さきほど、電気グルーヴのピエール瀧が出演しているBS朝日の「歴史発見 城下町へ行こう!」という番組を見ていたら、何年か前に取材でお世話になった岡崎の歴史研究者、市橋先生が出てきて驚いた。ピエール瀧が真面目な顔して歴史紀行番組に出ているという状況だけでもヘンなのに、あのピエール瀧と知ってる人が絡んでるなんて、不思議すぎて笑った。いや、内容じたいは興味深くて面白かったんですけど。
そんなお二人が関ヶ原や岡崎城を回って歴史談義をしておられたのですが、岡崎城といえば以前、城内の一隅にこんな碑を見つけて頭に?が浮かんだことを思い出した。
(2009.10.22撮影)
その名も「アラモの碑」だ!アラモ??
案内板によると、これは岡崎出身の地理学者、志賀重昂(しがしげたか)が大正時代に建立したもの。志賀重昂は「日本ライン」や「恵那峡」の命名者として知られる人物で、りぶらB1Fの郷土の偉人コーナーでも紹介されています。
で、何の碑かというと、案内文の説明は以下のとおり。
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志賀重昂氏は、テキサス独立戦争アラモの戦いと日本の三州長篠城の戦いがよく似ていることに深い関心を寄せられました。アラモの砦から援兵を求め友軍の下に走った青年ボナムと長篠城を脱出し、岡崎城の家康公に危急を知らせた鳥居強右衛門の両者の「深い使命感に東西の別はない」と感動し建碑を思い立ち、岡崎の石と長篠の石を使って、自作の漢詩を彫刻し、大正3年(1914)にサンアントニオ州アラモ砦史跡の一角に記念碑を建立されました。また、岡崎に、ここ岡崎公園の地にもアラモの碑を建立されたものです。(原文ママ)
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両者が似ているのはいいとして、テンション上がってアメリカにも碑を作った!?名古屋の石造物寄進王、伊藤萬蔵(→
●□)を彷彿させますなあ。
いちおう背景として、海外情勢の視察・研究歴も豊富な志賀重昂は国粋主義者ながら外国の見習うべき点も評価し論じていたこと、世界各国でで排日の動きが激しい時期だったので在住邦人への友好アシストの意味もあった(かもしれない)ということがありますが、しかし「長篠の石」でアメリカに建碑て、突飛にもほどがある。
以前、春夏秋冬叢書の季刊誌「そう」で飯田線鳥居駅の由来を調べていたとき(→
●□/
●□)、これに関する志賀重昂の講演が「鳳来町誌 長篠の戦い編」に掲載されているのを見つけました。大正14年に鳥居駅近くで開催された「鳥居強右衛門350年祭」にゲストとして招かれ、「米国の鳥居強右衛門 附・日本人は何故世界到る所に排斥せらるゝや」というタイトルで喋ったものです。
そこでは、「日本人は自己をあまりに卑下しすぎ」「私は米国人はきらいだ」などと、現代日本でも聞くようなフレーズで聴衆の溜飲を下げつつ、建碑に際してはアメリカ側がいろいろ便宜を図ってくれたので関税も輸送費もかからなかったとか、日本人が彼の地へいくと地元の米国人は必ずそこへ案内してくれるとか、友好的な面もあることを強調しています。「そうなると排日運動というのは、される側(日本人)の問題ではないか。一番よくないのは日本の教育だ!忠孝だけを教えて人類に貢献することは少しも教えとらん!」というふうに持論を展開しており、なかなか痛快。
近頃、ヘイトスピーチが東京の一部地域で問題になっているようですが、そういう事をやってる恥ずかしい人は、国粋主義の先人である志賀重昂を学んではいかがか。
それはさておき、この碑はまだアラモ砦史跡にあるらしいので、右の人ではないけど三河マニアである私としてはいつか見に行ってみたいものです。
(まさ)
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コメント
nao
2013/06/11 URL 編集
まさ
市橋さん、確かに声はいいですね~。
2013/06/11 URL 編集