄い(色合いが)、以上!(まさ)

 「たそがれる」ってセリフで言わせてしまうところが、余分だなぁ。こういうのは観た人が自然に感じるのがいいのに。海がキレイ、「コージ」という名の犬がかわいい、エビが旨そう、カキ氷食べたいと、ところどころでは楽しめたけれど、不完全燃焼でした。今流行りの雑誌みたいだな。(まり)

 と、二人ともスッキリしなかったので、立て続けに「HERO」も観てきました(ホントはサウスバウンドが観たかったんだけど、これしか上映してなかった)。キャストに金かけすぎだけど、まあ、安心して観てられたかな。でも、スクリーンで観る必要は全くなし!
 キムタクがスペイン語を喋るシーンがあったんだけど、エンドロールでスペイン語指導として、NHKのスペイン会話にでてくるべゴーニャ先生が出てきたときは、おっ!と思いました。昨年メキシコに行った後、あの番組をちょっと見てたんで。
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入院

2007年10月17日
入院患者はロングブーツです。
 昨年、表参道のカンペールで思い切って購入したもので、私にしては非常に高い買い物。手入れして長く使おうと、張り切って東急ハンズへ行き、汚れ落としクリーナーから靴クリーム、ブラシ、デリケートクリームと、ショップ店員さんにアドバイスを受けながら、一通り買い揃えたところまでは良かったのだけれど、実のところ靴の手入れなんて今までまともにしたことがない。そこで、もらったパンフレットを頼りに、こんなんでいいんかしら~と思いながら、お手入れしていたわけです。
 今年もそろそろブーツが似合う季節になり、「そういえば、あの時買ったマニキュア使ってないよなぁ」と、ブーツの先端部分の擦り切れたところへ、一塗り、二塗り。靴のお手入れしてる自分に(ものを大切にするってイイ!)と、ちょっといい気持ちでいたのに、翌朝起きてブーツを見ると、なんと黒いシミへと変わり果てていたわけです。
 まっいいか、ではさすがに済ませられず、近くの靴屋へ電話して原因と症状を伝えると、親切に応対してくれたものの、「おそらく元通りにはならないでしょう」との返事。でも、まだ直らないとは限らないし、持っていって見てもらおうか・・・。と考えていたら、地元雑誌で靴職人の記事があったことを思い出し、押入れに積んであった雑誌を引っ張り出すと、豊田市で工房を持っている靴職人を発見。「メンテナンス&クリーニング承ります」とのコメントに、この人なら治せるかもと希望を抱いてしまい、電話をかけて症状を伝えると、「よかったら見せてもらえないか」とおっしゃるので、今日の夜、ロングブーツを持っていきました。
 布と靴専用リムーバーで拭ってくれましたが、シミはなかなかしぶとく、簡単には取れない。それでも、こまめに拭ってメンテナンスをすれば、目立たないようになるそう。「一週間くらいかかりますが、任せてください」との力強い一言に、コロリといきそうでした。手入れの仕方が悪く、乾燥して色が褪せていたので、ついでにキレイにしてもらうことに。気になるメンテナンス代は、「料金は通常の半額くらい、ボランティアのような価格です」と、最初に言ってくださったから安心して預けることができました。
 ショックだったのは、ハンズで買ったメンテナンス商品の一部が不要だったこと。特にマニキュアは使わないほうがいいらしい。「これも、勉強したってことで」といわれ、納得できました。ついでに手入れの仕方を教えてもらったので、ちょっと紹介。
 ・普段の手入れは、ブラッシングと布の拭き取りで十分
 ・クリームは一ヶ月に一度でよし
 ・なんでも少量ずつ使う
 ・塗った後は拭き取る、これ大事!
今までの手入れは何だったのか。靴職人さんの工房では、靴の手入れの仕方の教室をこれから開くそうなので、また決まり次第、ここで紹介します。ロングブーツの帰りが楽しみです。(まり)
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参考資料としての本作り

