あやかしの隣人

2016年08月28日
 翌15日は南知多町豊浜の「須佐踊り」へ、来年取材するかもしれないのでそのためのプレ取材に行きました(ただの見物)。須佐は豊浜の旧名。踊りは江戸時代中期の元禄期創始といわれ、豊浜の東、西、中洲の三ヶ所で行われています。

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 一般的な盆踊りとは全く異なり、会場に響くのは生歌と太鼓だけで、曲はスローテンポのものが一つだけ。それを、数人の歌い手が交代しながら延々歌い継ぎ、踊り手たちも延々踊り続けます。僕が聴いていた限りでは曲の切れ目はなく、数時間にわたりループ状態。見ているだけで緩いトランスに陥り、たいへん情緒があります。
 歴史もあり雰囲気も素晴らしいのに文化財としては町指定にとどまり、地元もこの行事を宣伝しているようには見えないのが不思議です。
 まず、豊浜交差点すぐ南の豊浜西部の踊りを小一時間見物し、それから豊浜さかな広場近くの豊浜東部へ。 西も東も(あとで見に行った中洲も)、歌と踊りは傍から見ている分には差異はない感じです。
 ところが東部では、9時をすぎると風情ある雰囲気が一変。

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 奇妙な姿の物の怪たちが踊りの輪に続々と加わってきたのである!ここでも曲は途切れることなく、物の怪と言えどもゆったりした踊り方は同じ。恐ろしくシュールな光景に唖然、そして爆笑!まさしく亡者はクレイジー、電気グルーヴ「モノノケダンス」PVの実写版だ!
 地元の人に聞くと、恒例の仮装大会とのことでした。なるほど、こりゃ県クラス以上の文化財に指定している場合ではない。外向けに宣伝していないのは、おそらく7月の鯛まつり(→●□)に観光PRのすべてを傾注し、須佐おどりのほうは「観光客は呼ばずに地元だけで楽しもうゼ」ということではないかと推察されます。いやホント、楽しそう。

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 ところで、地元の人たちは、送り火の一種らしきことをしてから踊りに臨みます。
 西には二か所に祭壇が設けられており(二つの集落がある関係か)、うちひとつは喧騒から少し離れた船溜まり前に設えられた祭壇にお参り。実に漁師町らしい。

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 もうひとつの祭壇は踊り会場前。線香を立て、阿弥陀さんと「三界萬霊」の位牌に水を掛けて手を合わせます。ふたつとも、ラジカセから坊さんの読経テープがずーっと流れてて、踊りとはまた違った味わい深さ。

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 いっぽう東では、会場わきの水路のほとりで家族ごとに火を焚いておりました。
(まさ)

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◎マルカドブックス
6冊更新しました。

0253ニック・メイソンの第二の人生(スティーブ・ハミルトン)→●□
0254日本はなぜ、「戦争ができる国」になったのか(矢部宏治)→●□
0256日本会議 戦前回帰への情念(山崎雅弘)→●□
0257旅人の表現術(角幡唯介)→●□
0258親なるもの 断崖(曽根富美子)→●□
0259おそ松さん(シタラマサコ)→●□
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知多雑 | Comments(1) | Trackback(0)

ある東西問題

2016年08月27日
 矢作南のあと、北へ3キロちょいのところに位置する東大友町の盆踊りへ。

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 こちらは大規模な矢作南とは違って町内の盆踊り大会で、こじんまりとしています。当地に民謡の作詞作曲家として有名な方がおられ、その方が昨年発表された「岡崎まつり音頭」も披露されておりました。
 会場は県道26号の一本東の通り沿いにある神明社。小さな村の氏神さんの境内で盆踊りを開催するのは意外に珍しいのではないか(公園や公民館駐車場での盆踊りが多い気がする)。雰囲気の味わい深さも倍加しております。
 小さい神社ながら由緒はなかなかのもの。壬申の乱で敗れた大友皇子は、自害したと見せかけてこの地に逃れ、村人は皇子のために館を建ててここに住まい、皇子は天照大神を祀る祠を建てた。その祠がこの神明社のルーツで地名も皇子が由来…という社伝が境内の案内板に記されています。没後、皇子を祀る大友神社も近くに創建されたとか。

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 神明社から少し南に行くと、住宅地の一隅に「大友皇子御陵」という碑もあります。大友神社は明治41年に神明社に合祀されましたが、この碑はその大友神社跡地に建てられていたものを、宅地か農地の造成に際して移設したらしい。

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 いっぽう、東大友町に隣接する西大友町には、大友天神社という神社があります。こちらの社伝では、大友皇子は没後、小針(西大友の北西)に葬られ、皇子の従者の長谷部信次が皇子を弔うためにこの神社を創建したという。皇子の墓は小針にある古墳群のひとつと伝わり、大友天神社の秋の例大祭に先だって代表者がそちらにも参拝するそうな。
 角川地名辞典によると、江戸時代の初期には既に大友は東西に分かれていました。もしかして東西分断は、大友皇子伝説の本流論争が遠因か!?

