4 OCEAN WAVE

2012年04月18日
 先月発刊された樹林舎「知多半島の昭和」(→●□)プロモーションシリーズ。
 当ブログでもたびたび書いていますが、知多半島の名鉄には廃止された駅がずいぶんあります。廃駅の写真なんぞというマニアックなものはなかなか見つからないのが常なのですが、今回、一つだけ遭遇し、本書に掲載しました。それは、河和線の四海波(しかいなみ)駅。
 これは、知多半島の歴史本を何冊も出されている半田のK先生が、若いころ自ら撮影されたもの。P175に大きく載せていますので、興味のある方は本書をご購入のうえご覧いただきたいのですが、今回はその別カットを、チラッとお見せします。

120417-1.jpg ジャーン!

120417-2.jpg ジャジャーン!

 効果音はいらないか。
 四海波駅は、武豊町最南端の富貴字笠松にあり、河和線開業時から昭和47年まで存在していました。今は埋立で見る影もありませんが、駅近くの海岸沿いに別荘が建ち並んでいたところ。たぶん愛電(名鉄の前身)がリゾート開発をしようと目論み、このような雄大な駅名を付けたのでしょう。三河湾ごときで「四海」とは大風呂敷な。
 名目としては、河和線複線化の前に「旧」布土駅と四海波駅を統合した「新」布土駅を設置したのにともない廃止、ということになってますが、昭和30年代の埋め立てでとっくに別荘地は消滅、もとより住んでいる人も少なく利用客がいないので、体よく厄介払いしたというのが本当のところでしょう。
 で、この四海波駅跡が今どうなっているかというと、こんな状況です。

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 ヤブ。

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 ヤブである。

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 駅前通りはいちおう残っており、新しい家が数軒建っております。奥に車が走っているのが国道247号。
 こんな具合に閑散とした地域だし、たぶん「サヨナラ四海波駅」とかのセレモニーはやらなかったと思われます。ある日ひっそり消えた、わが地元の谷汲線結城駅を思い出します(どうでもいいですが、結城駅の最後の利用者は僕でした)。

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 ちなみに旧布土駅があったのはこのあたり、と地元の人に教えてもらいました。右奥の山裾にみえるのは知多四国開山所・葦航寺。
(まさ)

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◎知多半島の廃駅シリーズ
浦島駅→●□
「新」布土駅→●□
時志駅→●□●□
小野浦(仮称)駅→●□
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アウトオブ絶景本0016

2012年04月11日
 天気がよかった昨日は、陽太郎を連れて大府市の桃山公園へ。来年、某媒体に使うかもしれないので、桜の写真を撮りに。

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桜についての感想は特にない0歳児

 桃山公園は大府駅から東へ歩いて10分ほどのところ、丘のてっぺんにある中堅の公園です(公園に中堅という表現もなんですが、そうとしか言いようがない)。そこそこ桜の名所であるものの、たぶん大府市民以外で行くのは、よほどのマニアかヒマな人ぐらいでしょう。つまりわたくしですな。
 桜で埋めつくされているのに「桃山」というのはその昔、この一帯で桃の栽培が行われていたことが由来です。

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 知多半島の中堅公園にはやたらと展望台がありますが、ここも例に洩れず展望台があります。背後に見えるステンレスの風車がそれ。こんなところに登ったってねえ…といいながらいちおう登ってみると、なかなかの景観で驚いた。

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 刈谷市街まで一望に!こりゃ、以前作った「鉄道でゆく絶景の旅」(→●□)に載せておいてもよかったか。

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 ちょっと向きを変えると住宅がどばーっ!この中に何軒、鷹羽家と坂野家があるのだろうか。
 このように桃山公園の周辺は一面の住宅地になっており、公園へ通じる住宅の中の道の何本かも見事な桜並木に。実は公園よりも住宅街の桜のほうがものすごく、一軒の価値はあります。

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 ちなみに桃山が宅地化される前の写真を、樹林舎「知多半島の昭和」(→●□)P139に掲載しているので、興味のある方はご覧ください。
 以前は大府といえば鷹羽姓が多いことぐらいしか印象になく、特に興味が湧かない町だったのだけれど、いろいろ取材するうちにだんだん面白い町に思えてきた。あとは図書館がもうちょい良ければね…(よけいなお世話)。
(まさ)

◎展望台のある知多半島の中堅公園シリーズ
半田市・雁宿公園→●□
常滑市・大野城址→●□
知多市・大草城址→●□
美浜町・時志観音白山公園→●□
南知多町・羽豆岬→●□
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忠魂オンザヒル

