なつのおやこたんけんたい0002

2017年09月23日
 春夏秋冬叢書「そう」56号連動ネタ。
 地名探訪で取り上げた設楽町三都橋の小字「無知押(むちおし)」は、文章が女性取材記者、写真はわたくしが担当し、チョー久々に夫婦合作となりました。いやはや、ドーモ…。
 無知押の場所は、国道420号の折立の三差路(赤沢弁財天の霊泉のところ)から県道365号に入り、旧三都橋小学校をすぎたところにある行戸集落の上の、山の中になります。



 事前に設楽町史を参照したところ、どうやら昔は一軒だけ家があり、子授けと安産に御利益のある「無知押坊主」なる祠があったらしい。上の地形図で十字のアイコンのところ、オレンジ色の小さい四角が無知押の一軒家の跡なのですが、今も道が通じているのか非常に怪しい感じです。
 しかし、一度下見にいったとき行戸で出会ったお婆さんに聞くと「もう何十年も行ったことないけど、道はまだあるはずだぞん」と言うではでないですか。

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 ならば行くしかないってんで、後日、家族そろって無知押を目指すことにしました。
 なんでまたこんなところに6歳児を付き合わせたかというと、過疎地の現状を体感させ、かつ男の子らしい冒険心を養おうという教育方針によるものである。…ということでは全然なくて、前の晩に友人家族らと裏谷の「きららの里」のコテージに泊まり、午後3時ごろまで奥三河で遊んで解散した帰りだったからです。せっかく設楽の山奥に来てるんだし、出直すとガソリン代もかかるんで…。

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 県道365号沿いに立つカンバンの左側から山道に突入。すぐに道は険しくなりますが、6歳児はときどきすべり落ちそうになりながらも果敢に進んでいきます。冒険心を刺激されるのか、意外なほど楽しそう。
 距離は大したことないのですが、けっこう急な斜面と子供の足ということで30分くらいかかって、ようやく無知押に到着。

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 そこで我々一家が目にしたのは、落石で無残にも破壊された「無知押坊主」の跡でした。大人なら一瞬ぎょっとする光景ですが、6歳児はまったく動じず。

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 そして、昭和44年まで人が住んでいたという廃屋にも6歳児は興味津々で、遺物を探したりスマホで写真撮ったり存分に楽しんだのでした。この両親にしてこの子あり。
(まさ)

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ちなみに、無知押へのアクセスルートは二つあり、今日紹介したのは青ルートです。

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ノーマウス、ノーヘアー、ノーヒップ

2017年09月22日
 春夏秋冬叢書「そう」56号連動ネタ。宝飯エリアで撮影した無地名をまとめて。これといって話が広がらないところばかりで…。
 まずは蒲郡市拾石町の口無シ。



 主に田んぼと拾石川しかありません。ところが現地へ行ってみると、名鉄蒲郡線の北側の堤防に美しい桜並木が!

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 しかし、秋に発刊される雑誌に桜の写真は載せられないのであった…。



 続きまして、蒲郡市三谷町の毛無。インパクトのある地名ですが、主に畑と溜め池しかありません。

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 ところが現地に行ってみると以外にもいい雰囲気。三谷の町から1キロほど離れた高台に位置し、見ようによっては高原の避暑地にも思えなくもない。本宿と蒲郡を結ぶ鉢地坂トンネルの道を「新箱根」と呼んだのに対抗して、ここを「新芦ノ湖」と呼んでリゾート開発しようという動きもあった…という話はないです。

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 南向きの眺めもなかなかよいのであった。
 あともうひとつ、豊川市為当町の尻無。ここは三河の無地名では非常に珍しい例で、人家が建て込んでいます。



 ここで凄いのは、Mapionに記されている黄色のラインの県道373号金野豊川線→●□

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 非常に狭い道で、なんと音羽川の橋から為当町交差点まで普通車での通り抜けは不可能!僕は軽自動車でムリヤリ突破しましたが、それでもミラーを折り畳んでギリギリ。こんな県道なのに通行不能を示す標識や案内はナシ。精度の低い昔のカーナビだと誘導しそうで怖い。
 尻無に興味を覚えて行ってみようと思われた奇特な方は、お気を付けください。
(まさ)
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何も無い所にあるもの

2017年09月21日
 春夏秋冬叢書「そう」56号連動ネタ。
 旧渥美町には無縁堂のほかにもうひとつ無地名で、和地町に「大無所(おおむしょ)」という小字があります。場所は集落の北東外れ。和地と福江を結ぶ県道420号沿いのごく狭い範囲を示す地名です。



 地元民以外はどこだかさっぱりわからないと思います。まあ、三河で無の付く地名はそんなところばかりですが…。

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 人家は一軒もなく、あるのは山の麓の畑だけ。文字どおり「おお!何も無い所!」という感じ。何も無いからこんな地名が付いたのかと一瞬思わせます。
 が、実のところ由来は不明。記事でも少し触れましたがムショ/ムショウ/ムシュウ地名は全国に分布しており、渥美半島には神戸に大無生(おおむしょう)があり、本誌のエリア外ですが磐田市(旧豊岡村)には虫生(むしう)があります。「ムショ」は墓を意味するとも言われ、また「ムシ=毟る(むしる)から崩壊した場所か?」と説明する地名辞典もありますが、現地へ行ってもそれらの説はいまひとつピンときません。
 たぶんまだ誰も本当の意味を解明していないと思われるので、ヒマで何もすることがない人は全国のムショ系地名を巡って謎の解明に挑戦してみてはいかがでしょうか(投げやり)。