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 ちなみに東西のほぼ境界にある郵便局は、東西統合が実現した局名になっております。
(まさ)
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BON ダンサーズ & HINOMI

2016年08月23日
 14日はいちおう取材で、岡崎市西部の矢作南小学校で開催された「矢作南学区夏祭り」に行ってきました。
 内容は、バザー+地元のダンスチームによるショー+盆踊り。地域の盆踊り行事を、エリアを広げて大々的にやるというイベントで、人口が多いのでもうたいへんな人。
 
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 YOSAKOI的な踊りの向こうに、例によってHINOMIが!

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 盆踊りの舞台の向こうに、例によってHINOMIが!
 矢作南小学校の東側のJA敷地内に、岡崎市内でもっとも立派な火の見櫓がそびえており、このようなマニア垂涎の写真が撮れるという、おいしい取材なのでした。

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 おまけに、来場者の誘導・安全のため校門を強力なライトで照らしており、おかげで校門脇でライトアップされる金次郎&HINOMIのツーショットまで。この学校の先代金次郎はこちら→●□
(まさ)
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O・S・O

2016年08月22日
 盆前に友人家族とキャンプしてきました。場所は常滑市の大曽公園というところ。どこかといいますと、知多半島道路の半田インターからおよそ5分、知多半島の丘陵地のど真ん中になります。
 公園といっても野球場・競技場・テニスコート・プールなどを集めた「運動公園」で、その片隅に「まァ予算もあるしついにで作っとく?」てな感じで造成されたんじゃないかという風情です。昔の常滑市は陶業と競艇で財政が豊かだったから。
 しかもその時代の名残りなのか、一泊一張り100円という平成20年代後半とは思えない価格設定。すごいぞ常滑。

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 この晩の客はわれわれ二家族とバイクツーリングの一人だけ。広い敷地をほぼ独占できました。環境は思った以上によく、半島脊梁部らしく自然が豊か。ただし、樹木の向こうに民家が何軒かあり、朝は何人かの住民が雑木林の隙間から園内に入り犬と散歩してござった。のどかだ…。

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 キャンプサイトは快適なのですが、周辺設備が謎というか味わい深いというか…。
 芝生敷きのキャンプエリアの上段にアスファルト敷きの広場が二つありました。ラジオ体操や集会用のスペース?あるいはゴーカート広場とか?
 広場のひとつは三角形で、その中央にオブジェが。「大きな青い花/杉本準一郎」の銘板あり。wikiで検索したところ、常滑高校に勤務していた滋賀県出身の彫刻家という。

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 それから、廃止された交通遊園?的な施設が草に埋もれておりました。

 蛇足ですが、とある取材で聞いた常滑の公園ネタ。大曽公園から南へ2キロほどのところにある桧原公園は、当初は「陶芸村」にする計画だったそうな。陶芸作家をここに集めようという構想だったのだが、不便な場所なので頓挫したとか…。
(まさ)
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ユニチカ岡崎工場専用線の今昔

2016年08月16日
 トリエンナーレに行く前にサーティワンアイスクリームに寄るべく下車した北岡崎駅は、駅前の道は時々通るけれど下車するのはたぶん国鉄岡多線時代以来約30年ぶりと思います。

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 ホームも改札まわりも国鉄の匂いを感じさせます。どこが?と言われると、ベンチとか建材とか便所とかですかね…。
 地方都市の郊外と市街地の境目に位置する地味な地区の地味な高架駅の味わいがわかるようになったとき、息子よ、君も大人になったと認めよう。しかし、そんな大人にはならなくていいです。

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 外に出ると、かつてこの駅から分岐していたユニチカ専用線の高架橋の残骸がありました。
 実は一か月ほど前、たまたまユニチカ専用線廃線跡のそばを車で通りがかって工場付近を撮影しております。

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 いかにも廃線跡な感じでカーブを描く路盤の跡と、工場入口の川に架かっていた橋梁の跡が残存しています。周辺の地味な景観に溶け込み、なんとも地味、としか言いようがない。

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 しかし工場は配管剥き出しで、工場マニアならずともアガります。
 ここまでは前振り。わたくし、大学時代にこの界隈を自転車で徘徊した際、専用線を走る貨物列車にたまたま遭遇してたまたま撮影しておりました。以下、その時の写真。

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(1993.10.20撮影。以下同じ)

 愛環と並走する築堤区間を走る貨物列車。

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 橋の手前にはなんと人力で操作する踏切が!手動踏切の操作風景なんて後にも先にもここでしか見たことがない。

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 そして工場内に吸い込まれていった貨物列車。ホームと上屋、それに小型の黄色い機関車も見えます。
 いつかどこかで自慢しようと思っていたのだが、23年の時を経てようやく機会が訪れた。あースッキリ。
(まさ)
西三河雑 | Comments(4) | Trackback(0)
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