三面モンキー

2017年04月14日
 三猿といえば、下野庚申堂の少し前に行った蒲郡市三谷の八剣神社でも三猿像に遭遇しました。

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 拝殿の東側に、昔の工場みたいなセメント製(?)の巨大な塀があります。最初は、この神社らしからぬ風情の建造物に目を奪われました。

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 で、塀をじっくり観察しようと思って近付いてみると、その端に何やら石造物が。

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 これがなんと三猿なのでした。なんでまたこのような場所に…。

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 よく見ると、見ザル言わザル聞かザルが背中合わせになった一体の像です。しかも塀の幅にピッタリの小ぶりなサイズ。塀とセットで作ったとしか思えません。
 この下のほうに取り付けてあった銘板によると塀の建造は昭和12年で、60人ほどの奉献者の末尾に「石匠 今井元治」という名が見えます。この人が、塀を建てたついでに自作の三猿像を奉納したのでしょうか。
(まさ)
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三河 de 出雲

2017年04月04日
 春夏秋冬叢書「そう」54号連動ボツネタ。豊川よりさらにもうひとつ「子」の付く地名。

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 院之子のすぐ南西、豊川放水路に面した集落、柑子町です。「こうじ」と読みます。どういうつもりでコウジにこの漢字を当てたのか、まったく不明。豊川の郷土誌によると柑子の西に条里制水田があったといいいます。田んぼの形が格子状だったので、それが転じて柑子になった…くらいしか思いつきません。
 この集落の氏神は、東三河では珍しい「出雲神社」。資料によると「三河国造の大祖を祀る社」だったらしい。ここから北西約5kmの国府にある大社神社の起源が「三河国司の大江定基卿が出雲国大社より大国主命を勧請した」ということなので、何か関係があるかもしれません(ないかもしれません)。
 
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 その出雲神社はなかなかのインパクト。折れた標柱が「出雲」の文字だけ見えるようにして地面に差してある!そして鳥居の前には立派な門柱が!
 雲が出づるごとくいろいろ謎が湧き出てくる集落と神社ですが、余力がないので詳しい調査&考察はまたいつか…。

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 ついでに、柑子町付近の堤防から豊川放水路の分流点を久々に見物。水制として川の中に設置された杭が立ち並ぶ様がなかなか味わい深くて…と、ここでも共感を得られなさそうなことを思うのであった。
(まさ)
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プリンス・トヨガワ

2017年04月01日
 共感を得られにくい風景ばかりでもなんなので、院之子の名所なども。

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 この界隈で最大の見ものといえばコレ、霞堤の遺構。霞堤とは、詳しく書くと長くなるので各自検索してください。院之子を囲むこの小ぶりな堤防は実に雰囲気がよくて視界も良好、農村景観を鑑賞するにはもってこい。

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 続いての見ものは、天白社と長光寺。塀を挟んで隣り合い、それぞれの境内に見事なイチョウが聳え立っています。豊川市のイチョウといえば大和の大イチョウ(→●□)が有名ですが、こちらもなかなか。
 えー、院之子の名所は以上です。

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 天白社の片隅にはなぜか腕用ポンプが放置してありました。一部マニアにはこれも見どころかと…。
 ちなみに僕が10年チョイ前に所属していた揖斐川町消防団では、出初式で伝統的な階梯操法(ハシゴに登るヤツ)と腕用ポンプ操法を披露するのが慣例で、僕も腕用ポンプの漕ぎ手をやらされたことがあります。垂直に差し込んだ太い木の棒を何人かでギコギコ漕いで放水するのですが、メチャクチャ重くてなかなか水が出ないうえに操法としては動きが地味すぎ、派手な階梯操法に観衆全員の注目が集中するもんで「コレ、やる意味あるの?」と思ったものでした。
(まさ)
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開設10周年記念三河黒松賞

