山里の水路のブルース

2016年12月28日
 上川角では旧橋の親柱が収穫でしたが、大千瀬川を挟んだ下川角のほうでは、山際に伸びる水路に目を奪われました。さんざん共感を得られないネタをアップしているけれど、これはもう最果てでありましょうか。

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 ナイス蛇行!

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 シブい、シブすぎる!
 僕の実家のある揖斐川町の集落にこれと同じような水路がありまして(ウチのほうでは“イスイ”と呼んでいる)、子供の頃から馴染んでいることもあって大小関わらず水路には目がないのである。源流目指して遡ってみたり、木端を流して競走する「船流し」遊びに興じていたので、水路を見るとついどこまで辿っていきたくなります。普通、なるよネ!ならない?

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 自然石の「疎水開削記念碑」も発見。こんなものを作ってしまうほど、開通の喜びはひとしおだったのでしょう。できれば水が流れているところを見てみたい。
(まさ)
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おやおや親柱0004

2016年12月25日
 春夏秋冬叢書「そう」53号連動ボツネタ。
 地名探訪の「角の付く地名」の候補には、気賀四ツ角の他に東栄町の川角(かわかど)も挙がっていました。国道473号沿いの、本郷と浦川のちょうど中間に位置する集落です。



 ご覧のとおり、大千瀬川を挟んで上川角と下川角に分かれています。地名の由来は見たまんま、地形以外のなにものでもなく、特に話が広がらずネタも見つけられなかったので、あえなくボツにした次第。この雑誌でなけりゃ取り上げられることもまずなさそうな集落で(いつもそんなところばかりですが)、雰囲気もよかったので惜しいのだが…。

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 上と下を結ぶ川角橋。昭和59年に架橋された、特にどうということもない橋ですが、すぐ下流に昭和6年架橋の旧橋の土台が残っています。この橋を通るたびに気になっていたものの地味すぎていつもスルーしていたので、この機会に見物することに。

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 現在は導水管の土台として活用されており、取り付け部分のみ欄干が残存。薄汚れた通行止標識と色あせた県の一級河川標識も残っています。何と言うか、じっくり見たところで特にどうということもありませんが…。
 橋のすぐ近くに川角集会所があるのですが、その敷地内に旧橋の親柱が保存されていたのには、今回初めて気が付いた。

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 その並べ方がなんか墓っぽいのであった。

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 ちなみにその川角集会所。この写真のポイントは、やたらとデカい集会所名と(こんなにも存在を主張する集落の公民館も珍しい)、生きている公衆電話ボックス。
(まさ)

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◎マルカドブックス
2冊更新しました。
0282探検家、40歳の事情(角幡唯介)→●□
0283崇徳院を追いかけて(鯨統一郎)→●□
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神社の土台の珍しいヤツ

2016年09月10日
 8月半ば、豊川市の豊川河畔あたりをうろうろしていた際、三上町の三上橋西詰近くでたまたま目に入った蒜生神社にふらふらと立ち寄ってみました。

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 特にどうということもない小さな神社です。
 しかし、普通の神社と比べるとなんか違和感があり、ぞわぞわさせられます。その理由のひとつは狛犬が正面を向いていること。ナゼ?そしてもうひとつは、拝殿の土台の石積みがやけに白っぽいこと。遠州では白っぽい石で組まれた石垣によくお目にかかりますが、三河で遭遇した記憶がありません。
 その土台に近付いてみると、物凄い「作品」でぶったまげた。

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 なんと上段部分の石に彫刻が施されているのである!ここに?ここに彫るか普通!?

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 見事すぎる浮彫である。

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 立体だけでなく線刻も美しすぎる。写真右は「瓢箪から駒」で、瓢箪の口から飛び出た馬が彫られています(クリックで拡大します)。
 題材は縁起物で、桜、松竹梅、岡目、「大学 一」のタイトルが見える書物、巻物に描かれた亀と「寿」の文字、宝珠、桔梗紋(紋か?)、あと自分の教養不足でなんなのかよくわからないものがいろいろで、全部で十数個。