2012年03月20日
 前回に引き続き「知多半島の昭和」(樹林舎)プロモーションシリーズ。

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 4年間で知多半島はずいぶんきめ細かく回ったつもりですが、それでも今回の取材で初めて足を踏み入れた場所もいくつかあります。
 常滑に住んでいらっしゃる方から「この写真は使えないだろうか」と連絡があり行って見せてもらうと、どこかの高台から撮影された常滑全景の写真でした。昭和37年に御本人が撮られたものです。

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 これがその一部分。もとは5枚をくっつけてパノラマにした写真で、本書のP102-103に全てを収録しているので、見たい人は買ってくださいませ。
 常滑にこんなふうに町を見渡せる場所があったっけ?と思って聞いてみると、連れてってくるというのでついて行きました。その場所はINAXライブミュージアムのすぐ南東、統合移転した旧常滑高校のすぐ裏側の山にある「忠魂碑」。地名は白山ですが、地元民はただ「忠魂碑」と呼んでいるそうな。

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 これがその忠魂碑。めちゃくちゃ立派な石垣と石柵が設えられ、その中央にどかーんと立派なザ・忠魂碑が!
 横には日露の忠魂碑や知多郡長殉難碑なるものも建っており、なかなか立派な「忠魂庭」です。建立・整備は昭和11年。碑に使った石を運搬している写真も出てきたので、本書のP47に載せております。
 忠魂碑から上の古写真と同じように眺めると、なかなか渋い眺望が。

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 いや~、絶景…とはいいがたいな。古写真では製陶工場からの煙がモクモクでしたが、今はさっぱりしたもんです。
 でも、こういうシンボリックな施設はこういう見晴らしのいい場所がいいというので、昔の人はここに忠魂碑を建てたのでしょう。

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 古写真で右端に見える陶製の狛犬も健在。祠もないのに狛犬が必要なのかどうかよくわかりませんが…。
 地元民でも知る人が少ないんじゃないかと思われるこの場所、忠魂碑マニアやヒマでしょうがないという人は、ぜひ一度足をお運びください。ただ、ここへ行くには旧常滑高校の敷地に入るか、南側の藪を分け入らないとならないので、簡単に行けるかどうか…。


より大きな地図で 無題 を表示

 ちなみにこの写真を見せてくれたMさんは、すごい技術を持った常滑焼の伝統工芸士だった。

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 こっちでもいつか取材させてもらいたいと思います。
(まさ)
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「知多半島の昭和」を読む

2012年03月18日
 前回に引き続き樹林舎「知多半島の昭和」プロモーションシリーズ。

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 このような資料集成的本は、出版社が培ってきたノウハウに基づき、ある法則にしたがって組み立てていきます。なので、知多だろうが三河だろうが、どこで作っても同じようなものになる…ということばかりでもなくて、担当者の個性や地域観がけっこう反映されるものです。もっとも、買う人はその地域にしか興味がない場合がほとんどなので、読み比べてどうこう言われることはまずありません。作り手としては、助かるような、物足らないような…。
 僕の場合は、2008年から知多半島での仕事が多くなり、4年ほど知多半島をじっくり観察してきたのですが、それを踏まえて本作では、以下のことを表現したいと思いました。

1、知多半島には一体感があまりない
2、そんな知多半島をひとつに結び付けているのは知多四国と愛知用水ぐらい
3、高度成長期の開発はやりすぎじゃないの?


 知多半島は地形的な区分が一目瞭然なので、なにかというとひとくくりにされがちですが、自治体の枠を超えての精神的な結びつきは実はほとんどないんじゃないか、というのが4年間見続けてきた感想です。

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(半田の中心部のひとつ銀座本町。このアーチは現存せず)

 知多半島の中心はいちおう半田とみなされています。半島では唯一戦前に市制施行した町だし、昔の人には中心としての自負がいまだにあり、今回掲載した写真も圧倒的に半田のものが多いのですが、半田の吸引力が半島全域に及んでいたかというと、そういう印象はあまり受けません。
 歴史的にいえば、北部は横須賀、西部は常滑がそれぞれ各エリアの中心地的存在で、そのほかにも岡田、亀崎、武豊、古くには内海、大野、緒川などなど、有力な町がいくつもありました。
 知多半島は、それらの町がそれぞれに発展して小さな商圏を作ってきた地域であり、確かに半田には一目置いているけれど、基本的には各町の吸引力は横並び、突出した「都市」は存在しません。そのため、全体でみるとどうにもバラバラな印象を抱くのです。

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(常滑の中心部のひとつ市場町)

