熊野市内の国道42号の現在

2017年10月19日
 そんなわけで一泊二日の熊野奥地めぐりを終えて三重県熊野市に戻りまして、帰りのルートは国道42号の矢ノ川峠(やのことうげ)を久し振りに越えて尾鷲まで行くことにしました。熊野市から尾鷲市までは、2013年に国道42号バイパスの自動車専用道路「熊野尾鷲道路」が開通して大変便利になったのですが、地位を追われたもとの国道42号はどうなったかなと思って。

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 何年かぶりに走ってみて愕然。あれほど交通量の多かった道なのに、稀にしか対向車に行き合わない!

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 沿道にあった道の駅「熊野きのくに」は閉鎖!先日ちらっと触れた、某省の地方局が発行していた広報誌にここの紹介記事を書いた覚えがあるのだが…。取材した店が潰れることはちょくちょくありますが、道の駅が営業をやめた例に遭遇するのは初めて。

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 こんな状態ですが、三重交通の路線バスはまだ生き残っていてやれやれ。終点の大又大久保バス停です。
 国道42号を走るこの路線はのルーツは、紀勢本線開通以前に熊野と尾鷲を結んでいた国鉄バス紀南線の一部。小学生のころ、家族旅行の海水浴でこちら方面に初めて来たときはまだ国鉄バスが運行しており、車窓にこのバス停を見て興奮した記憶があります。これ以後、鉄道路線だけでなく国鉄バス~JRバスにも執着するように…って、それはどうもでいい。

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 夏の終わりの山里の、夕暮れ時の寂しさにしんみりしたところで、熊野シリーズはオシマイ。
(まさ)
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丸山VS四谷、千枚田対決

2017年10月11日
 尾呂志の集落を眺めた後は、風伝峠を越えて旧紀和町(現熊野市)へ。和歌山県・奈良県と境界を接する奥深い土地で、丸山千枚田が有名です。

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 山道を抜けると、目の前にどーんと広がる丸山千枚田である。ここも13年前の某誌の取材以来。前回は同行者が多くて落ち着かなかったので、ようやく自分のペースでゆっくり見物できて嬉しい。

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 ちょうど今日(か昨日)から稲刈りが始まったようで、千枚田の下の方では黄金色の稲がザクザクと刈られておりました。

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 千枚田の真ん中あたりには巨石もデンと剥き出しになっていたりして、いいアクセントになっています。写真は、その巨石の少し上にある展望休憩所から撮ったもの。本日はお日柄もよく、数人の老アマチュアカメラマンがおりました。

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(新城市四谷 2017.05.07)

 さて、千枚田といえば三河の人間にとっては「四谷千枚田」。比較してみて気が付いたことは

・丸山は比較的斜面がなだらかで、その気になればもっと横に田んぼを広げられそう。対して四谷は山に挟まれて狭く、上に向かってすぼんでいる。
・丸山は畔が土で草に覆われている。対して四谷は石垣。
・丸山の方が田んぼ一枚の面積が小さい(もしくは幅が狭く横に長い)
・全体的に見ると、四谷は荒々しく、丸山はゆったりした印象

といったところでしょうか。まあ、どちらも美しいのは同じで、比較しても何の意味もありませんが…。

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 千枚田から4キロほど下ると、旧紀和町の中心地区、板屋。ここはかつての鉱山町で、整然とした街区になっており、町はずれにの山腹には選鉱場の遺構があります。「紀和町鉱山資料館」もあるのですが、13年前は来る時間が遅すぎて見学できなかったので、念願かなってリベンジだ!