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 いったいどこの誰がこのような名作を作ったのかと思ったらしっかり銘も入ってて、それを見てまたびっくり。「明治十九年 知多郡新知村 石工 竹内十助 同常吉」とあります。
 新知は今の知多市で、名鉄朝倉駅から古見駅のあたり。岡崎ならわかるが、なぜわざわざ知多の石工が?そもそも東三河内陸部と知多は繋がりがかなり薄い実感があり、二つの地域が関連する話題が思いつきません。
 近所の人から情報を得たいところでしたが、夏の盛りの昼下がりということもあって誰も見当たらず。とりあえずネットでは何も引っ掛からなかったし、ここはひとつ東三河でも知多でも仕事をしているわたくしが、そのうち両方で突っ込んだ調査をしてみようと思いますので請うご期待(誰が期待を?)。
(まさ)
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青、赤、黄

2016年09月08日
 気賀から天浜線で来た道を引き返し、豊橋へ戻ってきたらまだ15時すぎ。そのまま名鉄で帰りたがる5歳児を「カキ氷食べさせてやっから」となだめすかして、トリエンナーレ豊橋会場へなんとか行くことができました。
 岡崎もそうでしたが、この現代アートイベントの楽しみの一つは、普段は入れない、もしくは入ろうと思わない昭和の地味ビルの内部を、心置きなく観察できることです。会場のひとつが近年メジャー物件化した水上ビルというのがまた嬉しい。牟呂用水の暗渠上に昭和40年に建設されたビル群で、正式名称は「大豊水上ビル」。

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 6月に開催された「雨の日商店街」に友人が出店していたこともあり、一階の店舗部分はちょくちょく見物しているのですが、ブラジル人芸術家ラウラ・リマという方が二階以上の居住部分にも作品を展開しているというので、これだけは見逃せない。作品は、ビルの縦1ブロックを鳥籠にするというもの。

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 中に入ると、階段も通路も各部屋もけっこう狭い。へぇ~、こんなふうになってたんだ~。通路部分の青い床と、畳敷きの取り合わせがまたなんとも味わい深い。
 探検的な雰囲気に5歳児のテンションも上がっておりました。というか、カキ氷を食べたばかりなので…。

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 へぇ~、屋上もあるんだ~。実に新鮮な眺め。向かいに建っているようなマンションからではなく、老朽化したコンクリ越しというのがいいのです。

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 続いてもう一つの主会場、駅前大通に面した開発ビル。昭和47年の建築で、正面全体を覆うまるで防具のような出窓と、屋上に飛び出した角が印象的…というか、隣の名豊ビルと向かいの旧丸栄が外観的にも利用価値的にもインパクトが強すぎて、どうにも中途半端な印象が拭えないビルです。
 ここは階段が強烈だった。
 
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 床が赤、壁が黄のツートンなのである!

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 そして消火栓ボックスが黄で文字が赤!キレンジャーか!これ自体がほぼアート。いや、作った人がアート的な意識でデザインしたんじゃないかと思いますが。
(まさ)
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新三大・豊橋の昭和なビル

2016年07月26日
 ほの国百貨店と名豊ビル前の昭和な地下道を出したので、ついでにそれらの建物もアップしておきます。年号等の出典は豊橋百科事典(豊橋市・2006年)。

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 名豊ビルである。昭和43年建設。名古屋の「名鉄バスターミナルビル」(名鉄名古屋駅上の、グランドホテルとかメルサが入ってるやつ)と同じデザイン。
 このビルの思い出と言えば、むかしこの中にデカいパフェを出す店があって、大学時代にサークルの連中と食べに行った覚えがあります。もしかしたら右隣りの開発ビルだったかもしれません。

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 現ほの国百貨店、旧豊橋丸栄ビルである。昭和49年建設。外壁がクール!
 このビルの思い出と言えば、大学の体育の授業で水泳があるというので友人と水着を買いに来た覚えがあります。スポーツ用品店もあったろうに、我ながらなんでまたこんなところで買おうと思ったのか謎。

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 そして標題のように「豊橋三大昭和ビル」ということで、水上ビル(正式名称は「大豊水上ビル」らしい)である。昭和40年建設。ここは媒体にちょくちょく出たり、最近は「雨の日商店街」というイベントもやってるし、今やもうすっかりメジャー物件ですね。思い出は…特にない。

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 あと、先の駅前大通りの地下道は昭和44年に開通したようです(地下駐車場の開業がその年なので多分同時に)。当時のものかどうか不明ですが、地下道にはこんなポップな陶壁も。
(まさ)
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