 おそらく北部の人は半田のことにはほとんど関心がないでしょう。半田と常滑も隣り合っているとはいえ、それぞれについて「特に興味ないっす」という感じが漂っています。半島脊梁部の丘陵地は標高は低いけれど、厳然として境界を作っているような気がしてなりません。
 かといって、本のエリアを細かく分けるのも現実的(すなわち営業的)にはいささか無理があるし…。
 だいたい「知多郡」というくくりが大きすぎる!郡単位で見たとき、そこそこの規模の町がこれだけ集まっているところは、全国探してもここぐらいじゃないでしょうか。「昭和の大合併」直前に「村」だった自治体は、知多郡では三和村(常滑北部)と篠島村、日間賀島村だけだったんだから。
 そういえば知多市誌を読んでいたら、岡田、八幡、旭が合併したとき、知多町とすることにどこの自治体からも文句が出なかった、ということが書いてありましたが、象徴的な話ではあります。

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(知多四国83番弥勒寺から太田川駅を望む)

 まあそんなわけで、知多半島の面白さは実は、産業の多彩さや山車祭りの多さではなく、こうした「一体感なき」特異な土壌にこそあると思っています。そこらへんを本書で味わっていただけたら幸いです(なにかを味わう本ではないですが…)。
(まさ)
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昭和な本

2012年03月14日
 唐突ですが新刊のお知らせ。わたくしが取材・編集した「知多半島の昭和」(樹林舎)が、きょう発売になりました。

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 なんの本かといいますと、昭和時代に知多半島で撮影された古い写真をまとめた古写真集です。全279ページ、掲載した古写真・図版600枚強。資料性とエンタメ性が融合し、知多半島在住者や出身者には興味深く懐かしい(そうでない人にはそれなりの)一冊になっております。興味のある人はぜひ書店でお買い求めを。値段は1冊9,990円と少々お高いですが…。

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 実は知多半島をテーマにした古写真集は過去に複数の出版社から発行されています。それらとの最大の違いは以下のとおり。

1、時代を昭和に絞り、昭和60年代までの写真を大量に掲載
2、写真がキレイ
3、知多半島がどんな地域で、どう歩んできたかがわかる


 1は、もはや記憶を持っている人がほとんどいない明治、大正時代の写真は除外し、40代までの人が「懐かしいがね」と思える写真を多くすくい上げているということです。
 2は、丁寧なレタッチと向上した印刷技術の勝利!デザイナーさん、印刷屋さん、ありがとうございます。
 3は手前味噌ですが、そういう編集をしました。わかると思います、たぶん…。ちなみに、昭和の合併以前の自治体はすべて押さえてます。

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(常滑市秘書広報課所蔵の「常滑町」時代のアルバム)

 ちなみにわたくし、このような古写真集を7県で11冊も作ってきました(樹林舎とK出版社で)。実際に1冊まるまる作るのは、2006年発行の「西三河今昔写真集」(樹林舎)以来5年ぶりですが、この手の本作りはいちおう専門です。
 専門なんですが、何度作っても心身ともに非常にキツイ。精神的には、写真が集まるか、1万円という価格に見合う本になるか、というプレッシャーに苛まれたり、もっと取材したいのに締切に追われたり。肉体的には、取材してると目と腰にくる。もうホント、若いモンにお願いしたいわ…という愚痴はどうでもいい。
 しかしなぜ今、「知多半島」で「昭和」の「写真」なのか?それを書くとなると、古写真集の歴史と地方出版および書店業界の過去・現在・未来について触れねばならず、岩波ブックレット一冊分ぐらいの原稿になってしまうので、またの機会に…(ていうかそんなことに興味がある人がいるのかと)。

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(個人所蔵のアルバム)

 このような古写真集は、だいたい次の手順で作ります。

1、写真を探す
2、デジカメで複写する(もしくはスキャニング)
3、写真を並べて組み立てる
4、原稿を書く(もしくは書いてもらうよう頼む)


 なんといってもこの企画は写真探しがキモ。的確な取材先(つまり持ってそうな機関や人)にどれだけたくさんあたることができるかが勝負です。ある人は僕の仕事を見て「探偵みたいだね」と言いました。古写真探偵。ミステリーのタイトルみたいだ。
 で、3ヶ月ほど集中的に、知多半島のあっちゃこっちゃで写真やネガを見せてもらいまくり、複写しまくりの日々。見たコマ数はたぶん1万は軽く超えてるんじゃないでしょうか。ネガばっかり見ていて目はショボショボ、複写は三脚を使ってその場でやっちゃうので腰はガクガク。しかしそこまでやっても、当然ながら本の掲載に耐えうる写真はほんの一部にすぎません。
 それでもまだ、あそこもあそこも取材したかったというところは山ほどあります。それこそやろうと思えば延々と古写真収集は続けらるんですが…。実際、樹林舎の当シリーズの「岡崎・西尾」と「碧海」を担当されたオフィスげんぞうさんは、以前から独力でアーカイブ事業をやっておられます。

 そんなわけで老骨にムチ打って作ったこの本、知多半島内で見かけたらぜひ一度ご覧くださいませ。
(まさ)
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