2007年10月15日
 先日、豊橋の精文館で見つけた本。

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「廃競馬場巡礼」浅野靖典著/東邦出版/1500円

 昨年3月に発刊された本で、廃止になった17の地方競馬場(JRAのメジャーな競馬場ではなく地方自治体が主催するマイナー競馬場)を巡ってレポートしてます。近頃は書店の公営ギャンブルコーナーをチェックすることも少なかったので、不覚にもこういう好著を見逃していた。
 本をめくると、昭和36年まで開催していた宮崎県の都城競馬のページに、古写真が2点掲載されているのを発見。どっかで見た写真だなと思ったら、なんと「『目で見る都城・小林・えびのの100年』(郷土出版社)より転載・写真は都城市立図書館所蔵」のキャプションが!
 これは、僕がその出版社に在籍していた時に作った本です。いや~、まさかこんなところでこの書名に出会うとは。

 郷土出版社には3年間在籍し、その間、島根で3冊、四国で3冊、九州で3冊の古写真集制作を担当しました。掲載する写真は担当者が探し集め、掲載する写真もほぼ担当者が決めるのだが(場合によっては郷土史家の代わりに原稿を書くこともある)、「公営ギャンブルは地域の戦後史に良かれ悪しかれ欠かせない事象である」との信念のもと(ではなく単に趣味で)、僕が担当した地域でレース場の写真が出てきたら、欠かさず掲載していました。
 そのうちのひとつが、都城市立図書館で複写させてもらった都城競馬の古写真。しかも趣味で2点も掲載したら、この『廃競馬場巡礼』ではその2点とも引用してくれた。

 会社員時代もフリーになってからも、僕が本を作る時は、参考資料としてどれだけ利用価値が高いか、ということを常に考えて作っているので、こういう利用のされ方は一番望んでいたところです。いや~嬉しい。感激。載せてよかった。
 なんなら著者の浅野さん、島根県の「石見の100年」も見て下さい。益田競馬だけで1ページも割いてますから。趣味で。
(まさ)
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新所村の秋/狂乱の宴編

2007年10月14日
 10月は仕事の関係で遠州強化月間になっております。昨日は、湖西市新所の女河八幡宮の祭礼を取材(ただの見物)に行ってきました。
 新所は浜名湖の西岸に面したそこそこの規模の集落で、昭和の大合併までは「浜名郡新所村」でした。場所は、JR東海道線の新所原駅から東へまっすぐ車で10分ほどのところ。普段はさざなみ打ち寄せるのどかで静かな集落なんですが、さすが荒っぽい遠州の村というか、祭りは凄いことになってた。
 女河八幡宮の祭礼は、土曜が宵祭、日曜が本祭。土曜は夕方から、地区にある6つの屋台が揃って宮入りし、順番に太鼓の演奏を奉納。日曜は境内で流鏑馬神事などが行われます。旧浜名郡新所村とは言っても湖西市の一地区にすぎないのでさほどのものではないと思っていたのだが全然そんなことはなく、祭りの参加者はかなりの人。しかも20~30代の若者が中心で、異様なハイテンション。ここってこんなに若者がいたのか!そして当然ながら、屋台が神社に向けて出発する時点ですでにほぼ全員が酔っ払っています。

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 まず凄かったのは、神社へ向かいながら演奏される大太鼓。屋台に積んだ大太鼓を、これでもかと打ち鳴らす。「祭りビート」とでもいうようなアップテンポの曲で、笛に合わせて打つわ打つわ。すげえ迫力、いや、かなりのムチャ打ち!情緒もへったくれもない!
 また驚愕なのが、屋台の前面です。

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 どんだけ~、って、こっちが言いたいわ!ここでは6台全ての屋台の正面に、まるで学園祭のときにつくるような手作りカンバンを取り付け、参加者の一部は仮装、つまりIKKOの格好した人も随行する。他の屋台では、にしおかすみこや亀田興毅やドラえもんの格好をした人がいました。そしてその人たちも大太鼓を打つ!打ちまくる!

