中流管理録トネ町

2017年01月21日
 前回の立川市が意外なことに「東海の郵政関係者には馴染みが深い」というコメントをいただいたので、今度はさらにマイナーなところを…。
 千葉県北総に滞在していた大晦日の夕暮れ時、暇つぶしに県境を超えて茨城県利根町に行ってみました。滞在地の北総線沿線から車で15分ほど、地名のとおり利根川のほとりにある、茨城県の南の端に位置する町です。東海地方どころか首都圏の人にもほとんど馴染みが無いんじゃないかと思うので、国土地理院の地図を貼り付けておきます。



 この町に関して知っていることはなにひとつないのですが、地図だけ見て推測するとこんなところ。
・中心地の布川は、千葉県側の木下・大森・布佐と並ぶ利根川の湊町として栄えた(たぶん)
・その布川は利根川の水上交通と龍ヶ崎・土浦方面への街道が交わる交通の要衝で、宿場町的に発展した(たぶん)
・最寄駅は対岸のJR成田線布佐駅だが、文化・経済的には取手との結び付が強い(違うかも)
・住民の主な買い物先はイオンなど大型商業施設が集まる千葉ニュータウン中央や印西牧の原(たぶん)
・昭和末期~平成初期に宅地開発が進んだ(微妙にズレてるかも)
・これといった名所はないが、田園風景はチョー凄い(たぶん)

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 とりあえず堤防から利根川を眺めてみました。前にも書いたが(→●□)、このあたりの利根川は実にどうもパッとしない風情です。地形的なメリハリがないのでしょうがないが。
 利根町の中心市街地である布川の町は、この堤防下に広がっています。

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 シブい、シブすぎる!きっと昔はそこそこの規模の商店街が形成されていたと思われます。ただ、商店の数に比して住宅はけっこう建て込んでおり、決して町が小さいというわけではない。

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 市街地の北に小高い丘が伸びており、その麓に商工会館と布川町道路元標(ポストの前に見える石造物)がありました。ここが旧役場でしょう(たぶん)。道路元標の設置が始まった大正11年に「町」だったということは、それなりに大きな町だったことを示しています。

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 ここから少し西に行った丘の上には布川神社がありました。今晩から多くの地元民が参拝に訪れることでしょう。
 なぜか狛犬が参道石段下の鳥居の前に、しかも正面を向いて置かれており、この違和感が布川でもっとも印象に残った次第。
(まさ)
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大牛久大大仏

2016年01月19日
 正月の千葉遠征シリーズのラスト。帰る日の4日午前中、4歳児と義母の三人で1時間ほど車を走らせ、茨城県牛久市に行ってみました。牛久といえば稀勢の里の故郷としても知られていますが(そうか?)、これで有名です。

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 牛久大仏だ!デカい、デカすぎる!4歳児も興奮してつい走り出してしまうほどだ!
 この大仏は高さ120mもあり、天気がよければ直線距離で約20km離れた滞在先の北総台地のマンションからも見えます。来てみて初めて知ったのですが、ここは大仏を中心に庭園・公園、墓地、土産物店などが整備されており、寺ではないが寺機能も備えた「仏教テーマパーク」的な施設。運営しているのは浄土真宗東本願寺派。
 わたくし、いちおう門徒なのですが、スケール感が常識を超えすぎているせいかありがたみも吹っ飛んで、思わず笑ってしまいますネ!

