タウンサインの研究0069

2016年09月23日
 その小金井で遭遇したストリート名称サインをいくつか。画像クリックで拡大してご覧ください。

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 武蔵小金井駅北側の「Musako1番街」。一瞬意味が分からなかったが、ムサコ=ムサシコガネイの略らしい。地元だけでしか通用しない略称に出会うと「知らない町を旅してるなぁ~」という感慨が沸き上がる…のは僕だけ?

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 同じく駅北口の「仲通り商店街」。昔の色街の香りがする飲み屋街。フラッグに記された「ふれあい横丁」という文言と書体が、なんというかダサホッコリという感じで町の雰囲気に合っており、好感が持てます。

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 そして通りの突き当りには、ふれあいの場が。

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 駅南口に行くと、FC東京のフラッグがずらりと並ぶ「農工大通り」が。地元のランドマーク的な学校・工場が入った商店街名に出会うと「知らない町を旅してるなぁ~」という感慨が沸き上がる…のは僕だけ?
 それにしても小金井は新しいストリートサインばかりで、マニアにはいささか食い足りません。と思っていたら小金井を去る間際、南口から東に伸びる細い通りの奥に良品に遭遇。

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 アーチ状に配されたネオンが昭和的な「ジャノメ通り」。この先にかつてジャノメミシンの工場があったという話。
(まさ) 
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樹木シティ

2016年09月22日
 春夏秋冬叢書「そう」52号連動ネタ。
 自主企画の「三遠南信産××育」では、廃れつつあった豊橋名産の帆前掛けを「発見」し、復興への道筋を付けた東京の服飾プロデュース・製造会社「有限会社エニシング」を取材させてもらいました。

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 帆前掛けとは、昭和の商人が腰に巻いているイメージがある、これです。シブい!詳しくは本誌をご覧ください。
 エニシング社長のNさんは頻繁に豊橋に来られており、こっちで取材を済ませることもできるのですが、そもそもこの企画は「三遠南信とつながりのある遠隔地に行く(取材の名目で大手を振って遠くへ行く)」ことがテーマ。なので、ほの国百貨店で開催されたイベントで取材を依頼し、後日改めて東京にある会社を訪ねました。

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 東京といっても23区ではなく、中央線沿線の武蔵小金井です。ここは初めて。

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 会社を訪ねる前に駅前界隈を少しウロウロしてみたのですが、目抜き通りにマンションが立ち並び、いまひとつ興をそそらない風情です。大東京のベッドタウンだしこんなもんか、と思いつつ駅から2キロほど離れた住宅地にある会社に向うと、雰囲気が一変して驚いた。

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 住宅エリアは緑が異様なほど多いのである!
 自然木を生かしたのか後から植樹したのかはわかりませんが、どの民家の庭にも必ずと言っていいほど木が植わっています。ここまで庭木が多い町も珍しいのではないでしょうか。とりあえず東海地方では、ここと似た風情の町は思い浮かびません。
 単に「閑静」というだけでなく、そこはかとなく漂う「豊かさ」と「ゆとり」。これまでまったくイメージが湧かなかったけれど、これが武蔵野なのか。
(まさ)

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カンバンの手帖ブログ版0339

2016年09月21日
 春夏秋冬叢書「そう」52号連動ネタで、前回の続き。
 県道岡崎足助線沿いの石楠町大楠で、このようなものを発見。

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 自然散歩道モデルコース案内板です。石楠町を横断して坂上町に抜けるルートを設定し「山峡の道」と名付けたもの。
 昭和40年代後半~50年代前半に、東海自然歩道(昭和49年設定)の影響か国の健康増進施策の影響か何かで、各地の自治体で自然散策路設置のブームがあったらしく、これもその一環…と思われます。同じ体裁の案内板を市街地の挙母神社境内でも見たことがあり、旧豊田市のあちこちに設置されたのでしょう。憶測で書いていますが、図書館や市役所に調べに行くほどのネタでもないので…。
 地図の等高線がはっきり描かれ、地形がよく分かるのがいいですね。判読困難の文章は以下のとおり。

山峡の道 石楠町~坂上町 4.0km
 名木の巨木群が生い茂る大楠神明社から、大楠川に沿って山峡の道を進み、所石津嶋神社の幽玄な名木を拝み、天下峰の巨岩■■■■■■■、■■■■■■■■■、■■■■■なコース


 もう後半は面倒くさいのであった。

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 自然散歩道は自然消滅したようですが、これとは別に「石楠自治区ウォーキングコース」の案内板がありました。昨年設置された新しいもの。
 地域住民向けらしく、自然探索よりも正確でキリのいい距離を示すことに主眼が置かれているようです。町域の中央に建つ「道路改修記念碑」というマニアックな石碑が基準点になっています。

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 その道路改修記念碑は昭和23年の建立。まっすぐで狭い急坂を、車馬が通行できるようつづら折れの道(現在の車道)を開いた…ということではないかと思いますが、苔にびっしり覆われており碑文の解読は困難。写真の左に見えるのが記念碑、写真右半分の草むらが旧道。

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 あと、一枚目の写真でコースの終点にあたる坂上町には、古びた松平観光自然歩道案内板が残置してありました。ふたつの遊歩道がちょうど接続する地点で、歩き継げということか。
(まさ)

