カンバンの手帖ブログ版0354

2017年10月04日
 春夏秋冬叢書「そう」56号連動ネタで、茨城から無地名に戻ります。
 無の付く小字はなぜか旧足助町にやたらと多く、おかげで久しぶりに足助の山間部をあちこち徘徊することができました。そのうちのひとつ、「影無」のある小町。



 「こまち」と読むと山下久美子の「赤道小町ドキッ」を思い出してしまう世代ですが、「こちょう」と読みます。
 矢作川支流の阿摺川沿いにあり、なんでこんな山の中の小さな集落が「町」なのか疑問を抱かずにいられません(古城の転じゃないかと思いますが由来不詳)。一部マニアの間では、旧旭町の万町(まんじょう)、旧額田町の千万町(ぜまんじょう)とともに「新三大・町場でもないのに町が付く西三河山間部の小集落」と称されております(ウソ)。

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 メジャーな見どころは特にありませんが、とりあえず例によってHINOMIが!細身で先細りのいささか軟弱そうな造りで、旧足助町でよく見かける形状なので一部マニアの間では「足助型」と呼ばれております(テキトー)。

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 で、豊田市山間部の旧町村でお馴染み、集落ごとに設置されている駅名標型キャッチコピーカンバン(→●□)。ローマ字表記すると、なんだか中国の地名っぽい。
 キャッチコピーの「明るい元気な 山里」とは、シンプルというかかえって大胆ですが、行政から「豊田市合併にあたって村ごとにカンバンを作ことになったから何か考えてネ!」と言われた地域の皆さんが、これといったネタもなく困った挙句に出したような…。もっともこの駅名標型カンバンの文言は、半分以上はそういうのですが。

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 あと、字影無。木製の電柱がシブすぎる。

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 よく見るとこんなプレートが取り付けてあった。昔、テレビの難視聴地域にNHKの関連会社が設置した共同受信施設の専用電柱なのでした。
(まさ)

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岡崎におけるストリート名称の件0005

2017年09月14日
 7月下旬の「上地八景」に続き(→●□)、岡崎市のシティプロモーションサイト「岡崎ルネサンス」内のコンテンツ「“〇にナる”岡崎まちものがたり」にまた記事を寄稿しました。今度は岡崎駅の東部を占める羽根学区の話題で、柱町の住宅地にある「記念碑公園」のことを取り上げています(→●□)。そこで出しきれなかったネタ。

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 ここで書いている記念碑公園は、岡崎市でもっとも初期に実施された区画整理事業「柱町耕地整理」の記念碑が建立されている公園です。シブい住宅地の小山を整備し、記念碑および忠魂碑の立つ“メモリアル広場”と遊具を置いた“チビッコ広場”の2エリアからなっており、羽根学区の住民以外にはほとんど知られていないんじゃないかと思います。私は2006年刊行の「西三河今昔写真集」(樹林舎)の取材でこの公園と事業のことを知ったのですが、11年も温めていたネタをいい形で出すことができてうれしい限り。
 記事では柱町の耕地整理完工記念絵はがき6枚セットを大盤振る舞いで全部掲載していますが、特に注目していただきたいのはタテの2枚。

「造成された宅地。記念碑公園の南西あたりから北を眺めたもの」
「現在の吉村医院付近から東を眺めたものと思われます」


という写真説明が入った絵はがきの白枠の部分に「昭和通り」「銭山通り」と、ストリート名称が記載されているのです。

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 昭和通りである。北を望む。

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 銭山通りである。東を望む。おそらくこの丘陵地一帯が「銭山」と呼ばれていたのでしょう。
 記事に掲載した2枚目の地図(岡崎市街全図/昭和2年/三陽堂書店発行)地図を見ると、この2本の道は既に造られているのがわかります。耕地整理事業にあたって軸となる道だったため、ストリート名称を付けたものと思われます。残念ながら定着しなかったようですが…。
 地図はこちら→●□

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 昭和通りから南を向くと、日清紡針崎工場の跡地に造成された新興住宅地「春咲の丘」が見えます。戦前の新興住宅地と平成の新興住宅地を一望できる貴重スポットといえるでしょう(そうか?)。
(まさ)
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盆の墓 & HINOMI

2017年08月24日
 でもって翌15日は、碧南市棚尾の毘沙門さん境内で開催されるという盆踊り大会へ。ここでは、矢作出身の農学者で民謡制作家の岩槻三江(→●□)が手掛けた棚尾音頭と棚尾小唄が今も踊られていると聞き、三江さんの曲調を確かめたくて。

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 ところが、少し前まで降っていた雨の影響で中止になっていた。う~ん。
 寺の境内にしつらえられた櫓や提灯飾りを見ただけで、ここの盆踊りの風情は西三河屈指だろうと想像され、残念。来年、できれば必ず再訪したいものだと思います。(どっちだ!?)