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 何も無いとか言いながらも何かしらはあるもんで、大無所では県道に架かるこの立派な(?)橋が目に留まりました。昭和5年架橋の鉄砲橋。

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 簡素ながらも親柱や欄干のデザインが凝っているコンクリ橋です。たいして交通量が多くない県道にこんな重厚な造りの橋があるとは、この道がかつて「表裏連絡道路」としてそれなりに重要視されていたことの証明かもしれません。なお、表裏連絡道路とは表浜と裏浜をつなぐ道の意味で、今思い付きました。

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 大無所に隣接する字上大道にある三島神社もなかなかの味わい。拝殿の前に低い石垣と門が設けられています。詳しいことは調べていませんが古い形態に思えます。こういう神社もそんなにないのでは。

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 あと、参道に置かれたカウンター付き百度石。お百度参りをするとき、枠の中の玉を使って何回参ったか数えるもの。これはちょくちょく見かけます。

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 で、三島神社の門前には電話ボックスが。いつ、誰が利用するんだ!
(まさ)

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無縁堂の無縁者さん

2017年09月19日
 春夏秋冬叢書「そう」56号が発売中です。今号のキーワードは「無」。私は例によって「地名探訪」「三遠南信産××育」をやっております。
 今号の地名探訪は無の付く小字がやたらと多いため、拡大版になっています。オーソドックスに地名の由来を現地に行って考察する「無之地」のほかに、調べてみたら意外に話題が広がった「無縁堂(田原)」と「無知押(設楽)」の三本立て。このうち無知押は、文章が女性取材記者(まり)で写真がわたくしという、何年かぶりの夫婦合作に…。
 さて、数ある三河の無地名の中でもっとも強烈だったのが、田原市中山町の小字、無縁堂。何がすごいかというと、この小字には墓しかないのである!



 中山の村はずれの、畑の中に区切られた狭い一角が字無縁堂になります。航空写真でもご覧ください。

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 無縁堂というくらいだから、最初は無縁仏を祀る場所かと思っていたら、中山地区の共同墓地でした。

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 周囲にはキャベツ畑や菊のハウスが広がっており、実に旧渥美町らしい景観です。これまでも地域性に富んだ好ロケーションの墓地景観をいくつも見てきましたが、渥美半島においてはここが最たるところではないでしょうか(オオゲサ)。
 本誌に記したとおり地名の由来は不明なのですが、ここに先祖代々の墓がある中山在住の知人によると、昔からこの墓地にいくつかある無縁仏の墓を「無縁者さん」と呼んで、何軒かが分担して世話をしているそうな。本誌には載せられなかったその無縁者さんの墓のひとつがこちら。

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 コンクリートブロックで囲った区画がなかなかの味わいですが、どれも墓石一基につき水と花が手向けられ、手厚く祀られています。話を聞いた方によると、墓参の際には必ず自家の墓と無縁者さんの墓に手を合わせていくといい、「あまりに当たり前にやっていることなので、無縁者さんのことを深く考えたことはなかった」とのこと。この方の家は村を開いた一族の末裔にあたるそうで、おそらく何世代も前から受け継がれている風習なのでしょう。

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 中山の写真が墓地だけではなんですので、無縁堂から徒歩1分のところにある神明社の写真でも…。
(まさ)

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さらば浜名湖観光汽船乗船場

2017年09月18日
 先日、嫁の取材兼家族レジャーで浜名湖に行きまして、取材の絡みもあって久し振りに鷲津駅裏の「浜名湖観光汽船」の乗り場跡を見に行ってみたところ、更地になってて唖然。

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 以前ここには観光汽船の待合所を転用した老人会館がありました。浜名湖観光汽船は鷲津から湖岸の集落に寄りつつ三ヶ日および気賀に通じる航路を運航していた会社で、現在の「浜名湖遊覧船」の前身になります(解散し浜名湖遊覧船に統合されたのは昭和52年)。

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(2006.01.15)

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「鷲津港乗船口」
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「レストランわしづ/出口」
(2004.11.21、二枚とも)

 こういう貴重なカンバンも残っていました。しかるべきところに保管されているといいのですが…。

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 桟橋はかろうじて残っていますが、今やいつ崩落・水没してもおかしくない危険な状態なので、登録文化財にして保存整備・活用されることを願いたいところ…て、ありえない話ですけれど。そういえば平成16年の浜名湖花博の時に、鷲津港を復活して鷲津~会場間航路を運航しようというドリーミーな話もありました…。

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 ついでに、久し振りに入出にも行ってみたら、以前取材させてもらった老舗の佃煮屋さん(写真の右に見えるカンバン)が休業しており、これにも唖然。店のガラス戸には「長引く浜名湖の不漁のため材料の確保が困難になってきたため、休業させていただきます」の張り紙が。う~ん。

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 変化を嘆くわたくしに、6歳児はオフシーズンに入った女がウラウラ海水浴場(→●□●□)の浜辺に立ち「この世に不変なものなどないのですよ、おとうさん」と背中で諭すのであった。
(まさ)
遠州雑 | Comments(0) | Trackback(0)
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