スイスイバンバン

2017年11月05日
 水盤といえば、美浜町野間にある冨具神社ではこのような水盤を見つけました。

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 なんという石かわかりませんが、翡翠色のような美しい緑の石に丸く穴をあけて水盤にしています。こうなると、茶室の蹲(つくばい)のような風情ですが。
 裏に刻まれた銘によると、天保12年(1829)に志州鳥羽中之郷の船問屋・小久保弥三右衛門という人が寄進したもの。冨具神社は船乗りの信仰を集めた神社で、伊勢湾を挟んだ向こう側の人にも崇敬されていたことが窺えます。

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 また、冨具神社にはこのようなものも。日清戦争の戦勝記念碑で、戦地から持ち帰った清国軍の砲弾を使ったらしい。

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 冨具神社の写真が水盤とか記念碑とかマニアックなものばかりではなんですので、9月に境内で行われた美浜町の地域活性化団体によるイベント「みはまの竹灯りin冨具神社」の写真でも…。
(まさ)
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ため池のベルが鳴るとき0002

2017年10月20日
 先日、友人家族とはじめて南知多グリーンバレイに行ってみました。アスレチックやバンジージャンプやボールプールやバーベキュー場がある家族向けレジャー施設で、子供がいなかったら一生行くこともなかったようなところです。
 内海の奥地に広がる里山の地形を活用してアスレチックコースが整備されているのですが、コースの後半がこれまた実に知多半島らしくて驚いた。

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 なんと、灌漑用の溜め池の中にコースが設けられていた!しかもこの溜め池、地形を最大限利用するため二段構えに築造されており(つまり上下に二つの池がある)、堰堤の斜面や堰堤上がルートになっています。

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 わざわざ溜め池の上に組み立てられた遊具を楽しむ一児の父(わたくし)。6歳児は一部の遊具で「おちちゃうヨ~!もうヤダー!もどる~!」とマジ泣きしていた。臆病な幼児には難易度が高いかもしれません。

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 景観的にもなかなかのもの。この味わいがわかるようになれば立派な知多半島マニア。知多半島で美しいのは海だけではないのである(わかりにくい)。

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 そして、知多半島の溜め池でよく見かける農業基盤整備事業の表示板もありました。今池というらしい。
 どうでもいいですが、「グリーンバレイ」とむかし内海の礫浦の上にあった「フォレストパーク」がごっちゃになって、たまに言い間違えてしまうのは僕だけではないはず。僕だけ?
(まさ)
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稀勢の里の故郷にある常滑の陶製品

2017年10月03日
 シャトー牛久の展示品にはこんなものもありました。

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 旧醸造場の発掘調査で出土した焼酎瓶で、案内によると常滑製とのこと。なぜ常滑産と判明したかというと、上部に「𠆢き(ヤマキ)」の刻印があるから。これは常滑にあった柿田製陶所の屋号です。おお、またも自分の本拠地のネタが!
 と一瞬色めき立ったものの、この形状の焼酎瓶は常滑で擁壁や土留めとしてあまりに見慣れ過ぎているので、岡崎産狛犬ほどの衝撃は正直ありませんでした。ここではケースに収められているけど、常滑に行きゃ現物を好きなだけ触れるし(個人の感想ですが、常滑の土管や焼酎瓶の特色のひとつは触った時の心地よさだと思います)。
 ところが先月、知多半島南部のローカル媒体のマニアックな取材で擁壁や土留めに転用された陶製品の刻印を片っ端からチェックしていたら、柿田製糖所の焼酎瓶が集中している場所を発見。

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 場所は山方町二丁目。リクシル常滑東工場(INAXライブミュージアムの向かい)の南西あたり。

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 「𠆢き」の刻印のオンパレードで驚いた。文字入力してみると

きききさききききききききききききききき
きききききききききさききききききききき
きききききさききききききききききききき
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という感じ(オオゲサ)。
 調べてみると柿田製陶所は、江戸時代初期の創業とされる常滑屈指の古い窯屋で、焼酎瓶の大手メーカーでした。工場もこのあたりにあったようです。そんな常滑陶業史に燦然と輝く超老舗の製品が、日本のアルコール史における超重要醸造元で使われていたというのは、やはりすごいことです。

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 ついでながら焼酎瓶の擁壁といえば、やきもの散歩道の「土管坂」の南面がもっとも知られていると思います。この擁壁は、すぐ上に住んでいた大工さんが拵えたものだとか。

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 ここは、最後まで焼酎瓶を作っていたという「𠆢文(ヤマブン)」の密集地帯。土管坂のやや南にある山文製陶所という窯屋の製品です。文字入力してみると

文文文文文文文文文又文文文文文文文文文
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(まさ)
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富士山で迷子はヤバイ