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 もちろん大仏の中に入ることができ、高さ85mのところは展望台になっております。アニメの巨大ロボの操縦席あたり(胸の上)に見える三本の筋が展望台の窓らしい。頭までは行けないのか。

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 エレベーターで登ってみると、なんとももどかしい展望台であった。いちおう四方向に窓が開いているものの全方向見通しがイマイチで、展望マニアのわたくしは欲求不満です。

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 展望はエレベーターで3階に下りると、胎内仏がズラリと並ぶ金ピカの間が現れてたまげた。寺の本堂に相当する場所らしい。とりえあず南無阿弥陀仏と唱えておきました。門徒なので…。
 見物後は周囲の集落から大仏を眺めて異形感を味わいたかったけれど、帰りの新幹線の時間があるのでさっさと帰ったのでした。
(まさ)
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石モノJAPAN

2015年12月29日
 春夏秋冬叢書の季刊誌「そう」49号の連動ネタ。
 地元産品の行方をわざわざ遠くまで行って探るという珍企画「三遠南信産××育」では岡崎の石モノ第二弾として、昭和43年に日光東照宮に寄進された岡崎産石灯籠を取り上げてみました。5月下旬に日光へ行ったことをここに書きましたが(→●□)、これの取材です。
 取材というか、実は本当にこのネタで書けるかどうか半信半疑でした。存在を知ったのは、第一弾の二見興玉神社の鳥居(→●□)を書くにあたって岡崎りぶらで資料を探していたとき、石の組合の記念誌にほんの一行その記述があったから。とりあえずどんなものか見てから記事化するかどうか考えようと、首都圏方面に取材3割遊び7割で出掛けたついでに日光まで足を伸ばしてみました。足を伸ばしすぎじゃないか暇人め、などと思われる方もありましょうが、まったくそのとおりで返す言葉もございません。
 で、行ってみたら実在してて、日光の雰囲気はいいし、家康400年で岡崎が盛り上がっているタイミングだし、岡崎・日光双方の地元民も知らない完全に埋もれたネタだし(誰も知らないことを書くのが本業のライターとして何よりの悦び)、帰ってから日光くんだりまで行った元を取りたい気持ちがフツフツと沸いてきて、記事化した次第。

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 その灯籠は東照宮と二荒山神社を結ぶ「上新道」沿いにずらっと並んでて、なかなか壮観。目を留める参拝者もけっこう多い。けど、基壇に「奉献三百五十年祭」と刻まれているだけで来歴はどこにも書いていないという。由来を誰も気にならないのだろうか?まあ、気になるのはわたくしのようなマニアだけでしょう…。
 なお三百五十年祭というのは、東照宮の創建三百五十年祭のこと。

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 基壇には寄進者名。ぜんぶメモしてきたので、時間ができて書く気力が沸いたらたらここにアップします。

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 本誌には建設当時の写真が小さく掲載されていますが、その拡大がこちら。岡崎から来たことをアピールする幕を掲げたトラックを連ね、夜を徹して東海道をひた走り、家康出生地から眠る地へ馳せ参じたと。
 この写真は、製造に携わった数少ない存命者である石松石材工業の原田さん所蔵。原田さんは平成26年に黄綬褒章を授与された灯籠の名工です。

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 一時間くらい撮ったりメモしたりしたのち、ついでに東照宮にある灯籠をチェック。年代物がわんさかあって面白い。しかし灯籠についての案内板等は皆無であった。日光東照宮創建400年が二年後の平成30年なんで、記念事業として日光と岡崎の教委が共同で完全調査でもしたらどうかな?
(まさ)

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裏口への道

2015年09月20日
 春夏秋冬叢書の季刊誌「そう」48号連動ネタ。
 三遠南信の特産品が他の地域でどのように扱われているかわざわざ遠くの現地まで行って探るという企画「三遠南信産××育」では、今回、5月23日にさいたま市役所で開催された「浦和うなぎ祭り」に行ってきました。
 東海地方の人間には馴染みのない話ですが、浦和は首都圏屈指の「鰻の町」(産地ではなく消費のほうで)。 毎年やっているこのイベントでは鰻弁当の廉価販売が目玉で、それ用の鰻を舞阪にあるマルハマこと浜名湖養魚漁業協同組合が数年前から供給しているのです。会場にはマルハマと浜名商工会も出店し、浦和のブース以外では一番長い行列ができていました。