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 こっちはドラえもん。ちなみにこの正面のボードは裏側にも異なる絵が描かれており、2日目の本祭りでは別バージョンの絵&仮装が見られるという趣向です。趣向っつーか…。
 1.5キロほどの道のりを2時間近くかけて打ちまくりながら進み、神社に到着する頃には日もとっぷり暮れています。そして境内に勢ぞろいした6台の屋台が、それぞれ好きに打つ、打ちまくる!いつもは静かな集落に眠るマグマが一気に噴き出した!まさに狂乱の宴!

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 いやもう唖然…。これぞまさに遠州ヤンキー文化の本流!
 この後、仕切り人の合図で狂乱の一幕が落ち着き、順番に奉納するのだが、こちらは一転してゆったりしたリズムの、神事的な曲。動と静のギャップもまた凄い。

 祭りというと大量の中高年アマチュアカメラマンがつきものだけど、この宵祭で写真を撮ってたヨソ者は僕だけでした。確かに絵や仮装やノリはヨソ物の興をそそらない。しかし、地元のみでここまで盛り上がるこれこそが本来の祭りの姿なわけで、逆に新鮮な感じ。遠州の平野部には地域文化を担う若者が大勢いて、大変よいことだと思います。北遠や奥三河の人にしてみたら非常に羨ましかろう。
 まあでも、こういうノリについていけない地元民もいるでしょうね。僕も地元だったらついていけない…かも。
(まさ)
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鎮玉村の秋

2007年10月11日
 鎮玉、と書いて「しずたま」と読みます。昨日登場した麁玉の西隣に位置し、旧引佐町の北部を占めた村です。麁玉鎮玉と続けて読めば呪文か何かのようだが、地名の由来は知らん。
 この村の端のほうに久留女木(くるめぎ)という集落があり、山の中腹には日本の棚田百選にも選ばれた棚田が広がっています。

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 一ヶ月ほど前に撮影したので、まだ稲刈りのだいぶ前。
 愛知県では棚田といえば旧鳳来町の「四谷の千枚田」が有名ですが、田んぼがタテに続き全貌が眺められるあちらと違い、こちらは山の斜面を巻くように横に伸びる棚田なので、全貌が見えず、パッと見はちょい迫力に欠ける。しかし、車道や集落から全く見えない山の中腹に突然田んぼが広がる様は一種独特の雰囲気で、写真よりも行ってみないとそのよさは分からないかもしれません。
 農作業をしていたオバチャンによると、ここの棚田で耕作しているのは15軒で、作っている種類はコシヒカリが中心。「100選」に選ばれたおかげで町からの補助が出て、イノシシ除けのネットを張ってもらえたのはよかった、とのこと。ウチの実家も農家で獣害はしょっちゅうなので、その悩みと安堵はよく分かります。
 オバチャンの話で面白かったのは、久留女木のなかでも中代(なかしろ)と呼ばれる場所の米はとりわけ美味く、「寿司飯にするなら中代の米」と言われていた、ということ。寿司飯に合う米ってどんななんだ?いつか町内の寿司屋を訪ねてその評判を確かめてみたいもんだ。誰かおごって!

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 棚田の鑑賞ポイントは石垣、水路、そして剥き出しの自然石。開墾した先人の労が窺えます。
(まさ)
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麁玉村の秋0002

2007年10月10日
 続けて麁玉村でもう一集落。

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 灰木からさらに奥へと山へ分け入ったところにある、堀谷という集落です。狭い谷間にわずかの民家が身を寄せ合うようにしてある、隠れ里のような趣のところ。

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 村の斜面のあちこちには、彼岸花が控えめに咲いています。彼岸花は色といい形といい群生具合といい、けっこう「咲き誇る」感があるように思うが、堀谷の彼岸花は集落のひっそり感と相まって、なんだか控えめ。
 そしてこの集落には、「浜北の隠れ里」(勝手に命名)らしく秘仏ががありました。