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 ところが、その日は月曜で休館日だったのでした。う~ん、また来ないといかん…。
(まさ)
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カンバンの手帖ブログ版0355

2017年10月07日
 その取材の目的地は和歌山県の熊野本宮大社だったので、阿田和駅から山へと分け入り、丸山千枚田と瀞峡を経由して現地へ向かうことに。阿田和から県道62号御浜紀和線をぐいぐい走り、20分ほどで尾呂志という集落へ。

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 熊野古道伊勢路のルート上にある「風伝峠」の東側にある集落です。尾呂志はおそらく「颪」の意味。秋から春の寒い時期に山に巨大な朝霧がかかる「風伝颪」という現象がが見られる…と熊野古道関連の資料やサイトで必ず紹介されています。
 実は13年前、某省の地方局が発行していた広報誌の取材で(などと書くと大きい仕事のように思えるけど、実際は「玄孫受け」仕事という最下層ランク)、東紀州の熊野古道沿道を大雑把に車で回った際にこの集落をかすめたことがあります。地形的に地名的にも絶対にいい集落ではあることは間違いなく、その取材の時にぜひ寄ってみたいと思っていたのですが、一緒に行った人たちから「ハァ?」ってな感じでスルーされ泣く泣く通過したという悲しい思い出があります。

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 その尾呂志をようやく歩くことができ、感慨無量。坂道に連なる家並のこの味わい深さはどうだ、当時の関係者たちよ!まあ、一般的にはわかりにくい味わいなので、寄ってもらわなくてよかったかもしれません…。

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 ただ、当時立ち寄っていればもう少し営業している店に遭遇できたかも。橋の向こうに見える農協の支店も廃止されて久しい模様。

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 壁にはこのようなカンバンが。葬祭は農協の主力事業のひとつですが、仏壇販売の仲介をアピールするカンバンは初めて見た。右のかすれた方は津の一身田にあったらしいAコープ家具センター・呉服センターのもの。
(まさ)
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戦前築の駅舎に見られるタイルの脚絆的装飾法

2017年10月06日
 8月末にとある取材で熊野方面に行きまして、ゆとりのあるスケジュールだったので紀勢本線の熊野市~新宮間の駅舎チェックができました。JR東海管内の辺境なのでまだ古い駅舎がいくつか健在だったのは何より。
 そのひとつ、御浜町の中心部に位置する阿田和駅。

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 昭和14年築の駅舎です(開業は昭和15年)。紀勢本線の他の途中駅よりも一回り大きく、利用客が多い準主要駅的な扱いだったことが伺えます。

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 注目したのは建物の下部。味わいのあるスクラッチタイル(→●□)が施されており、靴下か脚絆のよう。この装飾があるだけで駅舎の重厚感がぐっと増す感じです。ついでに言うと、玄関に取り付けられた2号ポストもいい。

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 この装飾は建物の外周りに施されているのですが、付属の便所を覗いてみたら手洗いのところにだけタイルがありました。

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 もうひとつ、御浜町の北端に位置する神志山駅。珍しい入母屋造りの駅舎。

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 ここの下部装飾はスクラッチタイルではなく、異様に横長で土管みたいな風合のタイル。入母屋じゃスクラッチタイルが合わないと考えての採用かもしれません
 これらを見て、天浜線の気賀駅の駅舎下部に施されたタイル装飾を思い出しました(→●□)。あちらは昭和13年の築。この時代の駅舎建築の流行りだったのでしょうか?
 で、これらの駅舎タイルが常滑製であると証明できれば、知多半島のローカル媒体用に記事が一本できるのだが…。
(まさ)

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(2017.10.07追記)
 13年前に撮影した阿田和駅の写真を見たところ、駅舎の前に植樹があって建物左半分の殺風景な部分がうまい具合に隠されていました。

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(2004.09.17)

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カンバンの手帖ブログ版0351

2017年05月27日
 そんな水沢で発見したカンバンをいくつか。

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 右に見える二枚の「トミナガ」の琺瑯看板。所在地表記が「スワ新道」「スワ国道」とカタカナになっている点がポイントが高い。地名がカタカナ変換されているとぐっと昭和臭くなってイイ、と思うのは私だけでしょうか。諏訪新道は四日市中心市街地の一角に位置する商店街。

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 三重県北部や海津あたりでよく見かける「宝石・結納品 羽田」の畳サイズのカンバン。お茶作り関係用具をしまっておくと思われる小屋に貼ってある点がポイントが高い。

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 畳サイズのカンバンの別店舗バージョン。同じカンバンメーカーが手掛けたものでしょうか。

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 Here is 銀座。こういう田舎で遭遇する銀座は、どこか愛おしいのである。
(まさ)
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