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 で、この機会(リサーチと本チャン取材の計2回)に初めて浦和を歩いてみました。浦和というと、レッズの誕生以前は「特急の停まらない数少ない県庁所在地」というマイナー都市のイメージを抱いていたものですが、行ってみたらさすが首都圏だけあって、駅周辺の繁華街はそれなりに賑わっていました。

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 それなりに賑わってるの図。浦和中郵便局前の歩行者専用道路。
 ところが、繁華街エリアから少し離れただけで雰囲気が一変して驚いた。

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 南側は旧中山道沿いの地味な住宅地。うーむ、繁華街は思った以上に小さいらしい。駅前や繁華街の賑わいとは裏腹に、周囲は一般的な地方都市と似たような雰囲気が漂っており、そのあたりはやはり東京と埼玉の差ということなのだろうか。

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 いっぽう東側は県庁を中心とする官庁街で、役人らしき人が目立つ印象。浦和駅前通りをまっすぐ歩いてゆくと自動的に県庁にたどり着きます。左に見えるのは取材でお世話になった鰻屋、中村家さん。
 宿場町なので古くから人口密集地ではあったのでしょうが、官庁街が繁華街と隣接しているので、県庁など役所の存在が町の発展にとってデカかったであろうことは容易に推測できます。郡役所ができて急発展した田口と同じですね。規模は雲泥の差ですが。
 そんな官庁シティの浦和では、このような名前のストリートも。

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 埼玉県庁官舎の裏門に通じる道だったので「裏門通り」とのこと。写真には人が見えませんが、飲食店や商店が連なってなかなか味わい深く、昼どきだと人通りも多そう。

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 そんな浦和の地元キャラは、うなこちゃんでした。鰻…なのか?、オニギリさんではなく?
 それにしてもどこかで見た雰囲気だなと思ったら、やなせたかしデザインでした。マルハマの横にブースを出していた多治見のキャラ、うながっぱもやなせたかし(→●□)。
(まさ)

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東照宮所在5市、のぼり対決

2015年06月14日
 家康と言えば、GWの真ん中にとある取材で静岡市に行きまして、家康ゆかりの駿府城公園と静岡浅間神社を見物してきました。
 駿府城公園はひたすらだだっ広く、浅間神社は建物群の装飾が日光ほどではないけどなかなかすごかった、とまあそんな程度の感想で特に書くほどのことはございません。今年が家康没後400年ということで、ゆかりの地ではそれぞれイベントをやるようですが、5月初旬の時点では、静岡市はまだ特に何も盛り上がってない感じでした。
 駿府城公園から静岡浅間神社までは、「浅間通り」という歩道アーケードのある商店街を歩きました。

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 いちおうこのようにアーチに「家康公が愛したまち静岡」という惹句入りの横断幕が掲げられているけれど、この商店街じたい観光要素はほぼゼロで、静岡土産になるようなものを扱っている店も煎餅屋さん一軒きり。「400年?別に…」という風情が漂っていて、それはそれで好もしいです。もっとも、岡崎も浜松も商店街のムードは大差ないですが。
 ところで奇しくも5月のあいだに、家康を祭神とする東照宮のある町に5つも行きまして、気が付いたら5市ののぼりや街灯フラッグをひととおり押さえていたので、まとめて上げておきます。

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 静岡市。「二〇十五年」という表記が引っ掛かるが…。

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 浜松市。ローカルキャラ「家康くん」が、広大な市域に配慮してネタを詰め込みすぎているのが笑えますネ!

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 岡崎市。この町は、街灯フラッグに関してはおそらく東海地方でもっとも力を入れています。康生通りと本町通りにこの顔がずらっと並んでいると、一瞬ギョッとするが。

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 豊田市松平地区。のぼりはともかく、松平村道路元標はどこへ行ったんだろう(→●□)。

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 そして日光市。正直なところ僕はこれが一番好み。さて大御所様はいずれがお好みでしょうか。

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「どうでもええわ」(浜松城「戦国時代の大名」より)

 う~ん、どうでもいい。
(まさ)
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