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 江戸時代の修行僧、木食上人が彫ったという十王像。堀谷を訪れた寛政12年(1800)年、83歳の時の作とのこと。集落の一番高いところにある無住の寺の境内に教委が祠を建て、いつでも見られるようになっています。いや~渋い。

 こういういいところでも、この御時勢、よそ者がウロウロしてると不審者のように見られるので、堀谷で人に会ったら「木食仏を見に来ました」と言うのがよいでしょう。
(まさ)
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麁玉村の秋0001

2007年10月10日
 麁玉、と書いて「あらたま」と読みます。「鹿(しか)」の字に見えるが、上の部分が「、」ではなく「々」で、鹿とはちょいと違う。
 先週、旧浜北市の大平という集落で今年の初ミカンを食ったことを書きましたが、その大平を含む旧浜北市北部の山間部は、昭和31年まで引佐郡麁玉村でした。大雑把にいうと、天竜浜名湖鉄道の宮口駅あたりから北の地域です。
 この超難読地名、古代から郡名として使われてきた歴史ある地名で、響きがいいので三遠の旧市町村名で一番好きなんですが、現在では小学校と地区公民館の名にその名をとどめるのみ。浜松市が政令指定都市に移行する際、旧浜北市を区域とする新区の名称候補として浮上したりもしましたが、当然ながら浜北区が採用されております。

 そんな旧麁玉村の一部を占める、灰木(はいのき)というこれまたちょっと変わった名前の集落にて撮影。

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 刈り取った稲の天日干し風景。稲を干す台は「ハザ」と呼び、ハザに稲を掛けることを、そのまんま「ハザ掛け」といいます。このハザ掛け風景は東三河から遠州にかけてごく普通に見られ(国1沿いでもやってる)特に珍しくもないんですが、僕の地元の西濃や西三河方面では滅多に見ないので、見かけるとついつい撮ってしまう。
 田んぼの脇では、支柱となる木や竹の棒を解体してしまっておく細長い小屋(というか格納庫)もよく見かけ、ハザと言えば木もしくは竹というイメージがあるのですが、灰木ではこういうハザも発見した。

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 なんとステンレス製のハザ。形状からしてたぶんハザ専用のステンレス棒ではないか?
 ハザは廃れゆくものと思っていたけど、こういうベーシックなものは素材を代えても地味に残っていくのだなあ。つまり、廃れゆくのは農具ではなく農業従事者なのだと。
(まさ)
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大浜松市における高速道路建設の現況

2007年10月09日
 大浜松市も郊外の方に行きますと(引佐の奥部を浜松郊外と言うのも違和感バリバリだが)、高速道路の建設工事風景が見られます。

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 旧引佐町北部の黒田地区で行われている、東名と第二東名を結ぶ連絡道路(三遠南信道)の引佐ICの工事現場です。
 このあたり、学生時代にウロウロしていた頃は、山あいを流れる細い谷筋のホントなんにもないところだったんですが、あまりの変貌ぶりに目を疑います。
 しかし、無駄な公共事業とまでは思わんけど(僕は基本的に高速道路・高規格幹線道路の建設は推進するべきという立場)、ここまで用地が必要なのか?まあ、インター建設と同時に工業団地でも造成するんだろうけど、将来の見通しは疑問符がつきます。
 ホント、静岡県は昔の面影を完全に一掃する大規模開発が好きな県だ。浜松駅前とか、鷲津駅前とか、袋井のエコパ周辺とか。

 もうひとつ驚くのは、遠鉄バスが今だに運行されていること。気賀~奥山~伊平の学輸便でもちろん行政の補助は出ているだろうが、この田舎で、コミュニティバス全盛のこの時代に、「遠鉄」ブランドのバスが走っていることは奇跡に近いんじゃないだろうか。これが豊鉄だったら、10年以上前にとっくに撤退してる。
(まさ)
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大浜松市における鉄道高架化事業の現状