2017年03月30日
 知らないうちに当ブログが10年を迎えていました。ここ半年ほど多忙と気力減退で更新頻度が落ちているものの、我ながらよくもまあ10年にもわたって共感を得られないようなネタばかりをアップしてきたものです。
 もともとこのブログは、仕事で取材したのに記事に反映できなかったネタをフォローすることを最大の目的として始めました。女性取材記者(嫁)と共同で仕事を受ける時のためテキトーに付けた屋号を名称にしているのですが(※市場を意味するスペイン語のmercadoメルカードが由来。直前のメキシコ旅行の影響)、今やその名義で夫婦一緒に仕事をすることはなく、女性取材記者もここに文章をアップしなくなり、一人で袋小路に入っているような状態に…。

 そんなことはどうでもよくて、春夏秋冬叢書「そう」54号連動ボツネタ。豊川よりもうひとつ「子」の付く地名。



 豊川市東部に院之子町というのがあります。「いんのこ」と読みます。豊川右岸の沖積低地に広がる農村地帯にあり、南を豊川堤防に、北と西を霞堤に囲まれた小集落です。
 とても雅やかな地名なのですが、昭和8年まで「犬ノ子」と書いていました。なかなか強烈です。

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 郷土資料によると「南朝の某院法皇の皇子、龍岳禅師が戦乱の地を避け従者とともに御入来」したのが集落のはじまり。ここから院之子という地名がついたものの、それじゃあまりに恐れ多いというので、院を犬に変えたという。へりくだりすぎでは…。で、昭和8年に旧八名郡下川村から分かれて宝飯郡豊川町に編入した際、犬じゃあんまりだってんで院に戻したと。
 字面もいいし話も面白いし、風景も「東三河を代表する農村美観のひとつ」と言ってもいいほど美しいのですが、地名伝承以上の話を膨らませるのが難しかったので、今回は見送ることになった次第です。
 そんなわたくし好みの美しい院之子の農風景をいくつか。

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 東三河といえばキャベツである。

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 院之子のメインストリートである。

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 霞堤からの眺望である。

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 ハウスの夜景である…って、やはり僕の写真では「東三河を代表する農村美観」という私見は共感が得られそうになく…。
 ちなみに標題は、豊橋競輪でむかし開催されていた三河四市競輪組合営レースのタイトルです(マニアックすぎて共感云々以前の問題)。
(まさ)
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ニニンが三蔵子

2017年03月21日
 春夏秋冬叢書「そう」54号連動ボツネタ。
 豊川には、蔵子によく似た名の「三蔵子(さんぞうご)」という町があります。海軍工廠跡の工場地帯の北東に位置し、三蔵子小学校があるので蔵子よりは知られている地名ではないでしょうか。なお6年ほど前の「そう」30号では、三蔵子小学校の御殿万歳部を取り上げたことがあります。



 蔵子と関係がありそうに思いきや実はぜんぜん無関係のようで、地名の由来は「行基が作った“三尊の霊仏”にちなんで三尊郷と呼ばれていたのが、転じて三蔵子になった」とかなんとか…。

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 語感がいいので当初はこちらを取り上げたいと思っていたのですが、行基作の三尊霊仏がどこにあってどうなったのかまったく分からないし、ありふれた住宅地で写真的にもチョイと難しかったので、今回は見送ることになった次第です。

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 家並が尽きたところから本宮山麓に向かって畑が広がっており、これはこれで味わい深いのだが…。

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 三蔵子には、2008年に拙著「火の見櫓暮情」を作った時点では大小二つのHINOMIがありましたが、大きい方はいつの間にか撤去されておりました。こちらはまだ生き永らえている、三蔵子公民館横の中型半鐘台。秋葉山常夜燈とセットになった意味深い一基。先の広報掲示板や高札型史蹟案内板とともに、ぜひとも後世に残していきたい一品ですネ!←こればっか
 なお標題の元ネタは、70年代後半に放映されていたドリフの西遊記人形劇のエンディングテーマの一節でございます。
(まさ)
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