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 そのまま帰るのは悔しいので、境内の墓地をチェック。多くの墓に、岐阜の定番の紅白タテ縞(→●□)とは違うカラフル提灯が吊り下げられていて驚いた。岐阜の提灯だと「ご陽気に参りましょ~」的な感じですが、こちらの提灯は仏前に置く回転式の提灯を彷彿させるデザインで、ちょっと風流な感じ。
 来年は売っているところを見つけて一個購入し、実家の墓で試し点灯して岐阜のヤツと比較分析してみたいと思います。

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 でもって、墓地の向こうには例によってHINOMIが!
 盆踊りは中止でしたが、和尚さんの読経で墓参する新盆の家も何軒かありました。こんな夜に賑わう墓も見たことがないので、提灯ともども驚いた。
(まさ)
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ため池のベルが鳴るとき

2017年08月16日
 奥山田池、大谷下・上池とマイナーな溜め池を出してみましたが、岡崎市南部の上地・岡崎・羽根・小豆坂学区にはやたらと溜め池がありまして、「岡崎まちものがたり」の地図ページに溜め池の名称を入れるべく編集サポート作業中にできるだけ見に行ってみました。
 わたくしは職業柄、あらゆる景観を注意深く観察する癖が付いておりますが、溜め池というのはどうもこう、なんというか、景観的にいまいち興をそそらないことが多い。なんとも批評のしようがなく、どう表現したもんかと眺めながら考えあぐねてしまうことがしばしばです。ただ、いちおう写真は撮っており、ここでバーンと出しておきます。
 地図で場所を確認しながらご覧ください→●□

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 まずは割と有名どころ「柱大池」。昭和初期から戦後にかけて、ここはボート遊びのできる遊興地「東楽園(とうらくえん)」として知られていました。

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 ここも一部マニアにはそこそこ知られている「長池」。この周囲に昭和6年から28年まで岡崎競馬場があり、今もコースの一部が生活道路として残っています。

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 このへんからだんだん地味に。戸崎公園の南にある三連池のうち西にある「雨池」。

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 真ん中の「中池」。池のほとりに畑や古いアパートがあったりして、まあまあ趣きがある。

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 東の「ガン池」。希少な湿原植物が見られるそうで、小豆坂小学校の自然観察学習がちょくちょく行われています。一度、取材で同行させてもらいましたが、こんな池でも子供たちがワラワラしているとそれなりにいい雰囲気になります。

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 このレベルまでくるといよいよ怪しい感じに。ウィングタウンの南西にある「双子池」。道路で分断され南北に分かれています。

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 そして極めつけは鰻池。もう池だかなんだか…。
(まさ)
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のび太の上地開拓史

2017年08月13日
 岡崎の上地には奥山田池のほかにもうひとつ、大きい溜め池があります。

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 大谷上池と大谷下池です。二つの池の間に岡崎環状線が通じており、市街地方面から南下するとパチンコ屋のZENTの先で左に見えるのが上池、そのすぐ先の橋から右に見えるのが下池。住宅地に面しているとはいえ山の際にあるので、岡崎南部の溜め池群のなかではいちばん雰囲気がいいかも。
 池の周囲には、昭和50年代から平成初年にかけて行われた区画整理事業で緑地帯として保存された山があります。ドラえもんやのび太が住む町にある裏山みたいな感じでしょうか。大谷公園として整備され、当時の地域住民の意見を取り入れて遊具やキャンプ場が設置されています。新興住宅地のすぐそばにキャンプ場があるとは…。

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 公園の目玉施設は山頂にある展望台。この山で古窯跡が発掘されたので、古代のイメージで銅鐸型にしたとか。

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 展望台は私の大好物なので嬉々として登ってみたところ、木が育ちすぎてほとんどなにも見えないのであった。公園整備から30年、時の流れを感じる…。

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 オマケ。「上地八景」絵はがきの大谷公園。
(まさ)


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