2007年10月04日
 久々に浜松市街北部の曳馬地区を通りがかったら、遠鉄の高架化延長工事がだいぶ進んでいた。

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 左は現在の曳馬駅。右は将来の曳馬駅。
 思い起こせば15年前のちょうどこの頃、愛大社会学科3年生が全員参加するフィールドワークの実習授業で曳馬地区が調査エリアになり、4日半ほどこの界隈の個人宅を回って生活実態の聞き取り調査をしたのだった。出身地とか収入とかけっこうプライベートなことまで聞いた覚えがあり、個人情報保護法がある今では、学生の研究とはいえそんな調査はもうできないかもしれません。
 曳馬地区は町工場と新旧住宅地が混在する土地で、とりたてて心引かれるようなネタもない地味なところ。今から考えると、なぜこの町を調査実習のフィールドにしたのか疑問だが…。
 調査レポートを書くにあたって、曳馬における大規模な公共事業は何かあるかと市に問い合わせたところ、遠鉄の高架区間を上島まで延長するという話を聞き、予想イラストや地図が入ったマニアックな内部資料をもらった。
 それが今、ようやく実現しようとしているわけです。いや~懐かしい。ていうか、えらい長いことかかってんな。

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 曳馬駅から浜北方面を見たもの。

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 こちら助信駅付近。
 なお完成は平成22年度とのこと。まだまだ先だなあ。
(まさ)
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初蜜柑

2007年10月03日
 今シーズンの初ミカンを、旧浜北市大平というところで食いました。

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 浜名湖北岸の路上でよく見かけるミカンの無人販売で購入。黄疸になるくらいミカン好きのワタクシは、シーズンにあっちへ行った際はしょっちゅう買ってるけど、10月入ったばかりに食べるのは初めて。
 写真で見るとごく普通のミカンのようだけど、大きさはゴルフボール大、外の皮と果実の皮が離れにくく、おまけに酸味が強くて、そんなにうまくはなかったっす。
 まあなんだ、小さい秋見つけた(粒が)、ってとこで。

 ちなみに大平という集落は、ミカンよりも柿の栽培がメイン。種類は次郎柿。次郎柿といえば三河では豊橋の石巻だけど、浜北も産地とは知らなんだ。

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 こちらもまだ早い。
(まさ)
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大浜松市における国鉄バスの遺構

2007年10月02日
 ここのところ毎度毎度マイナーな場所の話ですんません(いつもか)。一か月ほど前、今は浜松市天竜区になってしまった旧龍山村へ行った際、再会した貴重品。

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 国鉄バスの峰之沢口バス停跡です。
 龍山村は、かつては遠江二俣と水窪を結ぶJRバス天竜線の運行ルート上にあり、奇しくも昨日が廃止→遠鉄移管から満5年。この峰之沢口バス停は、途中の瀬尻から分かれていた枝線の終点。1987年のJR化を待たず平成になる前に廃止されてしまいました。
 このバス停のある下平山の集落は、地図上では瀬尻の対岸にあるように見えるが、つづら折れの山道をひたすら登ってようやく到達するという、瀬尻とは標高差数百メートルがあるところ。俗世間から隔絶されたような山の上の集落です。
 そんな辺鄙なところになぜ国鉄バスが通じていたのかというと、銅の鉱山があったからです。昭和40年代に閉山になるまではかなりの人口があったといいますが、今では見る影もありません。
 このバス停を発見したのは10数年前の大学時代。天竜川左岸山上に点々と続く小集落を訪ねて、友人と二人で西渡から歩いて行ったのだった。その後一度行っており、峰之沢口に行くのは10年ぶり。よくぞまあ残っていたもんだ。

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 途中にあった千代バス停も、時刻表板、待合室とともに健在。いやもう、文化財といってもいいねこりゃ。祈・永年保存。なお、旧龍山村役場の最寄で鉄道の駅と同じ機能を持っていたバスの駅・遠江西川駅駅舎、および瀬尻バス停の乗務員休憩所も当時のままの姿で健在です。
 以上、一部バスマニアの読者の方への報告でした。
(まさ)
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