2017年08月25日
 久しぶりに知多四国がらみの話題。
 知多半島の神社仏閣を巡っていると、巨大な奉納絵馬にやたらと遭遇します。どれもこれもたいへん興味深く面白いのですが、僕がこれまで見て回ったなかで一番好きなのが、常滑市西阿野の知多四国第61番札所・高讃寺の絵馬群です。少し前に知多半島南部のローカル媒体で絵馬特集を組み、その中で高讃寺も取り上げたのですが当ブログには出しそびれてしまい、時期的になんの脈絡もありませんがせっかくなので出しておきます。

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 知多四国の寺院の中でもっとも鬱蒼としている高讃寺。

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 この寺の弘法堂に、このように絵馬がずらっと奉納されています。そのほとんどは「富士登山記念」と記されたもの。地元の人が講を作って富士登山に出掛け、無事に帰ってきたのを記念して奉納したものです。
 常滑市南部の西浦地区では明治から昭和にかけて富士山の団体登山が流行したらしく、他の社寺でも富士登山記念絵馬をよく見かけます。隣りの苅屋の人に聞いた話では、昭和30年頃までやっていた青年団もあるそうです(ただし戦後はツアーの慰安旅行みたいな感じとか…)。
 高讃寺の富士登山記念絵馬の凄いところは時代が追えること。装束に注目してご覧ください。

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 明治30年代。菅笠に白装束。

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 明治45年(描かれたのは昭和10年)。股引をはき、菰を背負った姿。

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 昭和11年。白い登山帽にリュックサック。

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 大正6年の一行の絵もあります。これを描いたのはなんと、戦前から戦後にかけて活躍した常滑焼の陶彫家、片岡武正。神明社の狛犬も手掛けた人物です(→●□)。
 ただし制作されたのは昭和38年。なぜ登山から27年も経って絵馬を作り、しかも名工に作画を依頼したのだろうか?誌面に限りがありその謎に迫るまでは行きませんでしたが、気になって仕方がないので、もし情報をお持ちの方がいれば教えてください。
(まさ)

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先端音頭

2017年08月19日
 昨年の盆は南知多町豊浜の須佐踊り(→●□)を見物に行ったので、今年は南知多町師崎の盆踊りに行ってみました。先日、ローカル媒体で師崎の長老に話を聞く機会があり「ウチ(師崎)でも豊浜と同じように独自の盆踊りを踊っている」と聞いたので。
 以前、河和の古老に聞いたところによると、豊浜と師崎の盆踊りは近隣でもその名を轟かせており、その方は友人たちとともに自転車で二地区をハシゴしたこともあるとか。

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 会場は師崎小学校。いちおう7時開始ですが、本チャンめいてくるのは8時から。まず30分間、仮想踊りコンテストが実施され、8時40分から9時までは「師崎ばやし」、9時から10時までは「かけ踊り・まむけ踊り」という師崎独自の踊りだけを踊ります。子供や余所者も気軽に踊れる定番の曲はやりませんが、両曲ともゆったりしたグルーヴで、振りもさほど複雑ではなさそう。
 昨年行った豊浜のほうは、いつ終わるとも知れず延々と踊り続け、仮装大会もかなりクレージーでぶったまげましたが、それに比べれば師崎は開催時間的にも仮装大会もおとなしめで、ゆったり・まったりという感じ。同じ南知多の漁師町でも微妙に雰囲気が違うところが興味深い(ただし師崎にも「左義長」という漁師町らしいチョー荒っぽい行事があります→●□)。

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 豊浜と同じく歌は生、伴奏は太鼓のみで、実に情緒があります。
 歌い手と奏者が陣取る櫓には謎の暗号が。何かと思ったら踊り手が途中で入れる合の手でした。「ノハハアハウ」って…。

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 あと師崎のオマケネタ。羽豆岬の西側に「なぜこんな場所にこんなものを?」と疑問を抱かずにいられないプールの廃墟があります(過去にも少し触れた→●□)。戦前に刊行された師崎の郷土誌によると、建造はなんと昭和5年!そんな古いものとは。
 盆踊り情報をくれた長老いわく、「このプールは、アマチュア土建屋(?)の鈴木兵松という人がすべて自分で作ったものなのじゃ。何かで金を儲けて、その罪滅ぼしで村人のためになるものを…と思い立って作ったという話じゃ。わしらが小学生の時分(戦前)はたいてい浜で泳いだのでプールはたまにしか使わなかったのう」。(※語尾は創作)
 兵松サンが寄贈して師崎区有となり、師崎小学校にプールが建設されるまで(平成初期?)使用されたとのことです。
(まさ)

◎お知らせ
地元ケーブルテレビのウェブサイトにローカルネタの記事を書きました→●□●□
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