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◎マルカドブックス
7冊更新しました。

0260 さよなら、シリアルキラー(バリー・ライガ)→●□
0261 天白紀行(山田宗睦)→●□
0262 飯田・上飯田の歴史 下(飯田市教育委員会)→●□
番外 豊橋市の今昔(樹林舎)→●□
0263 一九八四年(ジョージ・オーウェル)→●□
0264 ハイ・ライズ(J・G・バラード)→●□
0265 キッドのもと(浅草キッド)→●□
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大石楠ノスケ

2016年09月17日
 春夏秋冬叢書「そう」52号が発売されております。今号のキーワードは「食」。私は例によって地名探訪と三遠南信産××育を、女性取材記者(まり)は行事食(涅槃団子)、食紅(御津の「どんぎ」という祭礼行事)をやっております。
 さて地名探訪。食の付く地名は全国的に見ても大変少なく、パッと思い浮かぶのは千葉県の安食(あじき)、岐南町の印食(いんじき)、高知県の和食(わじき)くらいでしょうか。創刊号以来の企画もいよいよここまでか…と思ったら、豊田市石楠町(せきなんちょう)に「小食沢連(こじきぞうれ)」という小字があって驚いた。おかげで37号の「冬」地名のピンチに続いて(→●□)こちらも乗り切れました。三遠南信には地名の神がいる…。
 それはさておき、小食沢連の前にそもそも石楠町がどこなんだ?というマイナー地名ですが、松平地区の北部になります。



 石楠は「大楠」と「所石」の合成地名で、県道沿いの神社周辺から、巴川の支流をのぼり「上切」と記されたあたりまでが大楠、その奥が所石です(地理院地図からはなぜか大楠の名が抜け落ちています)。
 とりあえず順番に辿ってみますと…。

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 県道岡崎足助線沿いの大楠である。名鉄バスの大楠バス停付近。

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 地図の「上切」あたりである。地域バス・松平ともえ号の停留所名は「石楠中」。

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 そして最奥の所石である。いやー、シブい。
 地形的にはたいして険しくはないんだけれど全体的に奥地感が漂っており、西三河の中山間地小集落の典型といったところです。
 このうち小食沢連は二枚目の「上切」あたりの小字で、マピオンの小縮尺でないと標示されません。写真のように地味なところですが、民家の周りに小屋ほどの大きさの巨石がいくつか転がっており、なかなか面白い風情です。
 マピオンで確認すると、集落の上に通じる林道沿いも字小食沢連だったので、念のため林道沿いも見に行ってみたところ、道路沿いの急斜面の木立の中にまるで山崩れでもあったかのように無数の巨石が剥き出しでゴロゴロしており、あまりの奇観にぶったまげた。

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 ゴローン。

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 ドドーン。て、この写真じゃたまげるような感じでは全然ありませんが…。木が生えすぎ&石がデカすぎで、どうやっても無数の巨石がゴロゴロ感のある写真が撮れないのであった。
 散策路でもできれば名所化間違いなしと思えるほどでしたが、アクセスは悪いし、斜面が急すぎて危険だし、整備されることはないでしょう。ただ、こんなところでも一部の好事家には知られているようで、地元の人の話ではボルダリングに来る人がたまにいるらしい。その登岩家が忘れていったと思われる軍手が一組、巨石の上に残っておりました。
(まさ)

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神社の土台の珍しいヤツ

2016年09月10日
 8月半ば、豊川市の豊川河畔あたりをうろうろしていた際、三上町の三上橋西詰近くでたまたま目に入った蒜生神社にふらふらと立ち寄ってみました。

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 特にどうということもない小さな神社です。
 しかし、普通の神社と比べるとなんか違和感があり、ぞわぞわさせられます。その理由のひとつは狛犬が正面を向いていること。ナゼ?そしてもうひとつは、拝殿の土台の石積みがやけに白っぽいこと。遠州では白っぽい石で組まれた石垣によくお目にかかりますが、三河で遭遇した記憶がありません。
 その土台に近付いてみると、物凄い「作品」でぶったまげた。

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 なんと上段部分の石に彫刻が施されているのである!ここに?ここに彫るか普通!?

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 見事すぎる浮彫である。

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 立体だけでなく線刻も美しすぎる。写真右は「瓢箪から駒」で、瓢箪の口から飛び出た馬が彫られています(クリックで拡大します)。
 題材は縁起物で、桜、松竹梅、岡目、「大学 一」のタイトルが見える書物、巻物に描かれた亀と「寿」の文字、宝珠、桔梗紋(紋か?)、あと自分の教養不足でなんなのかよくわからないものがいろいろで、全部で十数個。

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 いったいどこの誰がこのような名作を作ったのかと思ったらしっかり銘も入ってて、それを見てまたびっくり。「明治十九年 知多郡新知村 石工 竹内十助 同常吉」とあります。
 新知は今の知多市で、名鉄朝倉駅から古見駅のあたり。岡崎ならわかるが、なぜわざわざ知多の石工が?そもそも東三河内陸部と知多は繋がりがかなり薄い実感があり、二つの地域が関連する話題が思いつきません。
 近所の人から情報を得たいところでしたが、夏の盛りの昼下がりということもあって誰も見当たらず。とりあえずネットでは何も引っ掛からなかったし、ここはひとつ東三河でも知多でも仕事をしているわたくしが、そのうち両方で突っ込んだ調査をしてみようと思いますので請うご期待(誰が期待を?)。
(まさ)
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